第5章 私のストレス耐性はどこへ行った
前章では、主人公最強というものを、私は以前よりも「安心して読める要素」として受け取るようになったのではないか、という話をした。
そして、そのことを考えているうちに。
どうしても避けて通れない問題が出てきた。
私は昔より、明らかに重い展開が苦手になっている。
いつからだろう。
昔は、もう少し平気だった気がする。
主人公が負ける。
仲間に裏切られる。
大事な人が敵に回る。
洗脳される。
闇落ちする。
国が滅びる。
仲間同士で揉める。
絶望的な状況に追い込まれる。
そういう展開があっても、
「ここからどう立て直すんだ?」
と続きを楽しみにできた。
むしろ、
「ここまで追い込まれたなら、ここからの逆転は気持ちいいだろうな」
くらいに考えていた。
物語には山があって谷がある。
苦しい展開があるからこそ、その後の勝利が気持ちいい。
当たり前のように、そう思っていた。
ところが最近は。
主人公が裏切られた。
「うわぁ……」
仲間が洗脳された。
「うわぁ……」
大事なキャラクターが敵側へ行った。
「これ、戻るまで長いやつかな……」
主人公が絶望した。
「何話くらい引っ張るんだろう……」
完全に反応が変わっている。
先の展開が気になるより前に、
「しんどそう」
が来るのである。
もちろん、重い話そのものが嫌いになったわけではない。
今でもシリアスな作品を面白いと思うことはある。
悲しい話で感動することもある。
主人公が苦労する物語だって読める。
問題は、たぶんそこではない。
私が以前より苦手になったのは、
「ストレス状態が長く続くこと」
なのだと思う。
例えば主人公が一度負ける。
それ自体は別にいい。
だが。
負ける。
仲間と離れる。
誤解される。
悪評が広がる。
味方だと思っていた人物にも疑われる。
敵側だけが順調に計画を進める。
主人公は何話も何話も苦しみ続ける。
こうなると。
昔の私は、
「いやあ、ここからどう逆転するんだろう」
だった。
今の私は、
「もうそろそろ反撃してくれないかな……」
となる。
さらに続くと、
「一回、別の作品読もうかな」
になる。
そしてそのまま戻らない。
こうして一つの作品との別れが生まれる。
私にとって、この変化が一番分かりやすかった作品の一つが、
『Re:ゼロから始める異世界生活』
だった。
もちろん、この作品が悪いという話ではない。
むしろ主人公を何度も絶望の底まで叩き落とし、そこからどうやって未来を掴むのか。
そこが大きな魅力の作品なのだと思う。
そして私は、途中までは普通に読んでいた。
スバルには「死に戻り」がある。
酷い結末になっても。
誰かを救えなくても。
自分自身が死んでも。
また戻って、今度こそ別の未来を掴もうとする。
だから読んでいる私も、どこかで、
「どれだけ酷いことになっても、死に戻ればもう一度やり直せる」
と思っていたのだと思う。
それが一種の最後の安心材料になっていた。
ところが途中で。
レムを取り戻そうと『死に戻り』に縋って自害しても、セーブポイントはすでに更新されていた。
戻れたのは、眠るレムと再会した直前。
レムが失われる前には、もう戻れない。
ここで私は、かなりきつくなった。
それまで、
「駄目ならもう一度やり直せばいい」
と、読者である私が勝手に思っていた逃げ道まで塞がれたように感じたのである。
主人公自身も絶望する。
読んでいる私も、
「これ、どうするんだ……」
となる。
普通なら、
「だからこそ、この先どうやって救うのかが気になる」
となるところなのだろう。
昔の私なら、そうなったかもしれない。
だが、その時の私は。
そこで読むのがしんどくなってしまった。
そして離れた。
今考えると、この作品は私の変化をものすごく分かりやすく表している。
死んでもやり直せる。
普通なら、それだけでもかなり強力な能力である。
だが『Re:ゼロ』は、
「死に戻れるから安心」
という物語ではない。
むしろ、
「死に戻れても苦しい」
物語だった。
そこが面白さなのだと思う。
だが今の私には。
正直、もうかなり厳しい。
死んでもやり直せる主人公ですら安心できない物語。
……今の私は、そこまでのストレスを趣味の読書に求めていないらしい。
そして。
しんどくなったのは、鬱展開だけではない。
例えば『理想のヒモ生活』。
政治や外交、交渉をじっくり積み上げていくところも含めて面白い作品なのだが。
今の私が最初から読み直したら、
「今日はもう少し軽いものにしようかな」
となる日が、昔より増えそうな気がする。
『転生したらスライムだった件』も。
私は最後まで読んだからこそ好きな作品として残っている。
だが、もし今の私が何も知らずに最初から読み始めたら。
話が大きくなり、国家や勢力同士の話が増えていく辺りで、以前ほど軽快には読めないかもしれない。
ここで気づく。
私が避けるようになったのは、
「シリアス」
だけではないのだ。
長く続く心理的なストレス。
複雑な状況を追い続ける集中力。
解決まで抱えておかなければならない問題。
そういう、
読み続けるための負荷
そのものに、昔より敏感になったのかもしれない。
特に苦手になったのが、
洗脳。
裏切り。
仲間割れ。
この辺である。
なぜなのか。
考えてみると、単純な強敵ならまだいい。
強い敵が出てくる。
主人公が戦う。
勝つか負けるか。
非常に分かりやすい。
ところが、人間関係が壊れる話はそうではない。
仲の良かったキャラクターが険悪になる。
信じていた相手に裏切られる。
誤解が解けない。
読者だけ事情を知っていて、登場人物同士ではすれ違い続ける。
これが最近、妙に疲れる。
「いや、話せば分かるだろ!」
と思う。
でも話さない。
「そこ誤解だって!」
と思う。
でも誤解したまま進む。
そして何話も続く。
早く話し合ってくれ。
物語としては、そこを簡単に解決してしまったら話にならないのだろう。
分かっている。
分かってはいる。
でも疲れる。
考えてみれば、これはサスペンスや謎解きものに対する感覚にも少し似ている。
昔なら、
「誰が裏切り者なんだ?」
「何が本当なんだ?」
「この伏線はどう回収するんだ?」
と楽しめた。
今は、
「安心して読ませてくれないかな」
と思ってしまうことがある。
我ながら、物語に対して随分ぜいたくになった。
驚かせてほしい。
でも嫌な驚きはいらない。
事件は起きてほしい。
でも主人公はあまり苦しめないでほしい。
敵は強くてもいい。
でも長く苦戦しないでほしい。
感動はしたい。
でも鬱にはなりたくない。
要求が細かい。
では、これは年齢のせいなのだろうか。
正直、そこまでは分からない。
「歳を取るとみんな重い話が嫌いになる」
なんて話にするつもりはない。
そういう人もいれば、逆の人もいるだろう。
歳を重ねて、むしろ重厚な物語の方が好きになる人だって当然いる。
だから、ここで言えるのはあくまで、
私の場合はそうだった。
というだけである。
ただ、自分の生活を振り返ってみれば。
若い頃より、日常の中で考えなければならないことは増えた。
仕事もある。
人付き合いもある。
細かな面倒事もある。
一日が終わって、
「さて、何か読もう」
となった時。
そこでさらに、
主人公が裏切られ。
仲間が死にかけ。
国が滅びそうになり。
何十話も絶望する。
……今日はそこまで頑張らなくてもいいかな。
となる。
趣味で読む物語くらい、
気持ちよく読ませてほしい。
そう思うようになったのかもしれない。
そして、ここでなろう系との相性が妙に良くなってくる。
主人公最強。
スローライフ。
ざまぁ。
追放後すぐ成功。
周囲から評価される。
美味しいものを食べる。
仲間が増える。
自分の居場所ができる。
こういう作品は、比較的安心して読みやすい。
もちろん途中で事件は起きる。
悪人も出る。
強敵も出る。
でも、
「まあ何とかなるだろう」
と思える。
前章で書いた通り、今の私はこの安心感をかなり重要視しているらしい。
特に最近よく思うのが、
嫌な奴は、あまり長く嫌な奴でいてほしくない。
これである。
悪役が出てくるのはいい。
むしろ必要なこともある。
でも、延々と主人公の邪魔をして。
何度追い払っても戻ってきて。
毎回嫌がらせをして。
何十話もヘイトを稼ぎ続ける。
そうなると、
「もういいから早く退場してくれ」
となる。
逆に。
嫌な奴が出る。
主人公を馬鹿にする。
すぐ返り討ちに遭う。
周囲から、
「えっ、この人そんなに強かったの?」
となる。
はい。
大変気持ちいい。
以前の私なら、
「単純だなあ」
と思ったかもしれない。
今は、
「こういうのでいいんだよ」
と思う。
ざまぁものが流行った理由については、いろいろな考え方があると思う。
社会的な背景だとか。
読者心理だとか。
時代の空気だとか。
そこまで大きな話を、私には断定できない。
ただ。
私個人について言えば。
ざまぁは非常に分かりやすい。
嫌な人物が出てくる。
嫌なことをする。
その人物が報いを受ける。
主人公は幸せになる。
ストレスを溜めて、比較的早く回収する。
この構造が今の私には合う。
問題なのは、
ストレスを溜めるだけ溜めて。
回収が百話後。
みたいな場合である。
そこまで私の精神力が持たない。
昔は、
「苦しい展開があるからカタルシスが大きくなる」
と思っていた。
今も、それ自体は間違っていないと思う。
ただ。
カタルシスを得るために耐えられる苦しさの量が、
私の中で明らかに減った。
昔なら、
ストレス100。
その後に快感200。
なら読めた。
今は、
ストレス20で快感50くらいを定期的にください。
みたいな感じである。
何だ、その燃費の悪い読者は。
だから私は、最初から強い主人公を以前より選ぶようになったのかもしれない。
主人公が強い。
だから大事件が起きても安心できる。
敵が出ても、
「まあ大丈夫だろう」
と思える。
仲間が危険になっても、
「間に合うだろう」
と思える。
そして本当に間に合う。
以前なら、
「予定調和じゃないか」
と思ったかもしれない。
今は、
ありがとうございます。
となる。
こう考えると。
私が俺TUEEEを以前より選ぶようになったこと。
スローライフの安心感に、以前より強く惹かれること。
コメディ寄りの作品を選ぶこと。
嫌な人物が少ない作品を好むこと。
全部、別々の好みではないのかもしれない。
その根っこには、
安心して読みたい。
という気持ちがある。
勝敗を心配しなくていい。
人間関係が壊れる心配も少ない。
主人公が長期間どん底に落ちることもない。
読んでいる間くらい、
「まあ大丈夫だろう」
と思っていたい。
そんな読者になった。
では。
そこまで安心を求めるなら。
もう事件なんて起きなくてもいいのではないか。
敵もいらない。
戦争もいらない。
世界の危機もいらない。
主人公が安全な場所で。
美味しいものを食べて。
家を建てて。
畑を耕して。
仲間が増えて。
毎日楽しく暮らしている。
そんな話だけ読んでいればいい。
……実際。
最近の私は、それでかなり楽しめてしまう。
ここも、昔はそういう話を嫌っていたという意味ではない。
ただ今は、
何も大きなことが起きないこと自体に、安心できる。
そう感じることが増えた。
では。
事件も少なく。
主人公も困らず。
敵もあまりいない。
そんな物語は、なぜ面白いのだろう。
次は、
「何も起きないのに面白い」
という感覚を、もう少し考えてみたい。




