トラブルと状況証拠
グラシエラは夜会で休憩がてら庭園に出ていた。
脳裏に浮かぶのは、アルヴァロのミステリアスだが甘く優しい笑み。
(アルヴァロ様……)
気が付けば、頭がアルヴァロのことでいっぱいになってしまう。
マファルダとの思い出のヴァイオリンを聴いてくれた時の表情。アルヴァロの兄ペドロの思い出を語る際、一緒にチェスやボードゲームをした時のこと。
(多分、あの時から既に私はアルヴァロ様のことを好きになっていたのね……)
グラシエラはふうっと軽くため息をついた。
庭園に咲く月下美人が、満月に照らされている。穏やかな初夏の風が吹き、月下美人はゆらゆらと揺れる。月明かりに照らされた影も、ゆらゆらと揺れていた。
(何度も言っているじゃない。私たちの関係は、五年前の『王宮殺人事件』の真相を解明して、マファルダお姉様の無実を証明するまでのもの。……だから、アルヴァロ様のことは好きになってはいけないのに)
グラシエラは動き出した心を必死に止めようとしていた。しかし、そうすればそうする程、切なさが溢れていく。
グラシエラは噴水近くのベンチにそっと腰を下ろした。
(この気持ち、どうしたら良いのよ……?)
ヘーゼルの目を地面に向けるグラシエラ。グラシエラの心はぐちゃぐちゃになっていた。
「ちょっと」
そんな中、グラシエラに声をかける者達がいた。
グラシエラが顔を上げると、先程グラシエラに絡んで来た令嬢達がいた。
「……何か?」
先程のこともあり、あまり良い予感はしない。おまけに令嬢達は明らかに不機嫌で、グラシエラに不満を持っている様子である。
「さっきはよくもやってくれたわね」
そう言った令嬢は目を吊り上げており、鋭いナイフで切り付けるかのような口調である。
(やってくれた……? やったも何も、私は絡まれたから言い返しただけなのに)
グラシエラは若干面倒臭いと思い、眉を顰めた。
すると、そんなグラシエラの表情が気に障ったのか、令嬢達は激昂する。
「ちょっと、何なのよその面倒臭いとでも言いたげな表情は!?」
「殺人犯の妹の癖に生意気なのよ!」
「貴女がいるせいでグロートロップ王国は悪くなるのよ!」
「七年前の疫病騒ぎもきっと貴女がいるせいで起こったのよね!?」
令嬢達の物言いに、グラシエラは呆れ果てた。
アルヴァロへの気持ちに悩んでおり、正直なところ目の前にいる令嬢達などもはやどうでもいいとすら思っていた。
おまけに最初以外全て言いがかりである。
「正直に言うと、私は貴重な時間を貴女達のようなどうでもいい暇人相手に使う気はないわ。ストレスを解消したいのなら他を当たってちょうだい」
グラシエラはベンチから立ち上がり、冷たい視線で令嬢達を一瞥してからその場を去ろうとした。
するとその時、グラシエラは令嬢から腕を強く掴まれる。
「グラシエラ! 本当にムカつくわね! もう死んでしまいなさいよ!」
そのままグラシエラは噴水に突き落とされそうになった。
その時だ。
「グラシエラ嬢!」
グラシエラにとっと聞き慣れた声が響き渡った。
「アルヴァロ様……!?」
グラシエラはヘーゼルの目を大きく見開く。
必死な表情でグラシエラの元へ駆け寄って来るアルヴァロ。
令嬢から噴水に突き落とされそうになり、体のバランスを崩すグラシエラ。
そんなグラシエラを支えて庇ったアルヴァロ。
ザバーン! と噴水の音が響き渡る。
グラシエラは地面にしりもちをついていた。
(何が起こったの……!?)
令嬢から噴水に突き落とされそうになり、アルヴァロが駆け寄って来てくれたことは理解出来た。
しかし、それ以上が一瞬の出来事のように感じ、今になってようやく何が起こったか分かるようになった。
グラシエラを庇ったアルヴァロが、噴水に落ちたのだ。
「アルヴァロ様!」
グラシエラは急いで立ち上がり、噴水に落ちたアルヴァロに手を差し伸べる。
アルヴァロはグラシエラの手を取った。
「ありがとう、グラシエラ嬢。怪我はないかい?」
サファイアの目は、とても優しいものであった。
グラシエラの鼓動が速くなる。
こんな時でも自分のことを心配してくれる。
あまり良い状況ではないのにも関わらず、グラシエラは思わず口角を上げそうになってしまった。
「私は大丈夫です。アルヴァロ様が庇ってくださったので。私のせいで、申し訳ございません」
「謝る必要はないさ。悪いのは彼女達だろう」
アルヴァロはグラシエラに優しい目を向けた後、グラシエラを噴水に突き落とそうとした令嬢達に絶対零度よりも冷たい視線を向ける。
令嬢達はブルリと身震いをした。
「あ……私は悪くありませんわ! 悪いのはグラシエラとアルヴァロ様でしょう!」
「そう、そうですわ! 殺人犯の妹と、王太子妃殿下を裏切った浮気男の弟! この二人が悪いに決まっているわ!」
令嬢達の支離滅裂な言い訳に、再び呆れるグラシエラ。
アルヴァロは噴水から抜け出すが、当然ながらびしょ濡れである。
「君達は何をしている!?」
更に、グラシエラにとって聞き覚えのある凛々しい声が響き渡った。
「エンリケ様……」
エンリケは腕を組み、令嬢達を睨み付けていた。
「君達は俺の友人達に一体何をした? 場合によってはブラガンサ筆頭公爵家から抗議するが」
鋭いアメジストの目で睨まれた令嬢達。おまけにブラガンサ筆頭公爵家の権威を見せ付けられ、完全に震え上がっていた。
「その……申し訳ございませんでした!」
令嬢達はその場から逃げ出すのであった。
「全く。この国にあのような者達がいるとは。嘆かわしい」
エンリケは盛大にため息をついた。
「グラシエラ嬢、アルヴァロ殿、大丈夫か? ……特にアルヴァロ殿は、大丈夫と言い難いが」
「僕はただ濡れただけですよ」
「でもアルヴァロ様、全身びしょ濡れですし、早く着替えた方が良いかと思います」
「そうだね。グラシエラ嬢の言うとおりだ。着替えることにしよう」
アルヴァロはグラシエラを見てサファイアの目を優しく細めた。
「あの、アルヴァロ様……」
グラシエラはほんの少し頬を赤く染めながらアルヴァロを見つめる。
「ありがとうございました」
それが、グラシエラが言える精一杯の言葉だった。
アルヴァロはフッと口角を上げる。
「いや、君が噴水に落ちなくて良かったよ」
その声は、甘く優しいものであった。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
その翌日。
グラシエラはマリャル侯爵家の王都の屋敷にまたやって来ていた。
「グラシエラ嬢、昨日の夜会でエンリケ殿が言っていた、情報収集をしようとすると何者かに遮られてしまうという件について、君はどう思う?」
アルヴァロは自室のソファに座り、腕を組んで考え込む姿勢だった。
アルヴァロの正面に座っているグラシエラも、腕を組み右手を頬に当ててうーん、と考える。
「エンリケ様は、ブラガンサ筆頭公爵家のご長男。そんな彼を邪魔立て出来る方は、限られて来るはずです。エンリケ様のお父様であられるブラガンサ公爵閣下、あるいはエンリケ様のお祖父様であられる引退した先代ブラガンサ公爵閣下か、あるいは……」
グラシエラはそこで口を噤む。
「……王家」
アルヴァロがポツリと呟いた。
「……やはりそうなりますわよね」
グラシエラもアルヴァロと同じ答えに辿り着いていたのだ。
王家主催の夜会での、王太子ベルナルドの様子などを踏まえると、そう考えるのが妥当である。
「でも、王家に関してはまだ状況証拠しかない。おまけに下手をすればこちらが消されるだろう」
アルヴァロの声が硬くなった。
「僕は、兄に本当は何があったのか知りたい。その為に、命をかけても構わないと思っている。でも、それを君には強制しない」
アルヴァロのサファイアの目は真っ直ぐ覚悟が決まっていた。
グラシエラも、ヘーゼルの目を真っ直ぐアルヴァロに向ける。
「私も、マファルダお姉様の無実を証明する為なら、どんなこともやります。命だって、惜しくない」
グラシエラのその答えに、アルヴァロは一瞬だけ悲しそうな表情になる。しかし、すぐに口角を上げて力強い笑みになった。
「君の覚悟、しっかりと受け取った。『王宮殺人事件』の真相、そして王家が関わっている証拠を見つけよう」
「はい」
グラシエラとアルヴァロは、硬く握手を交わした。
しかし、グラシエラはアルヴァロに少し異変があることに気付く。
「……アルヴァロ様、もしかして熱があります?」
アルヴァロの手が、いつもより少しだけ熱く感じたのだ。
「熱……?」
アルヴァロはきょとんと首を傾げている。
「アルヴァロ様、少し失礼します」
グラシエラはアルヴァロの額に触れた。
アルヴァロの額は、しっかりと熱かった。
「アルヴァロ様、完全に熱です。……きっと昨日私を庇って噴水に落ちたからですよね。申し訳ございません」
グラシエラは申し訳なさでいっぱいになる。
「いや、昨日の件はグラシエラ嬢のせいではない。僕が勝手にやったことだから」
グラシエラに向けられるアルヴァロのサファイアの目は、とても優しかった。
「でも、少し甘えさせてもらうとしたら、しばらく休ませてもらいたいかな」
ほんの少し熱があるアルヴァロの表情は、少しだけ色っぽく感じ、グラシエラは少しドキリとした。
「……ええ。まずはゆっくり休んで体を回復させましょう」
アルヴァロは風邪を引いたようで、しばらく休むことになった。
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