第八話
エルフ達の居住跡は、集落というよりは遺跡に近い見た目をしている。
新しい焦げ跡のついた松明など、つい最近まで誰かが住んでいた跡がしっかりとある。
いや、魔族がまだ住んでいるはずだから、住んでいたっていうのはおかしいか。
家は想像していた木製ではなく、石造りでできている。
それがこの集落跡を遺跡に近づけている一因だろう。
でもこの場所が遺跡に見える一番の原因は、この集落跡の中心にある祭壇だろう。
生贄の祭壇とは全体的にデザインが違う。
簡素な石の階段に、その上に杭。それが生贄の祭壇だった。
この集落跡にある祭壇は三角錐の形をしていて、外に見える階段はない。
でも頂上は平らになっているから、登ることはできるのだろう。
それに頂上には人間サイズの像が建てられている。
生贄、祭壇、エルフ達が何を崇拝しているのかは分からないけど、彼らにも崇拝する対象があることは間違いない。宗教なのか、個人なのか、それは分からないけど。
…それにしても、雷に打たれる少し前から体がおかしい。
今までは感じることもなかったあらゆる感覚が体に宿っている。
絶対的な死、それを経験しそうになって体の中の何かに変化があったんだと思う。
まぁ何が言いたいかっていうと、この集落跡のどこに何があって、それが生きているのか死んでいるのかも目で見なくてもわかる。
おそらくエルフと思われる死体がいくつかあって、それが一つの家に集められている。
たぶん魔族が来た時にエルフは抵抗したんだ。
その時に出た犠牲者を魔族が集めたんだ。
死体以外の生命体へと、ゆっくりと歩を進めた。
この集落跡に入った時点で、それがどこにいるのか分かってた。
「やぁ。初めまして」
集落跡にある祭壇。その中にいるのが。
急に入ってもしも戦闘になったら、エルフの重要施設であろう祭壇を破壊しちゃうだろうから、俺は外から声をかけた。
祭壇の入り口は扉ではなく、布が掛けられている程度のものだ。
他の家には扉があるけど、祭壇にはない。
居住施設として使ってないからだろう。
そしてその布を手でよけ、一人の魔族が出てきた。
「まさか襲撃が一人の手によって行われたことなんて、ここに来るまでは思わなかったよ」
「…何者だ?」
中から出てきたのは想像通り魔族、ただし想像と違って女性だった。
そして例の魔王戦線に参加していたのか、左腕を欠損している。
白銀の髪をストレートに伸ばし、前髪は中心で分けられ、その境目からは黒い角が真っ直ぐに生えている。
瞳は髪とは違い、黄金に輝いている。ただし左目しかない。
背丈は目測180くらいはあるだろう。女性にしては大きい。
スタイルは高名な彫刻家が女性の美だけを求めて使った木造のように美しい。
そしてその完璧な体の上にまとう服も、美しかった。
黒を基調とした服装をしていた。肩から腰くらいまでの長さの外套を、失った左腕を隠すようにかけている。上衣は胸元から肋骨までを隠すほどの面積しかなく、腹回りと胸元は大胆に露出されている。下衣は体にピッタリと張り付くズボンをはいており、非常にセクシーだ。
どれだけ辛口の人間でも、彼女の欠点を見つけることはできないだろう。
例えばある日空から降ってきた彼女が天使を名乗っても、すんなりと信じる。
-長いし情熱的でキモいのだ-
「あぁ…別に君に害をなす気はない。ここを出て行って欲しいんだ。ほら、ここは元々、別の人たちが住んでいただろう?」
「ではどこに行けばいいというのだ?」
…確かに考えてなかったな。
「私たちに行く場所などない。迫害され、淘汰される。だから奪った」
彼女の顔はどこまでも真面目だ。本当にそうされてきたのだろう。
「だからって、人から奪っちゃダメだ」
「人間どもは常に我々から奪ってきた。ここに元々住んでいた奴らだって、人間どもに奪われてきたはずだ。お前らの産んだ歪が、世界のバランスを崩しているのが分からないか?」
…人間扱いされたのは久しぶりだな。
-感動している場合か?-
「お前も私から奪って見せろ。それが出来なければ奪われるだけだ。お前たち人間の歴史が、そうして作られているように」
彼女に表情はない。氷のような無表情で、腰に着けた剣を抜刀した。
…話し合いは失敗か。
-だろうな-
「…本当に、戦うしかないのか?」
…戦ったことなんてないし、マジでやめて欲しいんだけど。
-だから無謀だと言ったのだ。お前の中の意識体である以上、私にはどうにもできないぞ-
そうだよね。…マジでやばいよね。
「黙れ。もはやお前と話すことなどない」
身体的なハンデをものともせず、彼女はこちらに踏み込んできた。
やはりあれから様子がおかしい。
相手の動きがやけにゆっくりに見える。
どれくらいの速度で、どう来るのかがはっきりわかる。
たぶん普段の俺だったら今の彼女の速度を目で追えない。
もしも音が可視化できるなら、それくらいの速度で彼女が動いているからだ。
でも今の俺にははっきり見える。
自分になにが起きているのか、全く分からない。
彼女は俺の側まで到達すると、上段から剣を直線に振り下ろしてきた。
片手で振っているはずなのに、ヒュパンッとかいう聞いたことのない音が剣から鳴っている。
明らかに異常な速度であるはずのそれが、俺にはゆっくりに見えた。
それに合わせて体を横に向け、目の前を通り過ぎる剣を見送った。
その後剣は横ぶりに派生した。でもやることはさっきと変わらない。
なぜかゆっくりに見えるそれを、下がって躱すだけだ。
また目の前を、剣が通り過ぎていく。
だが剣は途中で動きを止め、今度は突きへと変わった。
動いて躱す余裕も十分にあったけど、あえて手でそらしてみた。
すると剣は俺の横を通り過ぎ、そこには隙だらけの彼女がいる。
片手を失っているのでもはや防御するすべもないだろう。
人を殴ったことなんかないけど、手をギュッと握って適当に振ってみた。
-…なんか運動神経の悪い女がボール投げた時みたいな動きなのだ-
自称パンチは、彼女に直撃した。
顔を殴ると申し訳ない気がしたのて、殴ったのはお腹だ。
そこまで全力で力を入れたつもりはなかったのに、彼女は想像以上に飛んで行った。
それでもすぐに彼女は砂煙の中から姿を現した。
顔には焦燥感がでており、先ほどまでの余裕はない。
「ありえない」
彼女はそうつぶやくと、もう一度踏み込んできた。
俺の目の前まで到達すると、先ほどのように剣を振り下ろしてきた。
女性を殴ったという事実と感覚が未だに手に残り、剣をかわすだけにとどめた。
-戦場での情けは死を招くぞ-
今度は剣が地面まで到達した。その時、剣先から魔法陣が現れた。
魔法陣が展開された瞬間、地面が凄まじい勢いで持ち上がり、俺を空へと打ち上げた。
この時にようやく空で移動するすべがないことを理解した。
剣を地面に突き刺すと、空で無抵抗な俺に、彼女は右手のひらを向けた。
「消し飛べ!【デストロイ・エクスプロージョン】」
右手から黒く禍々しい手の平サイズの球が放出された。
それは先ほどの剣よりも遥かに速い速度で俺に着弾した。
空中で上手く身動きが取れず、かわすことができなかった。
空で漆黒の大爆発が起きた。
一瞬自分に何が起きたのか分からなかった。そもそも爆発したこともない。
俺は初めて体から煙を巻き上げながら落下した。
地面に人が落ちると、あんな激しい音が鳴るっていうのも初めて知った。
ズシンッという大きな音と共に、地面にクレーターを作った。
「ハァッ、ハァッ…やったか?」
疲労感のある声が聞こえる。
痛い。ちょっとやそっとじゃなく、めちゃくちゃ痛い。
そうか…これが魔法。これが痛みか。
ベンに爪で切られた時は何も感じなかったけど、本当はこんなに痛いんだ。
-神聖装甲をぶち破られたな。だから言ったのだ。死ぬって。そもそも私がお前の神聖装甲を破れなかった理由も、【G】の体だったからというだけなのだ。以前の私だったら、私に立ち向かってきた天使どものように破壊しているのだ-
完全にうぬぼれた。あれだけ学習した後なのに。
-でもまぁ生きているのには感心したぞ。普通なら死んでいるのだ-
全身の骨がめちゃくちゃになった気がする。
全く立ち上がれる気がしない。
まずいなこれ…このままじゃ…殺される。
彼女がこちらに歩いてくるのを感じる。
その足取りは今までよりも遥かに重い。
さっきの魔法を使うのに、体力を消耗したのだろう。
彼女がクレーターの上からこちらを見下ろしている。
「まさかまだ生きているとはな。凄まじい生命力だ。称賛に値する。だがお前は危険だ。ここで…確実に息の根を止める」
彼女はクレータの淵を滑るように降りてきた。
そして目の前で剣を振り上げた。
や…やばい…本当に…死ぬ。体が…動かな…くない!?
あれ?さっきまでは間違いなく全身余すことなくズタボロだったはず。
それなのに今は体が動く。
俺の体は一体どうなっちゃんだ!?
-…これは私も想定外だ。ここまでの再生能力は、魔族の頂点である魔王種の私にすらないのだ-
魔王が驚いているけど、生きていられるならそれはそれでいいや。
彼女が俺に剣を振りおろした。
今までみたいに変な音を鳴らしながら、俺の目の前に剣が迫る。
今度はそれを、回転しながらかわした。
「…馬鹿なッ!?」
もうパンチとか、格好つけたことをしている場合じゃない。
さっきみたいな魔法を使われたら、今度こそ死んでしまうかもしれない。
単純に足にめいっぱい力を込めてぇ~突進だ!
ヒュパンッという奇妙な音が、今度は俺の体から鳴った。