第四話 明日。
「いっ…………たぁ……」
口にしみる痛みで目を覚ました。ここ四日と同じ目覚め方。正直全然我慢できるが、それはそれとしてかなり不快だ。
ベッドから降りて姿見の前に立つ。
半袖の寝巻から包帯に巻かれた二本の腕が覗いていて痛々しい。
結局あの後、意識を失った優太朗は病院に連れていかれた。容体はそこまで酷くなく簡単な治療だけで済んだそうだが、半日ほど目を覚まさなかったそうだ。
起きたら病院のベッドの上なんて経験、きっと人生で数回しかないだろう。
傷も深くないのですぐ退院できたし、腕と額以外はそんなに目立たないので生活に不便な思いもしていない。
だが痛いものは痛いし、何より口内の傷が治るまではこの不快感と闘わなければならない。
「っ……! うう~~……」
「大丈夫? やっぱまだ痛むかー。」
「全然大丈夫。食べる時くらいだから、痛いの。」
やはり最悪なのは食事が楽しくないことだろう。右側の頬に食べ物を入れてしまうと痛くて仕方がない。
日常の一次活動にわざわざ意識を裂くようなことはしたくないというのが本音だ。
「はあ、優太朗。ほんとに今日学校行くの? まだ休んでもいいんじゃない? 病院でも安静にって言われたし……」
「いや、行くよ。もうそんなに痛くない。ただでさえ金曜休んでるんだから。」
朝食の食器をシンクに運んで歯を磨く。歯磨きすら慎重に行わなければならないといけないなんて、随分と面倒くさいことになった。
しかしあの夜を思い出すと自然と口元がにやけてしまう。
彼女の名前を知れた。まだ名前しか知らないが、それでも大きな一歩だと思う。
ああ、にやにやと気持ち悪い。
歯を磨きながら自分の頬をつねって、なんとか口元の気持ち悪い歪みを直線に戻そうと努力した。
「なーににやにやしてんの。」
「……別に。」
背後から聞こえる母の声に適当に返答した。
しかし、にやけてしまうのも仕方ないだろう。何と言ったって今でも視界には色が残っている。ずっと求めていたのに今まで手に入れる方法が分からなかったものを手に入れて、嬉しくなってしまうのは何もおかしくない。
例えるならば、解放条件がわからなかった秘密のダンジョンに入れるようになったようなものだ。
「……じゃあ、行ってきます。」
『BRANCH』のドアに手をかけると、慌てて母が階段を下りてきた。
「あー行くのー? ちょっと待って、送るから。」
「え? 店はどうすんの?」
「いや今日も閉めるよ。一人息子がこんな状態なのに仕事なんてしてる場合じゃないでしょ?」
優子は厨房の締めをしているときに優太朗が病院に運ばれたと連絡が入り、締めを放置して大慌てで車を走らせたそうだ。
優太朗が目を覚ましてからまず母から送られたのは安堵の声だった。
しっかりと店もしばらく休業日扱いにして優太朗を安静にすることに専念してくれのは嬉しいが、優太朗としては気にしないで店を楽しんで欲しいとも思う。
「GW、ずっと閉めてたんでしょ? 大丈夫だって。」
「いいのいいの。ほら、行くよ。」
優太朗は仕方なく流されて車の後部座席に乗り込む。別にいいのにと思いながらも、親の厚意には甘えておいたほうがいいのだろう。
ボーっと車の窓から外の景色を見ていた。親に学校まで送ってもらうなんて何年ぶりだろうか。
きっと小学生の時が最後だったと思う。
あの頃は朝が苦手でよく寝坊していた。別に今でも早起きは苦手だが。
……やっぱり綺麗だ。
世界の色が見えるか見えないかだけで、こんなにも心の存在感に違いがあるなんて思わなかった。
「……花月……彩葉さん……」
本当に誰にも聞こえないくらいの大きさで無意識にそう呟いていた。
なんで自分が彼女の名前を口にしたのかは分からない。自分で思っている以上に、彼女は大きな存在として心に刻まれていたのかもしれない。
なんだろう。なんと表せばいいのだろう。
この妙な感覚を俺は理解できなかった。
「優太朗、着いたよ。おーい。聞こえてる?」
「あ、はい。……じゃ、行ってくる。」
「はーい、帰りも迎え来るからね。」
優太朗は一旦聞き流して車の扉を閉めるが、変だなと思って振り返る。
「ちょ、ちょっと待っ──」
時すでに遅し。車は走り出していた。
優太朗は仕方なさそうな顔をしながら昇降口をくぐる。
腕中に包帯を巻いて、額にガーゼを貼っている長身の男は目を引いた。同級生だけでなく、先輩や後輩からも視線を感じる。
人に見られるのには慣れていた。背が高いというだけで人は注目するものだ。けれど流石にこの怪我は不審に思われているかもしれないと思い、早足で教室に向かう。
「髙木!? それどうしたん!?」
「あーちょっとミスった、みたいな……まあ、そんな酷くないから。」
「うえー……ヤバ。めっちゃ痛そう。」
廊下で同級生に遭遇するたびに心配の声や驚愕の視線が浴びせられた。
仕方ないことだが歩くだけで気まずいというのは困る。皆さっさと慣れてくれればいいのだが。
二年六組の教室には疎らにしか生徒がいなかった。送迎の影響でいつもより早く着いてしまったからこれくらいは想定内だ。
鞄を置き、教室の中央に座ってスマホを弄っている後ろ姿に真っすぐ近づいて行く。
「前嗣、おはよう。」
「……髙木。おはよう。……結構派手にやられたね。」
前嗣たちには既に事の顛末を話しているのでこれくらいの反応が妥当なところだろう。まあ、前嗣なら初見でもこんな感じな気もするが。
「まあ、そんなにヤバすぎるわけでは無いんだけど痛いのは痛い。」
前嗣は結構早くから登校しているらしい。
早く来る理由が少し気になったが、別に聞かなくてもいいかと口を閉じる。
「…………」
「…………」
正直、前嗣と二人きりの時は話が弾まない。彼は基本的に話題を振らないし、俺は前嗣がどんなことに興味を持っているのか知らない。
「……なんか奢ろうか?」
「え…………えええっっっ!? いやいやいいよ! 俺前嗣に何にもしてねーし!」
「まあ、確かに。」
優太朗は驚愕の表情のまま固まって、二人の間には短い沈黙が生まれた。
「……さ、前嗣って誰かに奢ったりするんだ……?」
「しない。」
「えぇ……?」
どう会話を続ければいいのか思案していると教室のドアが勢いよく開かれ、大きな声が二年六組に響き渡る。
「おはよー!!!」
二年六組の者ならば顔を見なくても誰か分かる。いや、二年の男子なら誰でも分かるかもしれない。
この大きくて快活な声の主は明だ。
「おっ、優太朗ー! 今日は早いん──」
鞄も置かずにこちらに向かってきて、朝から元気に口を開いた。
「うん。今日はお母さんに送ってもら──」
「うわあああ!? 優太朗~! 死ぬなああ!」
「い、いや死なねーって! そんなに酷くないし……」
「え~ヤバ……こんなにボコられたん?」
明は心底驚いた顔で優太朗の腕を穴が開くほど見つめている。
見られて減るものでもないので不快ではないのだが、そんなにマジマジと見て面白いものだろうか。
「いや、実際は擦り傷とか打撲ばっかりで本当に酷くは無いんだよ。ただ絆創膏とかガーゼだらけだから包帯巻いた方が見栄えがいいんだ。」
「見栄えとか、気にしてる余裕あるんだ。」
前嗣はスマホを見ながらそう呟いた。明がすかさず前嗣の肩を全力で揺さぶり始める。
「前嗣! ちょっと棘がエグ過ぎ!! もっと配慮しなさい!」
「いや、見栄えつっても傷がはみ出したり青なじみが見えちゃったりするのを隠してるだけで……」
「優太朗、青なじみって方言らしいよ?」
「えっ、そうなん!?」
前嗣と明は中学生の頃からの仲らしく、明がいると前嗣の口数が増える気がする。
こんな日常も、色があるかないかで充足感が大きく違う。二人の表情もいつもよりハッキリ見える。何気ない会話をこんなにも楽しいと感じたのは初めてかもしれない。
全て、花月 彩葉さんのおかげだ。
その後、叶采もホームルームギリギリで登校してきたが、
「かっこいー。」
と笑って言っただけだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あとこれ、今日提出のはずの課題ね。ちゃんとやって来いよ?髙木は未提出常習犯だからな。」
「はいはい、分かってるよ。期待して待ってて。」
「期待しないで待ってるよ。」
数学係の岡芹から課題の範囲が書かれたメモを受け取って手早く机にしまった。
全く……『未提出常習犯』なんて人聞きの悪い異名、誰が名付けたのだろう。未提出な訳ではない。ちょっと提出期限を過ぎてしまうだけだ。
「優太朗ー、今日は遊び行く?俺らファミレスでも行こうかと思ってんだけど。」
「明……お前最近毎日遊んでないか? 課題とか絶対出してないだろ。」
「うっ…………でもそれは優太朗だって大丈夫じゃないだろ!」
「……まあ、とりあえず今日は帰るよ。お医者さんにも安静にしろって言われてるし、お母さんが迎えに来るらしいから。」
「なんか話逸らされた気がするんだけど!?」
「じゃあなー。」
優太朗は容赦なく鞄を持って廊下に向かって歩き出す。背後からは明の大きな声が飛びかかってきた。
「おーい! 待てよー! また明日なーー!!」
少し、考えてしまった。
『また明日』という言葉は残酷だ。誰がそれを保証してくれるのだろう。
明日はないかもしれない。明日には、二人のうちどちらかはいないかもしれない。全てが無事だったとしても必ず会えるわけではない。
……何を厨二病みたいなことを考えているのだろう。
どうでもいい。さっさと返事をして帰ろう。
『また明日』の適切な返事は何だ。一般的には『また明日』がそのまま返事になる。しかし変なことを考えてしまったせいで気軽にその言葉が口にできなかった。
「……おう……!」
できる限り元気そうに返事をしたが、なんて中身の無い返答だろう。
花月 彩葉さんに真っすぐに向き合いたいなどと思った人間と同一人物とは思えないほどの臆病者。
また少しだけ、自分の嫌なところが見えてしまった。
「……やっぱ優太朗、なんかあったんじゃね?」
明は前嗣の前の席に座って心配そうに声をかける。
「なあ、俺いつも通りに話せてたか!? 正直めっちゃ怖かったんだけど!」
「……大丈夫でしょ。元気そうだったし。」
「いやいやでも、こないだなんかあったんじゃねって話してた日じゃん! 優太朗が女の子庇ってボコられたって言ってたの! どうするよ、ほんとは女の子とか全部嘘でただの喧嘩とかだったら!」
「……どうもしない。そもそも髙木相手じゃ喧嘩にならないし。」
「……まあ、そっか。……あいつ殴られっぱなしだもんなー。」
いつの間にか隣に立っていた叶采がニコニコ笑顔で口を開いた。
「優太朗の話ー? そんなに心配しなくてもいいんじゃないかなー。優太朗はいい奴だし、人をイラつかせることもないでしょ。多分、本当に誰かを守ったんじゃない?」
「叶采はポジティブだなー。まあ、あいつから言わない限りは信じるけどさ。それに、女の子庇って傷だらけとか超かっけーし! ヒーローかよ!」
「明だってポジティブじゃーん。」
二年六組の教室に明るい笑い声が響いた。
いつも通りとは少し言い難い、心配を孕んだ笑い声だった。
「……お待たせ。別に迎えはよかったのに。」
車のドアを開けて早々、優太朗は呆れたような声でそう言った。
「お疲れ。そういう訳にもいかないでしょー? 優太朗、また何してくるか分からないし。」
「いや大丈夫だよ。気を付けるから。」
「気を付けてって送り出したのに傷だらけで病院送りになった人が何言ってんの。」
全くもってその通りです。すみませんでした。
窓の外は少し夕方らしい色になってきていた。スマホを見ていると酔ってしまうのでそこら辺の景色しか見るものがない。
「包帯、なんか言われた?」
母はよく何か言われたかと聞いてくる。髪を切った時も、スマホのケースを変えた時も、体中に傷を作った時も、友達に何か言われたかと聞いてきた。
正直なところ、男子高校生は変化に対して大きな反応を示すようなことはあまり無い。
まあ流石に今回は色々言われたが。
「……色々。」
あまりにそのまますぎる答え。もう少し本当に言われたことを思い出してみても良かったかもしれない。それはそれとして、これくらいでよかった気もしている。
世の男子高校生はもっと母親と話を弾ませているのだろうか。だとしたら少し申し訳なさを感じなくもない。
「色々ってー?」
「んー……死ぬな、とか。」
「しぬな? はははは、おっかしい! そんなんで死ぬわけないじゃんね!」
よく考えれば、友達の話なんてしたこと無かった気がする。
もしかしたら、知らず知らずのうちに母との間にすら壁を作っていたのかもしれない。
小さくため息を吐いた。
なんだろう。彼女と出会い、彼女の真っすぐさに向き合おうと思ってからというもの、自分がどれだけ他人に向き合ってこなかったのかがよくわかってしまう。
彼女のせいだなんて言うつもりはない。当たり前だ。彼女にどれだけ救われたことか。
しかし過去の自分の罪を目の前に見せつけられているようで、忸怩たる思いが胸を蝕むように広がる。
自分を責める自分が増えていく。
夕陽も優太朗のことを責めるように瞳を突き刺していた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
学校帰りに休業している『BRANCH』を見るのは新鮮だった。
いつも客が多い訳ではないが一層がらんとしている。静かな店内には本の匂いが広がっていた。
「……明日はちゃんと店開きなよ。」
「えー、休みに慣れちゃったからめんどくさい……しばらくサボろっかなー。」
「めんどくさいって……なんだかんだ楽しんでるくせに。」
自室に戻ってベッドに倒れこみ、ボーっとシーツを見つめる。
何の意味もない行動、何の意味もない時間──
──だったはずなのに、なぜだろう。
今日は彼女のことを考えてしまう。
あの色が見たい、なんて強欲だ。
見ようと思って見るものではない。
考えてみればあの夜だって『笑顔を貰えますか』なんて随分と図々しかった。
……暇だ。普段なら下のカフェを手伝ってる時間だ。やることがないとうずうずしてしまう。
「課題でもやるかぁ。」
机に向き合ってペンを持ち、深呼吸をした次の瞬間には彼女の笑顔を思い出してボーっとしていた。
「やってられるか……」
適当な服に着替えて部屋を出る。
どうせ集中できないのなら、いっそのこと思い切ってしまえ。
「お母さん、カフェ使っていい?漫画とか読みたいんだけど。」
「いいよー。自由に使いなー。」
後ろで縛っているヘアゴムを外し、前髪を軽く上で縛り直す。
カフェが静寂に包まれているのはいつも通りだ。仮にも図書喫茶なので、皆静かに使ってくれる。
しかし厨房からも一切音が聞こえないと異様な雰囲気があった。
普段通り夕陽に包まれた店内は優太朗の寂しさを際立たせる。
「……あ!!」
大きな声を出してみても返事はない。一人きりなのは分かりきっているのに、やはり寂しさを感じてしまう。
……何がしたくてカフェにいるのだろう。漫画だって高校に入ってからというものほとんど読まなくなってしまった。
結局何もしないまんま、頭の中では女の子の事ばかり考えている。
存在する座標を変えたって性質は変わらない。人間はそんなに簡単には変われない。
「花月……彩葉……さん。」
気になる。この色は、なぜ彼女から貰えたのだろう。
彼女のことを思い出してみる。彼女は何をしていただろう。
俺に色をくれた時のことは既に幾千万と思い出した。そこじゃない。普段の彼女は何をしていた?
本、ココア、端の席。
それだけ。
……何か、勘違いをしていた。少なくとも一週間くらいは彼女と会っていた気でいた。
まだ、五日しか経っていない。しかも彼女とはその間の二日しか会っていないのだ。
「……まだ何にも、知らない。」
本当に、まだ何も知らないのだ。
静かな店内を歩いていると、とある本が目についた。
『珈琲味の出会い』
彼女が読んでいた本。ジャンル的には恋愛小説らしい。
思わず一巻を手に取ってしまう。表紙にはカップに入った珈琲が描かれていた。
一応確認のために四巻も見てみるが、そこには変わらずタピオカミルクティーがある。読めばその理由もわかるのだろうか。
因みに二巻にはミルク。三巻にはオレンジジュースと思しきものが描かれている。
……読んでみよう。少しだけ寂しさも紛れるかもしれない。
どうせなら彼女の真似を、同じ席で同じ本を読もう。
彼女が座っていた席につき、『珈琲味の出会い』の一巻をテーブルの上に置いた。
座ってみて初めて気づいたが、彼女も彼女で良い席を選んでいたのだろう。
本棚ゾーンから近く、上にはちょうど照明がある。窓際ではないが大通りもいい感じに見えるし、夕陽が程よく差し込んでいて邪魔にはならない。
「さて…………と。」
小説なんて何年ぶりに読むだろうか。自発的に読んだのは小学生の頃が最後だった気がする。
表紙をめくり、目次を読み飛ばし、幼い頃と同じように新しい世界へ飛び込んだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……ふう、ちょっと休憩。」
『珈琲味の出会い』の一巻を閉じ、背もたれに深く寄りかかる。
単刀直入に言えば、思っていたよりも面白かった。
それと同時に、どうしてあの日この本の五巻が推理小説の棚に置いてあったのか分かった。主人公が探偵なのだ。
主人公の若い探偵と、その助手の女の子がメインの恋愛小説。そして他にも様々な登場人物がいて、表紙の飲み物たちはそれぞれ登場人物たちのモチーフになっている。
主人公はよくブラックコーヒーを飲んでいるし、助手の子はミルクを好む。それに、一巻の最後の方で登場した幼女のようなライバル探偵は、オレンジジュースを飲むと頭が冴えるという設定があった。
さらに高評価につながったのは、推理要素が恋愛要素に引けを取らないほど面白いと感じられたことだ。ジャンルを推理小説と勘違いしてしまうのも頷ける。
天井を見上げてボーっとする。
彼女は読書が好きなのだろうか、なんて考えてしまった。
母曰く、彼女はよく『BRANCH』に来ているらしい。まあそもそも、こんな話題性もないカフェにわざわざ来るなんて本好き以外に考えられない。
「……昔なら……俺も……」
いや、これからだって間に合うだろう。
不純な動機でもいい。彼女とまた会った時の話のタネにでもなれば十分だ。
どうしても感謝を伝えたかった。色をくれてありがとうと、それだけ。
こんな欲が自分の中に生まれるなんて思いもしなかった。こんなにも誰かを大きく感じたのは久しぶりだと思う。
嬉しいような、辛いような、何とも言えない気持ちだ。
そうして五分ほどボーっと天井を見ていると、突然窓の方からコンコンと叩くような音がした。
期待なんてしていない。別に何にも考えていなかった。
なのに、そこには彼女がいた。
不安そうな顔をしてこちらを真っすぐに見ていた。
その時の俺がどんな顔をしていたかなんて一生知りたくない。
「え、え……えぇ……?」
心底困惑した優太朗は、背もたれに体重をかけすぎて後ろに向かって倒れていく。
ガターン!!と大きな音を立てて、無様にも床に頭を打った。
「いっっっ…………て……」
窓の外の彼女も驚いたように口を開けている。
後頭部の痛みなんて一瞬で忘れて立ち上がり、入口の方へ急ぐ。
ドアの鍵を開けて顔を覗かせると、彼女も小走りでこちらに近づいて来た。
「あ、えっと…………こんにちは?」
しまったと思う。特に話す準備もせずに外に出てきてしまった。
このままだと気まずくなってしまう。何か、何か言葉を……。
「こ、こんにちは! ……えっと……た、髙木さん、ですよね?」
……覚えていてくれたんだ。こんな大したことのない人間のことを。
「……はい。そ、そちらは……花月さん? ですよね?」
「はい! そうです! 覚えててくれたんですね!」
彼女は小さな微笑みを浮かべてそう言ったが、その笑顔からは色が得られなかった。
「ど、どうしてここに……?」
「あ、そうでした……その、お礼がしたくて。」
そう言うと、彼女は手に持った紙袋をこちらに差し出してきた。シンプルな白地に書道のような文字が書いてある。
「お礼……? これは……」
「でも、つまらないものなんで……他に何か欲しいものとかありますか?」
『欲しいもの』などと今聞かれれば、思いつくものなど一つしかない。しかしそんなことを告げられるはずもなく、少し黙ってしまう。
「……これ、中は何ですか?」
「ほ、本当に大したことないものなんですけど……八ツ橋です。ここのカフェ、洋菓子とかはあるから和菓子の方が新鮮でいいかなと思って。」
「……じゃあ、一緒に食べませんか?お礼を自分で貰うっていうのも変な話かも知れませんけど、俺も暇だったのでどうせなら少しお話でもしたいなーなんて。」
欲に背を押されているだけかもしれない。あわよくば笑顔が見たいとか、無意識に思っていたのかもしれない。
でもチャンスを逃すようなことはしたくなかったし、そもそも話がしたいというのだって本心だ。決して嘘なんかじゃない。
彩葉はポカンと優太朗を見上げている。優太朗が少し身を屈めていてもなお、身長差は歴然だ。
「い、いいんですか? 渡してすぐ帰るつもりだったんですけど、本当は……ずっとお話したいと思ってたんです……!」
「はい、じゃあ入ってください。今日は休業日なので、実質貸し切りですから。」
彼女を中に招き入れて、さっきまで座っていた席に案内する。店は閉まっているので電気も点いていないが、夕陽のおかげで暗くはなかった。
「……これ、開けてもいいですか?」
受け取った紙袋をテーブルの上に置いて彼女の顔を見る。
正直な感想を言えばとてつもなく気まずい。なにせ、お互い相手の事なんてほとんど知らないのだから。合う話も思いつかないし、そもそも何を話したくて中に誘ったのかも分からない。
……やはり気まずい。目も上手く合わせられない。というか花月さんも俯いている。
取りあえず何か言わなければと口を開いた。
「あ、あの、もしかしなくてもこれって結構高いやつですよね? 本当にこんなの貰っちゃっていいんですか?」
「え、いや、別に高くなんてないです! だって……これでもまだ足りないくらいですし……」
消え入りそうな声、とはこのことだろうか。しかもまたすぐに俯いてしまった。
さっきまでの会話に嫌われている感触は無かったのだが、こうなってくると自信が無くなってくる。
「そんな。足らないなんてことあるわけ──」
「あの!!」
──ビックリした。今までで一番大きな声だったと思う。
「本当に、ごめんなさい! わたしのせいで、そんなに傷だらけになってしまって……」
思わず、ポカンとしてしまう。
色々な考えが頭の中を巡った気がするが、一秒後には全て忘れていた。
言うべきことはもう分かっている。考える必要なんて無い。
「……治療費とか……お金なら払えますので……本当にすみ──」
「花月さん。結局お金を払うんじゃ、俺が庇った意味が無くなっちゃいます。それに……あの日、俺がなんで『ありがとう』を求めたか分かりませんか?」
思い出すだけで恥ずかしいが、今だけ我慢しろ。これが終わればあの幼稚な要求だけ記憶から消せばいい。
彼女は黙りこくって、困ったような目でこちらを見てくる。
「えっと…………」
「『ありがとう』の方が、嬉しいって思ったからです。そもそも花月さんから悪いことなんて一つもされてませんし。少なくとも俺は、『ごめんなさい』よりもそっちの方が……なんかいい気分になれました。」
彼女の眉はどんどんハの字に歪んでいく。瞳が潤んでいるのが、目の悪い優太朗にも分かった。
「だから、できれば俺は謝って欲しくはないです。……ていうか、今日はお礼を言いに来たんですよね。なら尚更、俺は『ありがとう』っていい笑顔で言ってくれた方が嬉しいです。」
できる限りの作り笑顔でそう言った。
実は少しだけ笑顔は苦手だ。昔ならばもっと純な笑顔を浮かべられたのだが。
彼女はグイッと涙を拭ってこちらを見据える。
「……本当に、助けてくれてありがとうございました……! こんなお礼しか言えませんが……本当に、ありがとうございます……」
……いい笑顔だ。そうとしか言えまい。
これが見たかった、なんて言ってしまえば今までの言葉が嘘だったようだし、実際に笑顔が見たくて言葉を紡いだわけじゃない。
ただ、最高のお礼を貰えたなと嬉しくなってしまっただけだ。
「どういたしまして。……じゃあ、八ツ橋食べますか?」
「えっ、そ、そんなに軽く……」
「えっ、軽いですか? す、すみません……」
「……ふっ、ふふふ……さっき自分で悪いことしてないなら謝らないで、なんて言ってたのに……自分で謝っちゃってますよ。」
ああ、顔が熱い。恥ずかしい。
矛盾とはこの事だろうか。いや、矛盾もなんか違う気がする。
もっと語彙力を鍛えておくべきだった。
「と、とりあえず食べましょう……! せっかくの高級品ですし。」
「ふふ、そうですね!」
彼女は気分が晴れたようでニコニコと笑顔を浮かべるようになった。
なんにせよ、上手く伝えられてよかった。ずっと辛気臭い顔で謝られてはこちらとしても気分がよくない。
やはり、彼女には笑っていて欲しかった。
「……そういえば、勝手に中に入っちゃって良かったんですか?ここ何日か休業してましたよね?」
紙袋を破らないようにゆっくりと開ける優太朗に、彩葉はそんなことを聞いた。
「? はい、大丈夫ですよ。休業にしてるのはお母さんが俺の面倒を見るためですから。俺は大丈夫って言ったんですけどね。」
「? お母さん? それと『BRANCH』の休業に関係があるんですか?」
それを聞いてようやく、優太朗は彼女が不思議がる理由に気づいた。
不思議そうに目を丸くし、首を傾げる彼女はとても可愛い。
「ああ、そういえば……俺のお母さん、ここの店長やってるんです。なんで、休業中の今はカフェも俺の家の一部なんです。」
「お母さんが店長……髙木さんのおうち……え、えええーーーっ!?」
さっきのを撤回しよう。今のが一番大きな声だ。間違いない。
「そ、そんなに驚きます? まあ、確かに言ってなかったですけど……ていうか休業してたこと知ってたんですね?」
「そ、それは……えっと、お礼言おうと思って……あの日から通ってたので……」
「えっ、そうだったんですか? それはすみません。」
「……髙木さんって自分が言ったこと忘れるタイプなんですか?」
そんな会話を交わしながら八ツ橋の包み紙を開けた。
いかにも高級品らしい並び方に息を呑む。
「うわぁ……美味しそう……」
「わぁ、こんな風になってたんですね! 本当に美味しそう……」
「え、知らなかったんですか?」
「あ。……これ、お母さんがよく行くお店のやつらしくて……わたしもどんな風に入ってるかは知らなかったんです。食べたことはあったんですけど。」
なるほど。流石にこんな小さな女の子が、こんな高そうなものを自分で選んでくるわけがない。
少し引っかかっていたところがするりと飲み込めた。
「……えっと、食べていいですか?」
「髙木さんへのお礼として持ってきたものなので許可なんていらないですよ!」
「じゃあ、頂きます。」
予め用意したヒメフォークで八ツ橋を一つ取り、パクッと口に入れる。
乏しい語彙で表現することになってしまうが、もちもちとした食感と甘いあんこの味が口に広がる。抹茶でも飲みたい気分だ。
「……うん! 美味しいです! 特にあんこがこし餡なところがいいです!」
「髙木さんもこし餡派ですか? よかった……そこが一番心配だったんです!」
明るい笑顔を浮かべて、彼女も八ツ橋を口に運んだ。
んーっという声が聞こえてきそうなほどの笑顔を浮かべ、頬が落ちないように手で支えている。
可愛い。
「美味しいですね! 久しぶりに食べると尚更美味しく感じます。」
「これ、家族の分も取っておいていいですか?」
「えっ、もちろんです! むしろわたしが一個貰っちゃったのがおかしいくらいで……」
「いやいやそれはいいんです。こっちからもお礼みたいなものなんで。」
そっと八ツ橋の箱のふたを閉めて、できる限り元通りになるように包む。紙袋ごと隣の椅子に置き、彼女の方へ向き直った。
「……何か、飲みたいものとかありますか? お店は閉まってるんでメニューのものは出せないですけど……ちょっと喉が渇いたので。」
彼女は少し目を逸らして小さな口を開いた。
「……じゃあ、お茶ってありますか? 緑茶が無ければ、お茶系なら何でも大丈夫です……」
ちょっとだけ驚いた。優太朗も緑茶を飲もうとしていたからである。
ペットボトルの市販のものしかないが、今はあんこの味が口の中に広がっているのでどうしても渋めのものが飲みたい。
「……もしかして、八ツ橋食べたからお茶が飲みたくなったとかそんな感じですか?」
そう尋ねると、彼女は恥ずかしそうに頬を赤く染めた。何を言おうか迷っているようで、口が多様な形に変わる。
「はい……た、単純ですよね。なんだか口が和の色に染まっちゃって……」
「大丈夫ですよ。なにせ俺もお茶が飲みたいと思ってたので。ちょっと待っててください。今持って来ます。」
一度厨房に向かおうとしたが、そっちに緑茶はないことを思い出した。
自分でも気づいていないうちに、また少し緊張していたのかもしれない。
パシンと自分で頬を叩いて、しばらく忘れていた口内の痛みに悶えた。
「すいません。遅くなりました……ん?」
優太朗が緑茶のペットボトルとグラスを二つ持って帰ってきたとき、彩葉は隣の机を覗き込んでいた。
何かあったのだろうか。
大事なものでも置いていたかと少し心配になる。
「あっ、ありがとうございます。」
彼女は笑顔でグラスを受け取り、手に持った一冊の本を見せてきた。
「……これ、読むんですか?」
その本というのは『珈琲味の出会い』の一巻。さっきこの席に導いた時に隣の机に退かしっぱなしにしていたのを忘れていた。
まず思ったのは『しまった』だった。
ついさっき、彼女のお気に入りの席に腰かけていたのは見られている。そして、最近彼女が手に取っていた本を読んでいたなんてもう言い訳ができない。
自分を俯瞰的に見てみると……超絶気持ち悪い。
年下の女の子のエミュレートをして、何なら話がしたいなんて気持ち悪くて仕方ない。
恐る恐る彼女の顔を覗き込んで椅子に座る。
「……えっと……まあ、読むというか……ちょっと気になったみたいな感じです。」
「……ふふ、どうでした? 面白かったですか?」
帰ってきた言葉は予想していたものとはかなり違った。
瞳には期待が満ちていて、優しい微笑み。嫌がるような素振りは見せなかった。
俺は何を考えていたのだろう。
彼女がこんなことで侮蔑を向けてくると勘違いをしていた?いや、勘違いはしていなかった。
心の中で自分の行動を気持ち悪いと蔑んでいた。それだけだ。それを彼女の考えもきっとそうだと思い込んでいた。今までの純粋さを忘れて。
酷いことだ。勝手に彼女を侮辱していたに等しい。
「……すみません。」
「えっ、面白くなかったですか!?」
「えっ? あ、ああ、違うんです! ただ謝りたいことがあったから謝っただけで……小説はかなり面白かったです!」
「……ふ、ふふ……あははは!」
なぜかすごく笑われている。
そんなに面白いことを言っただろうか。
「ふふふ……すみません、こんなに笑っちゃって。でも、また悪くないのに謝ってるなって。」
「あっ! た、確かに……でも、花月さんだって今謝ってましたし……」
「あはは! 確かにそうですね!」
なんだろう。思わず俺も笑ってしまう。
あまりにいい笑顔だから、こちらまで幸せな気分になる。
俺はこれを望んでいたのだろうか。でも人の笑顔なんて何度だって見てきた。
やっぱり彼女は特別だ。そう思ってまた笑みが零れる。
静かなカフェに明るい笑い声と、もう一つの小さな笑い声が広がった。
「……あ、外暗くなってきましたね。そろそろ帰った方がいいんじゃないですか? こないだみたいな事もありますし……」
「そうですね。そろそろお暇させてもらいます。」
「…………駅まで送りましょうか?」
ただそう言って彼女の方を見ると、花月さんの顔は何故か真っ赤になっていた。
夕陽のせいかもしれないし、もしかしたら別の要因があったのかもしれない。
「え!? い、いや大丈夫です! まだ明るいし……気を付けて歩くので。」
ぶんぶんと首を振ってお断りされてしまった。まあ、彼女が大丈夫と言うのなら信じよう。
幸い今はまだ黄昏時だ。そんなに心配するような時間じゃないだろう。
「じゃあ、気を付けてください。……本当に大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫ですよ! …………あ、あの、髙木さん!」
「は、はい! なんですか?」
彩葉は勇気を振り絞るように顔を上げ、優太朗の目を真っすぐに見据えた。
優太朗も少し身を屈めて視線を合わせる。
「……あの……また来ても、いいですか?」
どういう意味だろうか。もう来てはならない、なんて言った覚えはない。
むしろまた来て欲しい。
話したい。
笑いたい。
もっと、知りたい。
だから嘘じゃない、自然な笑顔でこう言った。
「……もちろん。またいつでも来てください……!」
花月さんは満面の笑みを浮かべて小さく飛び跳ねた。
「じゃあ、また明日来ますね!! 今日はありがとうございました!」
『また明日』という言葉は残酷だ。誰がそれを保証してくれるのだろう。
明日はないかもしれない。明日には、二人のうちどちらかはいないかもしれない。全てが無事だったとしても必ず会えるわけではない。
なのに、こんなにも嬉しい気持ちが心の中に生まれた。
花が咲くような明日への期待が生まれた。
去っていく彼女の背中を見ながら呆然と心の熱を噛みしめる。
「……は、花月さん!」
つい呼び止めてしまう。大した用じゃない。
でも伝えなければいけない。真っすぐ向き合うなら、これだけは言わないといけない。
振り向いてキョトンとする彼女に向かって口を開く。
「……また明日……!」
夕陽に照らされた彼女は一瞬ぽかんとしたが、またすぐに満面の笑みを浮かべた。
「また明日ーー!!」
ぴょんぴょんと跳ねながら大きく手を振る。その様子からはさっきまでの、大人のような丁寧さの欠片も見られない。
けれど嬉しくなってこちらも手を振ってしまう。
二人とも、彩葉が角を曲がるまでずっと手を振り合っていた。
優太朗はそれからもしばらくその曲がり角を見続け、やがて静かに『BRANCH』のドアを閉めた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「お母さん。はいこれ。お礼だって。」
「ん? おれい? 何それ。」
「こないだ庇ってボコられた時の女の子。今来て、お礼にこれをって。」
優子は突然吹き出して咳き込み始めた。
優太朗はそれに驚いてしまって、びくっと飛び跳ねる。
「はあ!? それ言ってよ! まだいる!?」
「いや、ついさっき帰っちゃったけど……。だってお母さんが居ると萎縮しちゃうかなって思って……。」
「あんただってでっかいんだし十分威圧感あるよ! はあ……こっちだってお礼くらい言いたかったのに。」
「お礼? 何の?」
「んー? いやぁ、警察とか呼んでくれてありがとねって。あれがないと私のとこに連絡が来るの、いつになってたか分かんないでしょ?」
確かに。十分納得できるだけの理由があった。
そう考えると、俺は彼女にどれだけ救われたのだろう。
こっちからも、お礼くらい言わなければ。
明日、また会えるんだ。大丈夫。言う機会がある。もう遅いなんてことは無い。
「……ふふ。」
「……何笑ってんのー。」
「いやあ? 何でもない。……また明日来るって言ってたから、その時に話せば?」
「そうなの!? じゃあ、明日はお店開かないとね。」
優太朗はリビングから離れ、小さな微笑みを浮かべたまま階段を上って行った。
「……なんか楽しそうじゃん? ……良かった。」
優子は一人になったリビングで小さく呟く。
随分と久しぶりに、しっかりとした息子の笑みを見た気がした。
飛び跳ねて喜ぶようなことじゃないし、もうそんな歳じゃない。
けれど少しだけ足をバタバタと振ってみる。
「……さて、明日のご飯は何がいいかなー。」
いつも通りの思考を今日は口に出す。なんだか自分の声が高くなった気がした。
一方、優太朗はいつまでも明日へと思いを馳せている。部屋の電気も点けずにベッドの上で目を瞑り、静かに明日を想像していた。
どんな日になるのだろう。
ただ良い日だと言えるような日ならば、そんなに嬉しいことは無い。
ふと思い出したようにスマホをポケットから取り出した。
メッセージアプリを開いて、とある名前を探す。
よく見た名前のメッセージを開き、文章を打ち込んだ。
『明、今暇?』
『もち! 年中暇だぞ俺は』
明は十秒程度でそう返信してきた。
あまりの反応の速さに呆れたような息を吐き、続けて文章を打ち込む。
言えなかった言葉と、片が付いた悩みを載せて。
『また明日。』
優太朗は返事も見ずにスマホを閉じ、ベッドの上のサメのぬいぐるみを抱きしめた。
心がスッキリとしたような感覚に身を委ね、希望の潮流に流される。
皆、こんな気持ちで明日へ向かっていたのだろうか。
一つ、色が増えた気がする。
また彼女から貰ってしまった。
後でちゃんとお礼を言おうと胸に刻んだところでスマホから通知音が鳴り、明からのメッセージを見せる。
『急に何!? なんかの呪い!? 怖えんだけど!』
優太朗は思わず、数年ぶりに吹き出してしまった。




