レアル伯爵
「グラシエラ嬢、喉が渇かないかい?」
「そうですわね。ダンスでかなり体を動かしましたから」
アルヴァロに聞かれて頷くグラシエラ。
ダンスを終えたグラシエラの体は、少しだけ熱を持っていた。
グラシエラの頬は、ほんのりと上気している。
(アルヴァロ様とのダンス……楽しかったわ)
アルファロとのダンスを思い出し、鼓動が早くなるグラシエラ。
体の熱はダンスをしたからなのか、それとも他に理由があるのか分からないグラシエラだった。
「じゃあ飲み物を取りに行こうか」
アルヴァロにそう言われて頷くグラシエラ。
二人で飲み物を取りに行った。
夜会会場にいる給仕係から飲み物をもらい、壁際までやって来たグラシエラは一口グラスに口を付ける。
「……美味しい」
グラシエラが飲んだのはオレンジのソーダ。濃厚な甘味と爽やかな酸味と共に、シュワシュワとグラシエラの口の中に広がった。
ひんやりとしており、喉を潤したグラシエラはほんのりと表情を和らげる。まるで火照った体を冷ましてくれるかのようだ。
「オレンジは春でもまだまだ旬だからね」
アルヴァロもグラスに入ったオレンジのソーダを一口飲む。
「そうですわね。……もうすぐ夏。夏は、桃の季節になりますわ」
グラシエラは窓の外に目を向ける。
窓から見える夜空には、星々がキラキラと輝いている。月の光も、優しく周囲を照らしていた。
「桃か。グラシエラ嬢は桃が好きなのかい?」
アルヴァロからそう聞かれ、グラシエラは「ええ」と頷く。
「ですから、毎年夏が楽しみでした。マファルダお姉様は桃が好きな私によく多めに譲ってくれたりしたのです」
マファルダの優しさを思い出し、グラシエラは表情を綻ばせた。そのヘーゼルの目には、懐かしさとほんの少しの悲しさを含んでいる。
もうマファルダはこの世にいないのだ。
アルヴァロは「そうだったのか」とサファイアの目を丸くした。
偽とは言えどグラシエラとアルヴァロは婚約者という関係。お互いのことは話したつもりだったが、まだ話していなかったり、知らないことはあるのだ。
グラシエラも、そういえばこの話はしていなかったと思っていた。
「ならば、今年の夏はマリャル侯爵家でも桃を用意しよう。好きなだけ食べると良い」
アルヴァロはサファイアの目を優しげに細め、甘い表情をグラシエラに向ける。
グラシエラは頬を赤く染め一瞬アルヴァロから目をそらす。しかしすぐに大輪の花が咲いたような笑みをアルヴァロに向ける。
「はい。楽しみにしています」
するとアルヴァロはサファイアの目を大きく見開いた。頬はほんのり赤く染まっているように見える。
アルヴァロはグラシエラから目をそらし、表情を綻ばせていた。
「あ、でもアルヴァロ様、私、そこまで食い意地は張っていませんから」
グラシエラはハッとしてアルヴァロに誤解を与えないようにそう言った。
(確かに桃は大好物だけど……食い意地が張っているとは思われたくないわ)
するとアルヴァロはグラシエラの対応が面白かったのか、クスクスと楽しそうに笑い始めた。
「ああ、そうだね。常識的な範囲の量の桃を用意するよ」
「アルヴァロ様、何を笑っていらっしゃるのですか……!」
誤解されたような気がして、グラシエラは顔を真っ赤に染めてアルヴァロに抗議した。
しかし、アルヴァロの楽しそうな笑みにグラシエラも思わず笑ってしまう。
グラシエラとアルヴァロの表情は明るく、輝いている。
二人は夜会会場の壁際にいるにも関わらず、その楽しそうな表情により注目を集めるのであった。
「随分と楽しそうだな」
そんなグラシエラとアルヴァロに声をかける者がいた。
声の主を見たグラシエラとアルヴァロは一瞬だけハッと目を見開く。
(レアル伯爵だわ……!)
何とレアル伯爵が声をかけて来たのだ。
レアル伯爵は心底面白くないとでも言うかのような表情だった。
(まさか向こうからやって来るなんて……!)
グラシエラは心の中でガッツポーズをしてアルヴァロの方をチラリと見る。
アルヴァロもグラシエラに目を向け、口角を微かに上げた。
アルヴァロはまるで「チャンス到来だ」と言っているかのようである。
ただでさえ注目を浴びているグラシエラとアルヴァロ。
そこへ、五年前の『王宮殺人事件』で殺されたペドロの元婚約者で現王太子妃となったイゾルダの父であるレアル伯爵が絡みに来たのだ。
夜会に出席している者達は、当然ながらグラシエラ、アルヴァロ、レアル伯爵に視線を向けていた。
「これはこれはレアル伯爵閣下、僕達に一体どういったご用で?」
アルヴァロは口角を上げているが、サファイアの目はスッと冷えていた。
「まるで用がなければ話しかけるなどでも言いたげだな。王太子妃となった我が娘を裏切った奴の弟の分際で」
レアル伯爵はその名の通り伯爵。一方アルヴァロは侯爵令息ではあるが実質的にマリャル侯爵家当主。立場的にはアルヴァロの方が上であるが、レアル伯爵はアルヴァロに大して無礼な態度である。
(……確かにイゾルダ王太子妃殿下はアルヴァロ様のお兄様であられたペドロ様の浮気によって裏切られたのかもしれない。だけど、娘が被害者だからと言ってペドロ様の弟であるアルヴァロ様に失礼なことを言って良い理由にはならないわ)
グラシエラは淑女の笑みで己の感情を隠すが、後ろに隠した拳はプルプルと震えていた。
(落ち着きなさい、グラシエラ。感情的になってはいけないわ)
グラシエラは落ち着いて、悟られないよう深呼吸を繰り返す。
窓の外の夜空は薄っすらと雲がかかり始めて月を隠し、星々の輝きも鈍くなっていた。
レアル伯爵はグラシエラにも視線を向ける。
(……一体何なのかしら?)
ねっとりとしたその視線に、顔には出さないがグラシエラはほんの少しだけ身震いし嫌悪感を抱いた。
「面白い。まさか五年前の『王宮殺人事件』でペドロとフロールを殺したマファルダの妹が……」
ククッと笑いを堪えているかのようなレアル伯爵だ。
(マファルダお姉様は人を殺してなんかいないわ……!)
思わず感情的に叫びそうになったが、グラシエラはグッと堪えた。
グラシエラは深呼吸をしてゆっくりと口を開く。
「お言葉ですが、マファルダお姉様は誰かの命を奪うような人ではありません。実際、マファルダお姉様が投獄されなかったことが事実を物語っているのではありませんか?」
凛とした、真っ直ぐな芯の通った声のグラシエラ。
今まで何度も何度も、気が遠くなる程マファルダの無実を訴えたが聞き入れてもらえなかった。
しかしそれでもグラシエラは諦めるわけにはいかない。
ヘーゼルの目は、力強くレアル伯爵を見据えていた。
「実の姉の無実を信じたい気持ちは分かるが、世間の声が真実だろう。ああでも、私は君の姉マファルダに感謝しているんだよ」
レアル伯爵にはやはりグラシエラの言葉が届かないようだ。
グラシエラ達に注目している者達も、やはりマファルダが犯人であると思っているかのような視線である。
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながらレアル伯爵は言葉を続ける。
「マファルダがペドロを殺してくれたお陰で、大切な娘が、娘の優秀さがコンプレックスだとかふざけたことを抜かす碌でなしの元に嫁がなくて良くなったんだ。それに、ベルナルド王太子殿下の元へ嫁げた。全てはペドロとついでに浮気相手だったフロールを殺してくれたマファルダのお陰だ」
ハハハッと愉快そうに、高らかに笑うレアル伯爵。
「ペドロは死ぬべき人間だったのだ! いや、私の大切な娘を邪険に扱う奴など人間ではない! 害虫以下の存在だ! 害虫以下のペドロに人権なんて必要ないだろう!」
下品に笑いながら叫び倒すレアル伯爵。
その姿はグラシエラが今まで見たものの中で最も醜いと感じた。
「ペドロと言う碌でなしは生まれてくるべきではなかったのかもしれないな! その弟アルヴァロも、果たして本性はどういったものなのかな!?」
レアル伯爵は相変わらず下品に笑い倒している。
(この方は……!)
グラシエラはヘーゼルの目をキッと鋭くしてレアル伯爵を睨む。
「マファルダの妹、君は確かグラシエラと言ったかな。君も気をつけたらどうだ? アルヴァロもペドロ同様浮気をする碌でなしかもしれないぞ。それとも、ペドロ同様アルヴァロも浮気相手の誰かに殺されて自身はもっと上の身分の存在との結婚を目論んでいるのか? 私の娘と同じように上手くいく可能性は低いと思うが」
その言葉に、グラシエラの心は一気に冷えた。
チラリとアルヴァロに目を向ける。
アルヴァロは平然を装っているが、サファイアの目は絶対零度よりも冷たくなっていた。口元はヒクヒクと引きつっている。ギュッと握られた拳もプルプルと震えていた。
『僕の方も、殺された兄が浮気したのが悪いとか、殺されるだけの理由があったとか、浮気するように教育をしたマリャル侯爵家が諸悪の根源だとか、色々言われていたからね。そのせいで母は心を病み、父はそんな母に寄り添って領地に戻った』
『兄は婚約者がいる身でフロール嬢と浮気をしていたのは事実。それを知った時、呆れはしたよ。少し軽蔑もした。でも……それでも、僕にとっては優しい兄だったんだ』
『だけど、やっぱり僕にとってペドロは……チェスやボードゲームを教えてくれたりして……優しい兄だったんだ。世間がどう言おうとね』
アルヴァロの言葉を思い出す。
その時悲しげに揺れたサファイアの目。ペドロを優しい兄として慕う姿。
その全てが、グラシエラの脳裏にしっかりとこびりついている。
(私はどう思われても良いわ。マファルダお姉様の無実も証明してみせたい。だけど今は……この下品な男の口を塞がないと……! アルヴァロ様が傷付くような言葉を、この男の口から二度と発せられなくしてやりたいわ……!)
グラシエラの怒りは頂点に達していた。
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