針の筵の社交界
イゾルダの計らいにより、グラシエラとアルヴァロはお咎めなしという形になった。
しかし、その後の夜会で二人は冷たい視線や悪意に晒されることになる。
「ご覧になって。グラシエラとアルヴァロ。『王宮殺人事件』の犯人マファルダの妹とイゾルダ王太子妃殿下を裏切ったペドロの弟よ」
「さっきレアル伯爵閣下に思いっ切り喧嘩を売っていたな」
「恥知らずにも程がありますわ」
グラシエラとアルヴァロに向けられた侮蔑の視線や嘲笑。
今まで以上にグラシエラとアルヴァロの立場は悪くなっている。
侮蔑の視線や嘲笑により疲弊したグラシエラが、会場から離れて休憩室へ向かおうとした時のこと。
突然背中が冷たい感覚になった。
(何……!?)
グラシエラは驚き後ろを振り向く。
すると、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべているグラシエラと同じくらいの年齢の令嬢達がいた。
リーダー格の令嬢は空のグラスを傾けていた。
どうやら飲み物をグラシエラにかけたらしい。
「染み付きの粗末なドレス、殺人犯の妹にお似合いよ」
リーダー格の令嬢は腕を組みクスクスと嘲笑している。周囲の令嬢も同じ反応である。
『……ドレスも髪飾りも、贈った甲斐があった』
不意に、この夜会に向かう途中のアルヴァロの言葉が蘇った。
(アルヴァロ様が贈ってくださったドレスが……!)
グラシエラはヘーゼルの目を鋭くし、令嬢達を睨む。
「あら、睨まれたわ。私、何も悪いことはしていないのに」
リーダー格の令嬢がそう言う。
「他人のドレスに飲み物をかけてはいけないということは習わなかったのでしょうか?」
グラシエラは毅然とした口調である。
「だって王太子妃殿下のお父様であられるレアル伯爵閣下に冤罪をかけようとした悪人よ」
「悪人には何をしても良いでしょう」
「というか、イゾルダ王太子妃殿下を悲しませたのだから、当然の報いよ」
「貴女もマファルダと同じように死んでしまえば良いのに」
「まあ、それって素敵ね」
令嬢達の心ない言葉に、グラシエラは拳をギュッと握りしめた。
(事実を自分で調べようともせずに……!)
グラシエラは今にでも令嬢達を殴りたいと思った。
(でも、このようなくだらない方々の為に時間を使うなんて、もったいないわ)
グラシエラは深呼吸をし、怒りを落ち着けた。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
「グラシエラ嬢、そのドレスの背中に赤い染みが……!」
アルヴァロは驚いたような、ショックを受けたような声だ。
「ええ。先程背後から飲み物をかけられてしまいましたわ。せっかく贈ってくださったドレスですのに、申し訳ございません」
グラシエラは少し沈んだ声になった。
「君も悪意ある奴らに絡まれたのか」
「と言うことは、アルヴァロ様も……?」
「まあ……」
アルヴァロはフッと苦笑した。
令嬢達に絡まれた後、しばらくしてグラシエラはアルヴァロと合流した。
どうやらアルヴァロも心ない輩に絡まれたようだ。
「グラシエラ嬢、感情的になったら負けだと言ったはずだ」
アルヴァロはやや険しい表情で軽くため息をついた。
「申し訳ございません……」
グラシエラは視線を床に向け、肩を落とす。
「……あれ以上レアル伯爵にアルヴァロ様やアルヴァロ様のお兄様であられるペドロ様、マリャル侯爵家のことを悪く言われるのが耐えられなかったのです」
「そう……だったのか」
アルヴァロの声は、思ったよりも柔らかくなった。
グラシエラは恐る恐る顔を上げる。
アルヴァロは、驚いたようにサファイアの目を見開いていた。
「君は……僕の為に怒ってくれたのか」
アルヴァをはグラシエラから視線をそらし、少し表情を和らげた。
「ええ、まあ……。ですが、五年前の事件の真相を調べるのは……難しくなってしまいましたわ。申し訳ございません」
グラシエラは再び視線を床に落とす。
(アルヴァロ様と私は、五年前の事件の真相を解明する為の関係。それが難しくなったら、もうこの婚約は……)
偽とはいえ、グラシエラはアルヴァロと婚約している。
自分達は偽りの婚約者。
いずれ婚約を解消することは分かっていても、グラシエラはいつの間にかそれが少し寂しいと思ってしまった。
(でも、私が感情的になって真相解明のチャンスを捨ててしまったようなものね)
グラシエラは自嘲した。
「アルヴァロ様、五年前の真相を調べるのが難しくなった以上、私達は婚約解消した方がよろしいかと思います」
グラシエラはせめて自分からこの関係を終わらせようとした。その声は、少しだけ震えていた。
しかし、アルヴァロからは予想外の言葉が返って来る。
「いや、まだ君とは婚約解消するつもりはない」
「え……!?」
グラシエラはヘーゼルの目を大きく見開いた。
まさかそんなことを言われるとは思ってもいなかった。
アルヴァロのサファイアの目は真っ直ぐグラシエラに向けられており、グラシエラは思わず視線をそらしてしまった。
「……どうしてですか?」
「……まだ、君と一緒の方が真相を調べやすいと思っているからだ。一人よりも、二人の方が良いだろう。それに、君も今婚約解消すれば、メゼネス伯爵家のご家族がいるとしても、針の筵の社交界で一人で戦わなければならないだろう?」
「それは……」
確かにアルヴァロの言う通りだった。
「一人より、二人の方が心強い」
頭上から、アルヴァロの優しげな声が降って来る。
グラシエラは思わず顔を上げた。
アルヴァロのサファイアの目はどこか優しく、口角も穏やかに上げられている。
「アルヴァロ様……ありがとうございます」
グラシエラはホッと胸を撫で下ろし、自然と表情が和らいだ。
少しだけ、鼓動が速くなる。
胸の内から、温かいものが込み上げて来た。
(私にとって、社交界は確かに針の筵。でも……アルヴァロ様が隣にいてくれたら……心強いわ……)
まだアルヴァロの側にいることが出来る。
その事実が嬉しかった。
窓の外の雨は、止んでいた。
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しかし、やはり今の社交界はグラシエラとアルヴァロにとって針の筵である。
それは、グラシエラとアルヴァロがとある家の夜会に出席した時のこと。
社交界での立場がどん底と言っても過言ではないグラシエラとアルヴァロは、一旦夜会などには参加しないようにしていた。
しかし、この夜会の招待状には、『参加しなければマリャル侯爵家及びメゼネス伯爵家に不利益を被らせる』と書いてあったのだ。実質脅迫である。
グラシエラとアルヴァロは参加せざるを得なかった。
どんよりと雲がかかり、星が見えない夜。
グラシエラはアルヴァロと共に、マリャル侯爵家の馬車に乗り、夜会会場へ向かう。
アルヴァロはチラリと会場に冷たい目を向け、グラシエラに手を差し出した。
「グラシエラ嬢……入ろうか」
グラシエラに向けるサファイアの目は、先程会場へ向けた目とは違い、優しさがあった。
声も柔らかい。
「……はい」
硬い表情のグラシエラだが、アルヴァロのその目を見て少しだけ口角を上げた。
「あら、来たわよ。五年前の『王宮殺人事件』の犯人マファルダの妹グラシエラと、イゾルダ王太子妃殿下を裏切った浮気者ペドロの弟アルヴァロが」
「ペドロの浮気相手だったフロールの関係者も、ピント男爵家が取り潰されてなければ呼んでやったのに」
「それも面白そうね」
「ついでにマリャル侯爵家も取り潰されたら良かったのにな」
「メゼネス伯爵家は……どうなのかしらね?」
夜会参加者は、グラシエラとアルヴァロが会場入りしたのを見て、ニヤニヤと下品な笑みで囀っている。
グラシエラは思わず拳をギュッと握りしめるが、怒りを我慢して毅然とした態度で少しだけ口角を上げた。
(このくらい、以前の夜会でもあったじゃない。感情的になったら負けよ)
淑女らしく、品の良い笑みである。
「まあ、このくらいは予想通りだね」
「ええ、そうですわね」
品の良い笑みのまま、アルヴァロの言葉に頷いた。
アルヴァロは好き勝手囀る者達に冷たい視線を向けていた。
グラシエラはふとアルヴァロが自身に向ける視線について思い出した。
先程会場入りする時も、以前の夜会でも、グラシエラに向けられるアルヴァロのサファイアの目は、優しい者であった。
(アルヴァロ様のその冷たい目は……私には向けられたことがないわね……)
その事実に、グラシエラは少し安心した。
「今日もいつも通りに過ごしましょう」
グラシエラは凛とした淑女の笑みを、アルヴァロに向けた。
アルヴァロは一瞬サファイアの目を見開くも、すぐに優しい目つきに戻る。
「ああ」
どこか嬉しそうな表情のアルヴァロだった。
(アルヴァロ様が隣にいるのなら、心強いわ)
グラシエラは凛とした表情で前を向いた。
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