第七話
雨に打たれ始めてから、どれくらいの時が経っただろうか。
ずっと耳元でなる雨音が、俺から時間感覚を奪った。
それでも雨に打たれていると、突然それ以外の音がした。
それは走るような足音で、俺の目の前で立ち止まった。
麻袋を被せられて、相手が誰かは一切分からなかったけど、泣いていることは分かった。
音に目を済ませていると、直ぐに被せられていた麻袋は取られた。
「ごめんなさい。本当に…ごめんなさい。まさか…誰一人説得できないなんて」
目の前でティナが泣いていた。
雨に濡れた俺の頬に優しく触れ、涙を流してくれている。
「今…縄を解きます」
ティナが後ろに回って、縄をほどいてくれた。
ずっと固定されていたからか、体の節々が痛む。
雨にずっと撃たれていたからか、なんとなく体がだるい。
俺はその場で座った。
杭が背もたれになって、丁度良かった。
「…どうしてティナが泣くんだ?」
ティナも俺の目の前で座っている。
雨に打たれていることも無視して、ただ泣いていた。
「私が…説得するって言ったのに…きっとあなたを傷つけてしまったから」
否定することはできない。
優しさを踏みにじられれば、誰だって傷つく。
「あなたは私を助けてくれたのに…私はあなたを犠牲にしたんです」
話がよくわからなくて、俺はティナの方を見た。
「犠牲?」
「だって…私がだけが助かって…あなたは私がここへ来なければ…きっと死んでいたはず」
ティナがもはや雨が滴る中、頬をこする。
涙を拭おうとしているのだろうけど、雨が洗い流してくれているから、その動作に意味はない。
「私は…自分が集落の長の娘だから…もっと特別なんだと思っていました」
ティナがせっかくの美しい顔を歪ませて、悲しそうに話す。
「でも違くて…私は私のことを助けてくれた優しい人すら助けられないような…ただの小娘だったんです。きっと私には何の力もなくて…だから攫われて…だから大切な人を傷つけて…全部を台無しにするんです」
嗚咽を隠さない彼女の話が、どれほど心から吐き出した苦しみなのか、俺にですらわかった。
「村のみんなだって…以前の集落を追い出されて…余裕がなかっただけなんです。でも私はそんなことすら考えられなくて…」
彼女を見ていると、自然に心に生まれた歪みが、埋まっていくようだ。
「ごめんさない…本当は言い訳なんかしたくないのに」
「…でも君は…助けてくれたよ。俺が今こうして生きているのは…君のおかげだ。なんの取り柄なんかない俺なんかを、君を助けてくれた」
「俺なんかなんて…そんな悲しいこと言わないでください!あなたは私を助けてくれた人です!」
ティナは泣きながら大きな声で否定してくる。
「ティナには言っていなかったけど、俺の種族はゴキブリなんだ。こんな見た目だけど、俺は人間ですらないんだよ?」
ティナはまた俺の頬に優しく触れた。
「種族なんか関係ないって、教えてくれたのはあなたですよ?」
雷が落ちる気がした。
別に彼女に惚れたことを、おしゃれな比喩にしたわけじゃない。
ただ空から、本物の雷が落ちてくるんだ。
それに気づけたのは本能か、それとも【G】だからかは分からない。
でも気付いたら俺は、天に手を伸ばしていた。
空から降る青い光が、とてもゆっくりに見えた。
ものの例えじゃなくて、本当にゆっくりに見えたんだ。
なんの因果かは分からないけど、雷は鉄製の杭じゃなくて、俺を選んだ。
そして一瞬の発光の後、雷は俺の手に直撃した。
まばゆい光が一瞬で弾け、その場から消えた。
魔王…集中できない。天気を変えたいんだ。
-使え-
頭の中にイメージが流れる。
俺はイメージをそのまま、空に放出した。
雷が直撃した俺の手から魔法陣が展開されて、そこからさっきよりも強い光の線が空へと放たれた。
灰色よりもずっと黒に近いような雨雲に直撃すると、空から雨雲が消え去った。
衝撃の余波が、少しだけ俺とティナの髪を揺らす。
「…ありがとう。もう自分なんかなんて…言わないよ」
「ほ、ほぇ?」
今の光景をいていたティナは、唖然としている。
雲が一瞬で消え去り、彼女の美しい顔を陽光が照らしている。
「俺…この森から出るよ。このままここにいてもティナにも、他のエルフにも迷惑をかけるだけだから」
「私も…それがいいとは思いますけど…今…雷がピカって…そしたら今度はイクスさんがピカって」
ピカピカ言っている。可愛いな。
「そうだ、一つだけ聞いておきたいんだけど、集落を追い出されたって?」
「え…あぁ、それは…その。魔王軍と勇者の戦いが終わってから、戦争から逃げ延びた魔族が各地の国がない場所に逃げ込んでいるんです。それでこの森にも魔族が来て、私たちは以前から住んでいた集落から追い出されてしまったんです。それで比較的森の外側に住むことになった私たちは盗賊に見つかり、私が攫われてしまう事態になったんです。色んな事があって…皆ピリピリしてて…いいわけですよね」
ティナが悲しそうにうつむいた。
「…そうだんだ…それは残念だったね」
エルフ達の事情を聞けば、なんとなく今の状況も仕方がなく思えた。
わだかまりが全て消えたわけじゃないけど、怒りよりもティナへの感謝の気持ちの方が大きい。
「もしかすると、俺なら今のエルフの状況を変えられるかもしれない。だからもう行くよ」
「…え?もう行ってしまうんですか?」
「うん。話は変わっちゃうけど、エルフ達の状況が少しでも改善されれば、ティナは嬉しい?」
「そ…それは嬉しいですけど…」
「正直エルフのみんなの為に…ってのは難しいけど、俺を助けてくれたティナの為なら頑張れる気がするよ」
「さ、さっきから一体何の話をしているんですか?もしかして…。あ、危ないことはしない方がいいです!こんな目にあったんですから、森からはすぐに出た方がいいですよ!」
「じゃぁ俺はもう行くけど、ティナ…本当にありがとう。君には本当に感謝してる」
大切なことを教えてくれた君には。
「そ、そんな!私の方こそ感謝しても…しきれないくらい。キャッ!?」
思いっきり足に力を込めて、思いっきりジャンプした。
さっきまで目の前にいたティナは、直ぐに見えなくなった。
こんなに高い場所に来たのは初めてかもしれない。
空はまるで俺の今の心のように、澄み渡っていた。
●
-いいのか?私にはお前が考えていることが分かるのだ。惚れていたのだろ?-
「いいよっ!俺が何しても、きっと彼女に迷惑をかけるだけだから!」
さっきといい、今といい、久しぶりに魔王の声を聞いた気がする。
「さっきはありがとう、天気を変えてくれて。それとごめん、くよくよしてて」
-ふんっ。天気を変えたのはお前なのだ。まぁ礼は…素直に受け取っておく-
本気でジャンプをしたら、着陸するまでに結構時間がかかった。
-それにしても本当にやるのか?-
高い場所から探したから、目的地はすぐに見つかった。
それに祭壇があそこにあったっていうことは、それほど離れていないってことだ。
「もちろん」
-お前を裏切った奴らの為に?-
「エルフの為じゃない。ティナの為だよ」
-死ぬかもしれないぞ?-
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。少なくとも今俺は、なんでもできる気がするんだ!」
足だけは昔からとても速かった。
全力で走ったらすぐに着いた。
魔族のいるエルフ達の集落跡に。




