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第十七話 明と優太朗

 テストが終わり、あっという間に一週間と少しが経った。

 続々と答案用紙が返され、自身の結果を突きつけられる。

 そして今日、最後の一つが返された。


 やはり地理は難しい。先生の話していることはすり抜けていくし、国語のように考えればわかる問題ではない。

 助けて欲しい。今回の順位は普段よりも少し低くなりそうだ。


「優太朗ー。オレ、ヤバかったー。」


 叶采はニコニコと笑いながらも、ゾンビのような足取りでこちらに向かってくる。

 様子を見るに、彼はまたもや赤点だったのだろう。

 今回のテスト、俺が見た叶采のテストは全て赤点を達成している。


「……ちなみに、何点?」


「ほいー。」


 そう言って彼が見せてきた回答用紙に書いてあった点数は……十四点。

 おめでとう。赤点コンプリート達成だ。

 しかし叶采にしては地理はできた方だなと少し感心する。


「こりゃまた……生出(おおいで)先生に怒られるだろうな……」


「だろうねー……まぁそもそも数IIが三点だった時点で決まってたけどねー。」


 こう言っておきながら、叶采は笑っている。

 これは気楽や能天気などという言葉で片付けていいのだろうか。


「明はどうだったのー?」


 明は隣で机に突っ伏している。


 実はテストが終わってからの期間、俺は明に違和感を感じていた。

 カラオケに行った時はそんなに変に感じなかったのだが、やはり途中で帰ったのが良くなかったのだろうか。


「んー? 別に? いつも通り悪かったぞー。」


 顔も上げずにこう言う。


 やはりおかしい。

 元気がない。


 何が原因かわからないのが怖い。


「明は、今回は赤点いくつだったんだ?」


「…………二つ。」


「……数IIは?」


「……赤点。」


「そっか…………」


 これは酷い。明と話しているとは思えない。

 どうしてしまったというのだ。


 しかし内容を聞くべきかと問われれば、それは少し躊躇ってしまう。


 もし聞かれたくない理由だったら?

 もしどうしようもない理由だったら?


 なんて、考えてしまう。



「あ、前嗣ー。前嗣は何点だったー?」


 叶采の何気ない気楽な声に助けられた。

 気まずい雰囲気なんて、彼には何の意味もない。


「……八十六点。」


「「たっか!!」」


 ほら。また明は何も言わない。

 どうして?


 流石に気になる。あとで、少しだけ尋ねてみようか。



  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  



 五限が終わり、短い休み時間が始まる。

 叶采は死んだように机に突っ伏している。


 いや、ある意味では死んでいるのかもしれない。

 つい先ほど、昼休みの終わりに担任の生出先生が来て、数IIのテストで赤点を取った者のみを放課後に職員室に来るよう言っていた。


 何が起こるかは明白だろう。

 説教、補講の連絡、成績についての話。

 まぁ、恐らくこの全てだろう。


 ちなみに、このクラス内に数IIで赤点を取ったのは四人だけだった。

 二分の一がいつメンとは情けない。



「……明ー。大丈夫かー?」


 隣で同じく机に突っ伏している明にそう問う。

 明は赤点を取ったくらいじゃこんなに凹まないし、眠るのは大体授業中で、休み時間はもっとうるさい。


 返事は無い。

 本当に大丈夫だろうか。もはや怖くなってきた。


「……明?何かあったなら……」


「優太朗。」


 ドキッとする。

 こんなに静かで、こんなに圧のある声の明は初めてだ。


「……ん?」


 できる限り平静を保とうと思って出た言葉は、言葉とも言い難いようなものだった。


「……今日の放課後、屋上集合な。」


「えっ? なんで?」


「……話、あるから。」



 ……どうしよう。

 どれだけ考えても告白しか思いつかない。

 放課後に屋上に呼び出し?

 俺であってるのだろうか。


「……でも、数IIの呼び出しどうするんだよ。」


「そっ……それはそうだけど、いいから。」


 一瞬、普段の明が見え隠れした気がするが、やはり間違ってないらしい。

 というか、今の元気のない明に呼出されて話があるなんて言われたら……もしかして、この状況は俺にも関係があるのだろうか。


 だとしたらやはりカラオケの件だろうか。

 そうなると途端に申し訳ない。

 俺にとってはあの程度のことでも、明にとっては違ったということだ。


「わかった。いつもの、連絡通路のとこでいいんだよな?」


「……うん。」


「……ちなみに告白では、無いよな?」


「………………は?」



  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  



 あっという間に六限が終わり、ホームルームを聞き流しながら荷物を片付ける。

 明の方をチラリと見たが、やはりいつもと雰囲気が違った。


 何を話されるのだろう。

 気になって仕方ないが、どうせあと数分でわかることだ。



 ホームルームが終わり、生徒たちが部活や帰宅に行動を移す中、俺は荷物を片付けるふりをして明の言葉を待っていた。


「よし、優太朗。いいか?」


「えっ? ああ、うん! 行ける!」


「じゃ、行こ。」


 動揺を隠すためにしっかりと返事をしたが、この元気が余計に動揺を表している。


 明が立ち上がり、教室のドアに向かったので俺もそれについて歩き出す。

 しかし教室の中心辺りから叶采の声が響き、二人して足を止めた。


「あきらー? どこ行くのー? 数IIのやつはー?」


「……ちょっと、優太朗と話してくるから! イデちゃんには適当言っといて!」


「はあ~~?」


 そうして、逃げるように教室を出た。



 明の三メートルくらい後ろを歩きながら、いつもの屋上に向かう。

 普段ならこんな距離はあり得ないし、何なら明の方から肩を組んできたりするもんだ。

 しかしそんなことはおろか、会話すら一切ない。


 正直に言えば、怖い。

 これで関係にヒビを入れるようなことにならなければいいのだが。

 まあ、元はと言えば俺のせいかもしれないのだ。

 ちゃんと受け止めよう。



 屋上の戸を開け、少し曇った空の下に体を晒す。

 今日の昼もここにいた筈なのだが、その時より少し風が冷たい。


 もうそろそろ六月だ。

 それを乗り越えればもう七月で、七月も前半を終えれば夏休み。

 今年の夏休みはどうなるのだろう。

 どうせ例年通り暑くて、外にはそんなに出ないのだろうな。


 もしかしたら、夏休みの間も花月さんは時折来てくれるかもしれない。

 そうだったら……嬉しいなぁ。



「優太朗。」


「は……うん。」


「……。」


「……話って……?」


 気まずい。

 明は目を閉じ、何かを考えているようだ。

 しかし、そうしていたのもほんの数秒。すぐに口を開いた。


「……優太朗って……花月さんと付き合ってる?」


「………………は?」



 何だこれは。

 本当に何なんだ。


 頭が割れそうになる。

 とんでもないデジャヴだし、そもそもこんな質問が被ることなんてあるのか?

 愛染さんが訊ねてきた時だって酷かったのに、もう意識が崩れてしまいそうだ。


「い、いやいやいや!? な、なんで!?」


「……付き合ってるかどうかだけ、教えて。」


「いや付き合ってねーよ!」


 明がどんな理屈で、どんな理由でそう思ったのかわからない。

 けれど、俺と花月さんは友達だ。それは変わらない。


「……そう、なんだ。……ほんとに?」


「いや、本当に!」


「じゃあ、どういう関係なんだよ。優太朗と、花月さんは。」


「はぁ? ただの友達だって。」


 明が俺を疑っている理由はわからない。

 もっとわからないのは、どうして明の機嫌が悪いのか、だ。


 もし俺が花月さんと付き合っていたとして、それが原因で明に何の影響があるのか。

 明が花月さんを好きとか? 若しくは俺に彼女がいるという事実?


 万が一影響があるとして、だとしたら今友達だと伝えてからの顔色が変わらないのは何故だ。


「別に隠さなくていいって。」


「……は? 別に何も隠してねえって。」


「……。」


 やはり明は変わらない。

 何をそんなに疑っているのか。


「……じゃあ、俺たちは何なの。」


「……友達、だろ。」


 それ以外に何というべきなのか。

 どういう答えが欲しいのか。

 明が、何を考えているのか。


 俺には何一つとしてわからなかった。


「別に、俺は優太朗が花月さんと付き合ってたって何にも言わない! でも、ずっと何にも言わないでいるのは……なんか、違うだろ!」


「だから付き合ってねえって! 何も言わないのは……それだって、色々あるから……!」



 ああ嫌だ。

 こんな風に二年生が叫んでいたら、一年生たちが怖がるだろう。

 大きな問題に繋がってしまったら、屋上が利用不可能になるかもしれない。


 でも、明の言い分も納得はいく。確かに俺は今まで、何も言わずに誤魔化して花月さんと会っていたし、明たちに隠してきたこともたくさんある。


 しかし、それはそれとして今は気持ちが昂っていた。

 普段ならば、もっと簡単に冷静になれたはずだ。

 しかし、今は何故か……


「……じゃあなんで、あんな風に笑うんだよ。」


「は……? どういう意味だよ……」


「……優太朗、花月さんといるとき、いっつもめっちゃ楽しそうに笑うじゃん。……校門の前のときも、カフェでも、こないだの背の高い人といたテストの日も……!」


 少なくとも、これで明がどうして俺が花月さんと付き合ってると思ったのかは理解した。

 愛染さんといい明といい、どうして俺と花月さんの会合は誰かに見られているのだろうか。


 まぁ、そんなことはどうでもいい。

 今気になるのは……


「……何だよ楽しそうに笑うって? それに、なんで俺と花月さんが話してたの知ってんだよ?」


「……ついて行ってた。それは悪いと思ってるし、謝る。ごめん! ……でも、笑ってたのは本当だろ!」


「いや、別に笑うくらい普通だろ! 俺だって、友達と話してたら笑うわ!」


「……じゃあ、俺たちは友達じゃねえのかよ!」



 マズい。どんどん自分の口調が荒くなるのを感じる。

 一旦落ち着かないとマズい。


 それに、明が何を言っているのかわからない。

 どういう理屈で俺と明が友達じゃなくなるんだ。


「な、何言ってんだよ。明も友達だって──」


「でも! 俺たちといる時、あんな風に笑わないだろ!」



 その言葉はあまりに予想外で、まるで何気なく開けた扉の先が崖だったかのようだった。



  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  


 一方、職員室では補講の説明などが終わり、叶采と前嗣だけが残っていた。


「イデちゃーん。補講絶対出なきゃダメー?」


「ダメに決まってんだろ。赤松はクラス最下位だぞ。」


「えー……去年皆勤賞取ったから許してよー。」


「関係ねーだろ。」


 生出と叶采はまるで友達のように話していた。


「んで、そんなことより東谷はどこ行ったんだよ。あいつも赤点だぞ。」


「んー? 内緒ー。」


「ないしょー、じゃねえんだよ。」


 前嗣はボーッとどこか遠くを見ている。

 流石に職員室でスマホをいじるわけにはいかないので、ただそうしているしかないのだろう。


「小倉、もうちょっとこいつらに勉強教えてやれ。髙木はいいけど。」


「……教えてますよ。こいつらが真剣にやらないだけで。」


「さきつぐー!? 裏切り者ー。」


「いや、小倉は今回の数II、九十点だぞ。そもそも味方じゃないからな。」


 二人の何ともくだらない話に前嗣も巻き込まれ、職員室の一角で会話が繰り広げられた。


「……で、結局東谷はどこで何してんだよ。髙木もいないの、珍しいし。」


「んー? あの二人は……今頃殴り合いでもしてるんじゃない?」


 うんうんと頷く前嗣を見て、生出はそれが冗談じゃないのだと思った。


「は? 殴り合い? どこで。」


「多分……屋上? あの連絡通路のとこ。」



 生出 祐人は今年度に入って初めて、少し冷たい汗をかいた。



  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  



 俺の、笑顔が違う?何だそれ。

 何を言ってるんだ、こいつは。



「……え? いや、そんなわけないだろ……」


「そんなわけある! 優太朗は、花月さんといる時だけめっっっっちゃ楽しそうに笑ってるから! ……隠さなくていいって……本当は、どういう関係なんだよ。」


「か、隠してなんてないって! マジで友達だから──」


「じゃあ、俺たちは何なんだよ!」


 本当に知らない。

 自分がそんな顔で笑っていたなんて、本気で思ってもみなかった。


 確かに花月さんのことを考えるとニヤけてしまったり、話していると頬が緩むこともある。

 けれど、そんなに楽しそうに笑ったことなんてあるだろうか。少なくとも記憶には無い。


「…………友達、だと思ってる。」


「じゃあ、なんで……。俺たちといる時は、そんなに楽しくない……?」


「……そんなんじゃ、ない。マジで、知らない。」


「……知らない?」


 俺にはわからない。

 本気で、人と話している時の自分の顔なんて知らないし、自分の笑顔に種類があるなんて思わなかった。


 それが悪いことだとは決して言わない。

 けれど明からすれば、その差は確かな重みとして心に巻きついていたのだろう。


「……知らないって、何だよ。いっつもそうやって適当に誤魔化して──」


「違う! そんなんじゃなくて……俺は、本当に自分でも気づいてなかった……。そんなふうに笑ってるなんて、思いもしなかった。」


「…………。」


「お、俺は、本当に花月さんと付き合ったりしてないから……」


 自分でも言い訳がましいと分かっている。

 本当のことを言えば言うだけ、それは無様なものに変わっていく。



 しかし、これは俺のせいだ。

 今までずっと、向き合ってこなかった俺のせい。


 この真堂高校で男女の友人なんて変なものだから。


 きっと、友達だと思っていた明や皆んなに対して、少しだけ不安に思っていたのだと思う。

 友人なんて、一番向き合うべき存在のはずだった。


 花月さんに向き合いたいと思ったのは、彼女がすごく向き合ってくれたから。

 けれど、そんなのよりずっと前から、明は俺の方を向いていてくれたのだ。俺が向き合うのを、待っていてくれた。



『えっ、これあざらし大海戦じゃん! 俺もやってる!!』



 去年のあの日、そう言って俺の前の席に後ろを向いて座った明は、真っ直ぐに俺を見ていた。


 ずっと、分かってはいたはずなんだ。

 なのに、やっぱり誰かを真っ直ぐに見るのは怖かった。目を逸らして生きているうちに、毎日一緒にいるような人たちにはそれで慣れてしまっていた。


 俺のせいだ。

 俺にもっと、勇気があればよかった。


 でも、今からだって遅くない。

 今からだって、向き合えば遅くないと、俺はもう知っている。



「……でも、どんな関係かって言われたら、分かんない。俺は本当に友達だと思って接してたし、明たちにもそう思って接してた。……だから、もう少し待って欲しい! 俺、ちゃんと自分で答えを出して、お前らに説明するから!」


 明は少しだけ目を見開き、俺の方を見てくる。


 ああ、思えば、明をしっかりと見たのは初めてかもしれない。

 目を合わせたことはあるけれど、こんなに真っ直ぐに見たことはなかった気がする。


 本当に、俺は目を逸らし続けてきたんだな。


 もう、目は背けない。


「……ちゃんと考えるし、お前らに隠しごともしない……!」


「…………いや、別に隠し事はあってもいいけどな……?」


「……ま、まぁ、確かに……」


 よく考えてみればそうだ。

 別に友人にだって隠し事はしていい。

 そんなに多すぎなければいいだけだ。


「………………ぷっ、あはははは!」

「……ふふっ、ははははは!」


 思わず笑ってしまったが、明も同じだったようだ。

 さっきまでの張り詰めた空気が嘘のように、二人の笑い声が屋上に響く。


「……ゆうたろ、ごめん。色々言っちゃって。」


「いや、こっちこそいっつも隠してばっかりでごめん。」


 自然と溢れた笑みと共に互いに謝罪した。


「……そっか。自分でも気づいてなかったんだな。まぁ、自分の顔なんてわかんないよな、普通。」


「うん。……まぁでも、何にも説明しなかった俺も悪いから。」


「でも、当たり前だけど言いたくないこともあるよな。後つけたり、ちょっとやり過ぎた。」


「いや、言ってくれて助かったよ。本当に。ちゃんと言ってくれなきゃ、多分一生気づけなかったから。……俺、そんな楽しそうに笑ってんの?」


「マジでめっちゃ笑顔だよ!? 俺らといる時は全然本気で笑わないのに。」


「うっ、ごめん……」


 思っていたよりずっと、俺は花月さんと話しているときが楽しいらしい。それがなんでかとか、一切わからないけれど。


「……でもよかった。俺、てっきり喧嘩になって、明と殴り合いでもするのかと思ってたから……」


「いや、優太朗がいつまでも隠してばっかりだったら俺はそうするつもりだったぞ! まぁ、殴ったところで優太朗が俺を殴るとは思えないけど。」


「そ、そんなことねえよ。俺だって人殴るくらいどうってことないから!」


 思ったより本気だったらしい。

 あれだけ静かな明は初めて見たし、それは分かっていたけれど殴り合いまでする気だったとは思わなかった。


「……でもよかった。優太朗が俺たちをちゃんと友達だと思っててくれて。」


「……うん。」


 少しだけ、静かな時間が流れた。

 風が髪を揺らす。

 遠くからは部活動の声が聞こえてくる。



「……優太朗。」


「うん?」


「…………殴り合い、する? せっかくだし。」


「えっ? …………ああ、いいぞ。」


 ニヤリと、二人して顔を合わせて笑った。

 互いに考えていることは同じようだ。


「じゃあ、いくぞ!!」


「よし!」


 そうして、二人は互いに向かって一歩を踏み出した。



  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  



「イデちゃーん、大丈夫だってばー。殴り合いはしてるかもしれないけど、あの二人ならだいじょーぶ。」


「いや、分かんないだろ? ていうか、そもそも俺は東谷に補講とかの説明しなきゃいけないんだよ。」


 三人は職員室を出て、階段を登っていた。

 生出 祐人は微かな不安を抱いていたが、前嗣と叶采は全くそんなこと無さそうだ。


「前嗣ー? 前嗣はどう思うー? オレは全然大丈夫だと思うんだけどー。」


「……まぁ、大丈夫でしょ。明と髙木だし。」


「ほらほらー。前嗣も心配してないってー。」


「いやだから、俺は東谷に説明しなきゃなんないんだよ。」


 四階に上がる階段を登っているとき、生出は遠くから飛んでくる声が聞こえた。

 明らかに男二人の声で、何か叫んでいるような、そんな声。


 小さかった不安が少しだけ大きくなるのを感じ、生出はほんの少しだけ足を速めた。


 さっさと階段を上がり、すぐそこの連絡通路の扉に手をかける。

 すると外からははっきりとした声が聞こえた。


「お前! 離せ、って! この!」


「離すわけねーだろ!! 体デカいんだから暴れんな!」


 彼はガラガラと勢いよく扉を開け、一歩を外に踏み出す。


 そこにあった風景を見て、生出は呆然とした。

 叶采はズルいと言わんばかりに頬を膨らませ、前嗣は呆れたように笑みを浮かべた。



「あはははっ! あ、あきらっ! 脇弱いんだって!! 離せー!」


「だから離さねーって! ほら、こちょこちょー!」


 二人の二年生男子が屋上の床に転がって笑い合っていた。

 明は優太朗の脇腹を両手でくすぐっている。


「くそ……! お前、喰らえ!」


「ぶえっ……!!」


 体勢を逆転させ、今度は優太朗の大きな手が明の脇腹に伸びたが、彼の体は動かない。


「はははっ! 俺、くすぐり聞かないんだよねー。」


「はぁ!? ずる、お前!」


「残念ー! くらえー!」


「うっ、は……あははひひひ!」


 生出は二人を見て大きなため息をついたが、顔を覆う手の下では小さく微笑んでいた。


「はぁーー! 疲れた……笑い疲れたー!」


「いや……マジで……笑い、すぎた……頬っぺた痛い……」


 二人は屋上に寝転がり、上下する胸を落ち着かせる。

 そして顔を見合わせ、またもや満面の笑みで笑った。


「あ、前嗣ー! ゆうたろー見てー!」


「……うん。何とかなったみたい。知ってたけど。」


 そんな二人の会話を横に置いて、生出は二人に近づいていった。


「お前らーー? 何騒いでんだー?」


「うえっ!? イデちゃん! べ、別に何もしてないけど!?」


「いや見てたわ、今! ていうか東谷、職員室来い!」


「えーー! 勘弁してー!! ゆうたろー!!」


「ははははは。頑張れー!」


 生出に引きずられるように連れていかれる明。

 優太朗に助けを求めるように手を伸ばしているが、その顔は笑っていた。


「優太朗ー。こちょこちょ弱いのー?」


「……だから言ったのに。職員室は行ったほうがいいって。」


「言ってねーよ! 絶対言ってなかった!!」


 前嗣は相変わらず呆れたように、小さな笑みを浮かべて明を見ていたが、叶采は大口を開けながら優太朗に近づいていく。


 そんな風に五人五色で笑う皆んなを見て、赫々と輝く夕日が、同じように笑っていた。




 そんな笑顔に包まれた中、優太朗は同じく笑いながら、小さな疑問について考えていた。


『俺にとって、花月さんは何なんだろう。』


 そんな、考えたこともなかった疑問。

 友達という関係に収まって、自分たちは友達なんだと、それで納得していた。

 けれど今日、そんなものではないと突きつけられた。


 だとしたら、優太朗にとって花月 彩葉という人間は何なのか。

 そして、その答えが出るのはいつになるのだろうか。



 その答えは、まだ誰も知らない。

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