第十二話 愛染 栞の欠点
私は昔から背が高かった。
小学生の頃はずっと、周りの男子よりも背が高かった。
そして、私を虐めていた男子たちは、プライドだけは高かった。
私と彩葉が出会ったのは小学二年生の頃だった。
私が虐められていたのは一年生の頃から。
でもそれは、虐めと言うほど激しいものではなかったと思う。
すれ違いざまに少し声で揶揄われたり、普段からあだ名が『巨人』だったり。
正直あんまり嫌だと思ってはいなかったけど、鬱陶しくはあった。
口で言われるだけなら簡単に耐えられるし、実際耐えてきた。
でも、一番辛かったのは友達がいなかったこと。
わざわざ静かな私に話しかける人なんているはずもないし、むしろ虐めてこない子たちだって私を少し怖がっていた気がする。
休み時間だって一人だし、帰るのも一人。
これは嫌だった。
周りが皆んなわちゃわちゃしてるのが羨ましかった。
私だって友達の家に行ってみたかった。
友達を家に呼んだりしてみたかった。
休み時間に鬼ごっことか、シーソーで遊んでみたりしたかったよ。
けれどそれは怖くもあった。
私を虐める人たちじゃなくて、大して関わりも無い子たちにハッキリ言われたら……きっとそれが一番辛いと思ったから。
だから私は小一の頃、漠然とずっと一人で生きていく気がしていた。
でも二年生になって、係決めを終えたある休み時間。
私は私の光に出会った。
まるで世界が色づくようだった。
彩られたようだった。
「……わぁ……背、高いね!!」
一緒に黒板を消していた彼女はそう言って、こちらをキラキラとした目で見上げていた。
私は思わず言葉に詰まってしまった。
「……えっ……あ……うん……」
「すごーい! 黒板、高いところも届くね!」
私は不思議で仕方なかった。
どうして怖がらないのだろう?
どうしてそんな風に話しかけてくるのだろう?
……けれど、嬉しかった。
確かに心が晴れた。
彩葉はそれからも私と仲良くしてくれた。
明るくて、優しくて、小さな身体がとても可愛い。
私は小学校で初めてできた友達に、心が跳ねるようだった。
ただクラスが一緒になって、ただ係が一緒になっただけ。
それだけで私の人生は大きく変わった。
私はこの子とずっと友達でいようと心から思った。
ある日、私たちは小学校の図書室で本を読んでいた。
彩葉は昔から本が好きだったから、どんな本でも読んでみようと頑張っていたのを私はただ隣で見ていた。
彩葉は言葉を知るのが好きだった。
理由を聞いたら本を読むのが楽しくなるから、らしい。
どれだけ本が好きなのだろうと、子供ながらに首を傾げたのを覚えている。
そしてその日、私たちはある単語を知った。
「……これ、なんで読むんだろー? 『おひとすし』?」
「……多分? おひと……こうし?」
『お人好し』
こんな単語見たこと無かったし、読めるわけもなかった。
彩葉は、気になった単語はすぐに辞書で調べて覚える癖があったから、私たちは短い休み時間で必死に『お人好し』を探した。
「……あっ、あったー! 栞ー! おひと、よし? おひとよしって読むらしいよー?」
「『お人好し』……。よし、って読むんだ……」
それを読んだ時、私と彩葉はきっと逆のことを考えた。
彩葉は『お人好し』の気がいいこと、人がいいことを素晴らしいこととして認識した。
そして私は、それをいけないことと認識した。
『人を疑わず、言うとおりになる〈こと/人〉。』
私はこの一文が何より怖かった。
その時は、何故かは分からなかった。
けれど背筋をなぞられるような、胸が震えるような、妙に嫌な気配を感じていた。
そしてそれはある日、決定的になる。
小学四年生の頃だった。
私にしては珍しく、一人で休み時間に外に出ていた。
別に何かで遊ぼうと思った訳じゃない。
彩葉が係の仕事があると言っていたので、それが終わるまで外で待っていようと思ったのだ。
私は彩葉と出会って変わった。けれど、それは周りも変わるということでは無い。
相変わらず私を虐める人たちはそのまんまだった。
子供だし、育ち盛りだろうからきっとその人たちだって大きくはなっていたと思う。
でもやっぱり私の方が大きかった。
その日は少しだけ彼らの虐めがエスカレートし、私はグラウンドの端の方で尻餅をついていた。
彼らが手を出した訳ではなく、少し気圧されて私が躓いてしまっただけ。
私は耐えられた。
そんなの、どうってこと無かった。
なのにあの子は……彩葉は私を庇おうと、私とその人たちの間に入ってきた。
私はびっくりして固まってしまい、虐めっ子たちも固まっていた。
私は、その時のことを上手く思い出せない。
彩葉が何を言っていたのか、耳に入ってこなかったんだと思う。
今でも覚えているのは、彼らの声の一部だけ。
チビのくせに、とか。そういうことだけ。
私は怖かった。
虐めっ子が怖い訳じゃなく、彩葉が怖い訳でもなく、私の胸の内にある焔のような何かが。
気づいたら、私は彩葉の前にいる三人の男子のうち、真ん中にいたものの手首を強く掴んでいた。
男子たちは三人とも驚いたような顔をしていた。
私は今までに一度だって反抗したことはなかった。だから、驚いたのは変なことじゃない。
蜘蛛の子を散らすように彼らは逃げ、私は彩葉の方を振り返った。
彼女は私を見上げ、しばらく沈黙が広がる。
私が後ろから見た彩葉の背中はすごく勇敢に、そして頼もしく見えたのに、そうして正面から見ると潤んだ瞳や低い身長も相まって酷く弱々しく見えた。
なんで、こんなことをするのだろう。
なんで、私を庇って怖い思いをするのだろう。
ああ、そうか。
彩葉は、『お人好し』なんだ。
この時から、私のするべきことが決まった。
彩葉を、守らないといけない。
彩葉は優しいから、きっと色んな人を守ろうとする。なら、彩葉のことを守る人も必要だ。それに私がなればいい。
親に頼んで空手の習い事を始めた。
こんなことでも、例え少しだけだとしても、彼女の役に立ちたかった。
幸いにも背は高かったから、格闘技に少し有利だった。
彩葉が守ってくれたこの身長を、彼女のために使う。それが私の生きる理由だと思った。
小学校では、私が空手が強いという噂が立った。
正直言えば別に強くはなかったのだが、それでもこの身長とその噂は好都合だった。
意地の悪い男子を彩葉から遠ざけるのも楽になったし、私がいるというだけで威圧になった。
彩葉は相変わらず、人生が楽しそうに友達と笑っていたし、私も彩葉が楽しそうだと嬉しかった。
だから、間違いなんかじゃないと思っていた。
中学生になってからは、私は空手部に入った。
あんまり人気がなかったから部員は二人しかいなかったけど、そんなのはどうでも良い。
ただ、少しずつ自分が彩葉のためにできることが増えていった気がした。
中学生ともなれば、男子たちにだって下心が生まれてくる。
そして、彩葉は可愛くなった。
だから彩葉を好きになる人も多くなった。
彩葉は純粋だからそういうのに気づけない。だから私がフィルターになる。
彩葉に下心をもって近づく男子たちを睨みつけ、悉く引き剥がした。
下心塗れの男子はすぐに分かる。
普段の会話はそんなに優しくもないのに、彩葉に近づく時だけ甘く都合のいい事を吐く。
私にはそれがすごく気持ち悪く見えた。
でもある日、私はおかしなことに気づいてしまった。
男子から離れて、彩葉と一緒に女子と話していれば楽しいと思っていた。のに。
「翠ってちょっとノリ悪いよねー。」
「さくら、付き纏ってきてウザーい。」
「美咲さ、輝のこと好きなんだって。ヤバくない?」
何だろ。
何が、嫌なんだろ。
ああ。下心に塗れた男子達と似ているんだ。
都合よく、仲間にできそうな女子の前ではニコニコとして、その子がいなくなると途端に陰で蔑み始める。
どちらも、醜い。
結局、同じだった。
私が嫌いなのは男子じゃなくて人間だった。
でもそれだけ。
することは変わらない。私はあくまで彩葉を守る。
誰でも信じて疑わないお人好しの彼女を、私が守らないといけないんだ。
そう信じて、私は繕い続けた。
時折ほつれそうになる彩葉と女子たちの仲を繋ぐ。
私は嫌われてもいい。もちろん、嫌われるのは嫌だったけど。
彩葉が楽しそうに笑っているのが好きだった。
私が守れている気がして嬉しかった。
空手部で結果を残すようなことはできなかったけど、基本的な技術は身につけられたし、いい経験になったと思う。
そして、私たちは何事もなく中学を卒業した。
流石に、ここまで来たら守るのも難しいと思っていた。
高校は中学校とは違い、地区の友達と一緒に繰り上がるようなものじゃない。
だのに、私は男子が苦手だからと彩葉に志望校を伝えたら、奇しくも私たちの志望校は一緒だった。
彩葉がなぜ真堂高校を選んだのかと聞かれても、その答えは分からない。
でも、私は素直に嬉しかった。
まだ彩葉と一緒にいられる。
まだ彩葉を守ってあげられる。
そうして真堂高校に入学した私たちは、またもや同じ日に同じ門を潜った。
真堂高校は男女の壁が厚い。
だから私の不安要素も半分になった。
ただ、女子たちに彩葉が嫌われないようにすればいい。
それに、私自身も男子が周りにいないのは楽だった。
そして一年なんてあっという間に過ぎ、私も彩葉も何事もなく二年生になった。
……つもりだった。
二年生になってからも、別に彩葉に変わった様子はなかった。
普段通りの笑顔、普段通りの声音、普段通りの可愛さだった。
だから、彩葉が同い年の男子と仲良くなっているなんて、想像もしてなかった。
考えてみれば、別に変なことではない。
彩葉は私と違って男子に偏見は無いし、コミュ力も高い方だ。
出会ったのが学校の外なら、それこそ仲良くなるのなんて難しくないだろう。
何より驚きだったのは、彩葉があんな笑顔を浮かべるということだった。
今までだって彩葉はよく笑う子だったけれど、あんなに明るい笑顔は初めて見た。まるで、夜空に打ち上がった大きな花火のようだった。
衝撃だった。
それ故に、理由もよくわかってしまった。
きっと。きっと彩葉は髙木君に……。
もしかしたら、私のしてきたことは間違いだったのかもしれない。いや、間違いだったのだろう。
でも守りたかったし、これからも守っていたい。
あの子が悲しんだり、苦しんだりするのは見たくない。
どうすればいいのか、私には分からなくなってしまった。
分からなくなった上で、私はまだあの子を守る。
信念によるものかもしれないし、義務感によるものかもしれない。もう、自分ですら自分の行動を肯定しきれない。
でも、それでも私はこうするべきだと思った。
『………………彩葉と……………………会うのをやめてくれませんか……?』
心が、崩れてしまいそうだった。
これを口にするのがどれだけ辛いことか髙木君はきっと理解していないだろう。
彩葉が髙木君にどんな感情を抱いているのか、何となく理解した上でこれを言った。
本当に、これが彩葉を守ることになるのか。
本当に、こんな様子で私は私を許せるのか。
でも、私は彩葉に悲しんで欲しくなかった。
幸せや不幸が波のように訪れる人生じゃなくて、淡かろうとずっと幸せに浸かったままの人生を。
結局、私はずっと間違い続けていたのかもしれない。
彩葉は私じゃないんだから、好きに恋とかしてみたかっただろう。
もし自由だったら、中学生の頃にはもう恋人とかできていたかも。ただそれを邪魔しただけなのかもしれない。
ああ。私はずっと、彩葉の『邪魔』をしてきたんだ。
考えたくもない考えばかりが頭の中に広がっていく。
でもやっぱり邪魔だったと思う。
彩葉に言い寄ろうとする男子は何人もいたんだ。きっと彩葉だって、もうちょっとだけそういう人たちと向き合えば、好きになる人だっていたかもしれない。
私は昔から背が高かった。
背が高かっただけ。それだけだ。
それだけなのに、それだけで、まるで彩葉を守れているような気がしてた。
傲慢で、あまりに自分勝手。
彩葉を悲しませる存在が嫌いだ。
私は、世界で一番、私が嫌いだ。
私は、とっくに私の欠点を理解してる。
行き過ぎで、やり過ぎで。
相手のことを考えてるフリをするような。
どうしようもないほど魂に染みついた──
気色の悪い『過保護』だ。




