第3話 朝比奈美月は生徒会役員なのか?
桜映学園恋愛相談室が開設されて、一週間が経った。
相談件数は、ゼロ。
冷やかしも、部屋を間違えた生徒も、学長によるテスト投稿を除けば一件もない。
恋に悩む生徒がいないはずはなかった。校内匿名掲示板には、今日も新しい恋愛相談が投稿されている。
つまり生徒たちは、悩みを抱えていても、わざわざ生徒会長と現役アイドルの前へ座って話したくはないらしい。
ずいぶん正直な数字だった。
その一方で、恋愛相談室の開設によって、明確に変わったことが一つだけある。
「朝比奈。その箱、邪魔なんだけど」
「相談室関連の書類です。必要なものです」
放課後の生徒会室。
太一の机の隣には、見覚えのない書類箱が置かれていた。
側面には、美月の整った字で『恋愛相談室・運用資料』と書かれている。
「相談室に置けばいいだろ」
「個人情報を含む可能性がある書類を、施錠前の棚へ置くわけにはいきません」
「箱ごと毎日運べば?」
「非効率です」
「ここに置くのは効率的なんだな」
「生徒会室には鍵がありますから」
美月は当然のように答え、太一の隣に近い椅子へ座った。
数日前まで来客用だった椅子である。
今では机の端に灰色のマグカップが置かれ、引き出しには筆記用具まで一式そろっている。
本人の説明によれば、すべて相談員として待機するために必要な備品だった。
恋愛相談室に相談者は来ない。
朝比奈美月だけは、毎日来る。
この事実をどう解釈するかは、各自の自由である。
「ねえ、美月ちゃん」
会計用の机で領収書を数えていた一ノ瀬瑠理が、突然顔を上げた。
「美月ちゃんって、もう生徒会役員だよね?」
「違います」
返事が早い。
「でも毎日いるじゃん」
「恋愛相談室の受付時間中、相談員として待機しているだけです」
「専用のコップもあるよ?」
「必要な備品です」
「筆箱も置いてある」
「毎日持ち運ぶのは非効率です」
「書類箱もある」
「今、説明しました」
「じゃあ、あとは名札だけだね!」
「必要ありません」
瑠理は椅子から立ち上がり、ホワイトボードの前へ移動した。
黒いペンで大きく文字を書く。
『朝比奈美月は生徒会役員なのか?』
「これより緊急判定会を始めまーす!」
「始めないでください」
「第一問!」
瑠理は美月の反対を聞かなかった。
無視をしたのではない。
聞き終えるより先に始めただけである。
「生徒会室の予備鍵は、どこにあるでしょう?」
「顧問室の保管庫です」
「正解!」
瑠理が大きな丸を描く。
「第二問。太一君の生徒会長の印鑑はどこ?」
「中央の引き出しの右奥です」
今度は太一が美月を見る。
「何で知ってるんだ」
「以前、会長が探しているのを見ました」
「一回だけだぞ」
「三分近く引き出しを開閉していました」
「時間まで覚えてるのか」
「長かったので」
美月の口元が、わずかに動く。
「太一君、本当にそこにある?」
「何で確認するんだよ」
「クイズには答え合わせが必要だよ」
太一が引き出しを開ける。
印鑑は右奥にあった。
「正解! 美月ちゃん、太一君のことよく見てるね!」
「三分も探し物をする人がいれば、誰でも気づきます」
「三分って長い?」
「印鑑を探す時間としては長いね」
奏多が穏やかに答えた。
「水城まで乗るな」
「僕は事実を言っただけだよ」
「美月ちゃんと同じこと言ってる!」
瑠理は三問目を書いた。
「奏多君が会議を早く終わらせたいときの合図は?」
「腕時計を二回確認します」
美月が即答する。
奏多は自分の左腕を見た。
「そんな癖あるかな」
「ある」
「あります」
太一と美月の声が重なった。
奏多は苦笑する。
「二人が言うなら、あるんだろうね」
「続いて第四問! 言葉ちゃんが議事録から削除する発言は?」
「議題と無関係な雑談です」
美月が答える。
言葉は端末から顔を上げた。
「本人が正式に撤回した発言も削除します」
「じゃあ、私が前に言った『生徒会室にたこ焼き器を置こう』って発言は?」
「残っています」
「何で!?」
「撤回されていないためです」
「今、撤回する!」
「分かりました」
言葉は端末を数回操作した。
「ただし、備品申請の記録は残ります」
「申請までしてたの、私?」
「一ノ瀬、覚えてないのか」
「たこ焼きを食べたい気持ちは覚えてる」
申請書を書いた記憶はなくても、食欲だけは残っている。
一ノ瀬瑠理の記憶は、重要度ではなく本人の興味によって整理されていた。
「それじゃあ、最終問題!」
瑠理が勢いよく振り返る。
「私が生徒会室に隠しているお菓子は、どこでしょう?」
「冷蔵庫の奥でしょ」
奏多が笑いながら答える。
「不正解!」
瑠理は得意げに人差し指を振った。
「そっちは奏多君に見つかったから、昨日移動しました!」
「棚の上から二段目。古い学校案内の後ろです」
美月が言った。
生徒会室が静かになった。
瑠理はゆっくり棚を見る。
椅子を運んで上へ乗り、古い学校案内の束を動かした。
その後ろから、箱入りのチョコレートが出てくる。
「何で分かったの!?」
「昨日、一ノ瀬さんが不自然に脚立を動かしていたので」
「脚立を動かしただけだよ?」
「そのあと会長が入室した途端、何も持たずに降りました」
「そこまで見てたの?」
「目に入っただけです」
美月は平然としている。
クール系アイドル、朝比奈美月。
観察力、記憶力、注意力のすべてに優れた少女である。
なお、自分の恋愛に関する推理だけは、前提から間違えることが多い。
「太一君」
瑠理は菓子の箱を抱えたまま振り返った。
「美月ちゃん、生徒会のこと私より知ってる」
「一ノ瀬が知らなすぎるんだろ」
「会計の仕事は知ってるもん」
「お菓子を隠すのは会計の仕事じゃないよ」
奏多が穏やかに指摘する。
「じゃあ多数決! 美月ちゃんを生徒会役員だと思う人!」
瑠理が率先して手を上げた。
奏多も少し考えてから手を上げる。
言葉は端末へ視線を戻した。
「言葉ちゃんは?」
「事実と異なるため、賛成できません」
「さすが言葉ちゃん!」
「ただし、朝比奈さんは今週、一ノ瀬さんより長く生徒会室に滞在しています」
瑠理の手が下がる。
「私、会計じゃないのかもしれない」
「急に自分の役職を疑うな」
「だって美月ちゃんのほうが長くいるんでしょ?」
「一ノ瀬が途中で仕事に行ったり、菓子を買いに出たりするからだろ」
「仕事は仕方ないけど、お菓子は大事だよ」
「それを滞在時間へ含めろとは言えないね」
奏多の正論に、瑠理は反論できなかった。
反論できないとき、瑠理は気にしないことにしている。
今回もチョコレートの箱を開けたことで、問題は解決した。
本人の中では。
太一は手元の書類へ印鑑を押し、隣へ置いた。
美月が自然にそれを受け取り、内容を確認する。
「朝比奈」
「何でしょうか」
「これ、相談室のファイルに入れといて」
「分かりました」
美月は書類箱を開き、指定された場所へ収めた。
太一は次の書類を取り、美月は箱の中身を整える。
誰も、その流れを不自然だとは思わなかった。
瑠理だけが、チョコレートを口へ入れながら首を傾げる。
「やっぱり生徒会役員じゃん」
「違います」
「太一君も普通に仕事頼んでたよ?」
太一の手が止まった。
美月も、閉じかけた箱へ視線を落とす。
「相談室に関する書類だからだ」
「そうです。相談員としての業務です」
二人の返答は、ほとんど同時だった。
瑠理は納得したようにうなずく。
「じゃあ、この箱だけ相談室に戻せば解決だね」
「ここで結構です」
今度は美月だけが即答した。
太一が横を見る。
美月は書類箱の位置を、数センチだけ直した。
「毎日運ぶのは、非効率ですから」
「そうか」
「はい」
それ以上の説明は必要なかった。
少なくとも、太一は聞かなかった。
聞けば、美月が生徒会室へいたい理由を、少しだけ意識することになる。
聞かれれば、美月は太一の近くへいたい理由を、別の言葉へ置き換えなければならない。
双方にとって、非効率である。
美月の席は、正式には決まっていない。
書類箱も、一時的に置かれているだけ。
マグカップも、相談員として必要な備品。
そういうことになった。
翌日の放課後。
太一は生徒会室へ入り、美月が使っている来客用の椅子に資料が積まれていることへ気づいた。
太一は資料を持ち上げ、別の机へ移す。
相談員が待機するとき、座る場所がなくては困る。
ただ、それだけのことである。
少しして、美月が生徒会室へ入ってきた。
空けられた椅子を見る。
それから太一を見た。
「会長」
「何だ」
「いえ。何でもありません」
美月はいつもの席へ座った。
太一は書類から顔を上げない。
美月も、それ以上は何も言わない。
言葉にしなくても伝わることがある。
恋愛において、それは美しいとされている。
ただし、この二人の場合。
伝わっているのは、互いが席を空け、そこへ座ったという事実だけだった。




