抱いてはいけない恋心
グロートロップ王国の王都ソビラの昼下がりは、明るく賑わっている。
グラシエラがマリャル侯爵家の馬車の窓から外を覗くと、魚や果物や香辛料を売る露天商や修道士や水瓶を運ぶ女性の姿が見えた。
グロートロップ王国は海を挟んだ南の大陸の国々と交流があるので、南の大陸から珍しい香辛料などが庶民の暮らしにも流入している。
グラシエラは王都の様子に表情を明るくした。
「グラシエラ嬢、何だか楽しそうだね。さっきよりも良い表情だ」
アルヴァロはホッとしたような表情である。サファイアの目は、優しげにグラシエラに向けられている。
「ええ。改めて、王都がこんなにも活気に溢れていることに驚いております。……今まではマファルダお姉様の無実を証明することばかり考えていましたので、このように王都をじっくりと見たことがありませんでした」
後半、グラシエラは苦笑して肩をすくめた。
(それに、さっきまではアルヴァロ様を傷付けたりマファルダお姉様を侮辱したレアル伯爵への怒りに支配されていたわ。アルヴァロ様は、そんな私の為に気分転換に王都を回ることを提案してくれた)
グラシエラは、自分のことを思ってくれたアルヴァロに対し、じわじわと嬉しさが込み上げる。
「じゃあ、今日はゆっくりと王都を見てみようじゃないか。僕もあまり王都に出る方ではないけれど、雰囲気の良いカフェを見つけてある。そこにも行ってみよう」
ミステリアスだが、どこか甘く優しい表情のアルヴァロだ。
グラシエラはゆっくりと頷く。
「はい、楽しみです」
胸の奥で、何かが動き出しそうだった。
しかし、それを抑えるグラシエラ。
(でも、アルヴァロ様とは、五年前の『王宮殺人事件』の真相を解明するまでの関係よ)
グラシエラはそう言い聞かせるのであった。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
その後、グラシエラとアルヴァロは馬車から降りて露天商や雑貨屋などを回っていた。
「グラシエラ嬢、見てごらん。珍しい香辛料だ」
「これは……刺激的な香りですわね」
目の前の真っ赤な香辛料の独特の香りに、グラシエラは何とも言えない表情になる。
「ああ。まだグロートロップ王国に入って来て間もないらしい」
「確かに、あまり見たことがありませんわ」
グラシエラはアルヴァロと二人で、露天商の香辛料に夢中になっていた。
ちなみに、王宮図書館にいた時のグラシエラはドレス姿だったが、今のグラシエラは動きやすいワンピース姿だ。アルヴァロも、平民に見える服装である。
王都を歩く際、ドレスだと思いっ切り貴族であることを周囲に示す形になり、金目のものを狙う者達の餌食になりやすい。
よって、グラシエラとアルヴァロは王都の仕立て屋で平民に見える服装を購入したのだ。
しばらく歩くと、刺激的かつ食欲をそそる香りが漂い、グラシエラの鼻を掠める。
その香りにより、ぐうっとグラシエラのお腹が鳴った。
「グラシエラ嬢、お腹が空いたんだね」
グラシエラのお腹の音に、アルヴァロはクスクスと笑っている。
「……香りに刺激されただけですから」
グラシエラは恥ずかしくなり、アルヴァロから顔を背けた。
その時、ぐうっとアルヴァロのお腹も鳴る。
「確かに、空腹を刺激する香りだ」
そう笑うアルヴァロは、年相応の表情だった。
まるでマリャル侯爵家当主代理としての役割や、五年前の『王宮殺人事件』のことなどを全て忘れて楽しんでいるように見える。
そんなアルヴァロの表情を見て、グラシエラは少しだけホッとしていた。
(よく考えたら、アルヴァロ様と私はあまり歳が変わらないのよね)
今年十六歳のグラシエラと、今年十七歳のアルヴァロ。年齢は一つしか変わらないのだ。
「グラシエラ嬢、この香りはそこの屋台で売っている串焼きみたいだ。せっかくだし、買ってみよう」
年相応の表情のアルヴァロ。声も少しだけ弾んでいるように聞こえる。
グラシエラは表情を綻ばせて頷く。
「ええ、行きましょう」
アルヴァロはグラシエラの為に王都巡りを提案してくれたが、グラシエラもアルヴァロに楽しんで欲しいと思うのであった。
「これは……ピリッと辛いけれど癖になる……!」
「そうですわね。ニンニクと香辛料の香りが、余計に食欲をそそりますわ」
屋台で売っている牛肉の串焼きを買ったグラシエラとアルヴァロ。
二人は串焼きを頬張っていた。
口の中に牛肉の旨味と共に、ニンニクと香辛料の香りが広がる。舌をほんのりと刺激する辛さは、グロートロップ王国にはない香辛料を感じさせる。
「この香辛料、海を挟んだ南の大陸から入って来たものでしょうか?」
「恐らくそうだろうね」
グラシエラはアルヴァロと会話をしながら串焼きをもう一口頬張った。
牛肉のジューシーな脂と、バターの塩気やニンニク、香辛料が口の中で絡み合う。更に、炭火で焼かれているのかスモーキーな香りが広がった。
「これは止まりませんわ」
「確かに。マリャル侯爵家の料理人にも作ってもらおうかな」
「それなら、私もメゼネス伯爵家の料理人に頼んでみますわ。作ってもらえるかは分かりませんが」
「作ってもらえないならば、マリャル侯爵家で振る舞うよ。グラシエラ嬢、君は僕の婚約者だろう?」
フッと悪戯っぽい表情になるアルヴァロ。そのサファイアの双眸は、ほんの少し熱がこもっているようだった。
「それは……」
五年前の『王宮殺人事件』の真相が解明するまでの、偽の関係である。
そう言おうとしたが、グラシエラは言葉に詰まってしまった。
心臓が煩くなる。
(私、最近ずっとおかしいわ……!)
アルヴァロのことになると、調子が狂ってしまう。
「グラシエラ嬢、串焼きが冷めてしまうよ」
アルヴァロは相変わらず悪戯っぽい表情だ。
そのサファイアの目は優しげではあるが、何を考えているのか読めない。
グラシエラはもう一口、串焼きを食べる。
味が分からなくなっていた。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
グラシエラとアルヴァロは串焼きを食べ終わった後、ひっそりとした隠れ家的なカフェに来ていた。
こぢんまりとしていて、テーブルや椅子は木目調で統一された、温かみのあるカフェである。
「貴族や王族が行くカフェよりも、僕はこっちの方が落ち着く」
窓の外に目を向けるアルヴァロは、穏やかな表情をしていた。
「確かに、こういったカフェの方が社交界のことなど……色々と忘れることが出来ます」
グラシエラも窓の外に視線を向ける。
荷物を運ぶ行商人、買い物をする女性、家の手伝いをする子供など、街行く人々は様々であった。
更に、ジャカランダの華やかで薄紫色の花が、街を染め上げている。
(この国の王都は、こんな雰囲気だったのね……。それに、ジャカランダの花。もう初夏なのね)
グラシエラは表情を和らげた。
そんなグラシエラに対してアルヴァロがホッと安心したことを、グラシエラは気付いていない。
その時、注文したものが運ばれて来た。
グラシエラはエッグタルトと紅茶、アルヴァロはアーモンドケーキとコーヒーを頼んでいた。
グラシエラはエッグタルトをナイフで一口分に切り、口に入れる。
パイ生地はバター風味でサクサクしており、カスタードの焦げ目が香ばしい。
「桃のタルトもあったのに、エッグタルトにしたんだね」
アルヴァロは意外そうにサファイアの目を丸くしていた。
グラシエラの好物が桃であることを覚えていたようだ。
アーモンドケーキを一口食べるアルヴァロの所作は、流石は侯爵家というレベルである。
「エッグタルトは……マファルダお姉様の好物なのです」
グラシエラはポツリと呟いた。
メゼネス伯爵家で、ティータイムにエッグタルトが出された時のマファルダの嬉しそうな表情。今でもはっきりと思い出す。
こぢんまりとして静かなカフェなので、その呟きはしっかりとアルヴァロの耳にも届いたようだ。
「そうだったのか……」
アルヴァロはコーヒーを一口飲んだ。
「マファルダお姉様……」
マファルダの優しい笑顔、グラシエラを呼ぶ穏やかな声、一緒にヴァイオリンを弾いた時のことなど、グラシエラの脳裏にはマファルダとの思い出が流れ込む。
それにより、グラシエラのヘーゼルの目からは一筋の透明な涙が零れていた。
「グラシエラ嬢、これを」
アルヴァロはサッと自身のハンカチを差し出してくれた。
「……ありがとうございます」
グラシエラはアルヴァロからハンカチを受け取り涙を拭う。しかし、涙は次から次へと溢れ出していた。
「グラシエラ嬢……マファルダ嬢とのこと、聞かせて欲しい」
「アルヴァロ様……」
全てを受け入れ、包み込むかのようなアルヴァロの眼差し。
グラシエラは涙を流しながら、ゆっくりとマファルダとの思い出を話した。
「マファルダ嬢は、優しくて素敵な姉君だったんだね」
グラシエラの話を聞き終えたアルヴァロは、優しく穏やかな声だった。
「ええ……。だから、冤罪で理不尽で追い込まれて死んでしまうなんて……!」
マファルダを失った悲しみと怒り。その感情に何度支配されたか分からない。ひょっとすると、もうずっとその感情に飲み込まれているのではないかとすら思う。
すると、不意に体が温かなものに包まれた。
正面に座っていたはずのアルヴァロがいつの間にはグラシエラの隣に来ており、グラシエラはアルヴァロに抱きしめられていた。
「グラシエラ嬢、全て吐き出してごらん」
優しく、全てを包み込むかのようなアルヴァロの声。
グラシエラの中で何かが決壊し、アルヴァロの腕の中でひたすら涙を流すのであった。
「アルヴァロ様……ご迷惑をおかけして申し訳ございません……」
ひとしきり泣いた後、グラシエラは肩をすくめてアルヴァロに謝罪した。恥ずかしさで頬は赤く染まっている。
エッグタルトを一口食べると、甘く優しい味が口の中に広がった気がした。
「いや、気にすることはないよ。僕の方こそ、いきなりすまない」
アルヴァロのサファイアの目は、まるでグラシエラの全てを受け入れてくれているかのようである。
グラシエラはそのアルヴァロの眼差しに、吸い込まれそうになった。
(ああ……そうなのね……)
そこでグラシエラはようやく自分の気持ちに気付く。
マファルダの無実を信じ、先程のグラシエラを受け入れてくれたアルヴァロ。
(私は、アルヴァロ様のことが、好きなのね……)
グラシエラはアルヴァロへの恋心を自覚したのである。
(でも、アルヴァロ様とは事件の真相解明までの関係よ。恋心を抱いてしまうなんて……)
グラシエラは必死にその恋心を封印しようとするのであった。
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