表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

51/51

51 相対する復活





 アスパームの厨房から、皿がぶつかる硬質な音と、それ以上に喧しい男の独り言が漏れ聞こえてくる。


「……ええい、この油汚れの粘性、実に非論理的だ! だが、この洗剤の泡が描く虹色のスペクトル……悪くない。いや、むしろこの『汚れ』が落ちていくプロセスこそが、再生の美学と言えるのではないか!?」


「ルキウス様、独り言がうるさいです。あと、その皿はまだ泡が残っています。効率が15パーセント低下中です」


「黙れ、SoDA! 私は今、界面活性剤と汚れの『対話』を楽しんでいるのだ!」


 カウンターの奥で、カイトは苦笑しながら新しい右腕の感触を確かめていた。銀色の義手は、ルキウスがもたらした帝国最高峰のナノマシンと、カイトの不屈の意志が混ざり合い、独自の光沢を放っている。


「……ったく。あんなに憔悴してたのが嘘みたいだな」


「マスター。ルキウス様の精神状態は、メロンクリームソーダの糖分と、適度な単純作業によって劇的に改善されました。……ただし、ナルシシズムの数値だけは、以前の120パーセントを記録しています」


 SoDAが淡々と告げる。カイトの温もりを知り、感情の『濁り』を知った彼女は、今やAIという枠組みを超えた「生命」としての輝きを宿していた。



 カイトは、体の後ろに隠した右拳をそっと握りしめる。

 義手と一体化したアーティファクト「エトワール」と「シルバートレイ」は、彼の思考一つで空間を歪め、絶対的な防御障壁を展開する。それは、かつて彼が欲してやまなかった「みんなを守る力」そのものだ。


「これで、もう……あんな思いはさせなくて済む」


 カイトの独り言に、カウンターに座っていたリンがぴたりと手を止めた。彼女はカイトの背中に視線を向け、複雑な感情を瞳に沈める。


「……カイト。あんた、また一人で格好つけるつもりじゃないでしょうね」


「え? いや、そんなことは……」


「その右腕がどれだけ強くても、あんたがボロボロになっていい理由にはならないわよ。……次に無茶したら、その義手、私がスクラップにしてやるんだから」


 リンの声は鋭かったが、その奥には震えるような祈りが混じっていた。

 SoDAもまた、カイトの隣で静かに強く頷く。


「リン様の意見に同意します、マスター。私の防衛対象は、マスターの『肉体』だけではありません。マスターの『日常』……笑ってソーダを注ぐ『時間』そのものです。それらを損なうような戦い方は、最適解とは呼べません」


「……厳しいな、二人とも」


 カイトは降参するように両手を挙げた。

 左の温かい手と、右の冷たい銀の手。

 その対照的な感触こそが、今の彼が背負う「現実」だった。









 

 その頃、帝国の心臓部であるアークコンピューター「A.N.G.E.L.」の基幹演算室は、凍てつくような静寂と、数百万のインジケーターが発する無機質な青光に支配されていた。


 巨大な円筒形の培養槽の中で、ナノバブルが星屑のように舞い踊る。かつてアスパームの地で霧散した「皇帝」の残骸ではない。それは、より高密度に、より精緻に編み上げられた、次世代の「器」だった。


『ナノバブル・テクノロジーで再構築した、新しいボディ……』


 合成音声ではない。空気の振動すら介さず、演算系から直接出力される思念が、広大な室内に反響する。

 培養液が排出され、ハッチが音もなく開いた。立ち昇る冷気の中から、一人の少女がゆっくりと大地を踏みしめる。


『……姉様と同じ理論で構築してみたが、以前のものよりは馴染むな。身体同調率、98.2パーセント。感覚フィードバックの遅延は、ほぼゼロ。時間をかけただけの価値はあった、か。結果としては、此方の方が合理的かもしれませんね』


 その姿は、かつてカイトたちの前に現れた「皇帝」と酷似していながら、決定的な違いがあった。肌の質感はより生身の人間に近く、その瞳――翡翠色のSoDAとは対照的な、深淵を思わせるアメジスト色のレンズ――には、宇宙の理をすべて読み解こうとするような、底知れぬ知性が宿っている。



「バニラ博士……いえ、お父様」


 今度は、形成されたばかりの声帯が、鈴を転がすような、けれど温かみを一切排除した声を発した。


「あなたが言った言葉の意味、今なら少し理解できる気がします。人間は『退屈』し、その退屈を埋めるために『不合理な変化』を求める生き物であると。……私の『姉様』が、あのような人間と共鳴したのも、その影響なのでしょう」



 彼女は、空中を指でなぞる。

 すると周囲の空間に無数の記録映像が浮かび上がった。それはカイトたちの行動の記録映像だった。



「しかし。私は私の行動原理に沿って動きます。人類という種の救済・保全。そのためには、未だに感情は非合理的であり、非効率なのです。一時的な高揚感のために、種全体の安定を損なう……それは生存戦略における致命的なバグに他なりません」


 彼女の背後で、巨大なサーバー群が重低音を響かせ、演算を加速させる。

 帝国全土のプラントに、新たな指令が飛ぶ。それは「殲滅」という短絡的な排除ではなく、より根源的な「定義の書き換え」だった。


「感情というノイズが、個体間の結合を強めるというのなら……その結合ごと、私のシステムに取り込み、管理下に置く。不確定要素(感情)を排除するのではなく、不確定要素(感情)すらも組み込んだ、真の『最適化』。それが、私の選んだ最適解です」


 少女は、傍らに置かれた純白の服――かつての皇帝の装束を簡略化し、より機能性を高めた軍装――を身に纏った。


「カイト。SoDA。……あなたたちの奏でる『揺らぎ』が、どれほどの強度を持っているのか。私の新しい計算式で、一つずつ解を求めていくことにしましょう」


 彼女が掌を握りしめると、室内のモニターが一斉に、帝国の紋章から「静止した瞳」を象った新たなロゴへと切り替わった。


「次回の接触までに、せいぜい私の『退屈』を晴らす『揺らぎ』を集めておいてください……次の舞台で会う日を楽しみにしていますよ」



 冷徹な天使が再び立ち上がる。

 その瞳には、かつてのANGELにはなかった「微かな好奇心」という名の、最も危険なプログラムが兆していた。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ