龍之介と明知の夜
第三部、最終話です。のほほんと過ごしております。
昼間の宴で疲れたのだろう。雪江と安寿が夕餉の後、早々に奥へ戻っていった。
明日は明知と安寿が帰る日だった。こうして顔をつきあわせて話をする最後の夜。全く違った環境で育った二人だが、驚くほど好みが似ていて、意見も一致する。これが同じ日に産まれた血を分けた分身ということなのだろう。
不思議な気持ちになる。
龍之介は、物心ついた時から母がいなかった。その存在を周りの側近たちも知らなかった。家老たちは身罷ったとしか言わない。けれど、それが本当なら、どこの誰だったと語れるはずだ。武家ならば、複数の側室を持つ大名も多くいる。そのうちの一人だったとしても、父の周りにはそれらしい存在すらなかった。かなり訳ありの事情ということはわかっていた。常にそのことが龍之介の頭の片隅にあった。
今は、その事情がわかり、産みの親とも会うことができたのは奇跡と言える。さらに同じ顔をした明知とも会うことができた。理子を見ると、まぶしくて仕方がなかった。未だにその顔をまともに見られない。龍之介は、母に甘えるということを知らないで育った。どう接していいのかわからないのだ。それは兄弟という存在の明知にも言えることだった。明知のことは同じ顔をしている親しい友人、いや、もっと深い関係として考えている自分がいた。お互いすべてを話さなくてもその心中を察してくれる。
雪江が、双子とは一人の人として生まれてくる卵が、二つになったということだと言っていた。育った環境が違っていても、顔が似ているように、いろいろなことも似てくるらしい。
しかし、今も昔も、兄という存在は正重だけだ。江戸と甲斐、遠く離れていたが、正重はまめに筆をとり、龍之介にかまってくれていた。
雪江と安寿が、奥向きで一緒に寝るということを報告された。ならば、我らもそうしようとそう思った。夜着に着替え、用意された寝具に入り込む。明かりを消しても明知がまだ起きていることが気配で感じられた。
「眠れませぬか」
向こうもこちらのことがよくわかっている。明知が話しかけてきた。
「あ、いや。眠れぬというよりも考え事をしていた」
「ほう」
「我ら、産まれてすぐに別れ、お互いの存在さえも知らずに育ったが、今、こうして枕を並べていることの不思議を考えていた」
「奇遇ですな。拙者もおなじようなことを頭を巡らせておりました。幼き頃よりこうして一緒に育っていたらもっと楽しかっただろうと」
それは想像できる。幼い頃からお互いの顔を見て、一緒に育っていたらもっと別の人生になっていたことだろう。
はたと思う。もし、龍之介が養子に出されずにいたら、明知と一緒に加藤家で育っていたら、今の龍之介はいなくなる。
甲斐大泉で育ったことも、小次郎と野山を駆け巡り、さまざまな悪戯をしたこともなかったことになるのだ。正重を兄と呼ばず、その存在すら知らなかっただろう。そもそも雪江の存在もなくなることに気づいた。雪江の母は、双子だからという由縁で龍之介を連れて、桐野家へ来たのだ。その母親となる綾と正重が出会わなければ雪江が生まれなくなるのだ。想像がつかなかった。それは全く別の世界となるのだろう。
「それは楽しかったであろう。しかし、すべて今のままでよかったとも思えるのだ。拙者が桐野に来たから悲劇も起こったが、そのおかげで今がある。良き道へ進んでいると考えようぞ」
「はい、それは拙者も同感です」
「それよりも我ら、ほとんど同じころに人の親となるが、明知殿、父と呼ばれる心構えは如何に」
「はあ、それも偶然でしょうか。それとも我らの分身故の不思議なのか。父親という存在になること、まだ想像もつきませぬ」
「拙者も同じ。しかし、兄上はまだ見ぬ孫なのに、もうすでに祖父としての顔をしている」
「正重様は無類の子供好きとお聞きしております。そういうお方には何かを感じるのでございましょう」
「誠に」
しばらく沈黙が続いていた。
龍之介は子供が生まれたら、明知たちにまたここへ来てほしいと言おうとした。その前に明知がはい、と返事をした。それを口にしていないことに気づかず、龍之介は続ける。
「今から楽しみだ」
「はい、拙者も楽しみでございます」
「なんだか、無性に甲斐大泉で隠居生活を楽しんでおられるお父上に会いたくなった」
「はあ、拙者もでございます。我が父は今、国許に戻っております。子が産まれることをお知らせしておりますが、直に会ってお話したい心境にございます」
明知の父は、龍之介の血のつながった父親だ。挨拶に訪れた時、お目にかかれたが、やはり理子と同様、近寄りがたいと思った。まだ初めて会った赤の他人の方がすんなりと話ができると思った。龍之介にとっては幼いころから相手にしてくれた甲斐大泉の父の存在しかない。
しかし、それでいいのかもしれない。
「やはり、手本とする父親像は己の父ということ」
「はい、そして我らも産まれてくる子の手本となる父親になるように、精進せねばなりませぬな」
「誠にその通り。明知殿、もしも拙者が人の親としての道に迷う時はぜひ、力になってほしい」
「もちろんでございます。それは拙者が正和様にお頼みしたきことでございます。そして良きこともお知らせください。参考になるでしょうから」
子供の父になることはたやすいが、父親という存在になるということは別だと思った。親としての責任と愛情を子に注ぐ。今まで自分のことだけを考えていた人生から誰かのことを一番に気にかけ、思うことが親になることなのかと漠然と考える龍之介だった。
第三部完結。
第三部、終了です。ここまでおよみいただきましてありがとうございます。
第四部を企画しております。半年ほど時間はかかるかと思いますが、出産、育児をする雪江、まだまだ続きます。その際にはまた、よろしくお願い申し上げます。