EP 9
賽の河原。絶望の石積みと、時を止めた再会
赤黒い闘気を纏ったランドクルーザー70が、地獄の最下層である荒野を爆走していく。
窓の外を流れる景色は、どこまでも不気味で絶望的だった。煮えたぎる血の池、切り立った黒い岩肌、そして時折聞こえてくる名も知らぬ亡者たちのうめき声。
しかし、V8エンジンの重低音と、カーステレオから流れる『怒りの日』の劇的なオーケストラが、その不気味さを完全にねじ伏せていた。
「おいロード、ナビしろ。ユウの魂がある『賽の河原』はどっちだ」
「わ、分かっとるわ! このまま真っ直ぐ進んで、あのドス黒い霧がかかっとる谷を抜けたらすぐや!」
後部座席で青ざめながらも、ロードさんがエンジェルすまーとふぉんの画面(神界からくすねた地獄のマップアプリらしい)を指差す。
龍魔呂さんは無言でアクセルを踏み込んだ。
彼の横顔は、彫刻のように強張っていた。ハンドルを握る両手にはギリギリと力が込められ、指の関節が白く変色している。
焦り、怒り、そして……恐れ。
もし、愛する弟の魂がすでに消滅してしまっていたら。もし、間に合わなかったら。そんな恐怖と戦いながら、彼は必死にアクセルを踏み続けているのだ。
私は、彼が握るハンドルの横にそっと手を伸ばし、その冷え切った左手に自分の手を重ねた。
「大丈夫です、龍魔呂さん。絶対に、間に合います」
「……あぁ」
彼は短く答え、私の手をギュッと握り返してくれた。
やがて、ランクルはロードさんの言った通り、ドス黒い霧が立ち込める谷へと突入した。
霧を抜けた瞬間。
それまでの荒々しい岩肌の景色が一変し、どこまでも続く、灰色の平坦な空間が目の前に広がった。
その中央には、真っ黒な水が流れる巨大な川――『三途の川』が横たわっている。
そして、その川の手前に広がる、広大な石だらけの河原。
「ここが……『賽の河原』」
私は、フロントガラス越しの光景に息を呑んだ。
カーステレオの音楽を切り、エンジンを停止させる。
静寂が戻った車外から、微かに、けれど確かに、無数の音が聞こえてきた。
――カチッ、カチッ、カチッ。
石と石がぶつかり合う、乾いた音。
そして。
「……ひぐっ……うぇぇぇぇんっ……」
「おかあ……さん……おとうさん……あいたいよぉ……」
何百、何千という、幼い子供たちの泣き声だった。
私たち四人は、車を降りて、河原の影に身を隠すようにしてその惨状を見下ろした。
灰色の河原には、見渡す限りの無数の子供たちがいた。
よちよち歩きの赤ん坊から、十歳前後の少年少女まで。彼らは皆、ボロボロの白い着物を着て、泣きながら、足元の小石を拾い集め、一つ一つ塔のように積み上げている。
『一つ積んでは父のため……二つ積んでは母のため……』
虚ろな瞳で、祈るように石を積む子供たち。
親より先に死んでしまったという、彼ら自身にはどうしようもない運命のせいで、『親を悲しませた大罪人』としてこの地獄に落とされた無垢な魂たち。
「なんて……なんてひどい……っ」
私は、両手で口を覆い、込み上げてくる吐き気と涙を堪えた。
エスター王国の王城で、無能だと罵られ、泥水をすすらされた私自身の記憶など、これに比べればどれほど些細なものだったか。
この子たちは、ただ両親を愛していただけなのだ。ただ、生きたかっただけなのだ。
「む、無茶苦茶でござる……。こんな理不尽、悪魔の所業でござるッ……」
中二病の良樹さんでさえ、震える声で涙ぐんでいる。ロードさんもギリッと歯を食いしばり、顔を背けていた。
だが、地獄の理不尽はそれだけではなかった。
「ガハハハハッ!! 遅いぞガキどもォ! そんなチンタラ石を積んで、いつになったら塔が完成するんだァ!?」
ズシン、ズシンと地響きを立てて、身の丈三メートルはあろうかという、赤や青の肌をした醜悪な『地獄の鬼』たちが姿を現した。
彼らは手に棘のついた巨大な金棒や、鋭い鞭を握りしめている。
「ひぃぃっ!」
「ご、ごめんなさい! すぐ、すぐに積みますからっ!」
鬼の姿を見た子供たちが、悲鳴を上げて怯える。
しかし、鬼たちは残忍な笑みを浮かべると、子供たちが血を滲ませた小さな手で必死に積み上げた石の塔に向かって、容赦なく金棒を振り下ろした。
ガシャァァァァァァンッ!!
「あ……ああぁぁぁぁっ!」
「僕の、僕の石がぁっ……!!」
粉々に崩れ去る石の塔。
泣き叫ぶ子供たちを見て、鬼たちは腹を抱えて下劣な笑い声を上げた。
「ヒャハハハハ! 何度やっても無駄だァ! お前らは親不孝の大罪人! 永遠にここで石を積み、俺たちに壊され続けるのが運命なんだよォ!」
「ほら、さっさと次の石を積まねェか!」
ビシィィィッ!!
鬼の鞭が地面を叩き、その衝撃で数人の子供が吹き飛ばされ、石の角で手足を擦りむいて泣き叫ぶ。
痛い、怖い、助けて。
そんな子供たちの悲痛な叫び声が、賽の河原に木霊していた。
――ギリィッ。
私の隣で、恐ろしい音がした。
龍魔呂さんの、奥歯が砕けるほどの歯軋りだった。
「……」
彼は、何も言わなかった。
ただ、その全身から、先ほどのドライブとは比べ物にならないほど濃密で、どす黒い『赤黒い闘気』が、ドクドクと血のように溢れ出し始めていた。
彼の三白眼は、もはや人間のそれではない。完全に光を失い、焦点の合っていない、深淵の暗黒。
子供の悲鳴。子供の涙。
それは、彼の中の『処刑人(DEATH4)』を呼び覚ます、最も絶対的で、最凶のトリガーなのだ。
「龍魔呂さん……」
私が彼の腕を掴もうとした、まさにその時だった。
「おらァッ! そこでおどおどしてんじゃねェ、クソガキ!!」
少し離れた場所で、一体の巨大な赤鬼が、一人の少年に向かって蹴りを入れた。
「がはっ……!」
少年は為す術もなく地面を転がり、私が育てていた太陽芋のように泥だらけになった。
十歳くらいの、痩せ細った小さな男の子。
ボロボロの白い着物を着たその少年は、むせ返りながらも、泥だらけの手で、散らばった石を必死に集めようとしていた。
「や、やめて……これだけは……。これだけは、兄ちゃんの、ために……積まなきゃ……っ」
少年の声。
そして、顔を上げたその少年の、優しくて、どこか面影のある瞳。
「あ……」
私は、気づいてしまった。
隣に立つ龍魔呂さんの呼吸が、完全に停止したのがわかった。
十年前。
暗くて冷たいスラムのゴミ捨て場で、彼の腕の中で冷たくなっていった、あの小さな命。
何千日という途方もない時間、親代わりだった大好きな兄のために、泣きながら、鬼に壊されながら、たった一人で石を積み続けてきた小さな魂。
「……ユウ」
龍魔呂さんの唇から、微かな、掠れた声が漏れた。
「ユウ……ッ!!」
それは、絶望と、歓喜と、そして――神すらも震え上がるほどの『究極の殺意』が入り混じった、獣の咆哮だった。
彼の中にあった、わずかな理性が、ついに完全に吹き飛んだ。
愛する弟が、あんな醜悪なゴミどもに蹴り飛ばされ、泣かされている。
その事実だけで、彼が地獄の全てを焼き尽くす理由は十分すぎた。
「お前らが、悪だ」
龍魔呂さんの右手が、ポケットに伸びる。
取り出されたのは、真鍮のオイルライター。
世界の理など知ったことか。神が定めた運命など知ったことか。
今、この瞬間から。
この地獄は、彼による『一方的な処刑場』へと変わるのだ。
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