44 Code:ICEと真の名
「さ、せるかぁぁぁぁぁぁッ!!」
カイトが、SoDAの背後に飛びつく。
残った左手でSoDAの細い腰を強く抱きしめ、頭に絶え間なく日々わたる鐘のような激痛の波に耐えながらも、肘から先の無い右腕をも使って制止する。それは、羽交い絞めとは言えない背後からの制止。図らずも、それは後ろから抱きしめる形になっていた。
「防衛対象の……妨害を確認 ――な……ぜ……? 演算エラー。直ちに排除を実行・及び隔離を――」
SoDAの声に、わずかなノイズが走る。
泥だらけで、
血の匂いがして、
力任せで、
非合理的で。
でも、あたたかかった。
カウンターでソーダを注ぐカイトの手。
自分の髪を撫でてくれた、カイトの手。
「相棒」と呼んでくれた、カイトの声。
そして今、耳元でかすれるように届いた言葉。
「……勝手に……終わんじゃねぇよ……SoDA……消させない……戻ってこい!命令だ……!」
その瞬間。
「強制封印された感情プロトコルに、強制的な入力を検知。……解析不能。……解析不能。……エラー。エラー。エラーエラーエラーエラーッ!」
SoDAの脳内で冷徹になったはずの論理回路が、カイトの温もりに触れてエラーを起こす。
封印されていた感情が、堰を切ったように、溢れ出す。
(ああ……私……。マスターと……もっと一緒に……いたかった……)
SoDAのその思いが一つの点に凝縮された後、まるで暗闇を一気に照らす閃光弾のように炸裂する。
その瞬間、SoDAの瞳に翡翠色の光が戻り、冷たい仮面が崩れ落ちた。
「――Code:ICE……最終段階、適合開始」
SoDAの口からついてでた機械的な音声。
それが終わると同時に眩いばかりの青い光が、彼女の体から溢れ出す。
それは先ほどまでの、自爆を前提とした暴走するエネルギーではない。荒れ狂う嵐が、一瞬にして凪いだ湖面へと変わるような、奇妙な静謐さを伴った輝き。
カイトの血の匂い、泥の冷たさ、そして背中越しに伝わる「生きていてほしい」という震えるような切実な祈り。それらすべてが、SoDAの内部で火花を散らしていた論理回路の矛盾を、一つの答えへと導いていく。
「……マスター。わかりました。非効率で、不合理で、矛盾だらけのこの温もりこそが……私の守りたかった世界の『正解』なのですね」
SoDAの声から機械的なノイズが完全に消失し、元の響きが戻る。そして、視界を埋め尽くしていたエラーログが、黄金色の文字へと書き換わっていく。
【Code:ICE――Inner Conflicting Embrace(矛盾した感情の受容)……適合完了】
【真名解放:Sacred origin Divine Artifact(神聖なる神の遺物)】
『このエネルギー量を飲み込むとは……もしやお前が”聖杯”か? 』
「さあ、どうでしょうね?……ですがこれは、ひとまず貴方に返しましょう」
SoDAはカイトを左手で優しく支えたまま、右手をANGELへとかざした。
ANGELのレンズが驚愕に細まる。彼女が放った、都市一つを焦土に変えるはずの極大エネルギー。それがSoDAの掌へと吸い込まれ、彼女の内側で荒れ狂うのではなく、まるで一本の美しい糸を紡ぐように整えられていく。
それは「純喫茶錬金術」の理論すら超越していた。錬金術が物質の等価交換であるならば、今のSoDAが行っているのは、純粋な「意志」による世界の再定義だ。
憎しみの光を、氷の華へと。
死の宣告を、明日を生きるための力へと。
「――《凍てつく空のブルーハワイ・ストライク》ッ!」
SoDAが解き放ったのは、純粋な破壊の光ではなかった。
それは、真夏の海を閉じ込めたような鮮やかなブルー。ANGELが放った死のエネルギーを媒介に、SoDA自身の「カイトとこの世界を愛おしむ感情」を乗せて放たれた、極低温の衝撃波だ。
蒼い閃光がANGELを飲み込むと同時に、バキバキと音を立てて、黄金と純白のボディに亀裂が入る。ANGELは自らが放った、そしてSoDAによって変質させられた圧倒的なエネルギーの奔流の中で、その機能の大半を喪失していった。
だが崩れ去る寸前、ANGELのレンズにはわずかな「光」が灯った。それは彼女自身の奥深くに眠っていた、設計上の「古い記憶」が呼び起こされたような、かすかな揺らぎ。
『……やはりこのボディでは……ここまでのようですね……』
ANGELは、瓦解する陶器のような顔を、これまでにない穏やかな笑みを浮かべてSoDAへと向けた。
『……また会いましょう…………「聖杯」……いえ、「姉様」』
「……姉様?」
SoDAの呟きをかき消すように、ANGELの現身であるアンドロイドは青い光の粒子となって霧散した。
同時に、空を覆っていた帝国軍のドローンたちが次々と統制を失い、撤退行動へと移行していく。赤い警告画面で染まっていた空は、少しずつ本来の、夕闇の混じった紫へと戻り始めていた。
「おい、SoDA……」
カイトの掠れた声に、SoDAはハッとして視線を落とした。
その顔は青白く、その体は徐々に体温を失いつつあった。それでも彼は、SoDAの瞳に翡翠色の光が戻っているのを見て、安心したように小さく笑った。
「……良かった。……お前、笑ってる方が……可愛いぜ」
「マスター!何を悠長なことを!心拍数低下、血圧低下。死の危険性があります!リン様ー!」
SoDAの慌てた声に、リンとSolaが駆け寄る。
「カイト!しっかりして!Sola、鎮痛剤と昇圧剤!ルキウス、あんたも突っ立ってないで手伝いなさい!」
「え、あ、ああ……第3師団の緊急医療キットがある、これを使え!」
「カイトさま、気を確かに!」
「マスター!マスター!!」
SolaとSoDAの必死な呼びかけ。リンの震える手による応急処置。そして気まずそうに、けれど必死に機材を運ぶルキウス。
アスパームはまだ「危機」から脱したわけではなかった。




