三春と慎太郎の話7
「やっぱり具合が悪い?」
慌てて首を横に振った。心配そうな表情の慎兄さんを見ると一気に申し訳ない気持ちになる。
「本当に? 熱とかない?」
伸びてきた手にびっくりして避けるように体を引いてしまった。慎兄さんの心配そうな顔が困惑したような表情に変わる。
「あの、いまのは違くて、僕、」
「もしかして俺に触れられるの嫌だった?」
まさかの言葉に驚きすぎて反応することができなかった。
「そっか。それならメッセージ送ってくれるはずはないか」
寂しそうな笑みに胸がギュッと痛くなる。そんなことはないと否定したいのに喉が詰まって言葉が出てこない。
(違う、そうじゃない)
メッセージを送れなかったのはなんて送ればいいかわからなかったからだ。ああでもない、こうでもないと考えすぎて、気がつけば何日も経ってしまっていた。
一週間が過ぎた頃、「髪を切ってくれてありがとうございます」でよかったんだと気がついた。それなら変じゃないしお礼を言うこともできる。だけど一週間も経ってから突然お礼を送るなんて変だ。そう思って何も送ることができないままになってしまった。
「無理やり店まで連れて来ちゃってごめんね」
そんな顔をしてほしくないのに、そう告げることができない。
かっこいい慎兄さんに悲しそうな顔は似合わない。僕がそんな顔にさせているんだと思うと自分のことが許せなくなった。
「家まで送ってあげるよ。車取ってくるからちょっと待ってて」
パーカーを僕の膝に置いた慎兄さんが、そう言って立ち上がった。このままじゃ二度と会えなくなる……そう思ったら勝手に手が動いていた。
「違うんです!」
慎兄さんの左手を握りながらそう声を上げた。ちゃんと言わないと絶対に後悔する。言い訳じみていたとしても、言わないで後悔するより言って後悔したい。
「メッセージを送れなかったのは、その、なんて送ったらいいかわからなかったからで! 毎日なんて送ろうか考えたけど難しくて、そしたら一週間も経っていて、余計に何を送っていいかわからなくなっただけなんです! 本当はメッセージ送りたかったんです!」
驚いている慎兄さんを必死に見上げた。喉が詰まっていたのが嘘のように、少しやけくそな気分になりながら言葉を続ける。
「それに! 慎兄さんに触られたくないとか、そんなこと絶対にないです! 今日だって切ってもらってすごく嬉しかったし、この前はシャンプーとかマッサージとかまでしてもらって、すごくすっごく! 嬉しかったんです!」
だからそんな悲しそうな顔をしないでほしい。そう思いながら必死に慎兄さんを見た。
驚いたように慎兄さんが目を見開いた。そうなるのも当然だ。僕はこれまで大声を上げたりしなかったし、とくに慎兄さんの前では“いい子”の僕を必死に演じていた。そうしないと僕と遊んでくれないと思っていたからだ。
「そっか」
そう言って慎兄さんが笑った。その顔にホッとして、安心したからか今度は別のことが気になった。
(勢いのまましゃべっちゃったけど、とんでもないことまで言ってしまった気がする)
いまので僕の気持ちがばれたりしないだろうか。掴んだままだった腕をそっと離した。すると引き留めるように慎兄さんが僕の手を握った。
「よかった」
「えっ?」
「思い切り避けられたように見えたから、もしかして嫌われたんじゃないかと思って不安になったんだ」
「き、嫌うだなんて、そんなこと絶対にないです」
信じてほしいけど、顔を見るのが恥ずかしくて視線を逸らしながら答える。
「それならよかった」
僕の手を掴む慎兄さんの手にギュッと力が入った。どうしよう、ドキドキしてきた。そもそも僕から慎兄さんに触れるなんて、とんでもないことをしてしまった気がする。そう思うとますます顔を見ることができなくて、ゆっくりと視線を床に向けた。
「本音を言えばちょっとだけ期待してたんだ」
期待……? どういうことだろう。気になってそろりと視線を上げると慎兄さんが僕をじっと見ていた。あまりに熱心な眼差しに慌てて俯く。
「三春くんに好きだって言われたのは幼稚園生のときだし、さすがにもう心変わりしてるかなと覚悟はしていたんだ」
「す、好き……って、僕が言ったんですか?」
「うん。その顔はやっぱり覚えてなかったか」
なんて答えていいのかわからない。
(幼稚園のとき……僕が慎兄さんに「好き」って……)
駄目だ、思い出そうとしても頭に浮かぶのは心配そうな顔をした先生たちばかりで、次に浮かんだのは泣きそうな顔をしている兄さんたちだった。それでも必死に思い出そうとしていると「忘れていてもしょうがないよ」と慎兄さんが笑った。
「もう十年以上も前の話だしね。それでもやっぱりどこかで期待してたんだ。そんな昔の言葉にすがるなんて自分でもどうかしてると思うけど」
どうして忘れてしまったんだろう。僕のせいでこんなふうに笑うしかない慎兄さんを見ていられなくてもう一度俯く。
「まぁ、それもこれも全部二海が悪いんだけど」
「えっ?」
突然出てきた兄さんの名前に慌てて顔を上げた。
「思わせぶりなことばかり言う割に情報は何も寄越さない。こっちは遠く離れて気が気じゃないっていうのに」
「あの、二海兄さんが何かしたんですか?」
昔から二海兄さんにはいろんな意地悪をされてきた。もちろん危ないことはされなかったけど、僕が慎兄さんを好きなことはばれてるだろうし、余計なことを言ったんじゃないかと焦る。
「いや、なんでもない。二海なんかに踊らされた俺が悪いんだ」
ふわりと笑った慎兄さんがもう一度僕の足元にしゃがみ込んだ。
「もう一度聞くけど、恋人はいないんだよね?」
戸惑いながらもこくりと頷く。
「それじゃ、好きな人はいる?」
「え……と、」
好きな人なら目の前にいる。だからって正直に言うわけにはいかない。どうしようと視線をさまよわせていると、「俺以外に好きな人、いる?」と聞かれてドキッとした。
「お、れ以外、って……」
「俺以外にいる?」
「そ、れは、ええと、」
やっぱり二海兄さんがしゃべったに違いない。壱夜兄さんも気づいていそうだけど、慎兄さんにしゃべるなら親友の二海兄さんだ。
(何してくれてんのさ!)
ニヤニヤ笑う二海兄さんの顔を思い浮かべながら文句を言った。そうしながら「どうしよう」と青ざめる。
(もし小さいときからずっと好きだったってことまで知られてたら……)
きっと気持ち悪がられる。お腹の奥がヒュッと冷たくなった。どうしよう、今度こそ嫌われてしまう。気がつけば膝に載せたままのパーカーをこれでもかと握りしめていた。
「ごめん。ちょっと意地悪しすぎた」
「え……?」
苦笑する慎兄さんを見て違う意味でドキッとした。
(もしかしてからかわれた……?)
胸に鋭くて太い針が突き刺さったような気がした。慎兄さんはそんなことはしない。わかっているのに胸が痛くて、そのうえ変な声まで出そうになって慌てて唇を噛み締めた。鼻の奥がツンとして目頭が熱くなる。
「待った、泣かないで」
「だい、じょぶ、です」
「ごめん、泣かそうと思ったわけじゃないんだ。そうじゃなくて、三春くんの口から好きって言葉を聞きたくて意地悪なこと言ってしまっただけで……本当にごめん。大人げなかった」
僕の手を掴んでいた大きな手が離れた。その手が頬に触れ、指先で目尻をするりと撫でる。触れられたことよりも慎兄さんの言葉に驚いて目をパチパチと瞬かせた。
「意地悪な聞き方してごめん」
目尻を撫でていた指が頬を撫でた。熱さと肌が擦れる感触に顔がぶわっと熱くなる。
(こ、これってどういうこと?)
僕が慎兄さんを好きだってわかったのに、どうして優しく頬を撫でるんだろう。それにどうして僕に好きだなんて言わせたがるんだろう。
わけがわからなくて慎兄さんをじっと見つめた。慎兄さんも僕を見つめている。あまりの目力に俯くことも目を瞑ることもできない。まるで見つめ合っているような状況に耳まで熱くなってきた。
「やっぱり三春くんは可愛い」
見つめ合いながらそんなことを言われて、「あ」だか「う」だか変な声が漏れてしまった。
「卑怯な真似をして本当にごめん」
頬を撫でていた親指に耳のあたりをスルッと撫でられて、なぜかゾクッとした。
「俺は三春くんのことが好きなんだ」
「……え……?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。耳から入ってきたかっこいい声が、そのまま頭を通り過ぎて反対側の耳から床にこぼれ落ちる。
「三春くんが好きだよ」
今度は通り過ぎなかった。耳の奥で止まった「すき」という声がぐるりと頭の中を巡り、最後に「好き」という文字になる。
(慎兄さんが、僕のことを、好き……?)
頭の芯がブルッと震えた。うなじがソワソワして落ち着かなくなる。きっと真っ赤になっているに違いない僕を見つめる慎兄さんが「可愛い」と言って笑った。
「す、すきって、」
「うん。三春くんが好きだ。もちろん二海の弟としてじゃないし後輩としてでもない。一人の男として三春くんが好きなんだ」
「ひ、一人の男として、す、好き」
「そう。俺は三春くんのことが好きだよ」
頬を包んでいた手が動いた。さっき僕の髪を切ってくれていた長い指に耳たぶを摘まれて首の後ろがゾクッとする。
「あの、慎、兄さん、」
今度は耳の下を撫でられた。それだけなのに背中がぞわっとして落ち着かなくなる。
「三春くんは?」
「えっ?」
「三春くんは俺のこと、どう思ってる?」
鼓動がドコドコとうるさくなった。まるで熱が出たときのように頭がクラクラする。
「俺のこと、好き?」
世界がぐるんと回った気がした。耳から入ってきた慎兄さんの声が、あっという間に僕の中いっぱいに広がる。ずっと我慢してきた僕の“好き”という気持ちがパンパンに膨れ上がってはち切れそうになった。
「まだ俺のこと好きでいてくれてる?」
背中からうなじにかけてゾクゾクした静電気みたいなものが駆け上がってきた。それが“好き”を覆い隠していた蓋をパンと弾き飛ばす。
「好きです」
しぼり出した声は掠れてとても小さかった。しかもお店の前を通り過ぎた車の音で半分かき消されてしまった。
(も、もう一回言わないと)
でないときっと聞こえてない。焦る僕に気づいたのか、また頬を撫で始めた慎兄さんが「俺もだよ」と囁きながら微笑んだ。
「三春くんのことが好きだよ」
「ぼ、僕も、す、好きです」
今度は掠れなかった。これなら聞こえたはず。
(言った。言ってしまった)
ついに告白したんだと思った途端に全身がカァッと熱くなった。しかも慎兄さんに好きだと言われた。告白して、告白されて……嬉しいのに驚きすぎて目の前がグラグラ揺れる。
「夕飯だけど、俺の部屋で食べようか」
「ゆ、ゆうはん」
「そう、夜ご飯。本当はお肉がおいしいお店を考えてたんだけど、こんなに可愛い三春くんを誰かに見せるのが嫌になった」
「か、かわいい」
「この世で一番可愛い、俺が大好きな三春くんを見せびらかすのは今度にしよう」
「だ、だいすき……」
頭のてっぺんからプシュッと煙が出たような気がした。
その後、僕は油の切れたロボットみたいにギクシャクしながら慎兄さんの車に乗った。来たときは運転席が気になって仕方がなかったのに、いまは魂が抜けたみたいに正面を見ることしかできない。
(慎兄さんが、僕を好き……)
駄目だ、キャパオーバーだ。僕は真っ赤な顔のままひたすら正面を見続けた。




