第二章「再挑戦」
家に戻ってソファへ沈み込む。
全身が重い。疲労で腕も脚もだるいのに、頭の中だけが妙に冴えていた。さっきまで目の前にいたスケルトンナイトの姿が、まだはっきり残っている。
閉じた門の音。
向こう側で刃が石を削った音。
ガルが先に飛んだ瞬間の、黒い背中。
どれも、まだ体から抜けていなかった。
部屋の中は静かだ。冷蔵庫のモーター音だけが低く鳴っている。引っ越してきたばかりの部屋は、まだ生活の匂いが薄い。
それなのに、ダンジョンの空気だけはやけに濃く残っていた。
「……鑑定の進化、か」
意識を向けると、選択肢が開く。
広域鑑定。詳細鑑定。
広く見るか、深く見るか。
どっちも使い道はある。だから余計に迷った。
広く見えれば、逃げ道も敵の数も拾える。深く見えれば、あのナイトのような相手の隙を見つけられるかもしれない。
長くは迷わなかった。
遠くまで見えても、あの刃を避けられなければ意味がない。
今ほしいのは、広さより細さだった。
「詳細のほうだな」
選んだ瞬間、頭の奥が熱を持つ。
流れ込んでくる情報量が一段増えた。
敵の動きの癖、弱点、持ち物。
今まで表面だけを見ていたものに、勝手に指を入れられるみたいだった。
見えていたものが増えるというより、薄皮を一枚剥がされた感じに近い。
便利だ。
けれど、気持ち悪い。
自分の目がよくなったというより、見たものの内側を勝手に開かれている感じがした。
試しにガルを見る。
【ガル】
・弱点:腹部
・好物:骨系素材
・連携適性:高
「そこまで分かるのか」
ガルが不服そうに鼻を鳴らした。
「いや、別に弱点突くつもりはないって」
言いながら、少しだけ笑う。
笑えるくらいには、まだ戻ってきている。
けれど、目の奥にはさっきのナイトが残っていた。
次は自分の武器にも向ける。
【天羽々斬】
・次解放条件:累計討伐数50体
「条件付きか」
振った回数じゃない。
倒した数で先へ進むらしい。
嫌になるくらい分かりやすい。
ベッドへ倒れ込む。
目を閉じても、スケルトンナイトの姿はすぐ出てきた。遅い初動、速い返し、硬い装甲。さっきは逃げ切れたが、あれは倒したわけじゃない。少し噛み合い方が悪ければ、門の手前で終わっていた。
「次は、あいつだな」
無茶をしても勝てない。
でも、昨日よりは見える。
眠気が落ちてくる直前、また表示が開いた。
【称号効果発動】
〈固有マスター級ダンジョン初〉
ダンジョン構造の一部情報を解放
「……は?」
脳内に簡易マップが流れ込む。
入口周辺、群生エリア、中層、高危険度。
ぼんやりしていたダンジョンの内部に、初めて“線”が引かれた。
「こんなのまであるのか」
便利すぎて気味が悪い。
でも、使わない理由もなかった。
どこまでが餌で、どこからが罠なのかは、まだ分からない。
ただ、最初みたいに何も知らないまま暗闇へ踏み込むことは、もうない。
翌朝、起きてすぐにマップを開いた。
やはり消えていない。入口周辺は低密度。少し奥に群生エリア。その先が中層。さらに奥はまだ曖昧だが、危険度が跳ね上がっている。
線で見えるぶん、逆に嫌だった。
昨日までは何がいるか分からなかった。
今は、嫌なものがちゃんとそこにあると分かる。
「……便利だな」
水を飲む。
水道水の冷たさが喉を落ちる。昨日より味が薄く感じた。たぶん、体のほうがもう別の空気を覚えている。
包帯の下の右目はまだ重い。けれど、戦えないほどじゃない。
ダンジョンへ入ると、空気の重さは相変わらずだった。
でも、昨日ほど喉は乾かない。怖くないわけじゃない。ただ、怖さの種類が変わった。
「怖くないわけじゃないけどな」
昨日みたいに何も分からないままじゃない。
最初のスケルトンを見つける。
詳細鑑定を重ねると、弱点も行動傾向もはっきり見えた。
振り下ろしの癖。足の運び。首の脆さ。
骨の継ぎ目まで、嫌に目につく。
見えるようになった、というより、隠れていたものを勝手に剥がされる感じに近い。
便利なのに、少し気味が悪い。
ガルが腕を止め、俺が首を断つ。
一体、二体、三体。
同じ流れで無駄なく落としていく。
「噛み合うな」
楽、というより噛み合う。
余計な読み違いが減ったぶん、手が勝手に次へ行く。
その速さに少しだけ、自分でも置いていかれそうになる。
ガルは俺より半拍早く動く。
こっちが斬る場所を空けるように、骨の腕や脚へ噛みつく。
言葉が通じているわけじゃない。
それでも、間だけは合っていた。
何体か落とすたびに、腕の重さが少しずつ変わっていく。
数字より先に、剣を返す速度で分かった。
そのまま群生エリアへ踏み込む。今度は六体。数だけなら厄介だが、役割を分ければ崩せる。
「ガル、左」
俺は右。
振り下ろし、横薙ぎ、突進気味の踏み込み。
骨の腕が上がるたびに、次の線が目に残る。
右側を片付けてから左へ合流し、最後の一体を挟み込んで落とす。
「囲ませるな」
息は荒いのに、視界はまだ潰れていない。
余計な力も入りすぎていない。
まだ余裕と呼べるほどではないが、少なくとも前みたいに足が止まることはなかった。
そう思った瞬間、マップの表示が変わる。
・特定個体:接近中
「……来たか」
重い足音。
スケルトンナイトが姿を現す。前と違って、今回は逃げる前提でここにいるわけじゃない。試すためにここまで来た。
それでも、喉の奥は少しだけ固くなる。
前に逃げた相手だ。
見えているからといって、嫌なものは嫌だった。
「試すぞ」
剣を握り直す。
怖さはまだある。でも、それ以上に、今の自分がどこまで通じるのか知りたかった。
スケルトンナイトは、前に見た時と同じ姿をしていた。
けれど、こっちが違う。
弱点も行動傾向も見えている。
何も分からないまま斬られる相手じゃない。
分かるぶんだけ余計に嫌なこともある。
二撃目が速いと知っているから、最初の一振りからもう落ち着かない。
【弱点:頸椎接合部(装甲隙間)】
【行動傾向:初動遅/二撃目高速/カウンター持ち】
「分かってても嫌な相手だな」
ガルが側面へ回る。
俺は正面で様子を見る。最初の振り下ろしは重いが遅い。外せる。問題はその次だ。
「来る」
剣が逆方向へ返ってくる。予想以上に速い。ぎりぎりで下がって避けると、空気を裂く音だけが頬を掠めた。皮膚が少しひりつく。
見えていても近い。
知っている攻撃なのに、余裕はなかった。
「二撃目、えぐいな」
正面からは嫌だ。
通すなら、あの隙間しかない。
見えているのに遠い。
それが腹立たしかった。
「ガル、頼む」
黒い影が横から飛ぶ。
ナイトの腕へ噛みつき、視線を奪う。その瞬間に背後へ回る。見えている隙間へ、全力で叩き込む。
——ギィンッ。
「浅い」
確かに入った。だが、骨を砕き切るには足りない。硬い。硬いが、まったく通らないわけじゃない。
刃先が滑る感触が、逆にいらつく。
もう少しで届くところにあるのに、そこだけ妙に遠い。
振り向きざまの一撃が飛ぶ。
受けるしかない。
衝撃で腕が痺れ、体が弾かれる。肺の空気が一瞬抜けた。それでも転がりながら視線だけは外さない。
視線を切ったら、次はもっと近くで来る気がした。
「っ……でも、通る」
ヒビは入った。
もう一回、あそこだ。
ガルがもう一度飛び込む。
今度は正面。
ナイトがそちらへ意識を寄せた一瞬、俺はあえて遅らせて動いた。振り下ろしを誘い、二撃目の軌道だけを外す。見えている未来をそのまま避けるんじゃなく、一度相手に振らせてから空ける。
「今だ」
空いた一拍に全力で踏み込む。
装甲の隙間へ、ヒビの走った場所へ、天羽々斬を叩き込む。
——バキィッ。
首が砕け、ナイトが崩れ落ちた。
しばらく動けなかった。
勝った実感より先に、全身から力が抜けていく。膝が笑う。指先までじんじんしていた。
終わった、と頭が思う前に、握っていた指が勝手にほどけかける。
【大量経験値を獲得】
【レベルアップ】
Lv5 → Lv8
【武器成長】
天羽々斬 Lv5 → Lv7
【報酬】
・スキル書:剣術Lv3
・骨鎧の欠片
・高濃度魔石
「……一気に来たな」
ガルの呼吸も荒い。それでも、目はまだ死んでいなかった。疲れていても、次へ行ける顔だ。
「やったな」
声をかけると、小さく鳴く。
息が荒い。
でも、さっきまでより前へ出やすかった。
勝てた、というより、やっと逃げずに済んだ感じのほうが近かった。
家へ戻ると、真っ先にスキル書へ手を伸ばした。
【剣術Lv3】
名前だけなら地味だが、今の俺にとってはどんなレア装備よりありがたい。力が上がるだけなら誤魔化しも効くが、技術がないままだと格上相手にはすぐ限界が来る。
「使うか」
本が光に変わって消えた直後、頭の中へ剣の動かし方が流れ込んできた。
力みの抜き方、踏み込みの角度、斬るための軸。
「……入るな」
頭より先に、腕のほうが分かる。
覚えたというより、前から少しだけ知っていた動きを思い出したみたいで妙だった。
外へ出て、軽くガルと向き合う。
「来るか」
ガルが飛び込んでくる。以前なら慌てていただろう速度を、今は少し冷静に見られた。半歩で外し、首元へ刃を添える。
「……違うな」
振ったあとが軽い。
止める、返す、もう一度出す。
今まで無理やり繋いでいたところが、少しだけ自然だった。
翌日、ダンジョンでその差はさらに大きく出た。
スケルトンを処理する速度が目に見えて上がる。ガルとの連携も自然だ。言葉にしなくても、どの瞬間にこっちが入ればいいか分かる場面が増えた。
「安定してきた」
そのまま中層手前まで踏み込み、敵を狩っていく。
倒すたび、腕と刃の戻りが少しずつ軽くなる。
問題は、そういう時ほど、その先に壁があることだった。
マップがまた嫌な反応を返す。
・特定個体:複数
「……二体か」
スケルトンナイトが二体。今までなら迷わず逃げていた数だ。けれど、一体を越えた今は少しだけ考えてしまう。勝てるか。ギリギリなら、それは進む意味があるか。
嫌だと思うより先に、どう崩すかが頭に浮く。
そこまで来てしまったことに、自分で少しだけ苦笑いしたくなった。
「……やる」
ここで引いたら、たぶん次も同じところで止まる。
ガルが一歩前へ出る。その動きに迷いはなかった。俺より先に答えを出しているような顔だ。
「片方を抑えろ。俺がもう片方を折る」
言い切ってから、少しだけ笑った。
まだ無茶だ。
でも、前みたいに何も見えないままじゃない。
怖さが消えたわけじゃない。
ただ、踏み込む先が少しだけ見える。
ナイトは二体。
ただ並んでいるだけじゃない。立ち位置が微妙にずれていて、どちらか一方に意識を寄せると、もう片方が死角へ回り込める形になっていた。
前衛役と追撃役。そういう分担が、見ただけで分かる。
「面倒だな」
詳細鑑定を走らせる。
片方は重撃主体。もう片方は刺突と追撃寄り。単体でも嫌なのに、それを組ませてあるのが露骨だった。
このダンジョンは、本当に性格が悪い。
「ガル、重い方を抑えろ」
短く声をかけると、ガルが低く唸って前へ出る。
俺は速い方を見る。先に落としたいのはこっちだ。けれど、焦って踏み込めば背後から重撃をもらう。
嫌な構図だった。見る場所が多い。
速い方だけ見てもだめで、重い方の足まで意識に引っかかる。
その面倒さが、この二体のいちばん嫌なところだった。
案の定、最初の突きは想像より速かった。
「っ」
頬を掠める。
冷たい感覚のあとで、じわっと熱が追いついてくる。浅い。だが、浅いだけで済んだのはたまたまだ。
間合いの取り方が、一体目とはまるで違う。
真正面から噛み合うと危ない。一度呼吸を整えて、無理に振らずに見る。
踏み込みの癖。戻りの速さ。肩が動く順番。
そして、もう一体が寄ってくるタイミング。
「……連携の軸は重い方か」
速い方が動けるのは、重い方が壁になっているからだ。
なら、先にあっちだ。
脇腹を浅く刺されるのを覚悟で前へ出る。
速い方が当然のように突きを伸ばしてくる。避け切れないと分かっていたから、半歩だけずらして威力を殺す。
痛みは走った。けれど、止まるほどじゃない。
刺さる瞬間だけ、腹の奥が冷えた。
分かっていても気分のいいものじゃない。
その一瞬、ガルが重撃型の腕に噛みつく。
動きが鈍る。
「そこだ」
首元へ、天羽々斬を叩き込む。
——バキィッ。
重撃型の頭骨が砕け、巨体が崩れた。
一体。
残った速い方がすぐに距離を詰めてくる。
さっきまでより殺意が濃い。だが、もう見えている。一度経験した速度は、二度目から少しだけ遅く感じる。
恐いことに変わりはない。
それでも、さっきの俺よりは冷静だった。
怖さが消えたわけじゃない。
ただ、今はその怖さに押されるより先に足が出る。
突きを流す。
返しが来る前に内側へ踏み込み、首へ斬り返す。
——ガシャッ。
二体目が崩れ、骨片が床へ転がった。
「はぁ……」
息が荒い。膝をつきかけて、どうにか踏みとどまる。
脇腹が痛む。頬も切れている。でも、生きている。
服の裂け目を押さえる。
血は滲んでいるが、深くはない。
頬も痛む。
でも、動く邪魔にはならない。
足は動く。体も、まだ動く。
それだけ分かれば、今は十分だった。
表示が連続して出る。
【レベルアップ】
Lv9 → Lv12
【武器成長】
天羽々斬 Lv8 → Lv10
数字より、体のほうが分かりやすかった。
腕が軽い。
脇腹は痛むのに、それでも前より動ける感じだけははっきりしていた。
「俺、ちゃんと強くなってるな」
呟くと、ガルが短く鼻を鳴らした。
こいつも傷はあるが、まだ立っている。ぼろぼろなのは同じだった。
奥には中層への境界が見えている。
少し嫌になる。
それでも、足は止まらなかった。
二体のナイトを越えた先で、空気が変わった。
重さというより、濃さが違う。息を吸った時に肺へ入ってくる感覚まで少し粘つく。
マップの表示も中層へ切り替わった。
境界をまたいだだけなのに、喉の奥に薄い膜が張るみたいだった。
「……濃いな」
境界を越えた直後、肌の上を冷たいものが這う。
気配を探すより先に、体が勝手に警戒していた。
考えるより前に肩が上がる。
その反応の速さだけで、前までと違う場所だと分かった。
最初に現れたのは、骨じゃない影だった。
輪郭が曖昧で、地面を滑るように近づいてくる。脚があるのかも分からない。ただ、近づいてくるという事実だけが妙にはっきりしていた。
【シャドウ】
・特性:実体不安定
・弱点:魔力/属性
「物理効きにくい系か」
嫌な予感は当たった。
剣だけで押し切れない相手が、中層の入口から出てくるらしい。
面倒だ。
でも、そういう面倒さが来るだろうとは思っていた。
四大属性オーブを、ようやくまともに使う場面だった。
火をイメージする。手の中に残っていたオーブの感触をなぞるように意識を寄せると、熱が集まる感覚があった。
最初はぎこちなかったが、手のひらの上に炎が灯る。
「……いける」
迫ってきたシャドウへ叩き込む。
影の輪郭が大きく揺らぎ、黒い膜みたいなものが剥がれる。
「効くな」
弱ったところへガルが噛みつき、俺が斬る。
実体が曖昧なままでも、崩れた瞬間だけは確かだった。一体目はそれで消えた。
だが、安心する間もなく次が現れる。
シャドウ二体と、その後ろにナイト一体。
「混成かよ」
中層は、嫌な並べ方をしてくる。
「ガル、ナイト頼む」
ガルが前へ出る。
俺は属性でシャドウを見る。火、水、少しずつ試してみると、通り方に差があるのが分かった。
火は分かりやすく削る。水は形を乱しやすい。土は少し鈍い。風は薄く裂けるが決め手にはなりにくい。
「やり方変えろってことか」
ただレベルを上げて殴るだけじゃ抜けられない。
剣を握る手より先に、呼吸のほうが変わっていた。
勝手に上へ行ける場所じゃない。
やり方まで変えろと、空気のほうから言われている感じがした。
シャドウを先に焼き切る。
残ったナイトへ、ガルが噛みついた横から俺が踏み込む。
処理の順番を間違えなければ、まだ崩せる。
戦いが終わる頃には、さっきまでの嫌な冷たさが少しだけ薄れていた。
敵そのものが消えたからじゃない。対処の仕方が一つ増えたからだ。
不快だ。
でも、そのまま帰る気にもならなかった。
中層へ入ってからは、単体の強敵より混成戦のほうが厄介だった。
シャドウは属性を使わないとまともに通らない。
ナイトは相変わらず正面からやり合いたくない。
片方に意識を割けば、もう片方が刺さる。
雑に強い相手より、こういう敵のほうが神経を削る。
考える時間があるようでない。
順番を一つ間違えるだけで、すぐ噛み合わなくなるのが面倒だった。
「順番が大事だな」
口に出すと、それだけで少し頭が整理された。
ガルにはナイトを引いてもらう。俺はシャドウを火と水で崩して先に落とす。
今は、それがいちばんましだった。
属性を使う感覚にも、ようやく少しずつ慣れてきた。
火は分かりやすい。焼いて削る力が強い。
水は刃みたいに切るというより、圧として形を崩すといい。
どちらも、ただ出すだけじゃ意味がない。当て方と重ね方がある。
火だけだと残る。
水だけだと散り切らない。
中途半端に当てると、逆に近づかれる。
シャドウ二体が左右から滑り込んでくる。
まず火で片方を削る。完全には消えないが、輪郭が薄くなる。
そこへ水を重ねると、ぐしゃりと形が崩れた。
「よし」
残る一体はガルの背後を狙っていた。
横から風を混ぜて軌道をずらし、火を叩き込む。消えるまでの手順が、少しずつ自分の中で固まっていく。
遅れたらガルが刺される。
その一拍だけで、肩のあたりが嫌に冷えた。
その間、ナイトがガルへ剣を振り下ろす。
重い音が鳴る。受けきれない。だが、そこで止まった。
十分だ。背後を取る。
首元へ、天羽々斬を叩きつける。
骨の砕ける音が響いて、ようやく場が静かになった。
前より噛み合う。
運だけで抜けた感じじゃなかった。
表示が出る。
【レベルアップ】
Lv12 → Lv14
【武器成長】
天羽々斬 Lv10 → Lv12
「属性も使えるようになってきたな」
呟きながら手を開く。
さっきまで集めていた熱も水圧も、もう消えている。けれど、一度使った感覚は体のどこかに残っていた。
指先に、まだ少しだけ熱の名残が引っかかっている。
水の重さも、完全には抜けない。
嫌な場所だ。
でも、考えたぶんだけ通る感じはあった。
さらに奥へ進むと、今度は四足の大型個体が現れた。
黒い装甲みたいな皮膚を持つイノシシ型。骨や影とは違う、生き物じみた圧がある。
姿を見た瞬間に、本能のほうが先に嫌がった。
【アーマーボア】
・特性:突進特化/防御特化
・弱点:側面・足関節
しかもその後ろにシャドウまでついている。
「盛りすぎだろ」
思わず口から漏れた。
真正面からやる相手じゃない。
正面からの突進は避けるしかない。
当たれば終わる。
最初の踏み込みで床が沈み、次の瞬間にはもう目の前まで来ていた。
「っ……!」
横へ飛ぶ。
風圧だけで体が持っていかれそうになる。直後、背後の地面が大きく抉れた。
まともに受けていたら骨ごと終わっていたと思うと、背中が冷えた。
速いとか重いとか、そういう言い方で済ませたくない。
生き物のくせに、まっすぐ潰しに来る感じがひたすら不快だった。
属性を組み合わせる。
土で進路をずらし、風で後ろのシャドウを裂く。全部を一度に処理する余裕はない。なら、せめて邪魔だけでも減らす。
ガルが側面へ回る。
「足を崩すぞ」
弱点表示は足関節。
正面の装甲は硬い。なら、同じ場所へ重ねるしかない。
アーマーボアが再び向きを変える。
速い。巨体のくせに動きが鈍くないのが腹立たしい。
ガルが横から飛びつき、ほんの一瞬だけ頭がぶれる。
その隙に関節へ斬り込む。
浅い。
だが、入らないわけじゃない。
刃が弾かれるたび、手首の奥が痺れる。
それでも、まるで通らないよりはずっとましだった。
「もう一回」
次の突進を半歩で外し、同じ足を狙う。
硬い。手応えが鈍い。それでも、同じ場所へ重ねれば少しずつ通る。
途中でシャドウが寄ってきて、集中が散りかける。風を雑に放って追い払うしかなかった。
何度か足を潰して体勢を崩したあと、巨体が大きく傾く。
その瞬間だけ、首元の装甲が甘くなった。
「もらう」
全力で踏み込み、天羽々斬を叩き込む。
巨大な体が沈む。
床が震え、遅れて静けさが戻ってきた。
すぐには動けなかった。
止まったと分かってから、遅れて足の力が抜ける。
静かになってから、ようやく肩の力が抜けた。
自分でも思っていた以上に、ずっと息を詰めていたらしい。
【レベルアップ】
Lv14 → Lv17
【武器成長】
天羽々斬 Lv12 → Lv15
表示のあと、ドロップが散る。
その中に身体強化のスキル書が混じっているのを見つけて、少しだけ口元が緩んだ。
「……出るのかよ」
死にかけたあとに当たりを寄こしてくる。
そういう露骨さは、少し腹立たしいのに目を逸らしにくかった。
身体強化のスキル書を使った瞬間、全身の感覚が少し変わった。
筋肉が増えたとか、露骨な変化じゃない。むしろ見た目は何も変わっていないはずなのに、体の中だけが少し組み直されたみたいな感覚だった。
骨の位置がほんの少しだけ収まりのいい場所へずれたような、妙な気味悪さがある。
重心がまとまりやすい。
踏み込みのあとにぶれない。
剣を振り終えた時の戻りも速い。
そういう、小さいけれど戦闘では大きい差が一気に増えた。
「……悪くねぇな」
軽くガルと動きを合わせるだけでも分かる。
反応も剣速も、一段階上がった。足を止めずに次の動作へ繋げやすい。
今まで無理やり繋いでいた部分が、少し自然になる。
半歩ぶんだけ、置いていかれなくなった感じがした。
ダンジョンに入ってからは、その差がさらにはっきり出た。
シャドウもスケルトンも、処理が一手早い。
中層で消耗する前に数を削れるようになった。
余裕と呼べるほどじゃない。けれど、前より明らかに立ち回りやすい。
「これなら……」
口にしかけてやめる。
楽観はしたくなかった。
このダンジョンは、少し調子に乗るとすぐ上を出してくる。
実際、マップの奥に高危険度の表示が出た。
他の敵とは色が違う。見ただけで分かるくらい露骨だった。
視線がそこへ引っ張られる。
見なかったことにするには、色が濃すぎた。
「ボス級か」
中層の終点。
たぶん、ここまでの相手とは比べものにならない。
少しだけ立ち止まる。
疲労がないわけじゃない。ガルも連戦で傷が増えている。
引き返す理由なら、それなりにある。
でも、足は後ろへ向かなかった。
ここまで積んできたものを試すなら、たぶん今だ。
まだ足りないなら、そのまま叩き返されるだけだ。
それを確かめること自体は、もうそんなに怖くなかった。
怖くないというより、止まって考えるほうが鬱陶しかった。
奥にいる何かを放って家へ帰っても、たぶん落ち着かない。
だったら見に行ったほうが早い。
「行くぞ、ガル」
短く呼ぶと、ガルが当然みたいに隣へ並ぶ。
そのまま、危険度表示のある奥へ歩き出した。
中層最奥へ進むにつれて、敵の気配が逆に薄れていった。
逃げているというより、中央へ寄せられているみたいだった。雑魚すら近づけない場所が前にある、そんな感覚だけがじわじわ強くなる。
広い空間に出る。
床も壁も黒ずんでいて、中央だけが妙に空いていた。
そこにいたのは、巨大な黒鎧の騎士だった。
【黒鎧騎士 Lv1200】
・特性:魔力装甲/再生(微)
・弱点:未解析 → コア依存
「……格上だな」
言った瞬間には、もう来ていた。
最初の一撃は見えないくらい速かった。
慌てて剣を合わせても、衝撃で腕が痺れる。まともに受けたら潰される。
ただ硬いだけじゃない。速さまで別格だった。
見えなかった、で済ませたくない。
目で追う前に懐へ入られていた感じが、腹立たしいくらい嫌だった。
正面から削るのも無理。
最初の数合で、それは嫌というほど分かった。
斬っても浅い。火を入れても表面が揺れるだけ。しかも微弱とはいえ再生まである。
通った感触がほとんど残らない。
こっちだけが削れていく感じがして、落ち着かなかった。
「どうなってんだよ」
舌打ちしたくなるのを抑えながら、詳細鑑定を重ねる。
見る。避ける。見る。避ける。
それを繰り返すうちに、装甲の理屈が少しずつ見えてきた。
一定以上の衝撃を、連続で重ねる。
そうして外殻を剥がし、その内側のコアを叩く。
正面突破じゃない。
一枚ずつ剥がさないと届かない。
「面倒すぎるだろ」
でも、やるしかない。
火で削る。水で押す。土で止める。風で裂く。
四属性を順番に重ねるたび、黒鎧の表面にわずかな歪みが出る。
一回では足りない。二回でも足りない。何度も同じように積んで、ようやく鎧にヒビが入った。
通っているのかどうか分からない時間が長い。
それでも、止めるほうが嫌だった。
その間に何度も吹き飛ばされた。
腕は痛いし、呼吸も荒い。ガルも正面からの圧に押されている。
それでも、ヒビが入った瞬間だけは、はっきり希望が見えた。
ほんの少しなのに、その線だけやけに明るく見える。
「通れ」
次で決めるしかない。
そう思ったタイミングで、ガルが黒鎧の腕へ食らいついた。
一瞬だけ動きが止まる。
その一瞬に賭ける。
露出した赤い核へ、天羽々斬を叩き込む。
硬い感触のあと、内側から割れる音がした。
砕けた瞬間、黒鎧は一気に崩れた。
【討伐】
中層ボス撃破
【報酬】
・職業進化権
・スキル進化権
・中層制覇ボーナス
「……報酬まで重いな」
息は上がっているのに、気分だけは妙に静かだった。
勝った実感が薄いというより、まだこの先がある感じのほうが強い。
中層まで来た。
たぶん、今までとはまた違う場所へ進める。
それでも、胸の奥は緩みきらなかった。
静かなのに、まだ奥から引っ張られている感じだけが抜けない。




