三春と靜佳の話2
ハンバーガーの残りを口に放り込んだ靜佳が、口の端っこについたテリヤキソースを親指で拭ってからペロッと舌で舐め取った。そうして「大丈夫だよ」なんて言いながら唇の端をクイッと上げて笑う。
(そういう仕草が似合うのがうらやましい)
これが僕なら、指で拭う前に「ついてるよ」とかなんとか言って兄さんたちに拭われてしまうのがオチだ。もう子どもじゃないのに、この前もそんなことをされてしまった。
それに比べて靜佳は昔から何をしても様になる。見た目も年齢より大人っぽく見えるし、僕はそれがうらやましくて仕方がなかった。
いまだって女の人だけじゃなく男の人まで靜佳をうっとり見ている。きっとこれが“大人の色気”ってやつなんだろう。
(いつになったら僕にもそういうの出てくるんだろう)
せめて慎兄さんにだけでもそんなふうに見られたい。ちょっと前までは「せめて可愛くなれたら」なんて思っていたはずなのに、いまはそれよりもっと大胆なことを願っている自分に驚いた。
「壱夜さんには俺からも話しておく。ってことで、今夜は外泊許可出ると思うよ」
「えっ? そんなに早く?」
「俺のお願いを壱夜さんが断ることはないから、大丈夫」
断ることがないなんて、すごい自信だ。あの頑固な壱夜兄さんが靜佳相手だとそうでもなくなるのは、きっと恋人だからなんだろう。そういうところもうらやましい。
(そりゃそうか。だって壱夜兄さんと靜佳はベテランカップルだもんな)
今回も靜佳が言ったとおりになるに違いない。これまで靜佳に相談した壱夜兄さん関係のことは百パーセント靜佳が言ったとおりになっている。
「靜佳ってすごいよね。僕たちでもそんなふうに言い切れないのにさ。やっぱり恋人だから?」
「恋人になる前からのつき合いも長いしな。それに、俺のお願いは昼のことでも夜のことでも聞いてくれるようにいろいろしてきたから」
「えっ? 昼と夜のこと? どういうこと?」
「そういうことは慎太郎がこれから全部教えてくれるだろ。っていうか、慎太郎ならもっとエグいことも教えそうだけど」
「えぐいこと?」
「あいつはろくでもない男だから」
それも二海兄さんから聞いた言葉だ。
「ろくでもない男って、二海兄さんは靜佳のこともそうだって言ってたけど」
「……二海のやつ」
靜佳の目が鋭くなった。靜佳より二海兄さんのほうが三歳年上だけど、靜佳は小さい頃から二海兄さんのことを呼び捨てで呼んでいる。そういうこともあって、僕はずっと二人は同い年なんだとばかり思っていた。
(そういえば慎兄さんのこともずっと呼び捨てだ)
みんな僕が物心つく前から仲がいい幼馴染みだから、学年が違っていても名前で呼ぶのは不思議じゃない。僕だって四歳年上の靜佳のことを、気がついたら「靜佳」って呼ぶようになっていた。
(慎兄さんも靜佳のこと、ずっと呼び捨てで呼んでるし)
昔はそれがうらやましくて仕方なかった。僕のことを二海兄さんの弟としか見てくれない慎兄さんが、靜佳には友達みたいに接するのを見るたびに内心悔しくて仕方がなかった。
だからって兄さんの親友に「呼び捨てで呼んで」なんて言えるはずもない。あの頃は“幼馴染み”という兄さんたちの関係が妬ましくて靜佳に意地悪をしたこともあった。そういえば、そんな気持ちをこじらせて慎兄さんに名前を呼ばれても返事をしなかったときもあったっけ。
(僕ってどうしようもないくらい子どもだったんだなぁ)
でもいまは違う。僕は慎兄さんの恋人になった。名前くらいでうらやましいなんて思ったりはしない。
それにキスするときは「三春」って呼んでくれるようになった。いつも「三春くん」だからか、なんとなく特別な感じがしてドキドキする。そんなことを思い出していたら顔がニマニマしてしまった。
「えへへ」
「この顔見たら壱夜さんが心配する気持ちもわからなくはないけど」
「えっ? なに?」
「なんでもない。それより帰ったら泊まりの準備しておけよ? あと、慎太郎にもメッセージ入れといたほうがいい」
「壱夜兄さんがいいって言ってからのほうがよくない? もし駄目になったら迷惑かけることになるし」
「大丈夫だって言っただろ? それに慎太郎のほうはいろいろ用意しておかないといけないものもあるし」
「まぁ、とっくに用意してるとは思うけど」と言いながら靜佳がちゅるっとコーラを飲んだ。
(お泊まりセットのことかな?)
それなら、お揃いのパジャマや新品の下着、翌日の着替えや歯ブラシなんかはすでに慎兄さんの部屋に置いてある。あとは僕が泊まれるかどうかだけだ。「本当に泊まれるといいなぁ」なんて思いながら慎兄さんにメッセージを送った。
元々今夜は一緒にご飯を食べて、明日は仕事が休みだという慎兄さんと朝から会う約束をしている。それでも急に泊まりたいなんて迷惑じゃないだろうか。心配していると、すぐに返事が来た。
“許可が出たらメッセージ送って。迎えに行くから”
文字を見ただけでドキドキしてきた。「もし泊まれるなら何しようかな」なんてあれこれ考えるだけで顔がにやけてしまう。
(そうだ! 観に行けなかった映画、もう配信されてるって言ってたっけ)
慎兄さんもあのシリーズは好きだって言っていた。場所は部屋でも映画デートができるかもしれない。
(昨日買ったお揃いの靴下も持っていこう)
モコモコの靴下を穿いた慎兄さんを想像するだけでニヤニヤしてしまう。そんな僕を見ながら靜佳が「ハァ」とため息をついた。
「三春が考えてること、たぶん今夜はできないと思うぞ」
「どういうこと?」
「映画はお預けってこと」
どうして僕が映画を観ようと考えていることがわかったんだろう。
「お預けってどうして?」
「それも慎太郎が教えてくれるだろ。それより、ん」
首を傾げる僕に靜佳がポテトを摘んで差し出した。お昼を食べ終わっていた僕はドリンクしか頼まなかったけど、なぜか見たら急に食べたくなるのがバーガーショップのポテトだ。揺れるポテトを二本まとめて咥えてモグモグ食べる。
「ありがと」
「どういたしまして」
お礼の言葉に「きゃあ!」という女性の声が重なった。ドキッとして、すぐに「しまった」と気づく。
(もうこういうことはしないって思ってたのに!)
兄さんたちが家でこういうことをするせいで、外でもこうしたことを抵抗なくやってしまう。そのせいでこの前も似たようなことが起きた。
あのときの相手は慎兄さんで、こことは違うバーガーショップでお昼を食べていた。慎兄さんも靜佳みたいにポテトを摘んで食べさせてくれたんだけど、いまより黄色い歓声が大きかった気がする。
あのときもいまも笑われたんだ。いい大人が食べさせてもらうなんて、たしかに傍から見たら変だと思う。ドリンクをちゅるちゅる飲みながら、恥ずかしくて赤くなった顔を隠すように俯いた。
「うーん、大人の階段を上っても三春は変わらないだろうなぁ」
「……ちょっと、いまのは馬鹿にしてるよね?」
視線だけ上げて向かい側を見ると「そういう仕草が危ないって気づけよな」と言われてしまった。意味がわからなくてジロッと睨む。
「やっぱり馬鹿にしてる」
「してないしてない。国宝級に可愛いって言っただけ」
「意味がわからない」
馬鹿にされているような気がしなくもないけど、こうやって僕の話を聞いてくれる靜佳はいい幼馴染みだ。心の中で感謝しながら、僕の頭の中はすぐに今夜のことでいっぱいになった。




