EP 11
美女と野獣――真紅の狂気を包み込む、命を懸けた抱擁
ギギギッ……ギギギギギギギッ!!
合成獣を上空で消し飛ばした後も、人型機神ラビークの痙攣は止まらなかった。
純白だった装甲は今や、返り血と、内部から際限なく噴出する『赤黒い闘気』によって、悍ましい真紅に染め上げられている。
ツインアイの禍々しい赤い光が明滅し、ただそこに立っているだけで、周囲の空間がジリジリと歪み、石畳が融解し始めていた。
『リリッ! ダメだ、たつまろの自我が完全に崩壊しかかってる! このままじゃ闘気の暴走で機体ごと爆発する!』
脳内に直接響くユイちゃんの声は、かつてないほど焦燥に満ちていた。
神界からすべてを見通している彼女には、今の龍魔呂さんがどれほど危険な状態か、手に取るようにわかっているのだろう。
『僕が雷撃を撃ち込んで、強制的に機体の機能と闘気を破壊する! 死ぬかもしれないけど、このまま彼を化け物として自爆させるよりはマシだっ!』
「だめっ!! 撃たないで、ユイちゃん!!」
私は、喉が裂けるほどの声で叫んだ。
「私が……私が行きます。彼を、一人になんてさせない……っ」
私は地面を蹴り、暴走する真紅の機神へと向かって走り出した。
『やめろリリ! 今のヤツの闘気は、数千度の高熱を帯びた呪いそのものだ! 生身で近づけば、君の身体が一瞬で炭になっちゃうんだぞ!?』
『お嬢ちゃん! 雷帝神サマの言う通りだ、死にたくなきゃ離れろォ!』
ユイちゃんとガジェットの悲痛な制止の声が響く。
確かに、ラビークに近づくにつれ、肌を焼くような強烈な熱波と、息が詰まるような殺意の重圧が私を襲った。
普通の人間なら、恐怖で一歩も動けなくなるだろう。肺に取り込む空気すら熱く、皮膚がジリジリと灼けるような痛みを感じる。
けれど、私の足は止まらなかった。
――怖いわけがない。
この熱は、私に温かい雑炊を作ってくれた人の熱だ。
この闘気は、一滴の血も流させずに私を守り抜いてくれた、彼の優しさの裏返しだ。
(龍魔呂さんは、化け物なんかじゃない……っ!)
弟を救えなかったという、血の涙を流すほどの深い傷。
そのトラウマをえぐられ、理性を飛ばしてまで、村の子供を……そして私を守ろうとしてくれた。
それなのに、彼だけが冷たい狂気の暗闇に落ちて、たった一人で壊れていくなんて、絶対に嫌だ。
「龍魔呂さんッ!!」
私が叫びながら、さらに一歩、熱の嵐の中へと足を踏み入れた瞬間だった。
――トクン。
私の中の、魔力の奥底。
かつて王城で「植物を少し元気にするだけ」と嘲笑われた私の力。ポポロ村の土と、彼のご飯によって開花した『豊穣』のチート能力が。
彼を助けたいという強烈な祈りに呼応して、爆発的に膨れ上がった。
「あ……」
私の足元、熱で融解しかけていた石畳の隙間から、淡い緑色の光が溢れ出した。
それは、目にも留まらぬ速さでツルを伸ばし、葉を広げ、次の瞬間――ポポロ村の広場一面に、まばゆい光を放つ無数の花々を一斉に咲かせたのだ。
淡い金と、優しい緑色の光。
花々から立ち昇る清らかな生命の魔力が、龍魔呂さんの放つ赤黒い闘気とぶつかり合い、シュウゥゥゥと音を立てて熱を中和していく。
『な……なんだこりゃあ!? マイ・ゴッドの呪いの闘気が、浄化されていく……!?』
通信機越しにガジェットが驚愕の叫びを上げる。
ユイちゃんもまた、息を呑む気配がした。
『リリ……君の力、ここまでだったなんて……』
私は、光の花畑となった広場を真っ直ぐに進んだ。
熱波も、殺意の重圧も、もう私を傷つけることはない。私が一歩踏み出すたびに、足元から新たな命が芽吹き、彼の悲しみを包み込むように花が開いていく。
私はついに、巨大な機神ラビークの足元へと辿り着いた。
「龍魔呂さん、聞こえますか! 開けてください!」
私が装甲に手を触れ、声を限りに叫ぶ。
しかし、機体は依然としてギギギッと不気味な音を立てて痙攣し、ハッチが開く様子はない。
内部のコックピットで、彼がどうなっているのか。
(お願い、私に力を貸して……っ!)
私は、機体の装甲に両手をピタリと当て、全身の魔力を注ぎ込んだ。
植物の成長を促す私の力は、無機物である鋼鉄には効かないはずだ。けれど、この機体が彼の闘気と完全に同調しているのなら。彼の魂と繋がっているのなら、私の声も必ず届くはず。
「お願い……っ、私を、中に入れて!」
私の手から放たれた強烈な生命の光が、機体の隙間から内部へと染み込んでいく。
――その祈りが通じたのか。
あるいは、龍魔呂さんの奥底にわずかに残っていた『人間』としての理性が、私を拒絶することをやめたのか。
プシュゥゥゥ……ッ。
重厚な排気音と共に、機神ラビークの胸部装甲が、ゆっくりと左右に展開した。
開かれたハッチの奥、薄暗く、赤黒い光が点滅するコックピット。
私は、機体に絡みつかせるように成長させた太いツルを階段代わりにし、一気にコックピットの中へと滑り込んだ。
「――ッ」
そこで私が目にした光景に、胸が張り裂けそうになった。
操縦席に座る龍魔呂さんは、全身から止めどなく赤黒い闘気を立ち昇らせながら、虚空を見つめていた。
焦点の合っていない、光を完全に失った三白眼。
その瞳からは、ボロボロと……真っ赤な『血の涙』が流れ落ちていた。
「……ユウ……」
彼の唇から、掠れた声が漏れる。
今、彼の心は、現在にはない。十歳のあの日、地下格闘場のゴミ捨て場で、冷たくなった弟の亡骸を抱きしめていた、あの絶望の瞬間に縛り付けられているのだ。
強くて、恐ろしくて、頼りになるマスター。
その殻の下で、彼は一人きりでずっと、血を流して泣いていた。
「龍魔呂さん……っ」
私は、躊躇うことなく彼に駆け寄り、その大きな身体を、両腕で思い切り抱きしめた。
「ッ!?」
ビクンッ、と彼の身体が大きく跳ねた。
彼の身体から溢れ出す闘気が、侵入者である私を拒絶しようと暴れ狂う。
けれど、私は絶対に腕を離さなかった。
私の胸の奥から湧き上がる温かい魔力が、光となって彼を包み込む。王城では誰一人癒やすことのできなかった私の治癒能力が、彼の魂の傷口へと優しく染み込んでいく。
「もう、大丈夫です。もう……独りじゃないですよ」
私は、彼の背中に回した手に力を込め、彼のおでこに、自分のおでこをコツンと合わせた。
至近距離で交わる視線。
私の瞳からこぼれた涙が、彼の頬を伝う血の涙と混ざり合う。
「子供たちは無事です。誰も、死んでいません。龍魔呂さんが、守ってくれたんです。あなたが……みんなを救ってくれたんです」
「……あ……」
「だから、もう泣かないで。暗くて冷たいゴミ捨て場には、もう誰もいません。……帰りましょう、私たちの店に。一緒に、温かくて美味しいご飯を、作りましょう」
私の言葉が、彼の耳に、そして心の奥底に届いたのがわかった。
彼の全身を覆っていた、呪いのような赤黒い闘気が、ふっと……嘘のように霧散していった。
コックピットを満たしていた殺意の重圧が消え、代わりに、私の放つ優しい花の香りと、彼本来のタバコと出汁の香りが戻ってくる。
「……り、りあな……?」
焦点の合っていなかった彼の瞳に、ゆっくりと光が灯る。
私の顔を認識し、彼の手が、震えながら私の背中へと回された。
まるで、壊れ物に触れるかのような、ひどく臆病で、優しい抱擁。
「あぁ……」
彼は深く、安堵の息を吐き出した。
長年彼を縛り付けていた鎖が、ついに音を立てて砕け散った瞬間だった。
「……わりぃ。……また、お前に泣かされちまったな」
掠れた声でそう呟くと、彼の大きな身体からフッと力が抜けた。
彼はそのまま私の肩に顔を埋め、気を失った。
規則正しい、静かな寝息が聞こえてくる。
「ええ。何度でも、泣いていいんですよ。私が……ずっとそばにいますから」
私は、眠りに落ちた彼の背中を、子供をあやすように優しくトントンと叩き続けた。
広場に咲き誇る光の花々が、風に揺れてサラサラと優しい音を立てている。
血に塗れた過去を持つ伝説の処刑人と、無能と追放された令嬢。
私たちはようやく、本当の意味で互いの魂を救い出し、かけがえのない居場所を手に入れたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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