第三話 髙木 優太朗の欠点
あれは、小学四年生の頃の話だっただろうか。いや、三年生だったかな。
まあ、どっちでもいいか。
幼い頃の優太朗は本ばかり読んでいた。絵本や子供向けの文庫本。少し調子に乗って分厚いシリーズ物の小説を読んだりもしていた。
とにかく活字をよく読む子供だった。
様々な物語の世界はとにかく面白かった。鮮烈だった。
著者によって言葉遣いも価値観も大きく違う。
純粋だった心はあらゆることを真っすぐに楽しめた。
宿題が終わって暇な時間は本を読み、学校の昼休みには図書室に行って本を読んだ。
もちろんゲームなどもしっかり楽しんでいたが、一人の時間は大体読書に耽っていた。
そんなある日、優太朗は父の本屋に行ったことがある。事務所で店頭に置かなくなった本などを読み漁っているときに、その世界と出会った。
それは一冊の漫画だった。
内容は特段面白いものでもない。ただ、ヒーローの主人公が世のため人のために死力を尽くす話だ。
人助け、ただそうとしか表しようがない物語。
読んでる間は特に何も感じなかったが、読み終わってからふと気になったことがあった。
どうして主人公はこんなにも皆から好かれているのだろうか。
いや、子供の頃の優太朗はもっと単純だった。
どうしてこんなに皆と仲がいいのか、そんな感じだったと思う。
漫画の中の少年は町の人々からいつも慕われ、悪い敵も改心させてしまっていた。
子供の頃の優太朗にはよく分からず、父に尋ねることしかできなかった。
「どうしてこの人はみんなと仲いいの?」
背が高い父はこちらを見下ろして優しく微笑んだ。
「皆のために頑張ってるからだよ。」
単純な問いに、単純な答え。
きっとどこにでもあるような親子の問答だ。
本当に、どこにでもあるような会話だったはずなのだ。
優太朗は昔から人間が好きだった。
慈愛に塗れた天使のような人間が、世界には存在する。
優太朗はそんな聖人ではなく、ただ人と関わることが好きだった。
皆の笑顔が好きだった。
皆の声が好きだった。
だから、人一倍影響されてしまったのだと思う。
きっかけが父の言葉か漫画の内容かは分からない。
しかし優太朗の生き方はあの日、どうしようもないほどに決まってしまったのだ。
他人のためは美しい。他人のためは素晴らしい。他人のためは気持ちいい。
お礼を言われるのは好きだったし、人の笑顔が見れるので嫌なことなんて無かった。
小学生の頃はできることが少なかったから簡単な事が中心だ。
友達の仕事を手伝ったり、皆が嫌がる事を率先してやったりと。道端のゴミを意識して拾ったりもした。お年寄りを手伝うこともあった。
あの頃は毎日が楽しかった。
クラスの皆から好かれていた。きっと先生たちも気に入ってくれていたと思う。両親はよく褒めてくれたし、ご近所さんからも可愛がられた。
中学生になってからはできることが増えた。
お小遣いも少し増えたし、体もどんどんと成長していった。
ならばと思い、様々なことに手を出してみた。
まずは募金。よく調べて大丈夫そうなものには積極的にお金を入れてあげた。
でもお金には限界があるし、友達との関係を保つためには遊びの分くらいはお小遣いを取っておかなければならなかった。
だからボランティアをやってみた。とはいえビーチのゴミ拾いなどが主だ。
大してお金がかからない活動はいいと思ったが、如何せん時間が足りない。
他人のためを増やそうとすると、自分の生活がどんどん疎かになっていく。
友達から嫌われるのは怖かった。既に一度手に入れたものを手放したくなかった。
ただ、人に嫌われたくなかった。いつしか自分の中にそんな欲が生まれていたことに気づいてしまい、優太朗の足は止まる。
なんて邪魔な承認欲求だろうか。
募金箱に小銭を入れた時にお礼を言ってくれるのは俺が助けた人ではない。
海岸の掃除なんてそもそも誰のためになってるのかも分からなかった。
悪い意味で若かったのだ。視野が狭かった。
いや、今でも同じような考えを持っているかもしれない。
絶対に誰かのためになっているであろう行動も、成果が見えないといい気にはなれなかった。
だから段々と大仰な事は考えなくなった。
他人とは関わらず、クラスメイトや身近な人のためだけでいい。
そして、それもいつしか意識からは抜け落ちていった。
俺はヒーローに向いていなかった。
どうしても感謝を求めてしまう。見返りを欲してしまう。
結局、髙木 優太朗という男は承認欲求に突き動かされて人助けを始めただけの偽善者だったのだ。
何より間が悪かったのは──優太朗に努力の才能があったことだった。
継続が得意だった。反復が苦じゃなかった。するべきことをすぐに習慣化できた。
一度癖になったことは簡単には抜けきらない。
万人のためを諦めた後でも、優太朗の行動には利他主義が見え隠れしていた。
今となっては優太朗自身もそれに気づいていない。無意識に人を助け、当然のように愛想笑いを向ける。まさに呼吸のようなものだ。
そして、その内には仄かな危険も孕んでいる。
『自己犠牲』
それは長年偽善を突き通している間に自然と生まれた、大きな欠点だった。
最悪他人さえ助かれば、自分はどうなってもいい。
身体がでかいくらいしか取り柄のない俺は、身を捨ててでも誰かのためになるしかないと思ったのだ。
自己犠牲と承認欲求は両立できない。自分の生活なんて捨ててでも周りのために生きたいのに、友との縁も途切れさせたくなかった。
どうしようもないほど、誰かのためは幸せだと今でも思っている。だが、身の程を弁えるようになってからは人生が白黒だった。
やはりあの日、優太朗の生き方は決まってしまったのだろう。
みんな、えがおだったらいいな。
呪いじゃない。祝福なんてもっての外。
ただの人生。人の願い。
壊れていたとしても、間違っていたとしても、今の優太朗にはこれが正しい命の使い方。
少なくとも、今はまだ。




