第六章「裂け目」
基地の奥へ向かう。
普段は入れない区画らしい。
神崎と並んで歩くと、通路の空気が少しずつ変わっていった。
警備が増えている。
壁際に立つ兵士の視線も、さっきまでとは違う。
こちらを見る目に、妙に力が入っている。
好奇心じゃない。
何かあったら止める、という顔だった。
止められるかどうかは別として。
「……ここか」
「別扱いだな」
神崎が小さく笑う。
「上位だけが入れる場所だ」
「……なるほどな」
扉が開く。中は広い。
だが、人数は少ない。
その少なさが逆に濃かった。
「……強いな」
肌が少し粟立つ。
目に見える前から、何人かは明らかに別だと体が先に嫌がった。
視線が集まる。誰も動かない。
だが、圧だけが静かにこちらへ寄ってくる。
「……鬱陶しいな」
少しだけ笑う。
その時、声がした。
「来たか」
さっき会った男。
「……お前か」
「……ああ」
近づいてくる。距離が詰まる。
派手な挨拶はない。
ただ、それで十分だった。
「……改めてだ」
「俺はレオン」
短い名乗り。在真も返す。
「……在真だ」
握手はない。
ただ互いを見る。レオンが言う。
「……やっぱり強いな」
「……そっちもな」
短く返した瞬間、周囲の空気がわずかに揺れた。
誰かが低く言う。
「……やめろ」
だが、レオンは少しだけ力を出す。
圧。
「……圧か」
感じる。
重いというより、居場所を押し狭めてくる感じだった。
立っているだけで、床の上から半歩ぶん追い出されそうになる。
だが、その程度だった。
「……効かねぇな」
一歩前に出る。
レオンの目がわずかに細くなった。
「……崩れないか」
圧が消える。
「……本物だ」
「……で」
レオンが視線を外す。
「呼ばれた理由、分かるか」
「……大体は」
「……その通りだ」
レオンが頷く。
「遊びじゃない」
在真は短く返した。
「……最初からだ」
レオンが小さく笑う。
「……そういう顔か」
その時、中央のスクリーンが点灯した。
映像の奥に、巨大な何かが映っている。
画面越しなのに、少しだけ肌が冷えた。
「……なんだこれ」
レオンが言う。
「……まだ発生してない」
「だが——」
映像が拡大される。
黒い歪み。
その奥で、何かがこちらへ向かってくる気配だけがある。
映像越しなのに、喉の奥が少し乾いた。
まだ来ていないものに、先に見られている感じがする。
「……確実に来る」
音が途切れた。神崎が、少し遅れて呟く。
「……でかいな」
「……ああ」
在真は視線を外さない。
「……これは」
レオンが頷く。
「だから呼んだ」
「……ここにいる全員で潰す」
神崎がそこでようやく息を吐く。
「全員って言っても、楽な顔してるやつ一人もいねぇぞ」
「……だろうな」
在真は映像の黒を見たまま答えた。
重かった。
だが、嫌いな重さじゃなかった。
基地の一室は静かだった。
さっきまでの緊張が嘘みたいに。
だが、静かなだけで落ち着いているわけじゃない。
全員が、あの映像の続きを頭の中で見ている。
「……来るんだな」
在真は窓の外を見る。
夜。
街の灯りが遠くに見える。
こんなふうに普通の夜が残っていること自体、少しだけ妙だった。
窓の下では、自販機の明かりがまだ点いている。
その光だけが、やけに薄く見えた。
神崎が壁にもたれたまま答える。
「……ああ」
「……分かってる」
短く返す。
あの映像が頭から離れない。
「……規模が違うな」
神崎が呟く。
少しして、苦笑まじりに言う。
「……でかすぎるな」
在真も少しだけ笑う。
「……ほんとブレねぇな」
「……怖くねぇのか」
「……どうだろうな」
少し考える。
怖くないわけじゃない。
ただ、怖いから止まるという感じでもない。
「……強いなら行く」
神崎が呆れたように笑う。
「……お前らしいな」
静かになる。
ガルが足元に寝転がる。
落ち着いているように見えて、耳だけはずっと立っていた。
部屋の外を誰かが通るたび、その耳がわずかに動く。
神崎が聞く。
「……寝るか?」
「……いや」
首を振る。
「……準備する」
剣を手に取る。天羽々斬。
軽く振るだけで、今の自分の状態がよく分かる。
「……馴染むな」
目を閉じる。戦いを思い出す。
動き。流れ。敵の圧。
それを越える瞬間の感覚。
「……まだ足りねぇな」
目を開けた時、扉がノックされた。
——コンコン。
「……入るぞ」
レオンが入ってくる。
「……珍しいな」
「……少し話だ」
短い言い方だった。
在真が視線を向ける。
「……なんだ」
レオンはこちらを見る。
「……お前」
一瞬、間。
「どこまで行くつもりだ」
在真は即答した。
「……上だな」
「……どこまでだ」
「……限界まで」
レオンが小さく笑う。
「……悪くねぇな」
在真も聞き返す。
「……お前は?」
「……同じだ」
「……じゃあ問題ねぇな」
少しだけ笑う。レオンが頷く。
「……明日だ」
「……ああ」
少しの静寂。
それからレオンが言う。
「……寝とけ」
「……無理だな」
軽く返す。
レオンはそれ以上何も言わずに出ていった。
再び静寂。
在真は窓の外を見る。
「……明日か」
「……来るなら来い」
朝の空気が違った。
静かすぎる。
音が消えているわけじゃない。
世界の側が、妙に息を潜めている。
「……来てるな」
外に出ると、空が歪んでいた。
遠目にも分かるくらい、裂けている。
「……あれか」
視線の先。
黒い裂け目は深く、大きい。
神崎が横に立つ。
「……デカすぎるな」
「……ああ」
レオンが前に出る。
「……行くぞ」
その一言で、全員が動いた。
移動。現場へ。
近づくほど、圧が強くなる。
「……重いな」
ガルが低く唸る。
在真は短く言った。
「……耐えろ」
足を進める。
地面が崩れている。
街が半分消えている。
建物の断面がむき出しのまま途切れ、その奥で空間ごと削られたみたいに景色が落ちていた。
そして中央。裂け目。
そこから、何かが出てくる。
「……来るぞ」
次の瞬間、——ズズズッ、と裂け目の奥から影が溢れた。
数える気が失せる量だった。
「……多いな」
神崎が構える。
「……前座だな」
「……抜けるぞ」
踏み込む。
まずは出鼻を潰す。
「……風」
広げるように解放する。
——シュンッ!!
先頭の影がまとめて削れる。
だが、止まらない。
次々に出てくる。
切っても、切っても、裂け目の奥から補充される。
神崎が顔をしかめる。
「……無限かよ」
レオンが前に出る。
「止める」
短く言う。次の瞬間。
——ドンッ!!
一撃。
まとめて吹き飛ぶ。
在真は少し笑った。
「……強ぇな」
「……いい」
その時、空気が変わる。
裂け目の奥。
影の流れが一瞬止まり、代わりに別の圧が前へ出てきた。
「……来たな」
そこから現れたものは、今までの雑魚と違った。
「……本命か」
全員が止まる。視線が集まる。
そして、それが姿を現した。
「……でかいな」
巨大な影が、地面を覆う。
その輪郭だけで周囲の光が一段沈む。
「……入るぞ」
踏み込む。巨大な主が動く。遅い。そう見えた。
次の瞬間、消える。
「……は?」
未来視を走らせる。
だが、視界が追いつかない。
「……見えねぇ」
直後。
——ドンッ!!
衝撃。体が揺れる。
「……速いな」
在真は後ろへ飛ぶ。
距離を取る。視線の先。
主は、もう元の位置とも別の位置ともつかない場所に立っていた。
人型に近い。
だが、それだけだ。
輪郭が空間ごとずれている。
「……普通じゃねぇな」
神崎が横に来る。
「……今までのとは別だ」
レオンも前に出る。
「全員で行く」
短い指示。在真は笑った。
「……気味悪いな」
踏み込む。
三人で圧をかける。
在真は風で加速。
「……風」
主の側面へ回り込む。
だが、いない。
「……またか」
背後。
「……来る!」
回避。
——ドンッ!!
地面が砕ける。
「……鬱陶しいな」
神崎が突っ込む。拳。だが空振り。
「……当たらねぇ!」
レオンが動く。
「止める」
次の瞬間、空気が変わる。
在真はそれをはっきり感じた。
「……っ」
主の動きが、一瞬だけ止まる。
「……今だ!」
踏み込む。
「——斬る!」
剣を振る。
——ガキンッ!!
止まる。硬い。想像以上に。
「……硬ぇな」
だが、効いている。
わずかにヒビが入る。
主が動く。
今度はもっと速い。
「……速すぎる」
未来視が追いつかない。
——ドンッ!!
直撃。
「……ぐっ!」
吹き飛ぶ。神崎の声が飛ぶ。
「在真!」
「……問題ねぇ」
立ち上がる。痛みはある。
「……悪くねぇ」
笑う。
「……強い」
だからいい。踏み込む。
「……次で当てる」
未来視を限界まで引き上げる。
断片。途切れる。
「……見えた」
わずかに。
「……そこだ」
踏み込む。主が動く。
だが、読める。回避。
同時に——。
「……入る」
剣を突き込む。
——バキッ!!
ヒビが広がる。
「……いける!」
その瞬間、空気が歪む。
全員が止まる。レオンが言う。
「……上がるぞ」
「……第二段階だ」
主の輪郭が崩れる。
レオンの声が鋭くなる。
「……来るぞ」
次の瞬間、空気が裂けた。
在真は未来視を走らせる。
だが、見えない。
「……見えねぇ」
視界が追いつかない。
——ドンッ!!
衝撃。地面が抉れる。
「……速すぎる」
距離を取る。
神崎が横で弾かれていた。
「……やばいぞこれ!」
レオンが前へ出る。
「抑える」
短く言う。
次の瞬間、空気が止まった。
主の動きが、ほんの一拍だけ鈍る。
「……噛んだか」
「……今しかない」
在真は踏み込む。
「……風」
加速。
一直線に主の中心へ向かう。
だが、位置が変わる。
目の前にいたはずの本体が、少しだけ別の場所へずれている。
神崎が叫ぶ。
「位置ごとズラしてる!」
「……面倒だな」
在真は一度止まる。
動きと歪み、ズレの生まれ方。
見えているのは断片だけだが、それでも何か掴める。
「……一定じゃねぇな」
「……癖がある」
未来視を重ねる。
断片が途切れ、また繋がる。
「……そこか」
踏み込む。ズレる前。
主の輪郭が次へ逃げる、その直前へ刃を差し込む。
「——斬る!」
——ガキンッ!!
ヒビ。今度は深い。
「……いける!」
主が反応する。だが、もう一歩。
「……入る」
さらに押し込む。
その瞬間、主の気配が跳ね上がる。
「……来る!」
全方向。
「……無理か」
その時、レオンが前に出た。
「任せろ」
空気が歪む。
衝撃の向きが逸れる。
「……今だ!」
神崎が叫ぶ。
「在真!」
「……分かってる」
踏み込む。全力。
「——通す!」
剣を叩き込む。
——バキィィィッ!!
「……あと一歩だ」
主が揺れる。崩れかける。
だが、まだ終わっていない。
ヒビの奥に、もう一段濃いものがある。
「……もう一段ある」
その奥。見える。
小さい。
だが、圧だけは今までの外殻全部より濃い。
「あれか」
「……奥だな」
主が揺れる。崩れかける。
だが同時に、周囲の空間がそれを隠すように重くなる。
「……隠してるな」
「……そのままじゃ届かねぇな」
神崎が舌打ちした。
「どうする!」
「……開ける」
踏み込む。風で加速。
見えない抵抗へ。
「……当てる」
——ドンッ!!
弾かれる。
見えないのに、明確な抵抗だけがある。
「……硬ぇな」
レオンが前に出る。
「合わせる」
短い。神崎も横へ回る。
「三方向だ!」
「……いいな」
「……動くぞ」
同時に踏み込む。風。
火。水。
それぞれ違う圧が、同じ一点へ重なる。
「——叩き込む!」
——ドォォン!!
見えない膜が揺れる。神崎が叫ぶ。
「……ヒビ入った!」
だが、すぐに戻る。
裂けた端から、ぬるりと埋め戻される。
「……足りねぇな」
止まらない。
「……もう一回だ」
踏み込もうとした、その瞬間。
主が動く。
「……来る!」
全方向。
レオンが前に出る。
「……止める!」
空気が固まる。神崎が叫ぶ。
「……今だ!」
「在真!」
「……分かってる」
踏み込む。
今度は出し惜しみしない。
「……全部乗せる」
火も風も水も土も、手札として分けて考える余裕はもうない。全部を呼吸に合わせる。
「——貫け!」
——バキィィィッ!!
砕ける。
「……開いた!」
奥の濃さがむき出しになる。
在真はそのまま前へ出た。
「……行く」
踏み込む。主が暴れる。
だが、未来視が先に走る。
すべて外す余裕はない。
掠める分だけ捨てて、一直線に入る。
「——斬る!」
奥へ。
——バキィィィィィッ!!
砕けた。直後に落ちた静けさが、逆に耳の奥へ残る。
「……止まったな」
崩壊が始まる。
巨大な体が、音を立てて崩れていく。
神崎が叫ぶ。
「……下がれ!」
距離を取る。
——ドォォォォン!!
崩壊。
在真は大きく息を吐いた。
「……はぁ……」
神崎が隣に来る。
「……やったな」
「……ああ」
レオンは前を見たまま、息だけを吐いた。
空気が軽くなる。
空の歪みも消えていく。
「……デカかったな」
軽く呟く。ガルが近づく。
足元で止まったまま、こちらではなく空を見ていた。
体の奥に残った圧が、まだ抜けない。
「……次、どうなるかだな」
静かだった。
さっきまでの戦いが嘘みたいに。
空を見上げる。
裂け目は消えている。
侵食の気配も止まった。
神崎が周囲を見回す。
「……これで全部か?」
レオンが前を見たまま答える。
「……一旦はな」
その時、ウィンドウが開いた。
【討伐】
侵食主を撃破しました
【報酬】
・固有強化:幸運(進化)
・新領域解放
・DP:2億
【レベルアップ】
Lv39 → Lv44
攻撃力:430 → 500
防御力:260 → 310
【武器成長】
天羽々斬 Lv40 → Lv45
攻撃力+450 → +550
「……上がりすぎだな」
剣を軽く振る。
「……悪くねぇ」
神崎が苦笑した。
「お前、もう枠から外れてるな」
「……そうか?」
「そうだ」
その時、周囲の覚醒者たちが集まってくる。
神崎が言う。
「……集まってきたな」
「……面倒だな」
その時、通信が入る。
『こちら本部!』
『状況を確認!』
レオンが応答する。
「主、撃破」
「戦闘終了だ」
一瞬の沈黙。
『……了解』
だが、それだけで終わらない。
『……世界各地でも、同時に収束を確認』
レオンが小さく呟く。
「……そうか」
神崎が言った。
「……全部繋がってたな」
「……ああ」
「……一つ、止まっただけか」
その時、レオンがこちらを見る。
「……在真」
「……なんだ」
「次だ」
短い。
だが、それで十分だった。
「……分かってる」
視線を空へ向ける。
何もない。
だが、まだ終わった感じはしない。
「……まだ来るな」
レオンが頷く。
「……ああ」
「……ここからが本番だ」
緊張は消えていた。
だが、落ち着いたわけじゃない。
静かすぎる。
神崎が伸びをする。
「……落ち着いたな」
在真は歩きながら返す。
「……一旦な」
神崎が笑う。
「……嵐の前ってやつか」
「……だろうな」
その時、名前を呼ばれた。
「大月 在真」
振り向く。レオンだ。
「……来い」
短い。
「……分かった」
後をつく。奥へ。また別の部屋。
「……ここか」
扉が開く。中は暗い。
中央に、一つのスクリーン。
在真が聞く。
「……何だ」
レオンが止まり、映像を出す。
「……これだ」
黒。
何もないように見える。
だが——。
「……違うな」
ある。
目を凝らすより先に、背筋の奥が先に冷えた。
見えていないのに、見落としている感じだけがはっきりしている。
神崎が眉をひそめる。
「……どこだこれ」
レオンが答える。
「……観測だけされている」
「まだ発生していない」
在真は視線を外さない。
「……でも」
「……来る」
映像がわずかに動く。
黒の奥で、何かが蠢く。
画面の中なのに、部屋の空気までわずかに遅れて動いた。
気のせいで片付けるには、静かすぎた。
神崎が低く言う。
「……でかいな」
レオンが静かに言った。
「……次はこれだ」
在真は少しだけ笑う。
「……気味悪いな」
神崎が横で呆れる。
「お前ほんと変わらねぇな」
「……強いならいい」
レオンがこちらを見る。
「……準備しろ」
「……ああ」
部屋を出る。空気が重い。
さっきより廊下の灯りが白く見えた。
目が慣れたんじゃない。
黒を見たせいで、こっちが薄くなった。
「……遠いな」
ガルが低く鳴く。
在真は剣に手を置いた。
「……こっちだ」




