EP 8
ランクル70、次元の壁を穿つ(地獄ダイブ)
朝靄がポポロ村を包み込む、日の出直後の静寂の中。
村の郊外にある荒野のど真ん中に、漆黒の塗装を施された無骨な四輪駆動車――トヨタ・ランドクルーザー70系が、アイドリングの重低音を響かせて停まっていた。
「よっしゃ、準備はええな。ルチアナのオバハンから送られてきたアプリのパス、起動するで」
ランクルの前に立った始祖竜クロノこと『ロード』さんが、首にぶら下げた魔導通信石……もとい『エンジェルすまーとふぉん』の画面を操作した。
ピッ、と電子音が鳴ると同時に、彼の手から淡い金色の魔力が溢れ出す。時を操る神話級の力が、神界の認証パスと組み合わさり、何もない空間を捻じ曲げ始めた。
――バキバキバキッ!!
空気がガラスのように砕ける音と共に、空間そのものに巨大な亀裂が走る。
その亀裂はゆっくりと左右に開き、中から、光の一切を吸い込むようなドス黒い『闇のゲート』が現れた。
扉の向こうからは、硫黄の匂いと、氷のように冷たく、そして肌が粟立つような『死』の気配が強烈な風となって吹き出してくる。
「ひぃぃぃっ……!! な、なんたる悍ましき邪気……ッ! ここから先は、まさに冥府魔道! 拙者の【竜撃砲】の出番でござるなァァッ!」
ランクルの後部座席のドアにしがみつきながら、ルナ・イーツ配達員の青年、良樹さんが叫んだ。
中二病全開の勇ましいセリフとは裏腹に、彼の両足は生まれたての子鹿のようにガクガクと震え、顔面は真っ青である。彼は完全に「巻き込まれた一般人(配達員)」なのだ。
「やかましいわ。ビビるくらいなら付いてくんなや」
「そ、そんなわけにはいかないでござる! ロード殿が地獄へ行くというなら、相棒として同行するのが漢の浪漫! それに……龍魔呂殿の作る『特上賄い丼』のタダ食いパスポート、逃す手はないでござるからなっ!」
「……ちっ。うるせぇガキどもだ」
運転席のドアの横でタバコをふかしていた龍魔呂さんが、舌打ちをしながらも口角をわずかに上げた。
彼はタバコを携帯灰皿に消すと、私の方を振り向いた。
黒のレザージャケットにワインレッドのタートルネック。そして、彼の右手の指には、ガジェットさん特製の『鬼王の指輪』が鈍い光を放っている。
「リリアナ。……行くぞ」
「はいっ」
私は大きく頷き、助手席のドアを開けた。
ランクルの広大なトランクには、ガジェットさんから次元転送で送られてきた膨大な弾薬、重火器のスペア、そして龍魔呂さんの本焼き包丁セットや、私が育てた野菜と仕込んだ特製弁当がぎっしりと積載されている。
私たちが乗り込むと、ロードさんも「やれやれ、サウナに行きたいわ」とぼやきながら、良樹さんの横の後部座席に飛び乗った。
バタンッ! と重厚なドアが閉められ、外界の音が遮断される。
龍魔呂さんがキーを回すと、V8エンジンが猛獣の咆哮のような轟音を上げた。
ハンドルを握る彼の大きな腕の筋肉が、盛り上がる。
「良樹、シートベルトは締めたか」
「む? 当然でござ――」
「舌噛まねぇように気をつけろよ」
龍魔呂さんがカーステレオのスイッチをオンにした。
次の瞬間。
車内の大型スピーカーから、腹の底を震わせるような恐ろしい重低音のオーケストラと、壮大で絶望的な大合唱が響き渡った。
――ヴェルディ作曲『レクイエム』より、「怒りの日 (Dies Irae)」。
ジャァァァン!! ジャァァァン!!
大音量で流れる、神の怒りと終末を告げるような劇的な旋律。
それは、これから地獄という死者の領域に殴り込み、暴れ狂うための、彼なりの最高の『出陣のファンファーレ』だった。
「うおぉぉぉ!? な、なんちゅうBGMでござるかッ! 心臓が止まりそうでござるゥゥッ!」
後部座席で良樹さんが両耳を塞いで絶叫する。
「おっしゃ、いくぞォ!」
龍魔呂さんが、右手の『鬼王の指輪』の出力を全開にした。
ズォォォォォォンッ!!
彼の身体から噴出した『赤黒い闘気』が、一瞬にして車内を満たし、さらにランドクルーザー70の強靭なボディそのものを覆い尽くした。
ただの鉄の塊だった車体が、物理法則を完全にねじ曲げる『呪いの装甲』へと変貌する。
フロントグリルからボンネットにかけて、脈打つような赤黒いオーラが禍々しく立ち昇った。
「しっかり掴まってろよ、リリアナ!」
「はいっ!!」
龍魔呂さんがアクセルペダルを床の底まで踏み抜く。
キュルルルルルッ!!
四つの極太のタイヤが荒野の土を猛烈にえぐり出し、白煙を上げてグリップした瞬間。
赤黒い闘気を纏った二トン超えの鋼鉄の塊が、砲弾のようなスピードで、空間に開いた漆黒のゲートへと向かって突進した。
――ドゴォォォォォォォンッ!!
次元の壁をぶち破る、途方もない衝撃。
目の前の景色が、グニャリと歪んだ。
「きゃぁぁぁっ!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
ゲートを潜り抜けた瞬間、私たちを襲ったのは『落下』の感覚だった。
地獄への道は、平坦な道などではない。この世とあの世を隔てる、果てしない縦穴の次元断層。
赤黒いオーラを放つランドクルーザーは、タイヤの接地を失い、完全に重力に従って冥界の空を真っ逆さまに落下し始めたのだ。
「あ、アカン! ワテ、絶叫マシンだけはあかんねん! ゲロ吐きそうやぁぁっ!」
「ひぃぃぃぃ! 拙者の、拙者の内臓が浮き上がっているでござるゥゥッ!」
後部座席でロードさんと良樹さんが、シートベルトに首を絞められながら泣き叫ぶ。
だが、運転席の龍魔呂さんは、猛烈な風圧と重力Gの中で、狂気じみた笑みを浮かべていた。
「ハッ、いい景色じゃねぇか!」
窓の外。
それは、空が血のように赤黒く染まり、眼下にはマグマが煮えたぎる広大な荒野が広がる、正真正銘の『地獄』の光景だった。
落下スピードはマッハに近づき、車体が大気との摩擦で真っ赤に発熱し始める。
普通なら空中で燃え尽きるか、地面に激突してスクラップになるだけの速度。
しかし、車体を覆う龍魔呂さんの『赤黒い闘気』が、一切の熱と衝撃を完璧に弾き返している。
「龍魔呂さん、このままじゃ激突しますっ!」
私が叫ぶと、彼は素早くシフトレバーを操作した。
「心配すんな。……地獄の底を、ドライブしてやる」
カーステレオから流れる『怒りの日』のコーラスが最高潮に達したその時。
眼下の岩山が、恐ろしいスピードでフロントガラスに迫ってきた。
「ロード! 時間操作だ!」
「分かっとるわボケェ!!」
ロードさんが後部座席から手をかざし、車体の落下速度の時間を局所的に『減速』させた。
猛烈なGが急激に弱まり、車体がフワリと浮き上がるような感覚に陥る。
「今だッ!」
ドォォォォォォォォォンッ!!!!!
ランドクルーザーの四輪が、地獄の荒野の岩肌に激突した。
凄まじい衝撃波が周囲の岩を粉砕し、赤黒い土砂が津波のように巻き上がる。ダンプカーがビルの屋上から降ってきたような大質量の激突。
しかし、強靭なサスペンションと赤黒い闘気のクッションにより、車体は無傷。
バウンドした車体を見事にコントロールし、龍魔呂さんはドリフトさせながら地獄の荒野へと着地をキメたのだ。
「ふはははっ! やりやがった……本当に来やがったぜ!」
ズザァァァァッ! と長い轍を刻んでランクルが停止する。
巻き上がった土煙が晴れると、そこには異様な光景が広がっていた。
血の池が沸き立ち、亡者の悲鳴がどこからともなく響いてくる、灰と岩の荒野。
しかし、私たちの乗る無骨な四輪駆動車は、そんな地獄の風景すらも圧倒するほどの、凶悪で規格外の存在感を放っていた。
「……着いたぞ。ここが地獄の最下層だ」
龍魔呂さんがハンドルを握ったまま、鋭い視線で周囲を見渡す。
「うぇぇ……生きた心地がしなかったでござる……」
「ワテの寿命が百年は縮んだわ……」
後部座席の二人はグロッキー状態だったが、私は大きく深呼吸をして、ギュッと両手を握りしめた。
怖い。けれど、彼の隣にいれば、どんな場所でも戦える気がした。
「行きましょう、龍魔呂さん。……ユウ君を、迎えに」
「あぁ。邪魔する奴は、鬼だろうが閻魔だろうが、全員挽肉にしてやる」
カーステレオから流れるレクイエムを背に、私たちは地獄の荒野――目的地である『賽の河原』へと向かって、再びエンジンを轟かせた。
神の理をぶち壊す、地獄殴り込みの本当の戦いが、ついに幕を開けたのだ。
読んでいただきありがとうございます。
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