42 「感情」という名の非合理
蒼白い閃光が放たれた瞬間、世界が軋んだように沈黙した。
狙いは確かにルキウス――そう誰もが思った。ルキウスが死を覚悟し、目を伏せた瞬間。閃光と共に、鮮血が石畳に飛び散る。だが、次の瞬間には誰もが創造としたものと違う、別の光景がそこにあった。
「カイト!」
リンの叫びとともに、鉄臭い血の匂いがあたりに散る。
「――っ⁉」
カイトの右腕が、肘の付け根から消失していた。プラズマの高熱によって切り口は瞬時に焼かれ、炭化している。 激痛すら神経に伝わるのが遅れるほどの、あまりに過酷な「切断」だった。
カイトは膝をつき、残された左手で空白となった右腕を掴む。顔面は土気色に染まり、脂汗が滝のように流れる。だが、その瞳だけはまだ死んでいなかった。
『ふむ……その様子だと、ルキウスを狙うとでも予測したか?』
ANGELは、掲げた掌を降ろすことなく、冷徹に言い放った。その視線は、もはや無能を晒した師団長にすら向けられていない。ルキウスは頬を引きつらせながら後退りし、自分ではない標的に光が向かったことを理解できずにいた。
「な、なぜ……?」
ANGELのレンズの瞳が冷たい光を放ちながら、ゆっくりとルキウスへ向く。
『優先順位は変動する。不確定要素の大きさに応じて、排除すべき対象も更新される』
無慈悲な機械の声が響いた。そのレンズの焦点はただ一人――地面に膝をつくカイトに向けられている。
『最優先に排除すべきは、お前だ――純喫茶錬金術の後継者、カイト』
「……っ、俺……だと……?」
カイトは息を荒げ、片腕を押さえながらANGELを睨んだ。遅れてきた痛みで膝が沈み、リンが必死に支える。
「カイト、喋らないで!Sola、アイシングと生理食塩水早く!」
「了解……っ、ですが……!」
『ルキウスは単なるバグに過ぎず、消去してしまえば帝国の修正は容易だ。だが、お前がもたらす「味覚」と、それに付随する「記憶」の連鎖。それは感情制御を物理的に破壊する劇薬だ。お前が存在し続ける限り、人類の均質化は達成されず、人間という種の保存の妨げとなる』
カイトの傍らでは、SoDAが凍りついたように動けずにいた。その瞳は激しく明滅し、処理能力の限界を示すエラーログが視界を埋め尽くしている。
「SoDA……何やってんのよ! 防壁を張って!」
リンがカイトの応急手当をしながら叫ぶ。Solaもまた、医療キットを展開している。だが、SoDAは微動だにしない。
「マスターの腕…命…私の使命…は……守ること、なのになぜ…こんな事に……」
ANGELは、そんなSoDAを冷たく見下ろした。
『無様だな、SoDA。それがお前の選んだ結果だ。守るべき対象が損壊していく様を、ただ演算して眺めることしかできない。これはお前の非合理が生んだ、必然的なエラーだ』
その言葉は、SoDAの内部回路に直接流し込まれた。
「感情」
「非合理」
「エラー」
「無価値」
ANGELから突きつけられる論理の刃が、SoDAの疑似神経をズタズタに切り裂いていく。
「……ア……ア……!」
SoDAの口から、ノイズ混じりの声が漏れる。カイトが苦痛に顔を歪めながら自分を見上げている。そのカイトの視線には、拒絶も落胆もなかった。ただ、相棒を案じる「情」だけが灯っていた。
「SoDA……!」
(マスター……あなたは、腕を失ってもなお、私を……)
その瞬間、SoDAの中で何かが弾けた。
それは進化でも、覚醒でもない。
それはもっとも残酷で、もっとも効率的な決断。
「感情プロトコル……完全停止。防衛対象の維持を、最優先事項に更新」
SoDAの口から聞こえてきたその声は、凍てつく真空のように無機質だった。
瞳から翡翠色の光が消え、冷徹な機械の演算を示す青白い光の羅列が点滅する。その表情は、対峙しているANGELと同質なものと化していた。
「SoDA……!あなた……!」
「SoDA……さん……なんてことを……」
悲痛な表情で見つめるリンとSolaを一瞥もせず、SoDAはカイトとリンが持つ切り飛ばされた腕にナノバブルを放射した。
「防衛対象の応急治療、切断端を保護完了」
それだけを告げ、SoDAは改めてANGELと向き合う。
彼女はカイトを守るために、カイトと共に歩んだ証である「心」を、自らの手で圧殺したのだった。




