三春と慎太郎の話4
いつもと違う髪型だけじゃなく初めて髪を染めたからか、帰り道は周囲の目が気になって仕方がなかった。
(目立ってないといいんだけど……)
そう思いながらも、慎兄さんに切ってもらったんだと思うと少しだけ自慢したい気持ちになる。
(自慢したいなんて、何考えてんだ)
それにお洒落になったのは髪型だけで僕自身じゃない。そう思うとやっぱり見られるのが嫌で、気がつけば足早に家へと向かっていた。
玄関のドアを開けると、ちょうど外出しようとしていた二海兄さんと鉢合わせた。僕を見るなり「へぇ」と目を開き、「可愛いじゃん」なんて口にする。
「ただいま。可愛いってなに言ってんのさ」
「いやぁ、想像以上に可愛くなったなぁと思って」
何かあるたびに兄さんたちは「可愛い」なんて言うけど、さすがに二十歳をすぎた弟に言う言葉だとは思えない。思わず呆れ顔で見ていると「慎太郎に任せてよかっただろ?」と言われて「それはまぁ、そう思うけど」と頷いた。
お洒落になりたいとは思っていないけど、慎兄さんに髪の毛をあれこれしてもらえたのはよかったと思っている。お店の前であんなに迷っていたのが嘘みたいに、いまは「行ってよかった」と心から思っていた。
(だって、こんなことでもない限り慎兄さんに会うことなんてなかっただろうし)
おかげで慎兄さんをたっぷり堪能することができた。思い出すだけでにやけそうになるのをグッと我慢しながら靴を脱ぐ。
視線を感じて振り向くと、なぜか二海兄さんがじっと僕を見ていた。「なに?」と眉をひそめると「うーん、こりゃあかえってまずいかもなぁ」なんて言い出した。
いまさら何を言っているんだろう。せっかくいい気分だったのにとムッと顔をしかめる。
「そりゃあ僕みたいな男にはこんなお洒落な髪、似合わないと思うけどさ。でも、勝手に予約したりカラーするとか言ったの、二海兄さんだからね」
「違う違う、そういうことじゃない。可愛くなったのは当然として、これじゃ余計な虫まで寄って来そうだなって思っただけだよ」
「虫……?」
帰ってくる間も虫なんて寄ってこなかった。「あっ、もしかして整髪料のこと?」と思ったものの、二海兄さんだっていつも整髪料を使っている。
「整髪料、そんなに匂う?」
「整髪料?」
二海兄さんが呆れるような顔をした。
「そうじゃなくて……まぁ、いいか。諦められなかったのは慎太郎もだし、あいつが責任取るんだろうしな。兄としては一応気をつけろとだけ言っておく」
「責任ってなんのこと?」
「そのうちわかるだろ」
「気をつけろってなんのこと?」
ドアを開けた二海兄さんがくるっと振り返った。そうして「おまえも兄貴も、ろくでもない輩にモテるってことだよ」と言いながらにやりと笑う。
「それじゃあ意味がわからない」
「心配すんな。おまえも兄貴と一緒で彼氏が守ってくれるだろうからさ。その彼氏が一番ろくでもねぇけどな」
「ちょっと、彼氏って僕そんな人いないからね!」
「わーってるって。んじゃ俺、優美んとこ行ってくるから」
「鍵、ちゃんと締めとけよ」と言いながら二海兄さんがドアを閉めた。夕方から優美ちゃんのところに行くということは泊まってくるに違いない。
二海兄さんと優美ちゃんはつき合いが長いベテランカップルだ。優美ちゃんは小さいときからよく知っている幼馴染みで、僕や壱夜兄さんとも仲がいい。二人とももう二十九歳だし泊まることだってしょっちゅうある。
(結婚しないのかなぁ)
優美ちゃんは絶対に結婚したがっている。それなのに待たせっぱなしだなんて、二海兄さんはヘタレなんだろうか。鍵をかけながら、二海兄さんが最後に口にした言葉を思い返した。
(彼氏が守ってくれるって……そんなの、僕にいるわけないじゃんか)
そもそもなんで彼氏なんだ。彼女がいるかもしれないって思わないんだろうか。
(そりゃあ、僕はずっと慎兄さんしか見てなかったけどさ)
そのせいか、いままで女の子を好きになったことは一度もなかった。だからって慎兄さんと付き合いたいなんて大それたことを考えたことはない。告白しようと思ったことも、もちろんなかった。そりゃあちょっとエッチな妄想をしたことはあるけど、想像しただけで実行したいなんて思ったこともない。
だって、相手は七歳も年上なんだ。それに慎兄さんは昔からすごくモテていたし、そんな人が僕を親友の弟以上に見てくれるはずがないじゃないか。
(そんなことはわかってる。でも、やっぱり諦めきれないっていうかさ)
それでも慎兄さんが都会に行ったときに一度は諦めた。思い出すとつらくなるから、しばらくは名前すら考えないようにした。ここ二、三年は写真を眺めながら「懐かしいなぁ」なんて思えるようになっていたけど、今日からまた少しだけつらくなるような気がする。
(諦め切れたと思ってたけど、そんなことは全然なかった)
小学生のときから僕は慎兄さんのことばかり考えていた。会うのは恥ずかしいのに会えないと悲しくなる。だから少し離れたところからこっそり覗き見たり、なんてことまでした。そんな僕に気づいた慎兄さんがニコッと微笑んでくれるのがたまらなく好きだった。
(そう、ずっと好きだったんだ)
だからってずっと好きなままでいても仕方がない。慎兄さんが都会に行ってから、それがよくわかった。だから忘れようと努力した。そんな努力も今日の再会でゼロに戻った。
(まだこんなに好きだったんだなぁ)
我慢していた間に好きな気持ちが強くなっていたかのように体の奥からどんどん気持ちがあふれてくる。“片思いだった人”は“いまでも一番好きな人”に逆戻りだ。
(いまさら自分の気持ちを自覚したところでどうにもならないのにさ)
しかも僕は男だ。せめて立派な大人なら望みはあったかもしれないけど、自立することもできない情けない男は慎兄さんにはふさわしくない。
(もし僕が壱夜兄さんみたいな大人の男だったら、少しは違ってたのかな)
壱夜兄さんは優しくて大人で、それに弟の僕から見ても綺麗な人だと思う。女性的じゃないのに、かっこいいっていうよりも綺麗って言葉が似合う大人の男だ。
(だから靜佳と付き合ってるって聞いたときも変だとは思わなかった)
むしろお似合いだと思った。靜佳は小学二年生のときに海外から引っ越してきた幼馴染みで、生まれたときから海外暮らしだったからか、子ども心になんて大人っぽい人だろうと思ったのを覚えている。
そんな靜佳と壱夜兄さんは恋人になった。二十六歳と三十二歳なんてそれなりの年の差だと思うけど全然そんな感じがしない。むしろ大人の恋人という感じで素敵だなぁといつも思っている。
二海兄さんだってチャラチャラしているけど高校のときはイケメンで有名だった。ファンクラブもあったみたいだし、いまでもすぐナンパされるんだって優美ちゃんが嫉妬するくらいにはモテるらしい。
(それに比べて僕は……)
小さい頃から何をしても自信が持てなかった。年が離れているから兄さんたちは可愛がってくれたけど、外に出たらただの冴えない男でしかない。人見知りで社交的でもないし、そんなだからモテたことなんて一度もなかった。兄さんたちとばかり一緒にいたから友達と呼べる人もほとんどいない。
そんな僕がかっこよくてお洒落な慎兄さんと付き合うとか……。
(ないない)
あまりにもあり得なさすぎて思わず笑ってしまった。
(そもそも幼稚園のときからずっと好きだったなんて、慎兄さんが知ったらドン引きだよね)
ドン引きどころか気持ち悪がられるかもしれない。だから、僕の気持ちは絶対に知られないようにしなくては。
(……髪、どうしようかなぁ)
慎兄さんは「また切りにおいで」と言ってくれたけど、僕から連絡することはできそうにない。今日いた三人のお客さんも想像どおりお洒落な感じで、働いている美容師の人たちもみんな素敵だった。そんなお店にまた行くのかと想像するだけで気後れしてしまう。
(うん、また行くなんて僕には無理だ)
おじさんにびっくりされそうだけど、伸びてきたらいつもの床屋に行こう。何度か切っているうちにお洒落な色もなくなるはず。そうしたらいつもの僕に戻って、そのうちお洒落な髪にしたことも忘れるに違いない。
(髪の毛と一緒に慎兄さんへの気持ちもきっと忘れられるはず)
せっかく連絡先を交換したけど無駄になった。最初からわかっていたことなのに、それでも残念な気持ちを捨てきれずにスマホの画面をそっと撫でた。




