第四章「外の世界」
ダンジョンを出た瞬間、空気が変わった。
重さがない。
あの独特の圧が消えている。
「……外か」
山の空気。風の音。木々の揺れ。
どれも知っているもののはずなのに、少し薄い。
吸い込んでも、肺の奥まで残らない。
「……普通だな」
だが、その“普通”が妙に違和感を持って迫ってくる。
今の自分にとっては、むしろダンジョンの濃い空気のほうが自然に近くなっていた。
ポケットからスマホを取り出す。
画面を開く。
通知、ニュース、動画。
すべてが——。
「……ダンジョンだらけか」
『国内各地でダンジョン拡大』
『覚醒者、戦闘能力の格差問題』
『民間人の侵入禁止区域拡大』
「……もう前の世界じゃないな」
スクロールする。戦闘映像。だが——。
「……遅いな」
動きも、判断も、連携も、全部が少し遅く見える。
画面の中の人間たちは必死に動いている。
それなのに、俺の目には一拍ずつ遅れて見えた。
「……ずれてるな」
外の人間が遅いというより、自分の目だけが別の速さに慣れている。
それが少し気持ち悪かった。
その時——。
——ブオォォォン。
上空。ヘリの音。
「……来たか」
視線を上げる。黒い機体。
明らかに軍用だった。
こちらへ向かってくる。
「……見つかったな」
ガルが低く唸る。在真は短く言う。
「……大丈夫だ」
だが、問題は別にある。
「……どうするかだな」
逃げるか。
接触するか。少し考える。
隠れ続けることはできるだろう。
だが、今の世界で情報を持っているのは向こうだ。
なら——。
「……いや」
答えは決まっていた。
「……行くか」
隠れ続けるより、情報を取る。その方が早い。
ヘリが近づき、風が吹き荒れる。
着地した機体の扉が開くまでの数秒が、妙に長く感じた。
中から出てきたのは、武装した人間だった。
銃も装備も、完全な戦闘態勢だった。
こっちを助けに来たというより、まず止めに来た顔だ。
「……一般人じゃないな」
その中の一人が前に出る。
「動くな!」
銃口が向けられる。
「その場で両手を上げろ!」
在真は少しだけ考えた。
敵対する気はない。
だが、向こうから見れば説明のつかない不審者だ。
「敵対する気はないんだけどな」
通じるはずもない。
「……しゃーない」
ゆっくりと手を上げる。
その瞬間、別の気配が走った。
「……?」
森の奥。
マップが反応する。
・個体:未知
・危険度:高
「……タイミング悪いな」
次の瞬間——。
——ドンッ!!
地面が揺れる。
森の奥から現れたのは、巨大な影だった。
軍の連中がざわつく。
「なんだあれ……!」
「モンスターだと!?」
在真は視線を向けた。
「ああ……」
「……ちょうどいい」
「じゃあ、見せるか」
剣を握る。
銃口はまだ向いたまま。
ヘリの風も背中を叩いている。
向けられる視線には、警戒だけじゃないものも混じっていた。
銃口より、その視線のほうが少し鬱陶しい。
でも、今はそっちじゃない。
森の奥から現れたそれは、これまでのモンスターとは明らかに違っていた。
巨体。分厚い皮膚。鈍く光る眼。
「……外にも、こういうのが出るのか」
詳細鑑定を発動する。
【グラウル】
Lv820
・HP:高
・攻撃力:高
・防御力:高
・特性:暴走/高耐久
・弱点:喉部(柔)
「厄介な万能型ってやつか」
その瞬間、軍の一人が叫ぶ。
「全員、構えろ!!」
銃声。
——ダダダダダッ!!
弾丸がグラウルへ叩き込まれる。
だが——。
「……効いてないな」
弾かれる。
ほとんどダメージが入っていない。
「くそっ……!」
「全然通らない!」
グラウルが動く。
——ドンッ!!
突進。
「散開しろ!!」
だが、遅い。
——ガンッ!!
兵士の一人が吹き飛ぶ。
「ぐあっ!!」
在真は少しだけ眉をひそめた。
「……危ないな」
見捨てるのは性に合わない。
足が勝手に動く。
「……ガル」
低く一声。ガルが駆け出す。在真も踏み込む。
「……止める」
グラウルがこちらを見る。
「……こっちだ」
意識を引く。咆哮。
「……うるせぇな」
突進。未来視。
「……そこじゃない」
横へ。最小動作で回避。
そのまま側面へ回る。
軽く斬る。だが、硬い。
「……硬いな」
やはり通らない。
だが、喉だけ皮膚の動きが違う。
呼吸のたび、そこだけ柔らかく沈む。
「……そこだ」
その前に、グラウルの腕が振られる。
——ドンッ!!
「……速い」
受け流す。だが、重い。
「……パワーもあるな」
ガルが背後から噛みつく。
グラウルの動きが止まる。
在真はその一瞬を逃さない。
「……今だ」
踏み込む。
風で位置を調整し、火で動きをわずかに鈍らせる。
全力で振り抜く。喉へ。
——ザシュッ!!
深く入る。
「……いける」
さらに一歩。
「……落ちろ」
もう一撃。
——バキッ!!
喉が砕ける。
グラウルが崩れる。
音が引いたあとも、体だけはまだ次の衝撃を待っていた。
在真はその場に立った。
周囲が静まり返っている。
「……?」
振り返る。軍の連中。
全員がこちらを見ていた。
「……あ」
完全に見られていた。
「……やりすぎたか?」
一人が、ゆっくり口を開く。
「……今の……一人で?」
「……まあ、一応」
沈黙。
重い空気。そして——。
「……確保だ」
「……は?」
銃口が一斉に向けられる。
「その力、危険すぎる」
「……そう来るか」
ガルが唸る。
在真は小さく息を吐いた。
「……落ち着け」
逃げるか。戦うか。
「……まずは話すか」
まだ切るほどじゃない。
銃口が、一斉にこちらへ向けられる。
「そのまま動くな」
低い声。
感情は抑えているが、完全に警戒されている。
在真は両手を軽く上げた。
「分かった」
無駄な刺激は避ける。
「敵じゃない」
短く言う。
だが、返ってきたのは当然の言葉だった。
「……それを判断するのは、こちらだ」
ガルが低く唸る。
在真は小さく命じた。
「……ガル、下がれ」
ガルが少しだけ後ろに下がる。
それだけで、空気がわずかに緩んだ。
「……会話はできるな」
前に出てきた男。
装備と立ち位置から見て、指揮官クラスだろう。
「名前は?」
「大月 在真」
「所属は?」
「なし」
一瞬、間が空く。
「……単独か?」
「そうなるな」
ざわつきが広がる。
指揮官はすぐに次を聞いた。
「……さっきの戦闘、見てたよな」
あえてこちらから言う。
「……見ていた」
短い返答。
在真は淡々と続けた。
「……あれが今の実力だ」
事実だけを伝える。
誇張も隠しもない。
沈黙。
やがて指揮官が口を開く。
「……正直に言う」
「その力は危険だ」
「……だろうな」
否定しない。
自分でもそう思う。
「……だが」
視線を向ける。
「敵に回る気はない」
はっきりと言う。
空気が少しだけ変わる。
「……証明できるか?」
「今すぐ証明は無理だな」
正直に答える。
「……でも」
一歩だけ前に出る。
銃口がわずかに揺れる。
「さっきのやつ、倒しただろ」
「……あれは、今の装備じゃ厳しかったはずだ」
沈黙。否定できない。
「……だから、敵じゃない」
「……利用価値がある、か」
指揮官が呟く。在真は頷く。
「そういう見方で構わない。縛らないならな」
「……条件は?」
すぐに来る。
「拘束はなし」
「行動の自由は確保」
「必要なら協力はする」
簡潔に。
指揮官が在真を見る。
「……ずいぶん強気だな」
「……それだけの力はある」
変にへりくだる気にはならなかった。
やがて——。
「……いいだろう」
銃口が、ゆっくりと下がる。
「一時的に協力関係とする」
「……助かる」
軽く息を吐く。
ガルも唸りを止めた。
だが、指揮官は続ける。
「……ただし」
「監視はつける」
「……好きにしろ」
問題ない。
「……こちらも情報が欲しい」
「……それは後で話す」
言葉は通じた。
信用されたわけじゃない。
それでも、撃たれるよりはましだった。
指揮官が周囲を見る。
「……とりあえず」
「負傷者の回収を優先する」
「……ああ」
これで、外の側に踏み込むことになった。
血の匂いがまだ残っている。
完全に片付いた感じはしない。
それでも、さっきまでよりは息がしやすかった。
ヘリに乗り込んだ瞬間、外の空気が一気に遠ざかった。
プロペラ音。振動。
無線のノイズが、短く途切れながら耳に刺さる。
視界の中で、山が小さくなっていく。
「……こういうの、初めてだな」
向かいに座る兵士たちが、ちらちらとこちらを見る。
警戒。そして、好奇。
その奥で、兵士たちの目が一瞬だけ止まった。
「……そんなに珍しいか?」
一人が苦笑する。
「珍しいどころじゃない」
「単独であのレベルのモンスターを倒す人間は、まだほとんど確認されてない」
「……そうなのか」
在真は少しだけ意外に思った。
勝手に、外ももっと先へ行っていると思っていた。
そうじゃないなら、自分だけ少し浮いている。
「……外の状況は?」
問いかける。兵士が答える。
「……覚醒者は確認されている」
「だが、数は少ない」
「そして——」
一瞬、間が空く。
「……レベル差が激しい」
「……まあ、だろうな」
自分の状況を考えれば当然だ。
「……覚醒者ってのは?」
改めて聞く。
「ダンジョンに適応した人間の総称だ」
「ステータスを持ち、スキルを使える」
「……やっぱりな」
名前がついただけで、中身は大体同じだった。
「……お前は、その中でも異常だ」
視線が集まる。
「……そう見えるか?」
「見える」
即答。
「今確認されている中で、その戦闘レベルは上位……いや、トップクラスだ」
「……へぇ」
驚きはない。
兵士が少し声を落とす。
「……ただし」
空気が少し変わる。
「強すぎる力は、管理対象になる」
「……だろうな」
想定内だった。
「……逃げる気はないのか?」
「ないな」
即答。
「……理由は?」
在真は少しだけ視線を外した。
「……無駄が多い」
一瞬、沈黙。
そして、小さく笑いが漏れる。
「……正直だな」
「……あと」
少し間を置く。
「情報が欲しい」
それが本音だ。兵士が頷く。
「……いい判断だ」
ヘリが高度を下げ始める。
「……もうすぐ着く」
視線を外へ向ける。
広がるのは、巨大な施設だった。
壁と監視塔、武装車両。
人間側の警戒が形になったみたいな場所だった。
「……基地か」
「臨時の対ダンジョン拠点だ」
ヘリが着陸する。扉が開く。外へ出る。
「……結構人いるな」
視線が多い。値踏みと警戒が混ざっていて、どれも少し鬱陶しい。
人の気配も多い。
覚醒者らしき存在もいる。
だが——。
「……弱いな」
横の兵士が苦笑する。
「……お前、やっぱり異常だな」
その時、別の気配がした。
「……?」
正面から歩いてくる人物。
軍とは違う。
装備も雰囲気も、明らかに別だった。
「……あいつは?」
「……覚醒者だ」
「それも——上位」
視線が合う。
その瞬間、互いに分かる。
強い弱いより先に、空気の重さが違った。
ようやく話が通じる相手が来た感じがした。
「……なるほどな」
「……お前、強いな」
「……そっちもな」
短いやり取り。空気が変わる。
周囲がざわつく。相手が笑う。
「……面白いのが来たな」
「……名前は?」
「大月 在真」
「……俺は、神崎」
手を差し出してくる。
「……よろしく」
握る。
その瞬間、わずかに力が込められる。
「……試してるな」
同じように返す。神崎が笑った。
「……悪くねぇな」
「……久しぶりだ、このレベルは」
空気がまた少し変わる。
在真は周囲を見回し、小さく呟いた。
「……ここ、退屈しなさそうだな」
人間が多い。
面倒も増えそうだった。
神崎と握手した瞬間、周囲の空気がわずかに張り詰めた。
神崎が楽しそうに笑う。
「……その顔、嫌いじゃねぇな」
「……試したくなる」
在真も短く返す。
「……だろうな」
神崎が言う。
「模擬戦、やるか?」
周囲がざわつく。
兵士も覚醒者も、明らかに聞き逃さなかった。
「ここでか?」
「いや、ちゃんとした場所がある」
神崎が顎で示す。少し離れた場所。
広い訓練場のようなスペース。
「……行くか」
断る理由はない。移動する。
その間に、周囲へ人が集まり始める。
覚醒者。兵士。
全員が興味を持っている。
「……結構集まるな」
「当たり前だ」
神崎が軽く肩を回す。
「俺とやるやつなんて、ほとんどいないからな」
「……そういうタイプか」
位置につく。在真が聞く。
「ルールは?」
「気絶か、戦闘不能で終了」
「……了解」
剣を構える。神崎は素手。
「……武器使わないのか?」
「必要ない」
軽く言う。
その余裕がむしろ分かりやすい。
「……速ぇな」
神崎が笑う。
「……じゃあ」
「始めるか」
——ドンッ!!
踏み込み。
未来視。軌道が見える。
回避。
そのまま斬り込む。
——ガキンッ!!
「……止めた?」
素手で受けている。
拳と腕だけで、刃を正面から噛み止めた。
「……硬いな」
神崎が笑う。
「そっちもな」
距離を取る。
在真は小さく息を吐いた。
「……ただの殴り合いじゃないな」
「当然だ」
神崎の気配が変わる。
「……行くぞ」
次の瞬間、消えた。
「……っ!」
未来視。断片。
「……上か!」
上からの蹴り。
——ドンッ!!
受ける。だが重い。
流す。距離を取る。
腕の芯が痺れる。
ただ速いだけじゃない。受けるたびに体の奥へ重さが残る。
今度は在真が踏み込む。
風で加速。斬撃。
——シュッ!!
神崎がギリギリで避ける。
「そっちもな」
笑う。
「……いいな」
空気が変わる。
神崎の目が変わる。
さっきまでの探りじゃない。
「……本気出すか」
在真が短く返す。
「……来い」
次の瞬間、圧が変わる。
「……っ」
未来視が追いつかない。
「……見えねぇ」
——ドンッ!!
直撃。
「……ぐっ!」
体が揺れる。
神崎が笑いながら聞く。
「……今のは効いたか?」
「……少しな」
息を整える。痛みはある。
だが、それ以上に神崎の速度の質が分かった。
「……でも」
剣を構える。
「……合ってきた」
まだ足りない。
でも、さっきよりは近い。
踏み込む。
ここからは一撃じゃない。
流れで取る。
連続。火、風、水。
神崎の動きが一瞬止まる。
その一拍があれば十分だった。
首元へ。——ピタッ。寸止め。
同時に、神崎の拳が、在真の顔の前で止まっている。
「……相打ちか」
沈黙。
そして——。神崎が笑った。
「……やるな」
「……久しぶりに楽しかった」
在真も剣を下ろす。
「……こっちもだ」
周囲がざわつく。
「……互角……?」
「いや、今のは……」
ざわつきの温度が変わる。神崎が言う。
「……お前、トップクラスだな」
「……そうなるな」
否定しない。
神崎は手を差し出した。
「……歓迎する」
「……覚醒者の世界へ」
握る。
「……よろしく」
模擬戦のあと、空気は完全に変わっていた。
さっきまでの警戒は消え、代わりに視線の意味が変わる。
好奇。
値踏み。
そして、少しの距離感。
「……見られてるな」
隣に立つ神崎が肩をすくめる。
「そりゃな」
「ここにいる連中の中で、お前とやり合えるやつはほとんどいない」
「……そんなもんか」
「そんなもんだ」
在真は歩きながら聞く。
「……で」
「覚醒者って、どういう扱いなんだ?」
神崎が答える。
「簡単に言えば戦力だな」
「軍に入るやつ、民間協力で動くやつ、あとは勝手にやるやつ」
「大きくはそんな感じだ」
「……俺はフリーだな」
「今はな」
神崎が少し笑う。
「ただ、そのまま放置されるレベルじゃない」
「……だろうな」
便利でもあるし、邪魔にも見えるだろう。
神崎が続ける。
「階級もある」
指を立てる。
「下から順に——」
「E、D、C、B、A」
「そして——S」
「……分かりやすいな」
「で、お前は」
一瞬、間が空く。
「……A以上」
「……以上ってなんだ」
「Sはまだ少ない」
「正式に認定されてるのは数人だけだ」
「……じゃあ俺は?」
神崎が少しだけ目を細める。
「……暫定Sクラス」
「……へぇ」
驚きはない。
SだのAだのは、正直どうでもよかった。
問題は、その先に何がいるかだ。
神崎が言う。
「ただし」
「評価はこれからだ」
「……実績か」
「そういうことだ」
建物の中へ入る。
会議室のような場所。
中には数人。
明らかに上層部だ。
肩書きばかりが並ぶ部屋だった。
だが、奥から流れてくるダンジョンの気配のほうが、よほど濃い。
神崎が告げる。
「連れてきました」
視線が集まる。
そのうちの一人が口を開いた。
「……大月 在真」
「今回の戦闘、すべて確認している」
「……そうか」
男が続ける。
「単刀直入に聞く」
空気が引き締まる。
「我々に協力する意思はあるか?」
在真は即答した。
「……条件次第だな」
「……聞こう」
「拘束なし」
「行動の自由」
「情報の共有」
シンプルに並べる。
沈黙。
そして、思ったより早く返事が来た。
「……いいだろう」
「……意外だな」
男は淡々と言った。
「お前を無理に縛る方がリスクが高い」
合理的判断。
「……助かる」
その時、別の資料が出される。
「もう一つ、話がある」
「……なんだ?」
「新規ダンジョンだ」
地図が表示される。
「都市部に発生」
「すでに被害が出ている」
「……どれくらいだ?」
「中層クラス以上」
「……なるほどな」
「……戦力不足か」
「そうだ」
視線がこちらに向く。
「お前の力が必要だ」
少しだけ考える。
「……報酬は?」
「DP、情報、優先権」
「……悪くない」
立ち上がる。
「……行くか」
神崎が笑う。
「……決まりだな」
新しい任務。新しい戦場。
「……都市か」
「……入るぞ」
ヘリが都市上空に差し掛かる。
見慣れたはずの景色が、明らかに変わっていた。
道路は封鎖。車は放置。
人の姿は、ほとんどない。
「……避難は終わってるな」
神崎が隣で答える。
「一応な」
「だが、中に取り残された人間もいる」
「……だろうな」
視線を下へ向ける。
街の中心。
そこに“穴”が開いている。
「……あれが入口か」
地面が抉れ、巨大な空間が露出している。
だが、ただの穴じゃない。
周囲のビルや道路ごと、現実の側が飲み込まれた跡みたいだった。
「……ダンジョンって感じじゃねぇな」
神崎が言う。
「今回は“侵食型”だ」
「……厄介だな」
ヘリが着陸する。
降りる。空気が違う。
魔力の濃度が高い。
「……もう始まってるな」
神崎が言う。
「……制限あるぞ」
「都市内は破壊制限」
「建物壊しすぎると被害拡大扱いだ」
在真は少し笑った。
「派手にやるなってことか」
「そういうことだ」
制限付き。
むしろ分かりやすい。
「……悪くねぇ」
「……動くぞ」
侵入。内部は暗い。
だが、暗いだけじゃない。
空間の奥に、人の気配とは別の濃さがいくつも重なっている。
「……近いな」
気配。
すぐに現れる。人型。
だが、歪んでいる。
「……人間だったやつか?」
詳細鑑定。
【侵食体】
Lv450
・特性:群体/再生
・弱点:核(胸部)
「……数が来るタイプだな」
その瞬間、周囲の空気がざわついた。
——ザザザッ。
複数。
周囲から現れる。
「……囲まれたか」
神崎が構える。
「どうする?」
「……分ける」
即答。
「俺が前」
「お前は横と後ろ」
「……了解」
動く。
侵食体が一斉に突っ込んでくる。
「……遅い」
未来視に、動きの縁だけが触れる。
風刃でまとめて削る。
——シュンッ!!
数体が崩れる。だが——。
「……再生するな」
すぐに戻る。
「……胸か」
踏み込む。胸部。
「……そこだ」
突き。——グシャッ。一体、消滅。
「……これだ」
横で神崎が侵食体を潰している。
無駄がない。戻る。
前方にはさらに数が増える。
「……キリがねぇな」
だが——。
「……まとめてやる」
水で流し、土で固定する。
「……今だ」
連続で核を潰す。
——グシャッグシャッ!!
複数、同時に消滅。
「……これなら通る」
その時、神崎の声が飛んだ。
「……在真!」
振り向く。奥。
明らかに違う気配。
「……来たな」
大型。そして、人影。
「……まだ生きてる」
取り残された民間人。
そのすぐ近くに、巨大な侵食体がいる。
「……まずいな」
距離がある。時間がない。
「……こっちだ」
踏み込む。
「……助ける」
視界の先。
崩れかけたビルの一角。
その前に、膝をついたまま動けない民間人。
そして、そのすぐ目の前に立つ巨大な侵食体。
「……間に合うか」
距離。タイミング。敵の動き。
すべてを一瞬で計算する。
「……神崎!」
「……分かってる!」
神崎が横へ回る。注意を引く動き。
侵食体の視線がわずかに逸れる。
「……今だ」
踏み込む。風で加速。
地面を滑るように距離を詰める。
侵食体が反応する。
「……遅い」
未来視。
攻撃の軌道が見える。
最小動作で避ける。
そのまま、民間人の前へ。
「……立てるか」
声をかける。
「む、無理……足が……」
動けない。
「……なら」
抱える。
「……掴まれ」
その瞬間——。
侵食体が腕を振る。
「……来るな」
回避は不可能。
土で地面を隆起させる。
——ガンッ!!
直撃を防ぐ。だが——。
「……持たねぇな」
壁が崩れる。
「……神崎!」
「任せろ!」
神崎が横から突っ込む。
——ドンッ!!
侵食体の動きが止まる。
「……助かった」
距離を取る。安全圏まで移動。
「……そこにいろ」
民間人を下ろす。
「すぐ終わらせる」
振り返る。侵食体。サイズが違う。再生も速い。
「……核、どこだ」
詳細鑑定。
【大型侵食体】
Lv900
・特性:多核構造
・再生速度:高速
・弱点:全核破壊
「……面倒だな」
神崎が距離を取る。
「どうする?」
「……同時に潰す」
「……できるのか?」
「……やるしかねぇだろ」
踏み込む。
侵食体が複数の腕を伸ばす。
未来視。回避。受け流す。さらに外す。
全部を見ている余裕はない。
民間人を背にしているせいで、一歩の遅れがそのまままずい。
「……今だ」
内部。複数の核。
「……まとめていく」
水で流し、土で固定し、風で切り裂く。
火で焼く。
連続で突き込む。
——グシャッグシャッグシャッ!!
硬い感触が、手元で一つずつ潰れていく。
だが——。
「……まだか!」
最後の核。深い位置。
「……届かねぇな」
その瞬間、神崎が飛び込む。
「……在真!」
「……押し込め!」
侵食体の動きを止める。
「……今だ!」
踏み込む。全力。
「——貫け!」
最後の核へ。
——バキィッ!!
砕ける。
侵食体が崩壊する。
音が引いたあとも、体だけはまだ次の衝撃を待っていた。
在真は息を整える。
「……はぁ……」
振り返る。民間人。
「……大丈夫か」
「……た、助かった……」
震えているが、生きている。
「……よかったな」
神崎が隣に来る。
「……いい動きだった」
「……そっちもな」
軽く返す。
その時、奥からさらに強い気配が立ち上がった。
「……まだいるな」
神崎も気づく。
「……ああ」
侵食型ダンジョン。
「……これ、本体があるな」
「……進むぞ」
侵食体を倒したあとも、空気の重さは消えなかった。
むしろ、奥へ進むほど濃くなる。
「……濃くなってるな」
魔力だけじゃない。
空間そのものが、こちらを飲み込もうとしている感じがある。
神崎も同じことを感じていた。
「……これ、中心に近いな」
「……ああ」
周囲を見る。崩れた建物。歪んだ空間。
道路の白線と、ダンジョンの床みたいな黒い膜が同じ場所に重なっている。
見慣れた街の形だけが残って、中身だけ別のものに入れ替わっているみたいだった。
「……侵食型ってこうなるのか」
神崎が短く答える。
「完全に飲み込まれると、元に戻らない」
「……だから早く潰す必要がある」
「……なるほどな」
進む。敵は出ない。
それが逆に気味が悪い。
「……静かすぎる」
嫌な予感。未来視を使う。だが——。
「……見えない」
何も引っかからない。
神崎が低く言う。
「……逆に怖ぇな」
その時——。——ドクン。音。
心臓のような。
「……聞こえたか」
「……ああ」
もう一度。——ドクン。確実に、奥から。
「……進むぞ」
速度を上げる。通路を抜ける。
そして、開けた空間。
その中央にあったのは、巨大な“塊”だった。
肉のような。黒い。脈打つ塊。
「……これが核か」
詳細鑑定。
【侵食核】
Lv???
・特性:無限生成
・再生:極大
・弱点:不明
「……また不明か」
その瞬間、塊が脈打つ。
——ドクンッ!!
周囲から侵食体が湧く。
「……無限かよ」
神崎が舌打ちする。
「キリがねぇぞ」
在真は冷静に見る。
生成位置。タイミング。脈動との関係。
「……脈と一緒だな」
「……元を止めるしかない」
「……どうやる」
「……直接いく」
シンプル。神崎が笑う。
「……無茶だな」
「……いつもだ」
踏み込む。
侵食体が前に出る。
「……邪魔だ」
風でまとめて削り、水で流し、土で固定する。
「……抜ける」
強引に突破する。だが——。
「……再生速ぇな」
後ろから追ってくる。
「……長くは持たねぇな」
核の前へ。
近くで見ると、さらに異様だった。
「……でけぇな」
「……どう壊す」
未来視を走らせる。
だが、何も引っかからない。
見えないというより、先がぐちゃりと潰れている。
「……なら」
剣を構える。
「……触って確かめる」
踏み込む。全力で振る。
——ガンッ!!
弾かれる。
「……硬すぎるな」
神崎が後ろで防ぎながら叫ぶ。
「早くしろ!」
「……分かってる」
観察する。脈動。
「……タイミングか」
鼓動。——ドクン。
その瞬間、表面がわずかに柔らかくなる。
「……そこだ」
踏み込む。
「——斬る!」
——ザシュッ!!
今度は入る。
「……入る」
もう一度。——ドクン。合わせる。
「……今だ!」
深く突き込む。
「——貫け!」
内部へ。
手応え。だが——。
核が大きく脈打つ。
——ドクンッ!!
衝撃。
「……っ!」
弾き飛ばされる。
「……まだ足りねぇか」
神崎が横に並ぶ。
「……あと一押しだ」
「……ああ」
「……次で通す」
核が脈打つ。——ドクン。
「——今だ!」
踏み込む。神崎と同時。火。風。加速。水。圧をかける。土。体を固定。
「……行くぞ!」
全力。剣を叩き込む。
——ザァァァッ!!
同時に、神崎の一撃が叩き込まれる。
核の表面が裂ける。
「……通った!」
そのまま押し込む。
「——通す!!」
——バキィィィッ!!
核が砕ける。
次の瞬間、耳の奥で鳴っていた脈動がぷつりと切れた。
空気が変わる。
足元にまとわりついていた重さが、一気に剥がれていく。
「……終わったか」
周囲を見る。
侵食体が、一体ずつ崩れていく。
「……消えてるな」
再生が止まる。
完全停止。神崎が息を吐く。
「……成功だ」
「……ああ」
剣を下ろす。
ウィンドウが開いた。
【討伐】
侵食核を破壊しました
【報酬】
・特殊スキル:侵食耐性
・DP:8000万
・都市ダンジョン制圧報酬
【レベルアップ】
Lv28 → Lv31
攻撃力:275 → 320
防御力:165 → 190
【武器成長】
天羽々斬 Lv26 → Lv30
攻撃力+240 → +300
「……また一気に上がったな」
周囲を見る。
崩れていた空間が、少しずつ元に戻っていく。
「……侵食も止まってる」
神崎が頷く。
「これでこの都市は持ち直す」
「……よかったな」
その時、通信が入る。
「こちら指揮所!」
「状況を報告しろ!」
神崎が応答する。
「核を破壊、侵食停止」
「作戦完了だ」
少しの沈黙。
それから返事が来る。
「……了解」
「……よくやった」
通信が切れる。
神崎がこちらを見る。
「……やっぱりな」
「……なんだ」
「お前、完全にSクラスだ」
「……正式にか?」
「間違いなくな」
周囲の目が、また一段変わる。
だが在真には、順位や肩書きそのものへの執着は薄かった。
「……まあ、いいか」
神崎が聞く。
「……これからどうする?」
在真は少しだけ考える。
「……さあな」
「……面倒が多い方に行く」
神崎が笑う。
「……お前らしいな」
外の世界。ダンジョン。覚醒者。
「……まだまだ、あるな」
ガルが隣に来る。
「……帰るか」
都市ダンジョン制圧から数日。
基地の空気は、以前とは明らかに変わっていた。
廊下を歩くだけで分かる。
視線の意味が違う。
廊下の奥では、自販機の明かりだけが妙に普通だった。
その明かりだけが、少し浮いて見える。
警戒ではない。尊敬。あるいは、距離。
「……やりやすくなったな」
神崎が横で笑う。
「……完全に上側扱いだな」
「自覚ないのか?」
在真は軽く首を振る。
「……あんまりな」
実感は薄い。
だが、廊下ですれ違う人間が少しだけ道を空ける。
その動きだけは、嫌でも分かった。
神崎が言う。
「……お前、今この国でも上位だぞ」
「……そうか」
「……ほんとブレねぇな」
神崎が呆れる。
その時、声がかかった。
「大月 在真」
振り向く。スーツ姿の男。軍ではない。
「……来たな」
神崎が小さく言う。
「政府側の人間だ」
「……なるほどな」
男が歩み寄る。
「初めまして」
「内閣直轄、覚醒者対策室の者です」
在真は少し眉をひそめる。
「……長いな」
男が小さく笑う。
「……そうですね」
軽く流す。
「要件は?」
単刀直入に聞く。
「あなたに依頼があります」
「……内容は?」
男が一枚の資料を差し出す。
そこには地図。
複数の地点に印がついている。
「同時発生型ダンジョンです」
「……複数?」
「はい」
「全国で同時に確認されています」
神崎が眉をひそめる。
「……それはまた派手だな」
男は続ける。
「一つ一つは中層規模」
「ですが——」
一瞬、間が空く。
「同時です」
「……戦力分散か」
「その通りです」
戦力が足りない。
在真は視線を向けた。
「……で」
「俺に何させたい」
「中核の一つを任せたい」
「……一つだけか?」
「はい」
「ただし——」
男の声が少し低くなる。
「最も危険度の高い地点です」
「……だろうな」
簡単な話ではない。
「……条件はいつも通りだ」
拘束なし。
自由。
男は即答した。
「問題ありません」
「……悪くねぇな」
資料を見る。位置。都市ではない。山間部。
「……こっちは人少ないな」
「ですが、規模が異常です」
「……なるほど」
「……面倒なほうってことか」
少しだけ笑う。
神崎が横で肩をすくめる。
「やっぱり行くか」
「……ああ」
迷いはない。
「……準備する」
男が頷く。
「部隊も同行させます」
「……好きにしろ」
制限はない。神崎が呼ぶ。
「……在真」
「俺も行く」
「……だろうな」
複数同時発生。高難易度。
面倒は増える。
それでも、退屈よりはましだった。
窓の向こうに空が見える。
少し晴れすぎていて、逆に落ち着かなかった。
「……次は、どこまで行けるか」




