三春と慎太郎の話3
「力加減は大丈夫?」
「はい、あの、大丈夫です」
近くから聞こえてくるかっこいい声にドキドキしたのは最初だけで、すぐに気持ちがよくなって頭がボーッとしてきた。長い指でグーッと頭皮を揉まれるのがこんなに気持ちいいなんて、今日ここに来なかったら一生知らないままだっただろう。
(しかもその指が慎兄さんのなんて……)
そんなことを思ったからか、またちょっとドキドキしてきた。
最初は慎兄さんの手だと思うだけで首のあたりがソワソワした。緊張して体中カチカチだったのに、気がついたらあまりの気持ちよさにウトウトしていた。床屋でも頭を洗ってもらったことはあったけど眠くなったことは一度もない。
(おじさん、比べるようなこと思ってごめん)
床屋のおじさんに申し訳なく思いながら指の感触を堪能する。きっとこんなに気持ちがいいのは慎兄さんが上手だからだ。「予約が取れないって二海兄さんも言ってたもんなぁ」と思いながら眠気に身を任せる。
僕がウトウトしていることに気づいたのか、その後は話しかけられることもなくシャワーの音を心地よく感じた。長い指にドキドキして、気持ちよさにフワフワして、なんだか夢を見ているみたいだ。
(何もかも初めてのことばっかりだけど……すごく気持ちいい……)
段々とここがどこで何をしているのかわからなくなる。
「寝てる顔も可愛いなぁ。あーやばい、キスしたくなる」
慎兄さんの声が聞こえた気がした。
(……あれ……? 僕、眠って……?)
ゆっくり目を開けたら慎兄さんに見下ろされていてびっくりした。一瞬夢かと思ったけど、「そういえば髪を洗ってもらっていたんだっけ」と思い出す。
「気持ちよかった?」
「え、と……」
シャワーの音が聞こえなくなっているということは洗い終わったということだ。それにしては頭が暖かい。どういう状況かわからなくてキョロキョロと視線を動かす。
「ホットタオルしてるから、あと少し眠ってていいよ。終わったら起こしてあげるから」
「は、はい」
タオルを巻かれたことすら気づかないくらい完全に眠っていたらしい。恥ずかしくて小さい声で返事をすると、慎兄さんがニコッと笑った。
(笑顔がかっこよすぎてつらい)
恥ずかしいやら照れくさいやらで慌てて目を瞑った。ドキドキしたからか今度は眠ったりはしなかった。
ホットタオルが終わり席に戻ると首や肩を揉まれた。まさかそんなことまでされるとは思わなくて全身がビクッと震えてしまった。鏡に映る自分の顔が赤くなるのがわかって恥ずかしくなる。
(う~、ドキドキするけど……でも触ってもらえるのはちょっと嬉しいかも)
むしろ、もっと触ってほしいとさえ思った。そんなふうに思う自分に恥ずかしくなる。
「長さとかデザインとか、本当にしたい髪型はないの?」
肩を揉みながら慎兄さんにまた聞かれた。髪を洗う前にも聞かれたけど、これまで髪型なんて気にしたことがなかったから困ってしまう。そもそもデザインだとか言われてもわからない。
「とくにないです」
「じゃあ、俺好みに切っちゃっても平気?」
「俺好み」という言葉にドキッとした。髪型のことなのに違う話に聞こえて落ち着かなくなる。
「それで大丈夫?」
「は、はいっ」
また声が裏返ってしまった。
(だって“俺好み”なんて言うから……)
ドキドキしてどうしていいかわからなくなる。美容師はみんなそんなふうに言うんだろうか。もしそうだったら変な反応をしてしまったわけで、変な奴だと思われなかっただろうか。
その後、何を話しかけられても「はいっ」としか言えなくなった。そもそも説明されてもよくわからないし、お洒落じゃない僕が下手なことを言うよりプロの慎兄さんに任せたほうが絶対にいい。
うまく返事はできなかったものの、鏡に映る慎兄さんのことはしっかり見た。こんな贅沢な時間は二度とないだろうから目に焼きつけておかなくては。おかげで一生分の宝物ができた。
「ドライヤー熱かったら言ってね」
気がつけば切るのも染めるのもあっという間に終わっていた。ドライヤーを持つ慎兄さんも覚えておきたくて鏡をじっと見つめる。
「乾かすときは手櫛でも綺麗にまとまるからね。こうやって根元からかき上げるみたいにして内側も乾かして……はい、終わり。内側をちょっとすいておいたから乾くのも早いはずだよ。せっかくだから少しだけ整髪料つけておこうか」
「は、はいっ」
「これ、ダマスクローズのいい香りがするんだけど、どうかな」
そう言ってお洒落な容器を差し出された。薔薇の種類なんてわからないけど、たしかにとてもいい匂いがする。「気に入った?」と聞かれてコクコク頷くと、「よかった」と言いながら中身を長い指ですくい取った。
その指が僕の髪の毛を梳くように撫でる。普段整髪料を使うことがないから、それだけで急にお洒落になったような気になった。
「はい、完成」
改めて鏡を見た僕は、あまりにもお洒落な髪の毛にポカンとしてしまった。顔は同じなのに、もっさりした田舎者がちょっとだけ都会の人になったように見える。染めた髪もお洒落すぎて自分じゃないみたいだ。
「後ろはこんな感じね。店の中じゃそんなに目立たないけど、太陽に当たったら綺麗なアンバーに見えるから」
合わせ鏡の中の後頭部には、黒い中に違う色の髪の毛が何本も見える。染め方とか名前とか教えてもらったけど初めて聞く言葉ばかりで覚えられなかった。
(二海兄さんがよく染めてるけど、あんな感じだったらどうしようってちょっと不安だったんだ)
二海兄さんの頭はいつも赤っぽい茶色やオレンジっぽい茶色ですごく目立つ。でも、これならそこまでじゃない。外に出たら違うふうに見えるとしても、僕の性格を知っている慎兄さんがしてくれたんだから悪目立ちしたりはしないはず。
(それにしてもすごいなぁ)
僕みたいな田舎者でもお洒落に見えるなんて慎兄さんのすごさにため息が出た。
「時間が経ったら少し色が抜けて明るくなるけど、その頃は髪も伸びてるだろうしまた切りにおいで」
「えっ?」
思ってもみなかった言葉に鏡の中の慎兄さんを見た。「伸びたらまた俺が切ってあげるから」と言われてギョッとする。
「あ、あの、また、切りに来るんですか?」
思わず口走ってしまった言葉に慌てて「ええと、そうじゃなくて」と口ごもった。
(こんなこと言ったら失礼じゃないか!)
でも、こんなお洒落な美容院にまた来るなんて僕には無理だ。視線をウロウロさせていると鏡の中の慎兄さんが「あはは」と笑った。
「三春くんは相変わらず遠慮がちだなぁ。急に連絡してくる二海とは大違いだ。もし嫌じゃなかったら、ぜひ俺に切らせてほしいんだけど」
「そんな、嫌だなんて絶対に思わないです」
「よかった。それじゃあ連絡先交換しようか」
「えっ?」
「店に電話してもらってもいいけど俺がいないときもあるからね。直接連絡もらったほうがありがたい。メッセージなら何時でもかまわないし」
「でも、あの、」
さすがにそこまでしてもらうのは迷惑じゃないだろうか。それに僕から慎兄さんに連絡できるとは思えなかった。メッセージだったとしてもどんな文章を送ればいいか考えて考えて、結局送れないような気がする。
(どうしよう、断ったほうがいいよね? それとも断るほうが失礼かな)
そんなことを考えながらマントみたいなものを脱ぎ、預けていたボディバッグを受け取った。
「はい、連絡先」
会計を済ませると慎兄さんがスマホを差し出した。それなのに「嫌です」なんて言える」はずがない。こうして家族以外は数人しか登録していないメッセージアプリに、慎兄さんの連絡先が加わることになった。




