第十三話 "こころ"
きっと、俺がどれだけ考えても最良の答えは出せない。
花月さんと話してからは自分が少し欲深くなった気がするけれど、それでもまだまだ足りないと思う。
花月さんと二度と話すななんて言われても、全力で、他のあらゆる選択肢を消してまで、嫌だと叫ぶほどにはなれなかった。
だって、愛染さんも正しいと思ったから。
俺が知らないことをいっぱい知っていて、それ故に出した答えがアレだったのだろうから。
彼女の言葉と、顔を見ればわかる。
彼女自身、言うべきではないと、自分が我儘を言っていることは理解できていたはずだ。
それでも、言った。ならば、その言葉には何より重い物がのしかかっていたのだろう。
俺の欲が、それに釣り合うものだろうか。
考えることは好きじゃない、なんて人間としての自分を否定するかのようだが、確かにそう思っている。
考える葦が考えることをやめた時、それは何になるのか。
「はぁ。……はぁ。」
大きなため息を二つ、混ざり合わせるように吐く。
あれから一日が経った。
いつまでも考えていられない。そろそろテストも迫っている。
愛染さんだっていつまでも待ってはいられないだろう。俺の我儘で返事を遅らせてもらっているのだ。少なくとも今週中には答えを出さなければ。
とは言え、やはり考えても考えても答えが出ない。
ファミレスで明たちと勉強していた時もそうだが、一切集中できないから困っている。
一体何度明に指摘されたことか。
『またなんか考え事かー? もしアレなら相談乗るぞー。』
大変優しい言葉だが、やっぱり今はどうにも。
話せることなんて何も無い。
ベッドに寝転がっているだけで体力を消費している気がする。
明日も学校、明後日も学校だというのに。
そして来週にはテストだ。
しかし、考え方によってはテストよりも大事なものかもしれない。
花月さんは大切な友だちだ。そして、愛染さんはその親友。
となれば愛染さんの想いだって大切なもので……。
こんな感じに堂々巡りの思考回路をしているから、生きているだけで勝手に疲れてしまうのだ。
まったくもって、欠陥だらけの人間だ。
そもそも人間が欠陥だらけの生物だ。
明日、明日考えよう。
明日起きて、学校行って、それから考えよう。
それでもいいはずだ。
このままでは睡眠の質が落ち、尚更思考が回らなくなる。
寝よう、もう寝よう。絶対寝る。
そう決心して、優太朗はタオルケットを被る。
抱き枕の代わりに置いてあるサメのぬいぐるみを腕の中で潰し、どうにか意識を逸らすよう努めた。
あーもう!!
どうしてこういう時は眠れないのだろう。
いや、当たり前だ。考えないようにと考えているのだから。
その夜、優太朗は五十七回の寝返りを打った末、午前三時半に眠りに落ちた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
最悪だ。眠気が果てしなく迫ってくる。
逃げても逃げても撒くことができない。
ふと気を抜けば呑まれてしまいそうだ。
手を動かし、ノートにどんな細かいことでも記入して意識を保つ。
普段なら先生が言ったことを少し写すだけなのに、今日は一つの授業ですでに三ページも使っている。
しかもテスト範囲の復習で、ほぼ自習時間のようなものなのに。
まるで真面目な人間になったかのようだ。
それにしてもまぁ、昨晩からずっと考えているが答えは出ない。
俺はどうすればいいのだろう。
これからも会いたいと答えれば、きっと愛染さんは諦めて俺を許してくれる。
しかし、彼女の言ったことを考えればこれが最適解だとは思えない。
愛染さんの言った通り会うのをやめると答えれば、愛染さんは喜ぶのだろうか。
たとえ喜んだとして、俺はどう思うのだろう。
そして何より、花月さんはどう思うのだろうか。
もしかしたら、少し、ほんの少しは……悲しんでくれるのだろうか。
俺は自分を優柔不断だと分かっている。
分かった上で、このままでいたいと思っている。
ここで、こんな大事な局面で、よく考えずに適当に答えるような人間にはなりたくなかった。
とは言え、このままでは答えを出すことすらしないで終わってしまう。
なあなあはよくない。当たり前だ。
ふと、窓の外を見る。少しだけ、にわか雨が窓を打っていた。
午後には晴れるそうだ。
よし、決めた。何でもいい。
何でもいいから、今日中には愛染さんに答えを伝えよう。
どんな情けない選択肢でもいい。
そんなくだらない、そして曖昧な約定を自分の中で定めた。
雨音が眠気を誘う。
明は机に突っ伏して死んだように眠っている。顔は見えないが、きっと安らかな顔をしていることだろう。
……憂鬱だ。憂鬱だが、それでも。
それでも、仕方のないことだ。
最善の道を歩めるかは分からない。
でもいいや。
今日中にという期限を定めたら少し気が楽になった。
どれだけ考えても、期限があるなら仕方ない。
最善の選択ができなくとも、俺は俺が納得できる答えを出す。
優太朗は机の陰に隠れてスマホを取り出し、気楽に指を動かした。
『今日、ウチのカフェに来てもらえませんか。こないだの話がしたいです。』
愛染 栞というアカウントにそう送って、スマホをしまう。
幸い、先生にはバレなかったようだ。
癖のようにペンをクルクルと指先で回し、頬杖に頭の重さを預ける。
もう覚悟は決めた。
答えも大方決まっている。
あとは……彼女がどうなるかだ。
実を言ってしまえば、今回の件において俺にできることはあまり無い。いや、当然か。
窓の外を見ると、雲に少しだけ切れ目が生まれていた。もう少しすれば雲間から陽光が差し込むことだろう。
まるで、これからが上手くいくとでも言われたようで少し微笑む。
まぁ、何の根拠も無いのだが。変に緊張して強張った状態で臨むよりはマシだろう。
プラシーボ万歳だ。
優太朗は再び先生の目を盗み、再びスマホのキーボードをフリックし始めた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
チリンチリンとドアベルが鳴り、『BRANCH』の扉が開く。
優太朗はいつも通りに厨房に顔を出した。
「ただいまー。」
「あー! おかえりー。」
「……お母さん、今日ちょっと端っこの席借りる。知り合いの人来るから。」
「ああ、そうなの? いいよー。今日も彩葉ちゃん?」
思わず『彩葉ちゃん』という呼び方に吹き出してしまいそうだった。
面白いからとかじゃなくて、あんまりに唐突に出てきた名前だったから。
「……いや、今日は違うかな。まだ、友達でもないくらいの人。」
「へぇ〜。ごゆっくり〜。」
間違ったことは言ってないはずだ。
愛染さんはまだ俺を友達と思っていないと思うし、俺からもまだ胸を張って友達だとは言えない。
何せ一番大事なことをまだ隠しているのだから。
俺は虐めを、半ば肯定するような行動をした。
これを打ち明ければ、愛染さんが俺をいい人だなんて思った心も、少しくらいは揺らぐだろうか。
……いや別に揺らいで欲しいわけではないのだが。
荷物を自室に置いて、端の席で待ち人を待つ。
今日は店内にもそこそこ人がいた。
最近この席に座ってばかりな気がする。
しかも女子と共に。
いったい何があれば人生は短期間でこんなに変わってしまうんだろう。
というか、なんでこんなに変わったんだろう。
嫌がっているわけではないのだ。ただ、ついこの間まで全くと言っていいほど女子と関わってこなかったから違和感がある。
この数日で同じようなことを何回考えたことだろうか。
……止めよう。
もうとりあえず今日の答えは決めた。
ならあまり他のことを考える必要はない。
優太朗は立ち上がり、本棚から適当な本を一冊手に取る。
挿絵なんかも何も無い小説。登場人物の紹介を見るだけでワクワクしてくるようなファンタジーな設定だ。
あとで読むリストに入れておこう。
こうして積んでいくのが常だ。こまめに消費しなければと思うのだが、休日になるとゴロゴロしたくなってしまう。
そういうところばっかりは前までと変わらないのだから困る。
手に取った小説をペラペラと上辺だけ読みながら、静かな店内でその時を待つ。
まだ家に帰ってきてから十分も経っていない。
やはり心のどこかでは不安なんだ。どこかで慌ててしまっている。
俺の選択が、どんな結果をもたらすか分からない。
愛染さんになら、きっとこの選択が良い方向に向かってくれると思っている。
けれど……もし、悪い方向に向かってしまったら?
俺のせいで、二人の関係が壊れてしまったら?
もう、愛染さんにも花月さんにも合わせる顔がない。
しかも、俺の選んだ答えはあまりに投げやりだ。
マズい。
急に怖くなってきてしまった。どうしよう。
頭を抱えそうになり、少し胃がキュッと縮まる感じがした。
一度深呼吸をし、パンパンと両の頬を化粧をするかのように軽く叩く。
視線が少し遠いところを見て、もう一度深呼吸をしようかと思ったその時、チリンチリンとドアベルが響いた。
そして、その姿を視認する。
背が高く、スラッとしているシルエット。
女子でこれだけ背が高い人を、俺は見たことがない。
間違うはずもない。愛染さんだ。
「……すみません、遅くなりました……」
「いえいえ、本当に大丈夫です。俺も、準備する時間が欲しかったですから。」
彼女の第一声は『すみません』だった。
こういう人間は、心の奥で罪悪感を抱いていることが多い……と心理学の本に書いてあった気がする。
「いえ、呼ばれておいて待たせてしまったので。すみません。」
「悪くないですよ、そんなの。だから、謝らないでください。」
自然と口から出た言葉だったが、花月さんを思い出す。
思わず頬が緩みそうになり、図らずも緊張が解れた気がした。
「ありがとうございます……?」
彼女は首を傾げて席についた。
制服のままなのでそのまま来たのだろう。
軽そうなリュックと手さげ鞄を床に置き、前よりは少し血色が良い顔をこちらに向けてきた。
「愛染さんは飲み物要りますか?」
「い、いえ! 全然大丈夫です……。そ、それより、あの話をしませんか。私、大丈夫です。」
できる限り自然にと心掛けたつもりだったが、気遣いに気づかれてしまったようだ。
正直少し驚いた。
前回話した時とは全然違う。
瞳はまだ少し揺らいでいるが、真っ直ぐにこちらを見つめてきている。
きっと、彼女なりに色々考えたのだろう。
そして、覚悟を決めたんだ。
……だったら、俺の、俺だけの答えを出してもよかったのかな。
少し自分の選択を後悔しそうになった。
彼女は彼女なりに頑張っているのだから、俺も逃げるべきではなかったのかもしれない。
でも、やっぱり俺はこれが最適解だと思った。
無責任とか、投げやりとか言われても仕方ないと思うのだが。
「……わかりました。……愛染さんは何だか……少しスッキリしましたか?」
「えっ? ……まぁ、少しだけ気は楽になったかもしれません。髙木君の答えがどうあれ、私が彩葉を守ることに変わりはないなと、思ったので。」
「なるほど……?」
覚悟、というよりはある種の諦めのようなものかもしれない。
ならばさっきの後悔は撤回しよう。
俺は彼女に諦めるような答えを強要したくなかった。
「じゃあ、俺の答えを伝えます。……でもその前に、ちょっとだけ時間をもらっていいですか?」
「はい、全然大丈夫です。」
優太朗はテーブルの上のスマホを手に取り、いくつか来ている通知をチラリと見る。
そして、すぐに彼女に向き直った。
「はい、もう大丈夫です。」
「えっ? もういいんですか?」
「はい。ちょっとだけって、言ったじゃないですか?」
ニヤリと場を和ませられるような笑みを作る。
大丈夫だ。
俺のやるべきことは、時間稼ぎ。
然るべき時まで、何とか話を繋ぐ。
「……まぁ、まずは……愛染さんの話がしたくて。あんまり長くはしないので良いですか?」
「……もちろんですけど……私の話なんて、関係ありますか?」
「もちろんありますよ。」
彼女は少しポカンとしている。まぁ、当たり前だけれど。
前回の話の流れでまだ自分の話をすることになろうとは思っていなかったのだろう。
「愛染さんは……きっとこないだの提案、良いことだとは思ってないんですよね?」
彼女はこちらを真っ直ぐ見ていた顔を、軽く伏せてしまった。
「……はい。……もちろんです。二人は、友達なんですから……私の我儘みたいな提案で、二人を引き剥がすのは……良い気分ではないです。」
「……それは、俺への罪悪感もあるんでしょうけど……多分一番は、花月さんへのものですよね。」
「…………はい、そうですね。」
まぁ、ここまでは分かっていた。
というか、これから聞くことは確認のようなものだ。大体分かっていることを聞いていくだけ。
「俺が花月さんと話すのを止めて、花月さんが何か嫌な気持ちになったりすると思うんですか?」
「……当たり前です。髙木君が自分のことをどう思っていても、彩葉は髙木君を……友達、だと思ってます。勝手にそんな人を引き剥がして、あの子がどんな思いをするのか……」
「そうですか? 俺と花月さんはまだ出会ってから数日ですし……」
「だって、髙木君は……いい人、ですから。自分で言うのもなんですが、私が男の人をいい人だなんて言うのは本当に珍しいんです。だから……彩葉なら尚更、髙木君のことをいい人だと思ってるはずです。」
俺は自分で思っていたよりもずっと、愛染さんに評価されていたらしい。
これこそ過大評価というやつではないだろうか。
たかだか数日の関係でそんなに俺をよく思ってくれる方がおかしい。
……まぁ、花月さんの優しさを持ってすれば、それくらい当たり前なのかもしれないが。
「でも、花月さんがどれだけ俺をいい人だと思っていたとしても、愛染さんの理由を聞けば納得すると思います。すごく、筋が通っている理屈だと思うので。」
「……それが、嫌なんです。尚更、それがすごく……嫌、なんです。」
「嫌?」
彼女は先ほどまでの覚悟を失ったように俯く。
恐らく、今までは脆い鎧で身を覆っていただけなのだろう。こないだのことを考えてもこれが素に見える。
いや、素というのもおかしな話かもしれない。
きっと普段の彼女はこんなに弱々しくはないんだろう。まぁ、俺を睨んでいた時のあの一瞬の情報で語っているから、決して確信があるわけではないのだが。
ところで、『嫌』というのはどういう意味なのだろう。
「彩葉は……彩葉は、きっと私を嫌いになんてなりません。私が勝手に髙木君を引き剥がしても、あの子はすぐ納得して……私を恨んだらしてくれないんです。」
「それは……いいことでは、ないんですか?」
「……あの子はすぐ、自分を大事にすることを忘れちゃんうんです。昔から、私なんかを守るために……あんなに、小さい身体で……」
なるほど。
よく分かった。
愛染さんは、花月さんが抵抗することも諦めて、憎むことも諦めて、喧嘩することも諦めるのが嫌なのだ。
全て諦めて、自分の言うことを聞かれるのが嫌と言われれば、まぁ分かる。自分が悪いことをしていると言う自覚があれば尚更だ。
どれだけ悪いことをしても、寛大で広大な心に許されてしまう。
俺みたいに悪くないと言って欲しいのではない。
きっと、『嫌だ』でも何でもいい。一言、何か言って欲しいのだ。
こういうのはすごく厄介だ。
漠然とした、小骨のような突っかかり。
確定した事象ではない。
けれども、なぜかそうなるだろうという確信があるのだろう。
俺も、花月さんならそうしそうだなと思う。
ならばこそ、やはり俺の選択は正しかった。
自信を持って、これしかなかったと高らかに言える。
「……愛染さん。俺はこないだ……愛染さんにあのお願いをされてからずっと、短い間ですが考えてきました。」
「……はい。」
「でも結局、出せた答えは酷いものです。少なくとも、俺の労力を考えれば。」
「労力?」
ああそうだ。
俺は何もしない。
これは放棄と変わらない。
けれど、やっぱり俺じゃダメだ。
小さな音を立てて、スマホが震えた。
テーブルの上にあるので愛染さんもそれに気付いたようだが、画面を伏せているので内容まではわからないだろう。
「……スマホ、いいですよ。」
「ん? ああ、いや。今は、大事な話をしてるので。」
「…………それで、答えというのは……」
彼女はこちらを見ている。
頃合いだろう。
小さく頷いて、愛染さんを見据えた。
「……傲慢です。きっと、俺がこんなことを言うのはあまりに傲慢で……無責任。でも考えれば考えるほど、聞けば聞くほど……愛染さんに必要なのは、俺の答えなんかじゃないと思ってしまったんです。」
愛染さんは不思議そうな顔をしている。
そりゃそうだ。
きっと、思い描いていたどんな答えとも合致しなかったのだろう。
チリンチリンと、仄かな春の匂いのように、ドアベルの音が鳴り響く。
「俺じゃ、どうしようもないなって、思ったんです。」
「それは……どういう……」
彼女が、長い髪を揺らしながらこちらに近づいてくる。
「……相澤さんはきっと、俺なんかよりもずっと、ずーっと、花月さんのことを考えてます。だから……今回の件、どうか、全部吐き出してあげてください。」
よかった。
なんとか持った。
後はなんとかなる事を祈るしかない。
「栞。」
細い声が響き、愛染さんは少し目を見開いた。
そして振り返り、彼女の姿をしっかりと目に収めたことだろう。
ニコニコと、笑みを浮かべながら立っている彼女の姿を。
「……彩葉……」
そう。これが俺の答え。
愛染さんが話すべきは俺じゃなくて、花月さんだという答え。
何とも無責任で、投げやりで、他人任せな答えだ。




