三春と慎太郎の話8
(き、来てしまった)
というより気がついたら慎兄さんの部屋の前だった。「おじゃまします」と言って入った部屋は玄関からすでにお洒落で、まさに慎兄さんの部屋って感じがする。
(このソファもインテリア雑誌とかに載ってそう)
一軒家のうちとは違うお洒落な外観のマンションといい、何もかもが慎兄さんっぽくてかっこいい。座っているソファも置いてあるクッションもうちにあるものとは大違いだ。なんとなく落ち着かなくて、家にいるときと同じようにクッションを抱きしめた。そのまま顎を載せると、かすかにふわりといい匂いがすることに気がついた。
(この匂い……香水かな)
爽やかな中に柑橘っぽい匂いを少しだけ感じる。そういえば車の中もほんの少しだけどいい匂いがしていた。
二海兄さんは香水をつけるけど僕と壱夜兄さんは使わない。だからか匂いには敏感なほうだと思う。たまに壱夜兄さんから香水の匂いがするときは靜佳とデートしたか部屋に行った後で、そのことを思い出したからかドキドキしてきた。
(もしかしたら僕にも慎兄さんの香水の香りが移ってたりして)
そうしたら家に帰ってからも慎兄さんの匂いを堪能できるのに……浮かんだ考えにハッとした。慎兄さんの匂いがついてほしいなんて、しかも家に帰ってからも匂いを嗅ぎたいなんて、これじゃあ変態みたいだ。
変態にはなりたくないけど、せっかくなら慎兄さんの匂いが僕に移ってほしい。そのくらい近くにいたんだと帰宅してからも感じたいと思った。
(匂いだけでもいいから好きな人のそばにいたことを忘れたくないっていうか……)
好きな人……そうだ、僕は慎兄さんに好きだと告白した。そして慎兄さんも僕のことを好きだと言ってくれた。
「三春くんのことが好きだよ」
お店で言われた言葉を思い出してボボボッと顔が熱くなった。長い指で頬とか耳とか触られたことまで蘇って体がカッカと熱くなる。抱きしめたクッションに口元を埋めながら、ウズウズする気持ちを抑えられなくて足をバタバタさせてしまった。気がつけば「うー」だとか「あー」だとかよくわからない声まで出ている。
「三春くん?」
聞こえてきた声に「ひゃっ!」と飛び跳ねた。顔を上げるとかっこいい慎兄さんが不思議そうな顔で僕を見ている。
「どうかした?」
「なななななんでもないですっ」
慌ててクッションをどけて座り直した。飲み物を持って来てくれた慎兄さんが「何やっても可愛いね」なんて言いながら隣に座る。
「か、可愛い、ですか?」
「うん、可愛い」
「ぼ、僕が?」
「そう、三春くんが」
隣でにっこりと笑う慎兄さんがかっこよすぎて直視できない。慌てて俯くと「全然変わらないな」なんて言いながら慎兄さんが笑った。
「か、可愛いなんて言われたの、初めてです」
「二海たちはいつも言ってるんじゃない?」
「それは……二海兄さんも壱夜兄さんも兄弟だから」
「それじゃあ兄弟以外で俺が一番乗りってことだ」
そう言ってまた「可愛い」と口にする。
「三春くんは小さいときからずっと可愛かったよ。ランドセルを背負ってるのも可愛かったし、中学の学ランも高校のブレザーも可愛かった。直接見られないのをどれだけ残念に思ったことか」
好きな人に可愛いと言われるのがこんなに気恥ずかしいことだなんて知らなかった。思わず「そ、そんなことないです」と答えてから、「あれ?」と首を傾げる。
「あの、なんで制服のこと知ってるんですか?」
慎兄さんが都会に行ったのは僕が小学生のときで、それから一度も会っていないから中学や高校の制服姿を知っているはずがない。不思議がる僕に「二海に見せてもらったんだよ」と笑った慎兄さんがスマホを見せてくれた。そこには中学や高校のときに撮った入学式の写真が表示されていた。
「二海に頼んで送ってもらったんだ。入学式の初々しい表情もいいけど、卒業式の泣いて少し目が赤くなってる写真も好きだな。ほかに体育祭のときのもあるし、そうそう、学園祭の写真もあるよ」
高校二年の学園祭のときに無理やり着させられたセーラー服姿の写真まであった。
「ここここれは!」
「こういうの学生っぽくていいよね」
「ちちち違うんです! 着たくて着たわけじゃなくて!」
「二海に聞いてる。じゃんけんで負けたんだって?」
「違います! じゃんけんに勝ったから本当は着なくてよかったのに、当日着るはずだった人が風邪で休んでしまって、急きょ僕が着ることになっただけで……!」
セーラー服なんてやっぱり断ればよかった。いまならそう思えるけど、あのときはクラスメイトの熱気がすごくて断ることなんてできなかった。
あまりの恥ずかしさに涙が出そうになった。セーラー服を貸してくれた美優ちゃんは「わたしよりめっちゃ似合ってる!」なんて言いながら写真を撮っていたけど、きっとそれを二海兄さんがもらって慎兄さんに送ったに違いない。
「へ、変な顔してるから見ないでください!」
「そんなことないよ。すごく可愛い」
「か、可愛くなんてないです……っ」
二海兄さんも二海兄さんだ。ニヤニヤ笑っている二海兄さんが頭に浮かび、もっとましな写真を送ってくればいいのにと文句を並べたてた。
「もしかして俺が写真持ってるの嫌?」
「い、嫌とかじゃなくて……そんな変な写真じゃなくて、もっとマシなのがあるはずなのにと思って……」
「そこはほら、二海チョイスだから」
「……二海兄さん、最悪だ」
「ははっ、今度一緒にそれ言ってやろう」
二海兄さんは最悪だけど、笑っている慎兄さんがかっこよくて段々とどうでもよくなってきた。
(こんなにかっこいい慎兄さんが僕を好きだなんて……本当なのかな)
嘘の告白なんて慎兄さんがするはずないとわかっている。だけど考えれば考えるほど信じられなくなってきた。
本当に僕のことが好きなのか気になるけど聞くわけにはいかない。盗み見るようにチラチラと視線を送っていると、それに気づいたのか流し目のように僕を見た慎兄さんがフッと笑った。それだけで僕の顔は真っ赤になってしまった。
「もしかして俺が三春くんのことを好きだって言ったこと、疑ってる?」
「……だって……」
「冗談で言ったわけじゃないよ。そもそも俺は三春くんのこと、ずっと好きだったからね」
「えっ?」
「ずっと前から好きだった。気づかなかった?」
「ぜ、全然」
「それなりにアピールしてたつもりだったんだけどなぁ。そういうところも三春くんらしいけど」
アピールなんて、そんなのいつしていたんだろう。僕はいつだって自分のことで精一杯で、きっとこういう見落としや気づけないことがたくさんあるに違いない。どうして僕はこうなんだろうと嫌になる。
「……その、僕を好きって、いつからですか?」
どうしても気になって尋ねてしまった。
「自覚したのは三春くんに好きだって言われたときかな」
「僕が言ったのって……」
「やっぱり覚えてないか」
「ご、ごめんなさい」
「しょうがないよ、まだ幼稚園生だったしね。それに幼稚園のときは大変なこともあったから」
僕にとって幼稚園の記憶のほとんどは心配する先生たちと泣きそうな顔をした兄さんたちが占めている。そんな中でも慎兄さんとの思い出はちゃんと残っていた。家に帰ると慎兄さんが遊びに来ていて、一緒に本を読んだりお菓子を食べたり、庭で縄跳びや虫の観察をしたのはいまでも僕にとって宝物だ。
(それなのに告白したのを覚えてないなんて、最悪だ)
俯く僕に「あのときちょっと眠そうだったから夢見心地だったのかもね」とフォローしてくれる慎兄さんはやっぱり優しい。
「俺の手を小さい手でギュッと握って、目を見ながら好きって言ってくれたんだ。あのときの三春くん、いま思い出してもやばいくらい可愛かった」
「そ、そんなことを僕が……」
「あのときから俺はずっと三春くんが好きだった。会えなかった間もずっとね」
慎兄さんの声色が変わった気がした。視線を向けると、眼差しは優しいけど真剣な顔にドキッとする。
「十年以上もずっと好きだなんて重すぎるかな。それとも気持ち悪い?」
「そ、そんなこと思わないです!」
ブンブンと大きく首を横に振った。それを言うなら僕だって同じだ。ついさっきも「慎兄さんの匂いを堪能することができるのに」なんて変態みたいなことを思った僕のほうが絶対に気持ち悪い。
(でも、そんなことを考えてしまうくらい慎兄さんのことが好きなんだ)
たぶん初めて会ったときから好きだったんだと思う。好きで好きで、それでもばれたら駄目だと思って忘れようとしたり誤魔化そうとしたりした。それでも駄目だった。
「ぼ、僕も、ずっと慎兄さんのこと好きだったから……僕も同じです」
言った途端に顔がぶわっと熱くなった。もちろん本心だけど恥ずかしくて顔を見ていられない。俯こうとすると、それより先に慎兄さんの手が頬に触れて顔を逸らすことすらできなくなる。
「それじゃあ俺たちは相手のことを同じくらいずっと好きだったってことだ。つまり両思いだったってことだね」
「りょ、両思い……」
「そう。そして今日、思いが通じあって恋人になった」
「こ、こいびと」
慎兄さんの親指が僕の唇をふにっと押した。初めての感覚に、耳の下あたりがぞわぞわして肩がブルッと震える。
「恋人になった記念にキスしとく?」




