偽婚約の提案
(どうしよう……!? 正体がバレたわ……!)
グラシエラは平民と偽りマリャル侯爵家の王都の屋敷に使用人として潜入していた。
しかしそれがマリャル侯爵家次男で次期当主のアルヴァロに気付かれててしまったのだ。
窓の外は、灰色の雲が広がり雨が降っている。
(でも、どうしてバレたのかしら? ハウスメイドとしてのお仕事をする際はマリャル侯爵家から支給される服を着ていたし、ここに来る時も、平民らしい服装だったのに)
貴族だと気付かれないよう、服装などには気を付けたはずだったグラシエラである。
するとグラシエラの考えを読んだかのように、アルヴァロはニヤリと口角を上げた。しかし、サファイアの目はスッと冷えている。
「服装だけで身分を隠すのは無理があるよ」
「え……!?」
グラシエラはヘーゼルの目を大きく見開いた。
「この数日間、君を少し観察させてもらったよ。ものを受け取る時の所作、歩き方……君の立ち居振る舞いは、平民にしては洗練され過ぎているんだ」
アルヴァロの言葉に、グラシエラはハッとする。
先輩メイドから洗剤を受け取った時、そしてアルヴァロに注意され立ち去る際の歩く姿勢。
それらは自然と出てしまっていたのだ。
「それに、君と他の使用人達の会話の内容も聞いていたんだ。作曲家デニウソン・コスタ氏の、ヴァイオリン独奏曲。平民でこの曲を知っている人はまずいない。コスタ氏は貴族の間でしか知られていない作曲家だからね」
先輩メイドとの会話にも、グラシエラの身分に繋がるものがあったようだ。
「これらを踏まえて、君が貴族だとすぐに気付いた。そして最後、君がグラシエラ・キアラ・デ・メゼネス嬢だと分かった理由だけど、その髪飾りだよ」
「え……!?」
グラシエラはローズクォーツの髪飾りを触る。
「その髪飾りは、君の姉君……マファルダ・アナマリア・デ・メネゼス嬢のものだ。僕は彼女の肖像画を何度も見たことがあるから、分かるよ。肖像画のマファルダ嬢は、いつもその髪飾りを着けていた。メゼネス伯爵家の特注品だってことも分かっている」
そこまで気付かれているとなれば、もう誤魔化すことは出来ない。
「……仰る通りでございます」
グラシエラは諦めたようにため息をつく。
(……きっとこのお方は、ペドロ様を殺した犯人の妹が何の用だと思っているのでしょうね)
グラシエラのヘーゼルの目は、怒りと悲しみが混ざっていた。
長年、マファルダの無実を訴えても誰にも聞き入れてもらえなったのだ。
しかし、マファルダがアルヴァロに犯人扱いされていることは、グラシエラにとって我慢ならないことである。
「ですが、マファルダお姉様は無実です。お姉様は人を殺すような方ではありません」
グラシエラは言葉に力を込めた。
「別に僕は、君の姉君、マファルダ嬢が僕の兄を殺した犯人だとは思っていないさ」
淡々とした口調のアルヴァロ。
「え……!?」
アルヴァロからの意外な言葉に、グラシエラはヘーゼルの目を大きく見開いた。
「グラシエラ嬢、君がここにいるのは、五年前に起こった『王宮殺人事件』の真犯人に繋がる手掛かりを得る為だろう?」
アルヴァロのサファイアの目は、真っ直ぐグラシエラを射抜く。
まるでグラシエラの目的をお見通しであるかのようだ。
「……はい」
グラシエラはコクリと頷いた。
「僕も真犯人を見つけて、『王宮殺人事件』の真相を知りたいと思っているんだ」
まさかアルヴァロからそんなことを言われるとは思っていなかった。
グラシエラはただアルヴァロにヘーゼルの目を向けるだけである。
そして、次の瞬間アルヴァロから突拍子もない提案をされる。
「グラシエラ・キアラ・デ・メゼネス嬢、僕達は同じ目的を持っている者同士だ。だから……婚約してみないか?」
アルヴァロは甘く冷たく、そしてどこかミステリアスな笑みだ。
「……はい?」
あまりの突拍子のなさに、グラシエラは何を言われたか一瞬理解出来なかった。
「ああ、婚約って言っても、『王宮殺人事件』の真相が解明するまでの期間限定でね。まあ、偽婚約って感じにかるかな」
「待ってください。『王宮殺人事件』の真相解明が、どうして婚約の話になるのです?」
グラシエラは困惑を隠せなかった。
「話題になるからだよ」
「え……?」
アルヴァロから当たり前のような口調で答えられ、グラシエラは余計に困惑してしまう。
アルヴァロは言葉を続ける。
「『王宮殺人事件』はもう五年前にもなる。当時のことは、風化され始めつつあるんだ。だから、これはある意味賭けだよ。事件の犯人扱いされているマファルダ嬢の妹である君と、事件の被害者ペドロの弟である僕。僕達の婚約は、当然社交界で話題になる。そこから、当時の記憶を思い出す人が増えて、詳細な状況を聞き出せる可能性があると考えている。例えば、真犯人に繋がる手掛かりとかね」
「真犯人……!」
グラシエラはハッとヘーゼルの目を見開いた。
(もしも、偽ではあるけれどこのお方との婚約を受けて、真犯人に繋がる情報を手に入れることが出来たら……!)
グラシエラは目の前がパッと明るくなったような気がした。
「それに……五年前の『王宮殺人事件』で、君達メゼネス伯爵家も、世間から心ない誹謗中傷を受けたのだろう?」
アルヴァロはどこか悲しげにサファイアの目を伏せた。
グラシエラは唇を噛み締める。
当時のことは、忘れたくても忘れられないものだった。
周囲からの誹謗中傷で心をすり減らしていくマファルダの姿。大好きな姉マファルダを守りたかったが、当時十一歳のグラシエラに出来ることはほとんどなかった。マファルダが壊れていく様子を見ていることしか出来ず、グラシエラも辛かったのだ。
「僕の方も、殺された兄が浮気したのが悪いとか、殺されるだけの理由があったとか、浮気するように教育をしたマリャル侯爵家が諸悪の根源だとか、色々言われていたからね。そのせいで母は心を病み、父はそんな母に寄り添って領地に戻った」
アルヴァロは自嘲気味にフッと口角を上げた。
「兄は婚約者がいる身でフロール嬢と浮気をしていたのは事実。それを知った時、呆れはしたよ。少し軽蔑もした。でも……それでも、僕にとっては優しい兄だったんだ」
冷たかったサファイアの目が悲しげに揺れる。
「あ……」
被害者遺族と、加害者扱いされている者の遺族。
アルヴァロとグラシエラの立場には大きな違いがある。
しかしグラシエラには、アルヴァロの気持ちが痛い程分かってしまった。
「それに、僕も独自にマファルダ嬢のことは調べたけれど、彼女が僕の兄やフロール嬢を殺した犯人ではないことは明らかだ」
アルヴァロはそう言い切った。
「当時兄達は白い部屋が赤黒い血に染まるくらいの出血量だった。犯人は返り血を浴びていないとおかしい。マファルダ嬢は、返り血を浴びた形跡も、ドレスを着替えた形跡もなかった。マファルダ嬢が犯人なのは絶対にあり得ないんだ」
その表情は、どこか申し訳なさそうだった。
「マファルダ嬢が犯人ではないと周囲に訴えてみたけれど……誰も聞き入れてくれなかった。人は、自分にとって都合の良い情報や快楽を得られる情報や刺激的な情報しか信じない。真実がどうであれね」
アルヴァロはフッと視線をグラシエラからそらす。
「それに、兄の婚約者だったイゾルダ嬢……今はベルナルド王太子殿下と結婚したからイゾルダ王太子妃殿下だけど、彼女にも事件のことを改めて聞こうとした。でも、兄のことは思い出したくないと言われてね。王太子殿下からは妻を悲しませるなと事件について聞くこと自体をやんわりと拒否されたよ」
そのサファイアの目からは、己の無力さと申し訳なさを感じ取ることが出来た。
(嘘……! このお方は……マファルダお姉様が無実だと思ってくださっただけでなく……それを周囲にも伝えようとしてくださっていたの……!? 事件の真相も、自分なりに調べようとしてくださっていたのだし……!)
今まで家族以外、誰にも信じてもらえなかった姉マファルダの無実。
アルヴァロはマファルダの無実を信じてくれているだけでなく、周囲にも伝えようと動いてくれていたことがあった。
その事実に、グラシエラのヘーゼルの目からは涙が零れる。
「ありがとう……ございます。……マファルダお姉様の無実を信じてくださった方が、メゼネス伯爵家の家族以外にいらしただなんて……!」
大好きな姉の無実を信じてくれる人がいた。グラシエラにとって、それは何よりも嬉しいことだった。
嗚咽が漏れ、涙が止まらないグラシエラ。
暗闇の中、スッと一筋の光が差し込んだような感覚になった。
アルヴァロはゆっくりとグラシエラの近くまでやって来て、そっとハンカチを差し出す。
「さあ、涙を拭いて」
「ありがとうございます」
グラシエラはアルヴァロからハンカチを受け取り、涙を拭った。
「さて、グラシエラ・キアラ・デ・メゼネス嬢。僕は五年前の『王宮殺人事件』の真犯人、そして真相を知りたい。あの時、本当は何があったのか。その為に、君に協力して欲しい」
アルヴァロのサファイアの目が、真っ直ぐグラシエラに向けられる。
アルヴァロはグラシエラに手を差し出した。
「アルヴァロ・ヴィトール・デ・マリャル様、私も同じ気持ちでございます。『王宮殺人事件』の真犯人を見つけ出して、何としてでもマファルダお姉様の無実を証明したいですわ。その為にも、貴方と協力いたします。偽の婚約、お受けいたしますわ」
グラシエラはヘーゼルの目を真っ直ぐアルヴァロに向け、彼の手を取った。
窓の外はいつの間にか雨が止んでおり、灰色の雲の合間から一筋の光が差し込んでいた。
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