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「さて。今日はこれくらいにしておきましょうか」
そう言うと、雪兎が立ち上がろうとした。
「終わりですか?」
ほとんど朱鳥は何もしていない。
「今ので疲れたでしょう?」
「…」
確かに衝撃的な出来事ではあった。
白刃が思い出され、小さく震えた。
「…でも、屏風を早く完成させたいです」
「そんなに焦らなくてもいいですよ」
優しく雪兎が言う。
そう言われても、朱鳥の心は晴れない。
美味しいごちそうを食べて、もてなされているだけ。
なんの役にもたっていないのだから。
「…そうだな。じゃあ、僕の考えだけは伝えておこうか」
雪兎は座り直した。
それと同時に、茶色の兎面の人がお茶を持ってくる。
白磁の湯飲みが朱鳥の前に置かれた。
「何がきっかけで、屏風の絵が表れるかは分からないから、色々試そうとは思っています」
「…はい」
「 泣く」のは違ったにせよ、朱鳥が何か行動をおこさなくては、絵が表れないのは確かだ。
なんだろう。わたしに出来ることだったら良いけど…。
「笑う」のは、きっと最初だったから。それ以降は、きっと厳しい条件のはずだ。
何を言われても動揺すまい、と、朱鳥は一つうなずいた。
「そうだな。まずは食べ物から試してみましょうか」
雪兎がお茶を一口飲んで言った。
「食べ物、ですか?」
「そう。食べたものが体を作る。と言うことは、こちらに馴染む為には食事が必要だとは思いませんか?」
…一理あるのかもしれない。
文化が違えば、食事は変わる。
使う食材はもちろん、味付けも違うだろう。
『こちらの食事は濃いのね』
遠くからお嫁にやって来た、分家の若奥様の言葉が不意に思い出された。
「例えば、そうだな…」
朱鳥は雪兎の言葉を待った。
宴会では、朱鳥も見たことのあるものばかりだったが、それは祝いの席でのこと。
日常の食事は違うものかもしれないのだ。
「大福はご存じですか? 小倉餡を餅でくるんだものなのですが」
真面目な顔だった。
「は、はい。食べたことはあります」
滅多に食べさせてはもらえなかったが、それでも、何度か食べたことはある。
「ふむ。…では、金つばは?」
探るような目は厳しい教師の目そのもので、朱鳥は背筋をピンと伸ばし、真面目に答えた。
「きんつば…は、知りません」
「なるほど。なら羊羮は?」
「知ってます」
「簡単に言うと、柔らかい羊羮の回りに、生地をつけて焼いたものですね」
なんとなく想像出来るような、出来ないような…。
朱鳥が悩んでいると、雪兎は続けた。
「カステラ、どら焼、柏餅。キャラメルに、金平糖…。あと、チョコレイト」
「チョコ…? は知りませんが、あとは知ってます」
全て甘味だ。何だか、お腹が空いてくる。
「そうですか。まぁ、実際に食べてみないと効果はわかりませんから。今度色々試してみましょうか」
これは、実験なんだよね?
戸惑っていると、朱鳥の視線をどう思ったのか、雪兎はたくらんだように笑った。
「ここの郷は店が多くあります。店主と話ながら食べ歩くのも、神さまの役目だとは思わいませんか?」
それって普通の食べ歩き…。
このひとは、単に朱鳥をからかっているだけなのでは。
そう気付いて、朱鳥は疑いの目で雪兎を見た。
「あの、わたしは、早く役に立ちたいので…」
気持ちは嬉しいが、現状は焦るばかり。
「おや。それはありがたいことです。それでは…」
雪兎が着物の袂から、何かを取り出した。
「はい、こちらをどうぞ。お納めください」
そう言うと、朱鳥にそれを差し出した。
両手を出して受け取ったそれは、白い包み紙。
「…ありがとうございます」
中を開いてみると赤い梅の形をしたものだった。
「落雁」
「らくがん…。これは、どうすれば…」
砂糖がまぶされているのか、きらきらと輝くそれは、かすかに甘い香りがした。
「もちろん食べて欲しいですね。いや、屏風のことを思えば、食べるべきでしょう」
「…いただきます」
甘い香りに誘われて、朱鳥は落雁を 口に入れた。
そのとたん、ふわりと落雁が口のなかで溶けて甘さが口に広がった。
「!」
「美味しいですか?」
「はい! とても!」
あんこのような甘さではない。優しい甘さは、今の朱鳥にはちょうどいい甘さだった。
「そう。良かった」
「あ、ありがとうございます」
お礼を言うと、雪兎は立ち上がった。
「さて、それで屏風を見てみましょうか」
「あっ」
これはただのおやつではない。実験なのだと、雪兎の視線を追って屏風を見た。
「変わってない…」
相変わらず、花だけだ。
朱鳥は肩を落とした。
そんな朱鳥を、見て雪兎は笑った。
「たった一つ駄目だっただけで、そんなにがっかりしていたら身が持まちませんよ。もっと気楽に構えていてください」
「そうですね…」
でも、どうしても、花が現れたときのみんなの喜びようが思いだされるのだ。
「それじゃあ、今日はこれくらいにしておきましょう。実験の続きは明日でも?」
「今日、これからでも…」
まだ夜まで時間がある。
今からでも十分外に行くことはできるだろう。
「いや、やる気があるのは嬉しいですが、申し訳ありません。こちらの準備が整ってないのです。いきなり、あなたが店に来たら驚くでしょうから、事前に通達をしなければ」
「通達…」
「君は、…大事なお客様ですから」
あえて神さまと言わなかったのは、朱鳥を緊張させないためだろう。
色々と複雑な思いはあったが、そう言うことならと、朱鳥は頷いた。
「それに、まだ絵柄は三種あるんです。食べ物、衣服、装飾品。こちらの祭の参加と、色々試さなくては」
休んでいる暇は今しかありませんよ。
そう言われても、何だか楽しそうなことばかりなのは、朱鳥の気のせいだろうか。
朱鳥が悩んでいると、雪兎は呟いた。
「もしもまだ、話し足りなくて不安なら、いくらでも付き合いますが。そうですね、ここの郷の店で人気のやきいも店、いつも人だかりのできているウグイス餅。お土産に最適な精巧な飴細工に…」
「分かりました! 部屋に戻ります!!」
「うん。お休みなさい」
お腹が鳴ってしまう前に、朱鳥は急いで部屋に戻った。




