第三十二話 バブル
「イタリア料理も、流行り始めた時期があったな。」
「あれは、バブルの頃だったね。
確か•••。」
サブローとジョーが語る。
「イタ飯って言葉が流行ったんだよね、あの頃。
和食の何かだと思わなかったかい?」
「あぁ、そうそう。
それでさぁ、聞いたことない言葉が、突然使われ始めたんだ。
新鮮だったよな。」
「どんな言葉ですか?」
ハリーが尋ねる。
「カルパッチョ、カプレーゼ、サルティンボッカ、ゴルゴンゾーラ。
料理の名前やら、食材やら。
それを、あたかも知ってるのが当たり前のように、言うんだ。」
「そうそう。
知らないヤツはダサいヤツ、って感じでね。
あれって、不思議だよね。
フランス料理の名前なんかは、誰も使ってなかったってのに。」
「あー、あれはさ。
イタリア語がローマ字読みで、読みやすかったからだよ。
それを得意気に読んで注文するんだ。
サルシッチャを一つ、とか言ってな。
ソーセージって日本語で書いてあるのにな。」
「あぁ、なるほど。
通を気取る感じだね。」
社員たちは聞き入る。
「それまで、イタリアン・レストランって無かったんですか?」
ルカが尋ねる。
「んー、そうだな。
あったかも知れないが、流行ってはいなかったな。
喫茶店でスパゲティやピザは定番のメニューだったが、な。」
「パスタの店とか、ピザの店はあったよね。
でも、洋食屋さんの部類だったかな。
日本人が作るアレンジされたイタリアンって感じだね。」
「ナポリタン、とかですね。」
「んー、そうだね。
和風の、大根とツナのパスタとか、明太子クリームとかかな。
カルボナーラやミートソースも定番だったけど。」
ルカの問いに応えるジョー。
「•••それがな。」
サブローの目付きが変わる。
「本物のイタリアンを出す店ってのが、流行り始めたんだ。
それまでのが、本物じゃ無かったって事を知ったんだよ。」
ゆっくり語る。
「日本人が。」
社員たちはサブローの言葉に聞き入る。
「実は、私はね•••。」
ジョーが語り始める。
「ボスと知り合った頃、イタリアン・レストランのコックをしていたんだよ。」
「えぇ!?」
社員たちは驚く。
「は、初耳です、•••けど?」
ハリーも驚く。
「あぁ、まぁ、秘密にしていた訳じゃないけどね。
そんなに、言う程のことでもないと思っていたから。」
「ジョーの店に通っていたんだよ。
オレは。」
「ボ、ボスが•••、ジョームのお店に?
なんか、想像もしていなかった、意外な関係〜。」
ミーナが笑顔で聞く。
「私の店って言っても、雇われだよ。
でも、大変だったなぁ。
店舗の数を増やし始めた頃が特に。」
「バブル崩壊してから、5〜6年だな。
本当に辛かったな。」
「イタリアン・レストランは流行していたけど、フランチャイズ店が出来ては消えた。
凌ぎを削っていたんだよね。」
「オレはサラリーマンだったが、会社からリストラされてなぁ。」
「へ?」
ハリーは瞬きする。
「リストラ?
ボスが?」
サブローはハリーを見る。
真剣な目。
しかし、次第に緩む。
「プッ!
ハッハッハ!」
サブローは大笑いする。
「そん時はボスじゃねぇ!
ヒラだ、ヒラ!
ボスがリストラされる会社ってなんだ!?」
みんなも笑う。
ハリーは汗ばむ。
「あぁ、いえ、その•••ボスの若い頃、平社員でリストラって。
結構、辛かったんだろうなぁ、って。」
「あぁ、そうだな。
悪い、笑っちまって。
まぁ、気にするな。
その会社は倒産した。
倒産した後、残ってた社員たちは、オレよりも更に苦労したんだ。」
「ボスはね。」
ジョーはうつむき気味に話す。
「ボスは、私のいた店に来て、イタリア料理を学んでたんだよね。
そしてその後、自分でピッツァの店を開いたんだ。」
「えぇ!?」
視線がサブローに集まる。
「あぁ、すぐに潰ちまったけどな!
ハッハッハッ!」
サブローはまた大笑いする。
リクが口を開く。
「お店を開店するって、そんな資金、あったんすか?」
「無いに決まってるだろ。」
「借金っすか?」
「んー、まぁちょっと借金したな。」
「•••。」
「いや、本当にちょっとだけだぞ。
オレは、居抜きで店を開いたんだ。」
「居抜き?」
「その頃はな、潰れる店がそこらじゅうにあってだな。」
「あれはテナントだったね。」
ジョーが補足する。
「ボスが店を開く前は、居酒屋か何かで。
居抜きってのいうのは、テナントのオーナーが設備や備品を買い取って、次の利用者に貸すシステムだね。」
「買い取るっつうか、滞納した家賃の代わりだな。」
「へぇ。
なんか、エコっすね。」
「エコ?
そんなもんじゃねぇな。
残ってたオーブン、汚ねぇのなんのって。
店の中も、使えるようになるまで掃除や片付けが大変でなぁ。」
「本当に、時代を感じるよね。
中古設備の買取や販売も、今はちゃんと商売になっている。」
サブローはピッツァを一切れ掴む。
持ち上げて眺める。
「そのピザ屋は半年で閉店してな。
でも、その店舗を使って、生地を作って販売したんだ。
居酒屋とか、軽食の店にな。」
「一人で、ですか?」
「あぁ、そうだな。」
「と言うことは、それが、今の会社の始まりって事なんですね。」
「•••。
まぁ、そうだな。
そんなとこだな。」
サブローはジョーを見る。
ジョーは何も言わず、小さくうなずく。
「おっと、やめよう。
苦労話なんかするつもりはなかったんだ。」
サブローはピッツァを一口食べる。
「イタリア料理の流行は、今も続いているよな。
でも、潰れた店も多いし、新しくできる店も多い。
その中でも、ちゃんと続いている店もある。」
サブローは続けて語る。
「店を開店するときは、みんな絶対に流行る店になるって思っているんだ。
でも、現実は甘くない。
簡単には行かない。
流行っている店でも、人気店でも、そんなに儲かっちゃいない。」
サブローが横を向く。
「なぁ、アラン。」
アランの視線が上がる。
「あ、はい。
•••そうです、ね。」
アランに視線が集まる。
「オレが居た店は、人気ありました。
でも、経営はいつも、ギリでカツカツ。
店長はオーナーに頭が上がらない。
つまらない店でした。」
「そうだったよな。
人気があって、流行っているようだった。
でも潰れちまった。」
「はい。
あれは、宣伝にばかり金を掛けて、失敗したんだと思います。」
「そうかもな。
アランは、このピッツェリアをどう思う?
この店の印象は。」
アランは店内を見回す。
間接照明が観葉植物を照らす。
光と影がぼんやりと壁に映る。
給仕の女性が通路を歩く。
明るい声が聞こえる。
「•••感じ、いいですね。」
サブローはアランを見る。
「お前の、おかげだよ。」
アランは黙る。
「お前が生み出した生地が、この結果に繋がったんだ。」
「•••いえ、オレは、ただ仕事として•••。」
言葉に詰まる。
皆、ピッツァを食べる。
味わう。
⸻
「失礼しますぅ。」
女性給仕の声。
「こちら、店主からのサービスです。
いつもお世話になっております!」
小さな器が人数分。
赤とピンクのデザート。
「おぉ、なになに?」
「えぇー、嬉しい!」
「美味しそう〜。」
「こちらは、ラズベリーとマスカルポーネのムースです!」
「何だか、気を遣ってもらって済まないね。」
「いえいえ、ぜひお召し上がりください。」
笑顔の女性。
「あぁ、そしたら一本、頼もう。
アスティがいいな。」
「あ、ありがとうございます。
アスティですね。
グラスはおいくつご用意しますか?」
「んー、とりあえず、人数分で。
あぁ、何のグラスでも構わないよ。
小さい物でいいからね。」
「はい。」
待つこと、約1分。
「お待たせしました。」
スパークリングワインのボトルが一本。
細長く繊細なフルートグラスが十一脚。
「こんなに立派なグラスじゃなくても良いのに。」
「いえ、この店の決まりですので。」
「そしたら、注いでもらえるかな。
ソムリエ見習いさん。」
「はい、もちろんです!」
女性はソムリエナイフでキャップシールを剥がす。
手際よく作業を行う。
「ソムリエ見習い?
勉強中ってこと?」
ハリーが話し掛ける。
「あ、はい、去年は試験に落っこちてしまいまして•••。」
女性は続ける。
「えっと、こちらは、ガンチア社のアスティです。
ガンチア社は、イタリア初のスパークリングワイン・メーカーです。
当時、大流行して王室御用達となったそうです。」
「•••大流行。」
「味は、フルーティな甘口ですので、とっても飲みやすいですよ。
葡萄はモスカートと言う名前で•••、産地は、えーと。」
「確か、北の地域だったよね。」
サブローが伝える。
「あ!
ピエモンテ州です!
北の、一番西の、高級ワインの名産地です。」
女性は堰を切ったように話す。
「バローロや、バルバレスコ。
有名なワインの産地です。
あ、そうだ!
あと、このワイナリーの地下セラーはなんと、世界遺産です!」
「へぇ!
すごいな、世界遺産かぁ。
よく勉強してるんだね。」
ハリーは感心する。
「なるほど、確かにそのようですね。」
スマートフォンを見るルカ。
AIで確認する。
「サブローさんが、この前いらした時に、教えてくださいました。」
「ハハハ。
それ、バラさなくても良かったのに。」
サブローは笑う。
ワインが注がれ、配られる。
「良し。
そしたら、今日の最後の乾杯だ。」
サブローがグラスを掲げる。
ジョーの顔を見る。
「•••何に、乾杯だ?」
皆、笑う。
ハリーが口を開く。
「大流行のワインと、これからの会社の繁栄を願って、でどうですか?」
「おぉ、さすがハリー。
素晴らしい。
それにしよう。」
サブローは少し溜める。
「じゃ、ハリーが言ったやつってことで、乾杯!」
「あ、あれ?」
「あはは!
カンパーイ!」
「カンパーイ!」
アスティを飲む。
デザートを食べる。
「あま〜い!」
「おいしー!」
「どうかしたんですか?
ハリーさん。」
ルカが問い掛ける。
「うん•••。」
ハリーは見つめる。
細長いグラスの中。
泡。
下から昇る。
細い線。
液面で弾ける。
さわさわと。
生まれては消える。
小さな気泡。
無数の輝き。
口に含む。
目を閉じる。
膨らむ。
静かに。
弾ける。
香る。
そして、消える。
泡。




