イゾルダの過去・前編
グロートロップ王国王太子妃、イゾルダ・ファティマ・デ・アヴィス。
彼女はイゾルダ・ファティマ・デ・レアルとして、レアル伯爵家に生まれた。
イゾルダには幼い頃から決められた婚約者がいた。
それがマリャル侯爵家長男、ペドロ・セルジオ・デ・マリャル。アルヴァロの兄である。
しかし、イゾルダとペドロの相性は良いとは言い難かった。
「ペドロ様、マリャル侯爵領が現在抱えている問題の解決策をまとめてみたのですが」
「イゾルダ、お前はどういうつもりだ!? マリャル侯爵家の当主になる俺に指図すると言うのか!? 大体お前は海を挟んだ南の大陸からの疫病のワクチンや特効薬の入手ルートを開拓しただけで良い気になるんじゃない! 自分の優秀さを自慢げにひけらかす嫌な女だなお前は!」
イゾルダは自分なりにマリャル侯爵領のことを考えるなど、ペドロに歩み寄ろうとしていた。
しかし、ペドロからは話を聞いてもらえずそう強く返されるだけであった。
どんよりとした曇り空の中、イゾルダは肩を落としてため息をついた。
ペドロは艶やかなブロンドの髪に、サファイアのような青い目で、見た目だけは美形だった。しかし、褒められる部分は見た目しかないと、イゾルダは感じていた。
「お父様……正直な話、ペドロ様とは上手くやっていけるとは思いませんわ。私がどれだけ努力して歩み寄ろうとしても、酷い態度を取られますの。あのような人間がこの世に存在するなんて信じられませんわ」
イゾルダはまるで悲劇のヒロインのような表情で、父であるレアル伯爵にそう訴えた。
「イゾルダ、すまないな。この婚約はマリャル侯爵家から頼まれたのだ。そこそこ力のあるマリャル侯爵家と繋がりを持つことで、このレアル伯爵家も国内で有利になると思ったのだが……」
すると、レアル伯爵は申し訳なさそうにそう言うのであった。
そしてレアル伯爵は言葉を続ける。
「確かに可愛いイゾルダをあんな男の元に嫁がせるのはな……」
イゾルダを娘として大切にしていると同時に、ペドロを恨むような表情のレアル伯爵である。
「私も、あんな男の妻にはなりたくありませんわ」
既にイゾルダはペドロを軽蔑していたのだ。
(どうにかしてペドロ有責で婚約破棄出来ないかしら? 向こうから賠償金をたっぷり搾り取って、私は素敵な男性と幸せになるのよ)
密かにそう企むイゾルダであった。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
ある日の王家主催の夜会にて。
イゾルダはペドロからエスコートすらされず、父であるレアル伯爵と共に会場入りした。
「全く。マリャル侯爵令息は私の娘をエスコートすらしないのか……」
レアル伯爵は呆れたような表情である。
「ええ。彼はいつもそうですわ」
イゾルダは軽くため息をついた。
「イゾルダ、本当にすまないな。私の可愛い娘であるお前には幸せになって欲しいのだが」
「ありがとうございます、お父様」
イゾルダはレアル伯爵の言葉にクスッと笑った。
イゾルダは休憩がてら王宮の庭園に出ていた。
すると、ペドロの姿を見つけた。
(まあ、ペドロ様……)
物陰からペドロに軽蔑の視線を向けるイゾルダである。
ペドロはイゾルダの婚約者であるが、別の令嬢と仲睦まじい様子だった。
「ねえペドロ様、婚約者の方は放っておいて良いの?」
「ああ、フロール。あんな奴価値はないからな。あんな奴よりも、フロールとの時間のほうが大事だ」
「まあ、ペドロ様、嬉しいわ」
フロールと呼ばれた令嬢は、ペドロにしなだれかかる。するとペドロは鼻の下を伸ばした様子でフロールの肩に手を回した。
その様子は何とも下品であった。
フロールはふわふわとした褐色の髪に、アクアマリンのような青い目の、庇護欲そそるような可愛らしい見た目なのだ。
大人びた美貌を持つイゾルダとは正反対なのである。
「本当に、イゾルダは自分の優秀さをひけらかすだけの可愛げのない女だ。だがフロールはそんなイゾルダよりも素敵な女性だ。可愛らしいし、何よりフロールといると癒される」
「まあ、ペドロ様ったら。それなら私、いつまでもペドロ様を癒しますね。何だかイゾルダ様に勝ったみたいで嬉しいです」
「イゾルダとフロールなら、絶対にフロールの方が上だな」
ペドロとイゾルダはそんな会話をしながら笑っていた。
(本当に呆れた人ね。確かペドロと一緒にいるフロールという令嬢は……ピント男爵家だったかしら?)
物陰から全てを見ていたイゾルダは、マラカイトの目をスッと冷たくした。
まるで価値のないものを見るかのような視線である。
しかし、一応フロールの生家は知っていた。
(馬鹿馬鹿しいわ。会場に戻りましょう)
イゾルダはそう思い、踵を返した瞬間、そこに思わぬ人物がいたのでマラカイトの目を大きく見開いた。
(このお方は……!)
星の光に染まったようなアッシュブロンドの髪に、アメジストのような紫の目。彫刻のように美しい顔立ちの青年である。年は、イゾルダとそこまで変わらない。
イゾルダは驚きつつも落ち着きを取り戻し、カーテシーで礼を執る。
「楽にしてくれて構わない」
惚れ惚れするような凛とした声が、頭上から降って来た。
イゾルダはゆっくりと上品に姿勢を戻す。
「ありがとうございます。ベルナルド王太子殿下にお声がけいただけるなんて、咫尺の栄誉賜る光栄でございますわ。レアル伯爵家長女、イゾルダ・ファティマ・デ・レアルでございます」
「ああ、知っている。イゾルダ嬢、君は海を挟んだ南の大陸からの疫病に対するワクチンと特効薬の入手ルートを確保した優秀な令嬢だと」
ベルナルドのアメジストの目は、真っ直ぐイゾルダに向けられていた。
イゾルダはベルナルドの言葉を聞き、マラカイトの目を輝かせて表情を綻ばせた。
(このお方は……ベルナルド王太子殿下は……私のことを認めてくださった……!)
胸の奥から湧き上がる嬉しさ。そしてときめきが止まらなかった。
その時、丁度雲が流れて満月が姿を現す。
満月の光は、イゾルダとベルナルドを明るく照らしていた。
その月光は、今までの人生の中で最も美しいと感じるイゾルダであった。
「イゾルダ嬢、君が考えていることを色々と教えてくれないか?」
「はい、もちろんでございますわ」
イゾルダはマラカイトの目をキラキラと輝かせながらベルナルドと会話をする。
しばらくすると、再び雲が満月にかかっていた。
その後、イゾルダとベルナルドは定期的に交流をしていた。
イゾルダがベルナルドに恋心を抱くまではそこまで時間がかからなかった。
そしてまた、ベルナルドもイゾルダに恋心を抱いていたのだ。
「イゾルダ嬢、君に婚約者がいるのは分かっている。でも、どうしても私はこの気持ちを止めることは出来なかった。イゾルダ嬢は私は君を愛している。出来ることならば、君を妻に迎えたいとすら思うよ」
真っ直ぐなアメジストの目に、甘く情熱的な声。
イゾルダは思わずその手を取ってしまった。
「ベルナルド殿下、私の心は貴方にありますわ。何としてでもペドロと婚約を破棄して、ベルナルド殿下の妻になりたいです。私ならば、貴方と一緒にグロートロップ王国をより良い方向に導けますわ」
イゾルダはマラカイトの目を輝かせながらベルナルドを見つめていた。
もう既に、イゾルダはペドロを見限っていたのだ。
(後はペドロ有責で婚約破棄するまでね)
イゾルダはその時が楽しみで仕方なかった。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
そして、ある日の王家主催の夜会にて。
イゾルダとベルナルドはペドロとフロールが一緒に会場を抜け出すところを見つけた。
「イゾルダ嬢、ペドロとフロールが会場から抜け出してどこかへ行くつもりみたいだ」
「そうですわね、ベルナルド殿下。後をつけてみましょう」
イゾルダとベルナルドは、ペドロとフロールの後をつけてみることにした。
すると、ペドロとフロールは王宮にある、休憩所として開放してあったある一室に入って行く。
「もしペドロとフロールが口付けでも交わしていたら……!」
イゾルダは二人の間にただならぬことが起こってほしいと心から願ってしまう。
「ああ。間違いなく向こう有責で婚約破棄出来る」
ベルナルドはニヤリと口角を上げた。
すると、イゾルダはパアッと表情を明るくする。
「そうなれば、きっも私達の結婚は認められますわね……!」
イゾルダの声は、嬉しさで弾んでいた。
自分達の幸せがすぐそこまで迫っていると、信じて疑っていなかった。
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