EP 2
修羅の極道弁護士・桜田リベラ
翌朝。私たちは、ポポロ村の少し外れにある、瀟洒なレンガ造りの洋館の前に立っていた。
磨き上げられた真鍮のプレートには『桜田リベラ法律事務所』と刻まれている。
「ここが……世界で一番口が回るという、弁護士さんの事務所ですか?」
「ああ。……政治家だろうが警察だろうが、権力を振りかざす奴らを法の論理で完膚なきまでに叩き潰す『悪魔の事務所』なんて呼ばれてるがな。俺の店にもよく顔を出す、常連客の一人だ」
龍魔呂さんは短く答え、重厚なオーク材の扉を開けた。
「……グルルッ」
中に入った瞬間、低く腹の底に響くような獣の唸り声に、私はビクッと肩をすくめた。
受付の横にある巨大な革張りのソファ。そこに寝そべっていたのは――三つの頭を持つ漆黒の魔獣、ケルベロスだった。
「ひっ……!」
「驚かなくていい。そいつはアモンって言って、リベラ先生の相棒だ。……アモン、先生はいるか?」
龍魔呂さんが声をかけると、ケルベロス――アモンは三つの頭をゆっくりともたげ、それぞれが知性を感じさせる黄金の瞳で私たちを値踏みするように見つめた。
『……ああ。奥の執務室だ。お前が昼間からここへ来るなんて、余程の厄介事を持ってきたんだろうな、龍魔呂』
「喋った……!?」
『俺様はただの魔獣じゃないからな。……おい嬢ちゃん、俺の鼻は人間の『嘘』を嗅ぎ分ける。右の頭が動けば保身の嘘、真ん中が動けば他意のある嘘、左が動けば恐怖による嘘だ。先生の前に立つなら、下手な嘘は吐かないことだな』
アモンはニヤリと牙を剥いて笑うと、再びアゴを前足に乗せて目を閉じた。
嘘を見抜く魔獣。ここがただの法律事務所ではないことを、痛いほど実感する。
奥の執務室のドアをノックし、「入れ」という凛とした女性の声に促され、私たちは中へ入った。
アンティーク調の家具が並ぶ室内には、ダージリンティーの芳醇な香りと、甘い焼き菓子の匂いが漂っていた。
巨大なマホガニーのデスクの向こう。そこに座っていたのは――。
「いらっしゃい、龍魔呂。それに、リリアナちゃんも。こんな時間に揃って来るなんて、明日にでも世界が滅ぶ相談かしら?」
タイトな漆黒のスーツを身に纏い、脚を組んで優雅にティーカップを傾ける女性。
艶やかな長い黒髪に、知性と力強さを宿した切れ長の瞳。ルナミス帝国屈指の大企業『ゴルド商会』の実質的支配者であり、裏社会でもその名を知らぬ者はいないという最強の法務官、桜田リベラ先生だった。
「先生。今日は、店に来てもらった時のような世間話じゃねぇ。……あんたに、頼みがある」
龍魔呂さんは深く頭を下げた。あのプライドが高く、圧倒的な力を持つ彼が、誰かにこれほど深々と頭を下げる姿を、私は初めて見た。
リベラ先生はティーカップをソーサーに置き、デスクの上に飾られていた小さな写真立て――五歳くらいの男の子が満面の笑みを浮かべている写真――を、愛おしそうに指先で撫でた。
「……ユウ君の、ことね?」
「ッ……! なぜ、それを……」
「私を誰だと思っているの? あんたが背負っているものくらい、とっくに調べがついているわ。……それに、私の可愛い息子の名前も『憂』だからね。あんたがうちの憂にだけ、異様に過保護に接していた理由も分かっていたわ」
リベラ先生は静かに立ち上がり、私たちの方へ歩み寄ってきた。
その歩みには、一寸の隙もない。彼女の背後には、法律という名の巨大な刃が見えるようだった。
「死者を生き返らせる。それも、神界のシステムである聖獣機神『ガオガオン』の監視を潜り抜け、地獄の閻魔から魂を奪い返し、時間を逆行させる……。あんたたち、自分がどれだけ大それた罪を犯そうとしているか、理解しているの?」
「……分かっています。世界の理を壊す、大罪だと」
「ええ。そうよ」
リベラ先生は、龍魔呂さんの真正面に立ち、その冷徹な瞳で彼を射抜いた。
「あんたは、自分の手を血で染めてきた。いくら『悪人だけを殺した』と嘯いたところで、あんたが奪った命の重さは消えない。法廷に立たせれば、極刑は免れない大罪人よ。あんたは、一生、光の当たる日の目を歩くことは許されない」
「……ええ」
「それでも。その血塗られた手で、また新たな大罪を犯してでも、あの暗い地獄へ落ちていく覚悟はあるの? 今ならまだ、ポポロ村のマスターとして、この可愛い恋人ちゃんと平穏に暮らしていく道もあるのよ?」
容赦なく彼の罪をえぐり、退路を提示する言葉。
けれど、龍魔呂さんの瞳は一ミリも揺らがなかった。
「俺は、あいつを地獄の暗闇に置いたまま、自分だけが光の中で幸せになるなんて……そんなこと、絶対にできねぇ」
低く、けれど確固たる意志を持った声。
「俺は処刑人(DEATH4)だ。地獄に行くことなんて、とうの昔に覚悟はできてる。……あいつを、ユウを救い出せるなら。俺の魂が永遠に燃やし尽くされようと、構わない」
沈黙が落ちた。
受付の方から、アモンの唸り声は一切聞こえてこない。彼の言葉に、一片の嘘偽りもない証拠だ。
リベラ先生は、じっと龍魔呂さんを見つめた後、今度は視線を私へと移した。
「リリアナちゃん。……あんたも、行くの?」
「はい」
私は、震える手をギュッと握りしめ、背筋を伸ばして彼女を真っ直ぐに見つめ返した。
「私は、彼に命を救われました。彼が地獄へ行くというなら、私も行きます。彼が罪を背負うというなら、私も一緒に背負います。……私の魔法は、彼がユウ君を連れて帰ってくるための道を作るために、使います」
私の言葉を聞き終えると、リベラ先生は、ふっ……と、張り詰めていた空気を解くように、柔らかく、けれど凄みのある笑みを浮かべた。
「……馬鹿な男と、もっと馬鹿な女ね」
そう呟くと、彼女はスーツの胸ポケットから、豪奢な金細工が施された『煙管』を取り出した。
カチッ、とライターで火をつけ、無臭の紫煙をふわりと吐き出す。
その瞬間。彼女の纏う空気が、洗練されたエリート法務官のものから、血と鉄火場を潜り抜けてきた『修羅の極道』のそれへと一変した。
「……ええわ。その覚悟、しかと見届けたで」
「先生……?」
突然、コテコテの『岡山弁』に変わった彼女の口調に、私が目を丸くしていると、龍魔呂さんが「本気モードだ」と小さく呟いた。
「ワシはな、法を笠に着て、弱ぇもんを泣かせる理不尽なシステムが何より嫌いなんじゃ」
リベラ先生は煙管をトントンと灰皿に叩きつけ、ニヤリと獰猛な牙を剥くように笑った。
「何の罪もない十歳の子供を、親より先に死んだっちゅうだけの理由で賽の河原で石積みさせる? そんなふざけたシステム、法の精神にも、児童の権利条約にも真っ向から反しとるわい。ガオガオンじゃろうが神じゃろうが関係ない。そんなクソみたいな理不尽、ワシが六法全書で目ン玉ひん剥いて、根こそぎ論破しちゃるわ」
「先生……! じゃあ!」
「勘違いすなよ。ワシは、罪なき子供を救うために動くだけじゃ」
彼女は鋭い視線で龍魔呂さんを指差した。
「神界のシステム・ガオガオンは、このワシが法的解釈と『社内ドロドロ恋愛事情』で精神的に追い詰めて、完全に黙らせちゃる。……じゃが、ユウ君の魂を現世に繋ぎ止めるための『時間操作』、始祖竜クロノの説得は、あんたらの仕事じゃ。クロノがおらな、地獄のゲートも開かんし、時間も戻せんからな」
「クロノ……あぁ、分かっている。だが、あいつは今どこに?」
「ルナミス帝国の都市部や。……今は『ロード』と名乗って、ルナ・イーツの配達員をやっとるわ」
「は?」
龍魔呂さんが、間抜けな声を漏らした。私も思わずポカンとしてしまった。
伝説の始祖竜が、配達員?
「あいつは古代の覇権争いに嫌気がさして、今は『冷めたピザの時間を巻き戻してタダ飯を食う』ような、底辺のファストフード生活を満喫しとる超・現実主義者じゃ。……説得は、一筋縄じゃいかんぞ」
リベラ先生は煙管をふかした。
「ええか、龍魔呂。ロードを説き伏せ、時間を操る力を手に入れろ。ワシが神の監視網に風穴を開けちゃるけぇ……地獄の底から、あんたの弟を、必ずひったくって帰ってこい!」
圧倒的な頼もしさ。
これほどまでに心強く、恐ろしい味方がいるだろうか。
「……恩に着る、リベラ先生」
龍魔呂さんが再び深く頭を下げた。私も、精一杯の感謝を込めて一礼した。
こうして、私たちは次なる鍵――伝説の始祖竜クロノを仲間に引き入れるため、ルナミス帝国へと向かうことになったのだった。
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