52 平和の狭間で
「平和……だな」
「平和……ですね」
「平和……だよな?」
「平和……すぎない?」
ANGELの襲来から、早くも1ヶ月が経とうとしている。その間のアスパームは平和そのものだった。
人々は生活レベルを快適にするために意欲旺盛に働いており、何か困ったことがあれば話し合いにより解決している。それは虚栄心や強欲さによって起こされた、先の壊滅的な危機を二度と味わいたくないという思いが根底にあるからだ。
カイトがアスパームで営んでいるささやかな喫茶店「エデン」は、毎日様々な人間が訪れていた。そこで供されるものは決して種類は多くなく、また豪華なものでもなかったが、それでも人々はそこで口にするものに目を細め、語り合い、明日への活力として家路についていた。
「……こんな光景が見られるとは思わなかったな」
リンがカウンターに頬杖をつきながら呟くと、その傍らではガイがビールジョッキ片手に頷く。
「だよなあ。以前の味気ない飯には、もう戻りたくねえぞ?カイトよぉ」
「ああ、そうだよな」
「あ~……ちょっといいか?」
そう言いながらカウンターの奥で泡まみれになって皿と格闘していたルキウスが口をはさむ。
「どうしました、ルキウス様?」
「確かに、このアスパームの民の穏やかで活力のある姿が美しい事は認めよう。だがな、帝国には帝国の美学があったのだよ。争いを止め、人類の欲望を極力削ることで、人類の種の存続を目指したのだ。事実、帝国の幹部達が富を独占しているという事実は、私が知り得る限り無かった」
「それは、分からなくもない。でも、やりすぎだった」
「そうだな。皇帝陛下……ANGELの様子を見て、極論は良くないと思ったよ」
「いや、ルキウス様も別の意味で大概ですけどね?」
「おっとSola嬢。美しきものの前では『やりすぎ』という言葉は存在しないのだよ?」
「…………」
やっぱりルキウスはルキウスだわ、という周囲のジト目を他所に、リンはカイトに話しかけた。
「……カイト。あなたのおかげでここアスパームは解放されている。でも……他の場所はどうするつもりなの?」
カイトは飲み物を作っていた手を止め、リンの顔を見つめる。
「……最初は、ここの黒濁水のプラントをぶっ壊す事しか考えていなかった。そうすれば、みんなが目を覚ますだろう。その程度だったんだ」
「それってほぼ『ノープラン』じゃない!」
「だな」
「ちょっと!?」
「まぁお前がここの責任者じゃなかったら、真っ先に来なかったかもな」
「………!何言ってんのよ、もぅ……!」
カイトの何気ないセリフに思わず赤面したリンの様子を見て、SoDAがすかさず割って入る。
「マスター?何やら私の不快指数が上がっているのは気のせいでしょうか?」
「?何のことだ?リンは幼馴染だぞ?」
「では許します」
「『許します』ってどういう意味よ!?全く……で、帝国の皇帝まで引っ張り出したからには、アスパームの都市ごと『レジスタンス』としてやってくしかないって考えてんだけど?」
リンは覚悟を決めた眼でカイトの返答を待っている。他のメンバーも同様にカイトに視線を送る。カイトは全員の眼を見渡してから、息を吐きだした。
「は~……そうなるよな。ただ、俺はできる限り戦闘はしたくないと思っている。これ以上SoDAを『兵器』として立たせることは避けたいんだよ」
「マスター……ANGEL及び帝国の現況を解析した結果、それは不可避と考えます。お心遣いは嬉しいですが、その結果、アスパームが壊滅的状況に陥れば本末転倒です」
ガイがジョッキをコト、とテーブルに置いた。いつになく真面目な顔だ。
「俺たちはANGELを退けた。だが、それはあくまでこの街を守ったに過ぎねえ。帝国の本隊や、いまだに黒濁水に脳を焼かれたままの他の都市が、黙って見ててくれると思うか?人間はそんなに『良い奴』ばっかじゃねえぞ?」
「……その通りですね」
Solaが静かに頷く。
「アスパームが『奇跡の楽園』になればなるほど、外の世界からは格好の標的、あるいは秩序を乱す反逆者として映るでしょう。カイト様が戦いたくない理由は、痛いほど分かります。でも、守るための力は、どうしても必要になります」
店内に、一瞬の静寂が訪れる。
珈琲の香ばしい香りと、ルキウスが洗う皿の微かな擦れ合いの音だけが響く。
全員の視線が、再びカイトに集まった。
アスパームを解放し、帝国の支配に風穴を開けた少年とバイオロイド。彼らが次にどの方向へ舵を切るのか、この場にいる全員が、そしてこの街の未来が、その言葉を待っていた。
カイトは、手元に残った空のグラスを見つめた後、小さく笑って顔を上げた。
「……わかってるよ。ただの綺麗事だってことは、俺が一番よく知ってる」
カイトは全員の目を真っ直ぐに見据えた。
「だから、こうしよう。俺たちは『攻め込むためのレジスタンス』にはならない。だけど、このアスパームの美味い飯と、みんなの笑顔を奪おうとする奴が来たら――その時は、全力でぶん殴る。そして、少しずつでも俺らのやり方を広げていく。帝国も含めて、な……これでどうだ?SoDA、済まないが力を貸してくれ」
「勿論です、マスター。それが私の望みでもあります」
「へへ、上等じゃねえか」
ガイが嬉しそうに笑い、リンも呆れたように、でもどこか嬉しそうに息を吐いた。
「もう……わかったわ。付き合えばいいんでしょ」
「すまないな。じゃあ、とっておきのクリームソーダをつくるか。SoDA、手伝ってくれ」
「了解です、マスター。久しぶりに本来の『純喫茶錬金術』をお見せしましょう」
それまでの緊張した雰囲気が少しだけ緩み、各々がしゃべり始める。その光景をカイトとSoDAは眩しそうにカウンターの向こう側から見つめるのだった。




