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片思いしているアイドルが俺に匿名恋愛相談をしている  作者: ロン毛丸


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2/9

第2話 相談相手は好きな人

 学長室を出るころには、恋愛相談室の試験運用開始日まで決められていた。


 引き受けた覚えはない。


 だが学長の中では、二人が声をそろえて断った時点で正式決定したらしい。


 拒絶を承諾へ変換する。


 教育者の交渉術として正しいかは、かなり疑わしい。


「納得できません」


 廊下を歩きながら、美月が言った。


「同感だ」


「なぜ反対している私たちを見て、適性があると判断できるんでしょうか」


「見たいものしか見てないからだろ」


「学長として問題があります」


「今さらだな」


 美月は小さく息を吐いた。


 その歩幅は、太一と並ぶように自然と調整されている。


 太一も美月に合わせ、わずかに速度を落としていた。


 二人とも、相手へ合わせているつもりはない。


 呼吸が合うとは、しばしば無自覚な譲り合いの結果である。


「学長の説明には続きがありました」


 美月が資料を開く。


「相談室は、生徒会室の隣にある旧印刷室を改装したもの。相談内容は原則非公開。危険、健康、契約、個人情報に関わる案件は、顧問または担当教員へ引き継ぐ」


「その辺りはまともだな」


「恋愛をする自由と同じように、断る自由も守るように、とも書かれています」


「それを、担当を断った俺たちに聞かせるのか」


「説得力はありませんね」


 美月の口元が、少しだけ動いた。


 笑ったのかもしれない。


 太一は確認しなかった。


 違っていれば恥ずかしい。


 合っていたら、なぜ確認したのかを説明できない。


 恋愛において、確かめない者が鈍いとは限らない。


 臆病なだけである。



        ◇



 恋愛相談室は、生徒会室の隣にある旧印刷室を改装したものだった。


 廊下側の扉には、赤いハート型の看板がかかっている。


 中央には金色の文字で、


『桜映学園恋愛相談室 あなたのアモーレに寄り添います』


 と書かれていた。


 美月は入室すると、最初に看板を裏返した。


「外すと思った」


「なら、先に外しておいてください」


「朝比奈が外すところまで含めて完成だろ」


「どういう完成ですか」


 学長が設置し、美月が排除する。


 桜映学園では、これも一つの役割分担として成立していた。


 室内には対面用の机と椅子、古いソファ、書類棚、電気ケトルが置かれている。


 棚の一角には恋愛小説、相性診断カード、包装された菓子まで並んでいた。


「学長、楽しんでるな」


「相談者より楽しんでいる可能性があります」


「ハートの風船百個も、ここで使うつもりだったのか」


「一ノ瀬さんの申請ですね」


「もう却下した?」


「削除しました」


「早いな」


「必要のない支出ですから」


 美月は予約用の端末を起動する。


 太一は窓を開け、壁際の机へ手をかけた。


「これ、少し右へ寄せるぞ」


「待ってください。コードがあります」


 美月が机の下へ屈み、床を這うコードを持ち上げる。


 太一はその間に机を動かした。


 次に美月が書類棚を指す。太一は説明を待たず、相談記録用のファイルをそこへ置く。


 会話がなくても作業は止まらない。


 美月がラベルを作れば、太一が貼る。


 太一が椅子の位置を変えれば、美月が相談者側からの見え方を確認する。


 恋愛相談室の運営経験は、二人ともない。


 共同作業の経験だけなら、十分すぎるほどあった。


「会長」


「何だ」


「意外と乗り気ですね」


「朝比奈ほどじゃない」


 美月のペンが止まる。


「引き受ける以上、適当にするべきではありません」


「まだ正式には引き受けてないけどな」


「では、会長はやらないんですか」


 美月が顔を上げた。


 声は普段どおりだった。


 ただ、返事を待つ時間だけが少し長い。


 太一は空になった段ボール箱を畳んだ。


「朝比奈一人に押しつけるわけにはいかないだろ」


「そうですか」


 美月は端末へ視線を戻した。


 備品確認表へ、相談記録の保存期間、予備の筆記用具、緊急時の連絡先を書き加える。


 当初は一枚だった確認表が、いつの間にか二枚目へ入っていた。


 朝比奈美月は仕事が丁寧である。


 今日に限っては、少し丁寧すぎた。


 好きな人と一緒にいられる仕事ほど、確認すべき項目は不思議と増える。


「朝比奈、今日は七時から収録だろ。残りは俺がやる」


「会長こそ、明日は朝からオーディションでは?」


「俺は朝が早いだけだ。朝比奈は移動もあるだろ」


「ですが」


「相談室初日から、担当が収録に遅刻したら説得力ないぞ」


 美月は壁の時計を見る。


 送迎車が来るまで、あと二十分。


 本来なら着替えと移動を考え、もう出るべき時刻だった。


「残りは、机の位置と備品確認だけです」


「分かってる」


「予約情報へのアクセス権も確認してください」


「はいはい」


「返事が軽いです」


「分かった。必ず確認する」


 美月はまだ何か言いたそうだった。


 太一は先回りして、予約端末を示す。


「これだろ?」


「……はい」


「朝比奈が戻るまでに、勝手に運用開始したりしない」


「それは当然です」


「安心した?」


「別に」


 安心した者ほど、安心していないふりをする。


 恋愛とは、ときに無益な演技の積み重ねである。


 美月は鞄を持ち、扉まで行ってから振り返った。


「会長」


「今度は何だ」


「明日のオーディション」


 そこで言葉が止まる。


 頑張ってください。


 たったそれだけなら難しくない。


 美月は、メンバーにもスタッフにもファンにも、何度も似た言葉を口にしている。


 太一へ言うとなると、急にありふれすぎている気がした。


 好きな相手へ向ける言葉には、特別さが必要である。


 そう考えた結果、美月が選んだのは、


「遅刻しないでください」


 最もかわいくない言葉だった。


「朝比奈じゃあるまいし、集合の一時間前には行かないよ」


「私は一時間も前には行きません」


「前の撮影で毎回来てただろ」


「あれは、台本の確認があったからです」


「知ってる」


 太一は笑った。


「収録、頑張れ」


 美月は返事を忘れかけた。


 自分が言えなかった言葉を、太一は簡単に言った。


 少し悔しい。


 それ以上に、嬉しい。


「……ありがとうございます」


 美月は廊下へ出て、扉を閉めた。


 頑張れと言う予定だった。


 言われる予定ではなかった。


 計画は失敗した。


 成果だけを見れば、大成功である。



        ◇



 美月が帰ったあと、太一は予約用の端末を確認した。


 相談が一件入っている。


【相談内容】


 恋愛相談室の担当者同士が恋に落ちた場合、どちらかは相談員を辞めるべきでしょうか。


 太一は無言で画面を閉じた。


 差出人は匿名だった。


 匿名である必要がない程度には、犯人が明らかだった。


 太一は学長へメッセージを送る。


『テスト投稿は削除してください』


 数秒後、返信が届いた。


『新宮君。あらゆる可能性を想定することが、良き相談員への第一歩です!』


 太一は通知ごと閉じた。


 あらゆる可能性を想定する。


 学長の言葉としては、珍しく正しい。


 なお、その可能性はすでに現実になっていた。


 相談員二人は、開設前から互いに恋をしている。



        ◇



 夜。


 太一は自室で、翌日のオーディション台本を開いていた。


 開いてはいる。


 同じページから、まったく進んでいない。


 美月が扉の前で振り返った場面が、何度も頭へ戻ってくる。


 遅刻しないでください。


 応援としては、ずいぶん実務的である。


 それでも太一には、美月なりの応援だったと分かった。


 分かったからこそ、台本が進まない。


 一方、美月は収録を終え、送迎車の後部座席に座っていた。


 仕事用の衣装から制服へ着替え、窓の外を流れる街灯を眺める。


 鞄の内側には、小さな黄色いマスコット。


 学校では隠しているものだ。


 美月はそれへ一度触れ、スマートフォンを開いた。


 太一と美月の画面に、校内匿名サイトの同じDMスレッドが表示される。


 名前も顔も知らない相手。


 具体的な仕事、出演作、所属、学校での立場は話さない。


 それでも、好きな作品や文章の癖、返信が遅くなる時間帯くらいは知っていた。


 昨日の会話も残っている。


 ぴかぽ:

『勧めてもらった映画、見ました』


 鼻マダム:

『どうだった』


 ぴかぽ:

『途中で寝ました』


 鼻マダム:

『見てないのと同じだろ』


 ぴかぽ:

『エンドロールの音楽は聞きました』


 鼻マダム:

『寝てた証拠を増やすな』


 美月は入力欄を開いた。


 文章を書き、消す。


 書き直し、また消す。


 ライブで何千人に見られても平気なのに、たった一人へ送る数行が決まらない。


 大人数へ向けた言葉には台本がある。


 本音にはない。


 ぴかぽ:

『今日、好きな人と二人で新しい仕事をすることになりました』


 送信すると、既読はすぐについた。


 鼻マダム:

『よかったじゃん』


 ぴかぽ:

『なぜ、よかったと分かるんですか』


 鼻マダム:

『好きな人なんだろ』


 美月は自分が送った文章を読み返した。


 ぴかぽ:

『そうでした』


 太一は画面を見て笑った。


 顔も知らない相手だが、ぴかぽは時々、妙なところで抜けている。


 鼻マダム:

『本人の前で今の反応するなよ』


 ぴかぽ:

『しません』


『完璧に隠しています』


 鼻マダム:

『ならいいけど』


 美月は少しだけ不満だった。


 完璧に隠せている。


 太一からは、共同作業に慣れた風紀委員としか思われていないはずだ。


 それは困ることではない。


 困ることではないので、美月は続けて入力した。


 人は、困っていないことについて、ここまで熱心に相談したりはしない。


 ぴかぽ:

『嬉しいと思っていることを、本人には知られたくありません』


 鼻マダム:

『何で』


 ぴかぽ:

『気持ちまで知られそうだからです』


 鼻マダム:

『知られたら困るのか』


 美月の指が止まる。


 嫌だからではない。


 今の関係が変わるかもしれないからだ。


 そこまで入力して、すべて消した。


 ぴかぽ:

『困ります』


 鼻マダム:

『そっか』


 太一は、それ以上踏み込まなかった。


 ぴかぽが話したくないことを、無理に聞き出したことはない。


 だから美月も、この相手には話しやすかった。


 顔を知らないことは、警戒する理由になる。


 同時に、本音を話す理由にもなる。


 ぴかぽ:

『鼻マダムさんにも、好きな人はいますか』


 太一は台本から目を上げた。


 机の端には、相談室の運用資料。


 表紙には、美月の字で『要確認』と書かれた付箋が貼られている。


 鼻マダム:

『いる』


 美月は送迎車の中で姿勢を正した。


 匿名の友人に好きな相手がいても、自分には何の関係もない。


 何の関係もないので、返信文を三度消した。


 ぴかぽ:

『その方とは、よく話すんですか』


 鼻マダム:

『普通の相手よりは』


 ぴかぽ:

『では、脈があるのでは?』


 鼻マダム:

『そう思えたら相談してない』


 美月は画面を見つめる。


 鼻マダムにも、自分と似た悩みがあるらしい。


 それを知って安心した。


 同時に、少しだけ落ち着かない。


 ぴかぽ:

『どのような方ですか』


 太一は、美月の顔を思い浮かべた。


 真面目で、仕事ができる。


 少し思い込みが激しい。


 隠しているつもりで、たまに妙なところが抜けている。


 そこまで入力し、悪口に見えたので消した。


 好きな相手の特徴を正確に書くほど、褒め言葉から遠ざかることがある。


 鼻マダム:

『真面目で、仕事ができる人』


 ぴかぽ:

『入力が長かったわりに、短いですね』


 鼻マダム:

『削ったんだよ』


 ぴかぽ:

『何をですか』


 鼻マダム:

『いろいろ』


 美月は気になったが、追及しなかった。


 太一はスマートフォンを持ち直す。


 鼻マダム:

『俺も今日、その人と二人で新しい仕事をすることになった』


 美月の指が止まる。


 偶然だった。


 同じ学校で、同じ日に、似たようなことが起きただけである。


 桜映学園には多くの生徒がいる。


 二人一組で芸能の仕事も珍しくない。


 ぴかぽ:

『それは、よかったですね』


 鼻マダム:

『何で』


 美月は一瞬迷い、送り返す。


 ぴかぽ:

『好きな方なのでしょう?』


 今度は太一が、自分の送った文章を読み直す番だった。


 鼻マダム:

『そうだった』


 二人は別々の場所で、同じようにスマートフォンを見つめた。


 やがて、美月が入力する。


 ぴかぽ:

『では、お互いに相談しませんか』


 鼻マダム:

『いいよ。よろしく、ぴかぽさん』


 ぴかぽ:

『よろしくお願いします。鼻マダムさん』


 その直後、太一の画面上部へ別の通知が届いた。


 朝比奈美月。


『恋愛相談室の運用案を共有しました。明日、確認をお願いします』


 美月の画面にも、現実の太一から連絡が入る。


 新宮太一。


『資料は明日の朝見る。今日はもう休め』


 美月は、その一文を二度読んだ。


 一度で意味は理解している。


『会長こそ、明日のオーディションに備えて休んでください』


 返信してから、美月は匿名DMへ戻った。


 好きな相手と、顔も名前も知らない相談相手。


 二人の中では、まだ別々の人物だった。


 画面の向こうにいる相手が、ついさっきまで自分の隣にいたとも知らずに。


 こうして鼻マダムとぴかぽは、好きな相手のことを、好きな本人へ相談し始めた。


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