第7章 ハラハラより「安心」を読むようになった
前章では、
大事件がなくても、世界が少しずつ積み上がっていけば面白い。
そんな話をした。
そして最後に、
私は最近、
「この先もきっと大丈夫だ」と感じられること自体を楽しんでいるのではないか
と書いた。
これは、第5章で書いた、
「重い展開がしんどくなった」
という話と、少し似ている。
だが、たぶん同じではない。
嫌なものを避けたい。
それだけではなく。
安心できることそのものが、作品の魅力になっている。
最近の私は、どうやらそこまで来ている。
昔、物語を読む時。
私はかなり素直に、
「どうなるんだろう?」
を楽しんでいた。
主人公は勝てるのか。
仲間は助かるのか。
この問題は解決できるのか。
誰が生き残るのか。
先が分からない。
だから気になる。
だから読む。
これは物語の、とても分かりやすい面白さだと思う。
ところが今。
私が好きな作品の中には、
読んでいる時点で、
「まあ、大丈夫だろう」
と思っているものがかなりある。
主人公が強い。
頼れる仲間がいる。
それまでにも何度も問題を解決してきた。
作品自体の雰囲気も分かっている。
だから事件が起きても、
「さあ、どうなる!?」
ではなく、
「さて、今回はどう片付けるんだろう」
くらいで読んでいる。
緊張感がない。
と言えば、その通りかもしれない。
だが。
それが嫌ではない。
むしろ、それがいい。
『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』を読んでいた時も、私はサトゥーが毎回ギリギリのところで生き残ることを期待していたわけではない。
大抵のことなら何とかするだろう。
そう思っていた。
だからこそ、
旅先の出来事。
新しい町。
料理。
仲間たちとのやり取り。
そういう部分を気楽に楽しめた。
『異世界のんびり農家』なら、さらに分かりやすい。
多少何か起きても、
「まあ、あの村なら大丈夫だろう」
と思っている。
そして本当に大丈夫だったりする。
危機感がある物語には、危機感がある物語の面白さがある。
それでも今は、
いや、別に毎回危機にならなくていい。
となる。
むしろ。
せっかく好きになった場所なのだから。
壊れないでほしい。
せっかく好きになった仲間なのだから。
仲違いしないでほしい。
今日も楽しく暮らしていてほしい。
完全に見守る側である。
ここで一つ、自分でも面白いと思うことがある。
「安心できる物語」と聞くと、
何も起きない。
刺激がない。
退屈。
そんな印象もある。
だが実際には。
安心しているからこそ、別のところを楽しめる。
主人公が死ぬかもしれない。
仲間が裏切るかもしれない。
全部失うかもしれない。
そういう心配をしなくていいから、
キャラクター同士の会話を楽しめる。
新しい料理を楽しめる。
周囲の反応を楽しめる。
主人公がまた何かやらかすのを楽しめる。
話の細かな部分に目が行く。
つまり。
安心感は、
物語の面白さを消すものではなく。
「何を面白がるか」を変えるもの
なのかもしれない。
第2章では、
「先の展開が分かっていても、様式美として楽しめる」
という話をした。
追放された。
後で見返す。
馬鹿にされた。
実力を見せる。
読者はある程度、結末を知っている。
それでも、
「そう、それが見たかった」
となる。
今回の話は、それと少し似ている。
だが、私の中では少し違う。
第2章の予定調和は、
「期待した展開が来る気持ちよさ」
だった。
今回の安心感は、
「何が起きても、この物語なら最後にはちゃんと戻ってこられる」
という感覚に近い。
何が起きるかまでは分からない。
でも。
最後に全部が嫌な方向へ崩壊する作品ではない。
主人公が延々と救われない作品ではない。
好きな仲間たちが、取り返しのつかない形でバラバラになる作品ではない。
そう思える。
この、
作品そのものへの信用
みたいなものがある。
一度この信用ができると、かなり強い。
例えば少し不穏な展開になっても、
「まあ、この作品なら大丈夫だろう」
と思える。
ちょっと嫌な人物が出てきても、
「そのうち何とかなるだろう」
と思える。
主人公が困っていても、
「今回はどう解決するのかな」
と見ていられる。
逆に。
一度、
「この作品、普通に取り返しのつかないことをしてくるな」
と分かると。
私は急に警戒する。
登場人物が楽しそうにしていても、
「この後何かあるんじゃないか」
と思う。
新しい仲間が増えても、
「この人、死なないよね?」
と思う。
幸せな場面なのに安心できない。
これはこれで、サスペンスとしては正しい楽しみ方なのだろう。
だが今の私は。
そこまで身構えながら趣味の読書をしたくない。
以前は、
「いつ何が起きるか分からない」
という刺激も、今より広く楽しめた。
今はそこに加えて。
「何か起きても大丈夫」
という安心感の比重が、かなり大きくなった。
正反対の好みに入れ替わったというより、重心が移ったのだと思う。
もちろん。
今でも予想外の展開は好きだ。
「そう来たか!」
と思わせてくれる作品は面白い。
ただし。
私が最近求める予想外は、
物語そのものをぶち壊す方向ではなく、楽しい方向の予想外
なのかもしれない。
主人公が思っていた以上に強かった。
本人が知らないところで、とんでもない評価になっていた。
仲間が予想以上に増えた。
村がいつの間にか大国並みになっていた。
配信したら世界中が大騒ぎになった。
そういう、
「そこまで行くのかよ」
という驚きは大歓迎である。
一方。
仲間が突然裏切った。
家族が殺された。
築いてきたものが全部壊れた。
主人公が何十話も立ち直れない。
そちらの、
「そこまでやるのかよ」
は。
今の私には、なかなか厳しい。
同じ予想外でも。
求めている方向が変わったのである。
考えてみれば。
主人公最強ものに感じる安心感も。
スローライフの居心地の良さも。
周囲から愛される主人公を好むことも。
全部ここにつながっている。
私は、
物語に「帰ってこられる場所」を求めている
のかもしれない。
事件があってもいい。
冒険してもいい。
遠くへ行ってもいい。
強敵が出てもいい。
でも最後には。
いつもの仲間がいて。
いつもの場所があって。
「やれやれ、今回も大変だった」
と笑って終われる。
そして次の話では、また普通に始まる。
この感じが好きだ。
テレビアニメでいうなら。
大変な話があっても。
最後にはいつもの部室や家や店に戻ってくる。
そんな安心感に近い。
日常が壊れないことそのものが、ご褒美になっている。
そして、この感覚は長編作品とも相性がいい。
何百話も続く作品を読む時。
毎回、
「このキャラクター、生き残るかな」
と心配していたら大変である。
それより。
「ああ、今日もこの人たちだ」
と思える方が、長く付き合いやすい。
新しい話が更新される。
開く。
知っている名前がある。
知っている関係がある。
知っている空気がある。
それだけで少し落ち着く。
もはや。
続きを読むというより。
馴染みの店へ行く感覚
なのかもしれない。
注文するものも大体決まっている。
味も知っている。
それでも行く。
いや。
味を知っているから行く。
この辺まで来ると。
なろうを読み始めた頃の私とは、本当に読み方が変わっている。
昔は、
未知の世界。
未知の能力。
未知の冒険。
そこに惹かれた。
今は。
知っている型。
好きな雰囲気。
安心できる主人公。
その中に少しだけ新しいものがある。
そこに惹かれる。
未知だけを求めていた読者が。
いつの間にか、
「いつものやつ」を求める読者
になっていた。
もちろん。
毎回まったく同じでは困る。
そこは相変わらず面倒である。
いつもの味がいい。
でも、少しは新しいものも欲しい。
安心したい。
でも、退屈はしたくない。
……注文が多い。
そして。
ここまで書いてきて気づく。
私は、
「最近の作品は似たものが多い」
と言いながら。
その「似ている部分」に、かなり助けられている。
主人公最強。
スローライフ。
周囲から好かれる。
低ストレス。
見慣れた設定。
見慣れた展開。
それらは、
「またこれか」
と言いたくなる理由である。
だが今では同時に、
「ああ、これなら安心して読めそうだ」
という理由にもなっている。
テンプレを覚えすぎた結果。
私はテンプレに飽きたのではなく。
テンプレの中から、
自分が安心できる型を選ぶようになった。
そんな気がする。
では。
安心できる型が好きなら。
ずっと同じものだけ読んでいればいいはずだ。
だが、実際はそうでもない。
似た作品ばかり読んでいるくせに。
少し変わった設定を見つけると、すぐ気になる。
新しいものは読みたい。
でも。
いつもの味も捨てたくない。
次は、この面倒くさい読者心理について考えてみたい。




