三春と慎太郎の話2
(やっぱり断ればよかった)
オムライスを上の空で食べ終わった僕は、すぐに部屋に引っ込んでひたすら服と睨めっこした。
お洒落な美容院に行くのにどんな格好をすればいいのか全然わからない。わからないけど、いつもの格好じゃお店に似合わないような気がする。クローゼットに頭を突っ込んで、ああでもない、こうでもないと眉間に皺を寄せながら何枚もの服を引っ張り出した。
(二海兄さんが「それいいじゃん」って言ってた服にしたけど……)
姿見で何度も確認した。これなら少しはお洒落に見えると思った。気がつけば約束の時間が迫っていて、慌てて家を飛び出したものの店が近づくにつれて引き返したい気持ちがどんどん膨らんでいく。
「……写真で見るよりずっとお洒落だ」
通りの反対側から見た美容院は、思わずそうつぶやいてしまうくらいお洒落だった。都会にあるような雰囲気だから、お客さんもきっとお洒落な人ばかりに違いない。そんなお店に僕みたいなもっさりした田舎者が入ってもいいんだろうか。店構えを見た途端に足が止まり、すぐにでも帰りたい気持ちになった。
(どうしよう)
やっぱり二海兄さんに断ってもらえばよかった。お昼ご飯の最中に何度もそう思ったのに、どうしても断れなかったことをいまさらながら後悔する。
(だって写真の慎兄さん、すごくかっこよかったからさ)
だから、つい会ってみたいなんて思ってしまった。
スマホの中の慎兄さんはとにかくかっこよかった。写真にはほかの人も写っていたのに、慎兄さんだけキラキラ光っているように見えた。見ているだけでドキドキして、つい「お客さんとしてなら会ってもおかしくないよね」なんて思ってしまった。
こんな機会でもなければ兄弟の同級生に会うことなんてまずない。とくに七歳も年上だと年が離れすぎていて接点なんてまったくなかった。だけど、お客さんとしてなら堂々と会いに行ける。もしかしたら二海兄さんから僕のことを聞いて思い出してくれているかもしれない。
(そう思ってたけど……やっぱり無理だ)
さっきまでは「お客さんだし、二海兄さんが無理やり予約しただけだし」なんて言い訳みたいなことを思っていたけど、いざお店を見たら怖じ気づいてしまった。
それでも未練がましく出入り口を見つめた。行きたい、だけど入る勇気がない、それでも会いたい、でも……そんなことをグルグル考えながらじっと見つめる。
(……やっぱり僕には無理だ)
二海兄さんに連絡先を教えてもらってキャンセルの連絡をしよう。そういえば割引券にお店の連絡先が載っていた気がする。先にお店に電話して、それから慎兄さんに連絡したほうがいいだろうか。
そう思ってスマホを見たところで「三春くん?」という声が聞こえてきた。
「あ……」
顔を上げると、お店の前にとんでもなくかっこいい人が立っていた。建物の影になっているのに、まるでそこだけスポットライトが当たっているかのようにキラキラしている。思わず目をすがめたところで「やっぱり三春くんだ」という声がした。
(慎兄さんだ……慎兄さんが僕を呼んでる)
久しぶりに聞く慎兄さんの「三春くん」という声に心臓がドクンと跳ねた。ずっと忘れられなかった慎兄さんがすぐそばにいることにドッドッと鼓動が速くなる。
(どうしよう、声までかっこいい……)
何度も思い出していた声とは全然違っていた。見た目も声もかっこよくて一気に顔が熱くなる。さっさと返事をするべきなのに、僕は惚けたように道の反対側に立つ慎兄さんを見つめてしまっていた。
「大丈夫?」
「えっ?」
呼びかけられてハッとした。
「もしかして迷子になってた? 住宅街の中だから、ちょっとわかりにくかったかな」
「ええと、」
慎兄さんの声ははっきり聞こえているのに、なぜかうまく理解することができない。嬉しいとか恥ずかしいとかいろんな感情が体の中をグルグル回って、まるで外国語を聞いているように言葉が耳からすべり落ちる。それでも返事をしないとと焦っていると「スマホ見てるから、てっきり迷子になったのかと思って」と慎兄さんが笑った。
「あの、そうじゃなくて、時間早すぎたかなって、思って」
慌ててスマホをボディバッグに突っ込んだ。大人なのに迷子を心配されるなんて恥ずかしすぎる。
「時間なら大丈夫だよ。さぁ入って」
そう言いながら慎兄さんがお店のドアを開けた。そんなことをされたら「やっぱり帰ります」なんて言えるはずがない。
(ど、どうしよう)
帰ることもできず、かといって近づくこともできない。写真なんかよりずっとかっこいい慎兄さんに体がカチコチになってしまった。
「三春くん?」
「す、すぐ行きますっ」
このままじゃ慎兄さんが困ってしまう。そう思って急いで左右を見た。車がようやくすれ違えるくらいの道幅だからかか、自転車が通行人を避けて道の真ん中を通り過ぎていく。それを見送ってから小走りで道を渡った。
(どうしよう、どうしよう、慎兄さんがどんどん近づいて来る……!)
はっきりしてくる慎兄さんの姿に目眩がした。心臓は壊れたみたいにドクドクしっぱなしで、自分が歩いているのか走っているのかわからなくなってくる。「どうしよう、どうしよう」と思いながら駆け寄ると、「いらっしゃい」と微笑みかけられてクラッとした。
(かかか、かっこよすぎる……!)
あまりのかっこよさに目が潰れてしまうかと思った。なんだかいい匂いまでしている気がする。もしかしてシャンプーの匂いだろうか。それとも香水だろうか。嗅いだことがないいい匂いにますます緊張してきた。
「あ、あの、僕、」
「久しぶりだね。最後の会ったのは俺が高校を卒業するときか」
「は、はいっ」
「あの頃も可愛かったけど全然変わらないね」
もしかして小学生から変わっていないという意味だろうか。「さすがにそれはちょっと」と思ったものの、ニコッと微笑みかけられて耳まで熱くなってきた。
「二海からカットとカラーって聞いてるけど、それでいい?」
「カ、カラー!?」
思わず声がひっくり返ってしまった。二海兄さんってば、何を勝手なことを言っているんだろう。そんなお洒落な髪の毛なんて僕に似合うはずがない。それに髪を染めてもらうということは、それだけ慎兄さんに手間をかけてしまうということだ。
(いろいろやってもらうってことは、その間ずっと慎兄さんが近くにいるってことで……そ、そんなの無理すぎる!)
ずっと好きだった人に髪の毛を切ってもらうだけでも大変なことなのに、それ以上のことをしてもらうなんて頭がどうにかなってしまう。「切るだけでいいです」と言いたいのに緊張しすぎて声がうまく出てこない。
「そんな顔しなくても大丈夫だよ。俺みたいな色にはしないから安心して」
そう言って笑った慎兄さんの髪は、黒髪の内側が鮮やかなピンク色をしていた。それがすごく似合っていて「やっぱり美容師はお洒落なんだな」と見惚れてしまった。同時に「しっかり目に焼きつけておかなくては」ということに気がついてチラチラと慎兄さんを見る。
(だって、慎兄さんにこんなに近づけるチャンスは二度とないだろうからさ)
最後に慎兄さんに会ったとき、僕はただ惚けるだけで何も話すことができなかった。しかもすぐに俯いてしまったせいでちゃんと顔を見ることすらしていない。あの後「もっとしっかり見ておけばよかった」と何度後悔しただろう。
(僕はもう後悔したくない)
このままお店に入れば慎兄さんに髪を切ってもらえる。小さい頃何度か頭を撫でてもらったことを思い出した。撫でてもらうのとは違うけど、そういうことをしてもらえるのはこれが最後かもしれない。そう思ったからか、このまま帰るのはもったいない気がしてきた。
(僕ってなんて現金なんだろう)
何も言えない僕に、慎兄さんが「そうだ」と声を上げた。
「ついでにヘッドスパもしてみる?」
「ヘッド、すぱ……?」
「初めてのお客さんだからカラーとセットで割り引きになるよ」
すぱって何だろう。よくわからないけど、それをすればさらに慎兄さんの近くにいられるのかもしれない。
(せっかくならそばに長くいたい)
ついさっきまで慎兄さんのそばにいるなんて無理だと思っていたのが嘘のようにそんなことを考えてしまった。「すぱ」が何か訊ねる勇気もないまま「お願いしますっ」と勢いよく頭を下げる。
こうして僕は生まれて初めての美容院を体験することになった。相変わらず心臓は心配になるくらいドキドキしていて、同じくらい嬉しくて足元がフワフワする。逃げたい気持ちなのに踊り出したいような、こんな奇妙な感覚になったのは初めてだ。
(落ち着け、髪を切るだけなのにソワソワするなんて子どもみたいだぞ。もう大人なんだから落ち着いて受け答えしないと)
変なことを口走らないように、余計なことを言わないように、そんなことを思いながらお店の中に入る。
ボディバッグを預けてマントみたいなものを羽織った。それさえお洒落に見えてますます緊張してくる。「大丈夫、大丈夫」とおまじないみたいに念じながら、なんとかこけずにお洒落な椅子に座ることができた。




