第4章 俺TUEEEはなぜ飽きないのか
前章では、
昔はゴールだった「最強」が、今ではスタート地点になった。
そんな話をした。
そして、最初から強い主人公は昔から好きだった。
ただ最近は、そういう主人公を以前より明確に選ぶようになった。
苦戦して。
負けて。
修行して。
ようやく強くなる。
それももちろん面白い。
だが最近は、
「その主人公、どうせ強くなるんでしょ?」
と思った瞬間、
だったら最初から強くてもいいんじゃないか。
と思ってしまう。
我ながら、物語の大事な部分をかなり雑に飛ばしている気もする。
だが実際、私は俺TUEEEが好きなのである。
それも、かなり。
では。
主人公が最初から強くて。
大抵の敵には勝てて。
読者もそれを知っている。
そんな話を、なぜ私は飽きずに読めるのだろう。
俺TUEEEという言葉だけを聞くと、
「主人公が強くて敵を倒す話」
くらいに見える。
だが、実際に読んでみると、同じ主人公最強でも作品ごとに面白さの作り方はかなり違う。
私にとって分かりやすいのが、
『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』
である。
サトゥーは序盤からとんでもなく強い。
レベルも高い。
スキルも大量に持っている。
財力まである。
普通に考えれば、
「もう何でもできるじゃないか」
という主人公である。
なのに私は、これが好きだった。
なぜか。
考えてみると、デスマーチでは、
「サトゥーが勝てるのか?」
を、それほど心配して読んでいなかった気がする。
むしろ、
次はどこへ行くのか。
何を食べるのか。
誰と出会うのか。
どんな事件に巻き込まれるのか。
それをどう解決するのか。
ポチやタマたちが何をするのか。
旅そのものを楽しんでいた。
つまり、サトゥーの強さは物語の緊張感を作るためのものではなく、
安心して世界を旅するための土台
だったのだと思う。
「この人なら、まあ何とかするだろう」
という安心感がある。
だから私は、戦闘そのものよりも、その前後を楽しめる。
俺TUEEEなのに、
「勝てるかどうか」
が作品の中心ではない。
ここが大きい。
一方で、
『即死チート』はまた全然違う。
高遠夜霧の能力は、もう俺TUEEEという言葉ですら足りないくらい理不尽である。
敵がどれだけ強くても。
どれだけ偉そうでも。
神だろうが何だろうが。
夜霧が殺すと決めれば、大体終わる。
普通なら、こんな主人公を出した時点で戦闘ものとして成立しなくなりそうなものだ。
でも成立する。
なぜなら、
それ自体がギャグになっているからだ。
新しい強敵が出てくる。
こちらは、
「今度の敵はどんな能力なんだ?」
とは思う。
でも、
「夜霧は勝てるのか?」
とは、ほとんど思っていない。
むしろ、
「こいつは何をして夜霧に殺されるんだろう」
を見る。
偉そうな敵が出てきて。
能力を長々と説明して。
世界の頂点みたいな顔をして。
そして消える。
もはや様式美である。
そこまで徹底すると、
主人公が強すぎることが欠点ではなく、
作品そのもののギミック
になる。
「主人公が強すぎると話にならない」
ではなく、
「強すぎる主人公だから、この話になる」
のである。
『オーバーロード』も面白い。
アインズは、転移した世界では圧倒的に強い。
ナザリックの戦力まで含めれば、かなり早い段階から、
「現地勢力が普通に戦って勝てる相手ではない」
と読者には分かる。
では、何が面白いのか。
これも、
「アインズはこの敵に勝てるのか?」
だけで話を作っているわけではない。
むしろ面白いのは、
圧倒的な存在が世界に放り込まれた結果、周囲がどう動くのか
というところにある。
人間側から見れば、とんでもない怪物。
ナザリックの部下たちから見れば、絶対的な支配者。
ところが当の本人は、
「いや、そこまで考えてないんだけど……」
ということもある。
本人と周囲の認識がずれていく。
部下が勝手に深読みする。
アインズがそれに合わせる。
結果として話がどんどん大きくなる。
ここでも、
主人公の強さそのものより、
強すぎる主人公が存在することで起きる現象
の方が面白さになっている。
さらにアインズの場合、
「この世界に自分と同じプレイヤーがいるかもしれない」
という警戒もある。
だから本人は圧倒的に強いのに、完全に気を抜いているわけではない。
読者から見れば、
「たぶん大丈夫だろう」
と思える。
それでも本人は慎重に動く。
この微妙なズレが、強さによる緊張感の消失をうまく補っているように感じる。
こうして比べると。
デスマーチ。
即死チート。
オーバーロード。
全部、主人公はとても強い。
だが、
何を面白がらせているかが全然違う。
デスマーチは、強さを安心感に使う。
即死チートは、強すぎること自体をギャグと様式美にする。
オーバーロードは、強者が世界に与える影響や、本人と周囲の認識のズレを物語にする。
つまり。
俺TUEEEは、それだけで物語の中身が決まるわけではない。
主人公の強さは、材料の一つにすぎない。
問題は、
その強さを何に使うのか。
ここなのだと思う。
そして、このことを考える時。
『魔法科高校の劣等生』のことも少し頭に浮かぶ。
私はこの作品を途中で読まなくなった。
主人公は強い。
しかも、かなり私の好きな俺TUEEE寄りである。
それでも離れた。
ただし。
これは今回書いている、
「重い展開が苦手になった」
とか、
「主人公が強い方が安心できる」
という話だけでは説明できない。
私が離れた理由は、もう少し別のところにあった。
だからここで、
「主人公が強すぎたから読まなくなった」
という例に使うのは違うだろう。
むしろ分かるのは。
私は俺TUEEEが好きでも、
俺TUEEEなら何でも読むわけではない
という、ごく当たり前のことである。
主人公の強さ。
作品の方向性。
何を楽しませようとしているのか。
そして、その時の私が何を読みたいのか。
そこが噛み合うかどうかの方が大きい。
この辺は、読者によっても違うだろう。
絶対に負けない主人公だから好き。
圧倒的な勝利だけを見たい。
強敵とのギリギリの戦いが欲しい。
主人公が負ける可能性がないと退屈。
人によって求めるものは違う。
そして私自身も、昔と今では変わっている。
昔は、
「負けるかもしれない」
という緊張感を楽しめた。
今はそれより、
「大丈夫だと分かっている安心感」
の比重が大きくなった。
それでも、何の変化もなくただ勝ち続けるだけでは飽きる。
……注文が多い。
主人公は強くてほしい。
でも退屈なのは嫌。
苦戦はあまりしてほしくない。
でも物語には起伏が欲しい。
ストレスは少なくしてほしい。
でも何も起きないのも困る。
作者からしたら、
「じゃあどうしろと」
と言いたくなるだろう。
私もそう思う。
それでも、俺TUEEE作品は次々に作られる。
そして私は今でも読む。
なぜ飽きないのか。
たぶん答えは、
俺TUEEEそのものを読んでいるわけではないから
なのだと思う。
強い主人公を使って。
旅をする。
笑わせる。
国を作る。
配信する。
ざまぁする。
周囲を驚かせる。
日常を楽しむ。
世界を変える。
作品によって、やっていることは違う。
主人公最強というのは、
物語の答えではない。
むしろ、
「この強さを使って、今回は何をするのか」
という出発点なのだ。
だから同じ主人公最強でも、何本も読める。
そして。
最近の私は、その中でも特に、
「大丈夫だと分かっている話」
を選ぶようになってきた。
昔なら楽しめたはずの重い展開で、
「ここから面白くなるぞ」
と思うより先に。
「これ、しばらくしんどいやつだな……」
と思うことが増えた。
主人公最強を以前より選ぶようになったことと。
私自身が、重い展開を避けるようになったこと。
これは、もしかすると別々の話ではないのかもしれない。
では。
あれだけ色々な物語を読んできたはずの私は、
いつからこんなにストレスに弱い読者になったのだろう。
次は、少々認めたくないその話をしてみよう。




