83話
哲夫が眠りに落ちたのを確認すると、二つの影が哲夫のいる天幕に侵入してくる。
キツネと老人の姿がそこにあった。
「ふむ、ようやっと寝たようだな。おぬし腕が落ちたのではないか?」
「ちゃいますよ! この子の着てる服のせいですって!」
キツネの使う眠りの魔法。神の加護の元製作したものとは言え、哲夫は神の魔法に対して少しの間ではあったが、抵抗して見せた。
しかも、無意識に。
本来ならば、ありえない事態に当の本人たちは少々困惑している。
人が神を害する手段がないこの世界において、神の行使する力は絶対である。
何より、この世界を管理している神々の力は、この世界に身を寄せている神々の行使する力とは一線を画す。
世界を管理するということは、その世界の法則を定めていることと同義。
いわば、哲夫は短い間であったが世界に対して反抗して見せたということになる。
人が有してはならない現象が、本人の知らない所で行われていた。
「彼の者に対することとは言え、このような子供を利用せねばならぬとはな」
「我々が介入しなければ、ヤツの思惑通りでしたからね」
二柱の神は、哲夫の寝顔を覗き込みながら沈んだ表情を見せる。
そして老人は自嘲気味に口を開く。
「まさか、我らが兄たちのまねごとをする日が来るとはな。兄が知ったら大笑いされるだろうな」
「彼らが手伝ってくれるならやらんでもよかったんですがね」
「いや、子供の手前母親に手をあげるようなことはしたくはないそうだ」
「子煩悩なこって」
「しかし、あちら側には付かんと言ってくれておる。完全に中立を約束してくれた」
その言葉を聞くと、キツネは少し複雑な表情を見せる。
「それってただの傍観ですやん! 体のいい言い訳ですやん」
だが、キツネの顔には確かにそれでも助かったと書かれていた。
再び4つの目が哲夫の顔に集まる。
「この子供にはつらいことを押し付けてしまうな」
「本人も望んでいることですし、何よりそれが運命だったんでしょう」
「運命か・・・・・・それを定めているのは誰なんだろうか」
老人の口から問いが零れる。
それは人より長く人を見守り続けた神であっても、未だに答えの分からぬ問いであった。
それを聞くキツネは、ありえないと思いながらも、思ったことを口にする。
「お父さんの生みの親・・・・・・じゃないですか?」
神は生まれる。
一つは自然発生的に、最初から神として。もう一つは神同士の婚姻によって子を成す場合。最後は人から神になり上がることによって生まれる。
人が神になり上がるのは、容易ではないが確かに確認されている事象だ。
現に年若い神のほとんどは元は人であった。
キツネも元は人、度々現れる少年と少女の神も人であった時期がある。
神々が内に持つ世界を創造する種子を奪うか、分け与えられるとその者は神として新しい生を始める。
しかし、人が神を害することなどそう起きるものではない。したがって奪うというのはよほどのことが無いと発生しえない。
数多の神々もその身は大事である。自らを害する可能性を排除していないわけがない。
そんな可能性を残して置くのは、余程の酔狂か、ただの自傷行為に過ぎないのだ。
したがって、ほとんどの神には種子を分けてもらった親というべき神が存在する。
しかし、自然発生した神には親という概念がない。その者がその一族の長であり主神と呼ばれる。
なのにも拘らず、主神たちは時々何者かに祈るような仕草を行う。
主神が何に祈るというのだろうか?
それは若い神達の議論の的であった。
幾度となく若い神達が主神を問い詰めたが、主神たちは誰一人として答えを発したものはいなかった。
もしかしたら、主神でさえも何者かに生み出されたのかもしれない。
そう考える神は少なくない。しかし。
「それは不敬であると言っただろう」
老人は静かに言い聞かせる。その言葉には明らかな敵意が含まれている。
あり得ないのではなく、有ってはならないというのが、神々の大多数を占めている。
敬愛する主神が自分たちと同じであることが認められないのだろう。
思考停止といわれようが、認められないのだ。
キツネとてあり得ない話だと思っている。
でも、それでは説明がつかないのも事実。
答えは未だに闇の中である。
答えの出ない議論よりもと、キツネが哲夫の顔を見る。
この犠牲者にしてやれることは少ない。
むしろ自ら率先して道を閉ざしてきた。
悲願のためには何でも犠牲にしようと決めていた。
自問も自責も散々行い、決行された。
そう遠くない未来に哲夫は知るのだろう。
自身の身に何が起きているのかを。
その時何が起きるのか、可能性は考慮している。
例え呪法が自分を襲ったとしても、それが悲願への道だとするなら甘んじて受け入れようと決めている。
そんな事を考えていると、ふとおかしな気になってくる。
神の身でありながら悪魔と取引しているかのような錯覚。
もしかしたらとキツネは思う。
自分の後悔の念も葛藤も、主神の上にいる真なる天上の方々には茶番であるのかもしれないと。
自分は道化として配置された一つのコマなのかもしれないと。
だが、いや、であるならなおの事止まることは許されない。
神の目にも映らない手のひらの上で、しっかりと踊り切らなければ。
途中退場させられぬように、結末を見届けるために。
今はあるのかもわからない運命という濁流に身を投じようと心に決めるのだった。
次回投稿は02/12を予定しております。
では、次回投稿で。




