EP 15
明かされた異世界転移の理由。私を突き放す不器用な愛と、あなたと共に地獄へ堕ちる覚悟
賑やかで温かかった快気祝いの宴が終わり、ポポロ村は静かな真夜中の闇に包まれていた。
客たちが帰り、店を片付け終えた私は、再び熱を出してベッドに横たわっている龍魔呂さんの傍らに座っていた。
機神ラビークでの激戦と、暴走する闘気を無理やり抑え込んだ反動は、強靭な彼の肉体にも深いダメージを残していたようだ。
私は、彼の広いおでこに乗せた冷たいタオルを替えながら、静かに寝息を立てるその横顔を見つめていた。
――けれど。
その穏やかな時間は、唐突に破られた。
「……ユウ……」
ポツリと、彼の唇から掠れた声が漏れた。
見れば、彼の額には脂汗が浮かび、眉間には苦痛に満ちた深いシワが刻まれている。
悪夢を見ているのだ。
彼が世界で一番愛し、そして世界で一番凄惨な形で失ってしまった、たった一人の弟の夢を。
「っ……ユウ……ユウ……ッ!」
シーツを握りしめる彼の大きな手が、白くなるほど強く震えている。
うなされる彼の声は、あの無敵で恐ろしい処刑人のものではない。暗くて冷たいゴミ捨て場で、血の涙を流して泣き叫んでいた、十歳の無力な少年の声だった。
「龍魔呂さん……っ」
私が彼の手に自分の手を重ね、どうにかしてその痛みを和らげようとした、その時だった。
「……たつまろ」
静かな部屋の片隅から、不意に声がした。
ビクッと肩を震わせて振り返ると、月明かりの差し込む窓辺に、いつの間にかユイちゃんが立っていた。
宴の途中で「神界の仕事があるから」と帰ったはずの彼女だったが、その瞳には普段の無邪気な光はなく、どこかひどく悲しげな、神としての静謐な色が宿っていた。
「ユイちゃん……。龍魔呂さんはどうして、こんなに苦しそうにうなされているの?」
私の問いかけに、ユイちゃんはゆっくりと首を振った。
そして、窓辺からベッドの傍らへと歩み寄り、眠る龍魔呂さんを痛ましそうに見下ろした。
「……たつまろから聞いた事があるんだよね。たつまろが、この『アナスタシア世界』に来た理由を」
「えっ……? 龍魔呂さんが来た理由?」
私は息を呑んだ。
龍魔呂さんは、この世界で生まれ育ったわけではない。
『地球』と呼ばれる別の世界――彼が「スラムのゴミ溜め」と呼んだ、過酷な場所からやってきた異世界人なのだと、彼自身から聞いていた。
けれど、彼が『なぜ』この世界にやってきたのかまでは、聞いていなかった。
「うん。……たつまろの弟であるユウ君を、生き返らせる……ううん」
ユイちゃんは、ギュッと拳を握りしめ、絞り出すように言った。
「そんな事を、最初から『無かった事』にするつもりなんだ」
「無かった事に……?」
どういうことだろう。
死者を生き返らせるだけでも、神の理に反する究極の禁忌だ。
それを、最初から『無かった事』にする?
それはつまり……時間を巻き戻し、歴史そのものを改竄するということ。神界のルールはおろか、世界の因果そのものを破壊する、文字通りの『神への反逆』を意味していた。
「たつまろはね、そのためにこの世界に降り立った。どんな罪を背負ってでも、どんな禁忌を犯してでも、過去を書き換える力を手に入れるために。……だから彼は、地獄のような血みどろの道を――」
「――喋り……過ぎだ、ユイ」
ビクリと、空気が凍りついた。
いつの間にか。
ベッドに横たわっていた龍魔呂さんが、目を覚ましていた。
彼の鋭い三白眼が、静かな、けれど有無を言わせぬ圧力を放ってユイちゃんを睨みつけている。
「たつまろ! でも……っ!」
ユイちゃんが反論しようとしたが、龍魔呂さんはゆっくりと上半身を起こし、深く、重いため息を吐いた。
その顔は、私が先ほどまで見ていた『私を溺愛してくれる優しいマスター』の顔ではなかった。
自分自身を暗黒の檻に閉じ込め、たった一人で世界を敵に回そうとしている、孤独な修羅の顔。
「龍魔呂さんの、目的……。時間を、巻き戻すって……」
私が震える声で尋ねると、龍魔呂さんは私からスッと視線を逸らした。
そして、今まで聞いたこともないような、氷のように冷たく、拒絶に満ちた声で言い放った。
「リリアナ……お前には、関係ない事だ」
――ドクン。
心臓が、冷たい手で鷲掴みにされたように痛んだ。
「そんな……」
私には、関係ない。
その言葉は、彼と通じ合えたと信じていた私の心を、真っ二つに引き裂くほどの破壊力を持っていた。
(どうして……? あんなに、私を必要だと言ってくれたのに)
視界が涙で滲みそうになる。
けれど。私は、彼から逸らされた視線の先――シーツを握りしめている彼の『手』を見た。
その大きく無骨な手は、ひどく小刻みに震えていた。
まるで、今発した「お前には関係ない」という言葉が、彼自身の心をも切り裂いているかのように。
……あぁ、そうか。
私は、気づいてしまった。
彼は、私を嫌いになったわけじゃない。私を邪魔だと思ったわけでもない。
歴史を改竄するということは、この世界そのものを敵に回すということ。
神々も、理も、全てを敵に回して、地獄の底へと落ちていく究極の罪。
彼は、私を愛しているからこそ。
せっかく居場所を見つけ、温かいご飯を食べて笑えるようになった私を、自分の『罪』と『地獄』に巻き込みたくないのだ。
私だけは、光の当たる平和な場所においていきたい。
そのために、彼はわざと私を冷たく突き放し、たった一人で暗闇の中へ歩いていこうとしているのだ。
「……馬鹿な人」
私は、こぼれそうになった涙をグッと堪え、立ち上がった。
そして、私から顔を背けている彼に向かって、一歩、歩み寄った。
「リリ……?」
「龍魔呂さん。私、先日言いましたよね?」
私は、シーツを握りしめて震えている彼の大きな手に、自分の両手を重ねた。
ビクンッと彼の肩が跳ねる。
「龍魔呂さんが地獄へ行くというのなら。……私も、一緒に地獄へ行きますって」
「……やめろ、リリアナ。お前が背負うような――」
「関係なくなんて、ありません!!」
私は、初めて彼に向かって大きな声を上げた。
彼が驚いて私を見た。その三白眼を、私は真っ直ぐに見つめ返す。
「私はもう、あなたのものです。あなたが作ったご飯で生かされて、あなたの腕の中で息をしているんです! 私を一人ぼっちにして、あなただけが暗闇に行くなんて……そんなの、絶対に許しません!」
「リリアナ……お前……っ」
彼の瞳が、微かに揺れた。
私は、重なっている彼の手を引き寄せ、自分の頬へと押し当てた。
「歴史を書き換えることが、世界を敵に回す大罪だというのなら。私が……私のこの『豊穣の魔法』で、世界中を花で満たして、神様たちを黙らせてみせます。あなたが犯す罪は、私が半分背負います」
「……」
「だから。……私を、置いていかないでください。私は、あなたと一緒にいたいんです」
静かな部屋の中に、私の声だけが響いた。
ユイちゃんは、私たちのやり取りを見て、ふっと優しく、そして少しだけ泣きそうな顔で微笑むと、音もなく月明かりの中へと姿を消した。
沈黙が落ちる。
龍魔呂さんは、私の頬に触れる自分の手を見つめ、やがて、絞り出すように深く、長いため息を吐いた。
「……お前って奴は。本当に……馬鹿で、強情で……」
「はい。あなたの愛した女ですから」
「……ッ」
彼は、負けを認めるように目を伏せた。
そして、私の手首を掴むと、グッと強い力で私をベッドの上へと引き寄せ、その分厚い胸の中に私をきつく、痛いほどに抱きしめた。
「後悔しても、もう遅ぇぞ」
「しません。絶対に」
彼の低い、ひどく甘い声が耳元を震わせる。
突き放そうとしたのも、こうして再び抱きしめ返すのも、全ては彼が私を狂おしいほどに愛しているから。
私は彼の広い背中に腕を回し、その不器用で優しすぎる魂を、永遠に離さないと心に誓った。
王城を追放され、泥水の中で死にかけていたあの日。
私を拾ってくれた、温かい雑炊と、不器用な強面マスター。
私たちの平穏なスローライフは、ここで一つの結末を迎えた。
これからは、彼の弟・ユウ君を救うため、そして彼自身の魂を本当の意味で救済するための、世界を巻き込む壮大な戦いが始まる。
――けれど、私は何も怖くない。
だって私の隣には、世界で一番強くて、世界で一番美味しいご飯を作ってくれる、最愛の彼がいるのだから。
読んでいただきありがとうございます。
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