冤罪
「まあ、グラシエラ様。この前の背中に真っ赤な染みが付いた素敵な青いドレスはどうなさったの?」
「貴女には染み付きドレスがお似合いなのに」
「五年前の『王宮殺人事件』の犯人の妹が夜会に何の用かしら?
「もしかして、誰かの命を奪うおつもり? やだ、怖いわぁ」
「アルヴァロ殿、やはり婚約者以外に目当ての令嬢がいるから夜会に参加を?」
「流石はマリャル侯爵家。兄弟揃って節操なしですな」
「ペドロも紳士教育の失敗作だし、アルヴァロも失敗作の可能性があるな」
「アルヴァロ殿、浮気生活はいかがです? 『王宮殺人事件』で殺されたペドロの二の舞にならないと良いですね」
グラシエラとアルヴァロは壁際で、時々来る嫌味を躱しながら二人で過ごしていた。
壁際には、オレンジ色のブーゲンビリアが飾られている。
「これも予想通りだ」
「そうですわね」
嫌味を言う者達が立ち去って、グラシエラとアルヴァロは苦笑している。
ようやく落ち着ける空気になり、グラシエラは少しだけ肩の力を抜いた。
落ち着けるようになったのはアルヴァロも同じのようで、表情が柔らかくなっていた。
「もう慣れてしまいましたわ」
「本来は慣れるべきではないのだろうけど」
グラシエラとアルヴァロは互いに顔を見合わせて、飲み物を飲む。
「パイナップルのソーダ……もうすっかり初夏ですのね」
強い甘みと爽やかな酸味が、シュワシュワとした炭酸と共に口の中に広がった。
「そうだね。グラシエラ嬢の好物の桃も、そろそろ出回っている頃だ」
「覚えていてくださったのですね。私の好物が桃だということを」
グラシエラはヘーゼルの目を見開いた。
以前、王家主催の夜会でアルヴァロに桃が好物だと話したのだ。
あの後レアル伯爵との騒動があったので、まさか覚えていてくれたとは思わなかったグラシエラである。
「まあ……グラシエラ嬢は僕の婚約者だからね」
アルヴァロは、少しだけサファイアの目をグラシエラからそらした。
何を考えているか分からないミステリアスな表情だが、その声はやはりどこか甘く優しげである。
グラシエラにとって、社交界は相変わらず針の筵だ。
しかし、隣にアルヴァロがいることで、少しだけ心が明るくなるのであった。
(でも、私達の関係は、五年前の『王宮殺人事件』の真相を解明するまでなのよね……)
その事実に、グラシエラはほんの少しだけ切なくなる。
(私達は偽の婚約者同士。分かりきっているじゃないの)
グラシエラはヘーゼルの目を伏せた。
このどうしようもない気持ちを抱えながらも、この夜会を乗り切ろうと思うグラシエラであった。
しかし、この夜会では予想していなかったことが起こる。
会場中央でとある令嬢の叫び声が聞こえたのだ。
「きゃあ! ないわ!」
この夜会を主催した家の令嬢の叫び声である。キンキンと甲高い声だ。
「どうかなさったの? 何がないの?」
令嬢の友人らしき者は、心配そうな声である。
「私のブローチはどこ!? お気に入りなのよ!」
「まあ、ブローチが……!」
「私のお気に入りのブローチが、誰かに盗まれたわ!」
令嬢はそう騒ぐ。
「盗まれただと……!?」
「夜会に盗人が紛れ込むなんて、物騒ね……!」
夜会参加者はそう騒めく。
「まあ、大変ね。貴女のブローチが盗まれただなんて!」
「私、ショックだわ! 絶対に犯人を見つけ出して復讐してやるのだから!」
令嬢は相変わらずキンキン声である。
「盗まれた……か。警備は厳重だし、外部からの侵入者はいないはずだよな?」
「途中で帰った人は?」
「いないはずですわ」
「あの令嬢に近付く者は、友人以外でいたか?」
「うーん……それは分からない」
「え! 俺じゃないぞ! 俺はずっと会場にいたし、ブローチの持ち主の令嬢にも近付いていないぞ!」
「私もよ。彼とずっと一緒だったから、お互い証人になれるわ」
会場は令嬢のブローチを盗んだ犯人を探す空気になった。
会場内に色々な疑いが生じ、一気に空気は悪くなる。
「ブローチが盗まれた……か」
「単なる誤解や勘違いという結果なら良いのですが……」
壁際にいるアルヴァロとグラシエラは、やや硬い表情で会場中央を見ている。
「皆様、一旦落ち着いてください。我が王都の屋敷警備も厳重で、侵入者や先に帰った人はおりません」
夜会参加者の一人の声が響く。
どうやら主催者らしい。
「ということは……ご令嬢のブローチを盗んだ犯人はやはりこの会場の中に……!」
「ええ、そういうことになります。だから、皆の持ち物を全て調べたら解決するはずです。きっと我が娘の大切なブローチが見つかる」
「流石ですわ、お父様!」
堂々とした声に、ブローチを盗まれた令嬢や会場の者達は安堵する。
「では、これから夜会参加者の持ち物を調べましょう!」
その言葉により、持ち物検査が始まった。
しかし、グラシエラは様子がおかしいことに気付く。
どういうわけか、真っ先に自分達の所に持ち物を調べる者達がわらわらと大勢やって来たのだ。
(何かしら……?)
グラシエラは少し警戒した。
壁際に飾ってあったオレンジ色のブーゲンビリアの花弁が、音もなく一枚落ちる。
ブーゲンビリアの花の一部が、萎れていた。
何となく、嫌な予感がしたのだ。
チラリと隣にいるアルヴァロに目を向けると、彼も警戒心を露わにしていた。
グラシエラは一歩アルヴァロに近付いた。
「まずはお前達から調べるぞ」
有無を言わせない命令口調の男である。
そしてグラシエラとアルヴァロは数人に取り押さえられる形で跪く体勢にさせられた。
「ちょっと、何でこんなことするのよ! 離しなさい!」
グラシエラはキッとヘーゼルの目を鋭くし、自身を取り押さえる男達を睨みつける。
しかし、声は震えていた。
自分よりも体格の良い男達に取り押さえられることは恐怖である。
「持ち物を調べるだけならここまでする必要はあるのか?」
グラシエラと同じように取り押さえられているアルヴァロも、不快そうな声だ。
すると、別の男が声を上げる。
「あったぞ! この二人の近くに落ちていた!」
男が高く掲げているのは、ダイヤモンドのブローチ。シャンデリアの灯りに照らされて、ピカピカと輝いている。
すると、会場にいる者達はグラシエラとアルヴァロに非難の声を上げる。
「やっぱりお前達か!」
「流石は『王宮殺人事件』の犯人の妹と殺された浮気野郎の弟だな!」
「心根が腐っているのね!」
「早くこの夜会から追放しろ!」
そんな非難の声を浴びせられたグラシエラは、必死に首を横に振る。
「私じゃないわ! 私は、ずっとここにいました!」
グラシエラを押さえつける男の手が少し緩んでいたようで、抵抗したグラシエラは床に倒れ込む。
「僕と彼女は、ずっとこの壁際にいた。彼女のブローチを盗むなんて不可能だ」
アルヴァロの冷たい声が、会場に響く。
しかし、そんな二人の声など聞く者はいない。
「そんなのあり得ないわ!」
「二人で口裏を合わせているだけだろう!」
「レアル伯爵閣下を冤罪で嵌めようとしたり、王太子妃殿下を不安な気持ちにさせる奴らだ! 奴らが犯人に決まっている!」
そうグラシエラとアルヴァロを非難する者達の表情は、何かを企んでいるような嫌な笑みであった。
ここにいるグラシエラとアルヴァロ以外の全員がそのような表情なのである。
(つまりこの夜会は、私とアルヴァロ様を嵌める為の夜会ということね……!)
グラシエラはそう判断し、悔しそうに表情を歪めた。
「こいつらを許すな! やっちまえ!」
会場にその声が響くと、近くにいた男がグラシエラに殴りかかろうとした。
「グラシエラ嬢!」
アルヴァロは、自身を取り押さえていた男達を振り切り、グラシエラの元へ向かう。
男に拳を振り上げられ、グラシエラは咄嗟に目を瞑った。
しかし、痛みに襲われる様子はなかった。
不思議に思い、グラシエラは恐る恐る目を開ける。
「アルヴァロ様……!」
そこには、グラシエラを殴ろうとした男の拳を素手で受け止めているアルヴァロがいた。
余裕そうな表情のアルヴァロである。
冷たいサファイアの目は、グラシエラを殴ろうとした男に向けられていた。
それは、今まで見たことがないような、絶対零度よりも冷たいサファイアの目だった。
「グラシエラ嬢、怪我はない?」
絶対零度よりも冷たい目とは打って変わり、サファイアの目からは心配の色が窺える。
「ありがとうございます、アルヴァロ様」
グラシエラは、ほんの少しだけ表情を和らげた。
アルヴァロが守ってくれた。
その事実が、グラシエラの胸を温かくする。
敵だらけの現状、アルヴァロはたった一人の味方なのだ。
しかし、状況が劇的に変わるわけではない。
依然としてグラシエラとアルヴァロは、周囲から侮蔑の目を向けられている。
そこへ、何者かの声が響き渡る。
「久々に帰国して夜会に参加してみたら、まさかこんなことが起こっているとは。グロートロップ王国はいつから正式な調査も行わず勝手にブローチ窃盗の犯人を決めつけ、無抵抗の令嬢に暴行を加える国になったんだ?」
凛々しい声であった。
読んでくださりありがとうございます!
少しでも「面白い!」「続きが読みたい!」と思った方は、是非ブックマークと高評価をしていただけたら嬉しいです!
皆様の応援が励みになります!




