怒りと代償
「その下品な口を閉じなさい……! さもなければ縫い付けるわよ……!」
夜会会場に、グラシエラの声が響く。
低く鋭く、氷のように冷たい声……まるで氷のナイフのような声である。
グラシエラはヘーゼルの目をキッと吊り上げ、レアル伯爵を睨んでいた。
グラシエラの隣にいるアルヴァロは、驚いたようにサファイアの目を見開いている。
レアル伯爵はグラシエラの言葉に一瞬驚くも、再び下品な笑みに戻る。
「ほう……。私は事実を言ったまでだ」
グラシエラの言葉はレアル伯爵に全く響いていない。
「事実? 調べようともせずよくもそれが事実だと言えるわね」
それはレアル伯爵に対してだけでなく、周囲にも向けた言葉である。
窓の外の夜空はすっかり分厚い雲で覆われて、星々の輝きは見えなくなってしまう。
「マファルダの妹は存外下品なようだな」
「何とでも言いなさい! 私から見たら、貴方の方が相当下品よ!」
グラシエラは怯むことなく、レアル伯爵を睨んでいる。
雷のように激しい口調である。
窓の外は、ポツリポツリと雨が降り出していた。雨はどんどん強まっている。
「それに、私は知っているわ。貴方が王宮図書館で、五年前の『王宮殺人事件』の資料を破いていたことを。これは貴方が事件に関わっているということになるのではないかしら?」
グラシエラは挑発的な口調である。
気が付けば口が勝手にそう言っていたのだ。
「グラシエラ嬢……!」
アルヴァロはギョッとした様子だ。
まさかグラシエラがここでそのことを言うとは思っていなかったらしい。
「ほう……」
レアル伯爵は余裕そうな表情で腕を組む。
「全く身に覚えがないが、それはいつの話かな?」
勝ち誇ったような、グラシエラとアルヴァロを蔑むような表情のレアル伯爵だ。
「二週間前よ。レアル伯爵、王宮図書館で五年前の『王宮殺人事件』を破いているところを、私はこの目で見たわ」
「それはおかしいな。二週間前、私は王宮図書館には来ていない」
レアル伯爵は相変わらず余裕そうに、ニヤリと口角を上げた。
「嘘よ!」
思わず声を荒らげるグラシエラ。
確かにこの目でレアル伯爵が『王宮殺人事件』の資料を破る姿を見ているのだ。
「嘘を言っているのはグラシエラの方だろう。流石は殺人犯の妹だ」
勝ち誇ったような、蔑むような表情のレアル伯爵。
「マファルダお姉様は殺人犯ではないわ!」
その言葉に、グラシエラは再び雷のように激しい口調になる。
「グラシエラ嬢、落ち着くんだ」
アルヴァロは少し焦ったようにグラシエラを窘めている。
そのお陰で、グラシエラは少しだけ冷静さを取り戻した。
周囲はグラシエラ達に対して冷たい事件を向けていたり、嘲笑していた。
(やってしまったわ……。感情的になったら負けだとアルヴァロ様から言われていたのに……)
グラシエラは俯いた。
アルヴァロはグラシエラを庇うように立ち、レアル伯爵に冷たい視線を向けた。
「レアル伯爵、僕も貴方が二週間前、王宮図書館にいたことを知っている。『王宮殺人事件』の資料を破いたことも」
淡々とした口調のアルヴァロである。
「まさか二人揃って私を陥れようとするとは。でも、随分とお粗末な嘘だな」
グラシエラとアルヴァロを見下すように声を上げて大笑いするレアル伯爵である。
「確かに、粗末な嘘だな」
そこへ、別の者の声が響き渡る。
凛として、威厳のある声だ。
グラシエラ達の前に、とある人物が現れる。
彫刻のような美しい顔立ち。そして、星の光に染まったようなアッシュブロンドの髪にアメジストのような紫の目。
(嘘……!? どうして王太子殿下が……!?)
グラシエラはヘーゼルの目を大きく見開いた。
グラシエラ達の前に現れたのは、今年二十四歳になるグロートロップ王国の王太子、ベルナルド・カルロス・デ・アヴィスである。
その髪色と目の色は、アヴィス王家特有のものだ。
「これはこれは、ベルナルド王太子殿下」
レアル伯爵は仰々しく大袈裟な口調である。
そして、まるで強力な味方が現れたかのように勝ち誇った表情になっていた。
「王太子殿下……!?」
アルヴァロは驚いたような、戸惑ったような口調になっている。
恐らくグラシエラと同じように、ベルナルドが現れるとは思っていなかったのだろう。
「さて、お前達」
ベルナルドのアメジストの目がグラシエラとアルヴァロに向けられる。
まるで二人を責め立てるような目付きである。
グラシエラは王族から向けられたその眼差しに、少しだけ怯んでしまう。
(王太子殿下……一体どういうつもりなの……?)
不安で震える手を、背に隠しギュッと握りしめた。
チラリとアルヴァロの方を見ると、彼は警戒したような表情だった。
「レアル伯爵が二週間前、王宮図書館にいたと言ったな」
どこか無機質で、威圧的な口調のベルナルド。
グラシエラは逃げ出さずにしっかりと頷く。
「ええ」
その声は、少しだけ震えていた。しかし、ヘーゼルの目はしっかりとベルナルドに向けている。
「僕達はレアル伯爵が王宮図書館にいたことを、この目でしっかりと見ました。『王宮殺人事件』の資料を破くところも。嘘を申し上げているのではありません」
アルヴァロはそう付け足してくれた。
堂々とした口調である。
グラシエラは緊張と不安の中、そんなアルヴァロが頼もしいと感じた。
しかし、ベルナルドはやや不快そうに眉間に皺を寄せた。
「それはありえぬことだな。レアル伯爵は二週間前、私と一緒に隣国であるニサップ王国の国境付近を共に視察していたのだから」
「え……!?」
グラシエラはベルナルドの言葉にヘーゼルの目を再び大きく見開いた。
(そんなはずはないわ……! どうして……!?)
「ニサップ王国との国境から王都ソビラまでは馬車で十日程かかる。この私がどうやって王宮図書館に行けると?」
勝ち誇ったような表情でグラシエラとアルヴァロを見下す口調のレアル伯爵。
「……レアル伯爵がニサップ王国との国境にいたこと自体が嘘なのでは?」
アルヴァロは眉間に皺を寄せながらそう言った。
すると鋭い声が響き渡る。
「お前達は王族である私を疑うというのか。国家反逆の意思があるように感じられるな」
「そんな、国家反逆だなんて……!」
グラシエラは思わずその言葉に怯んでしまう。
(どうしてこうなるのかしら……? 私はただ、これ以上傷付くアルヴァロ様を見たくなかったし、マファルダお姉様の無実を証明したいだけなのに……)
グラシエラの胸の中に、悔しさが溢れ出す。
チラリとアルヴァロを見ると、彼は眉間に皺を寄せたまま唇を噛み締めていた。
国家反逆を持ち出されたら、アルヴァロも何も出来なくなってしまう。
「アルヴァロにグラシエラ。よくも公然の場で私を貶めようとしてくれたな。これは名誉毀損だ。君達はどう責任を取るのかな?」
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべているレアル伯爵。
グラシエラの胸の中に、更に悔しさが増す。
「本当に、レアル伯爵の言う通りだ。レアル伯爵を陥れようとするなど、言語道断。それに、五年前のもう終わった事件を蒸し返すな」
ベルナルドは有無を言わさぬ口調だった。そして言葉を続ける。
「王家主催の夜会でこのような騒ぎを起こしたお前達には罰が必要だな」
ベルナルドの冷たい声が響く。
(罰……。王太子殿下は一体何をなさるつもりなの……?)
不安と警戒心でいっぱいのグラシエラだ。
「おやめになってください」
そこへ、澄んだ柔らかな声が響いた。
グラシエラはハッとし、声の方に目を向ける。
そこには真っ直ぐ伸びたストロベリーブロンドの髪にマラカイトのような緑の目を持つ人物がいた。
今咲いたばかりの白い百合の花のような、楚々とした艶やかさがある女性である。
「王太子妃殿下……」
グラシエラは思わず口を開いていた。
イゾルダ・ファティマ・デ・アヴィス。
ベルナルドの妻で、今年二十二歳になるグロートロップ王国王太子妃だ。
そして、アルヴァロの兄ペドロの元婚約者でレアル伯爵の実の娘でもある。
「ベルナルド様もお父様も、この二人に罰を与えるなど恐ろしいことはおやめなってください」
イゾルダは天使のような声でベルナルドとレアル伯爵に懇願する。
「イゾルダ……。でも君は五年前の件で」
「良いのです、ベルナルド様。私さえ我慢すれば」
ベルナルドは心配そうにイソルダに何か言おうとしたが、イゾルダがそれをやんわりと止めた。
「何と……! 我が娘はこんな碌でなし達のことも庇うのか。何て優しいんだ……!」
レアル伯爵はこれでもかと言うくらい大袈裟にイゾルダのことを褒め称えた。
イゾルダの視線が、グラシエラとアルヴァロに向けられる。
「これは私のわがままであることは十分承知しているわ。でも、私はただ穏やかに暮らしたいの。五年前のことは色々とショックだったから……思い出したくないのよ。でも、マファルダ様やペドロのことを考えるお二方からしたら、きっと許せないのよね。私が我慢すれば良いのよね……」
イゾルダはマラカイトの目に涙を溜めていた。しかし、涙を零さないよう必死に耐えているようだった。
「いえ、王太子妃殿下……そんなことは……」
そのような姿を見せられてしまい、グラシエラは言葉に詰まってしまう。
「まあ……イゾルダ王太子妃殿下が……」
「王太子妃殿下が我慢する必要などないと思うが」
「イゾルダ王太子妃殿下は被害者ですわ」
「五年前の『王宮殺人事件』でショックを受けただろうに、あんなに健気で……」
「そんな王太子妃殿下の傷を掘り返すなんて」
「アルヴァロもグラシエラも本当に碌でなしだな」
「流石は浮気男ペドロの弟と殺人犯マファルダの妹だ」
イゾルダが涙を堪える姿は、思わず誰もが守らなければと思ってしまう程である。
周囲の者達は、皆イゾルダに同情していた。そして、グラシエラとアルヴァロに厳しい目を向けている。
「グラシエラ嬢」
そっと耳元で、アルヴァロが囁く。
その声は少し厳しいものであった。
「今は引くんだ。もう情報を引き出すことは出来ない。それに、僕達の立場は今回の件でかなり悪くなっているだろう」
グラシエラは再び周囲を確認する。
冷たく厳しく、中には殺意を含んだような視線が、グラシエラとアルヴァロに向けられていた。
「……申し訳ございません、アルヴァロ様」
グラシエラは肩を落とした。
感情的になり、怒りを露わにしてしまったグラシエラ。
その代償は、大きいものであった。
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