第3章 最強はゴールからスタート地点へ
前章の最後で、主人公の強さについて少し触れた。
昔は、
弱かった主人公が成長し。
強敵を倒し。
さらに強くなり。
最後には世界最強や、神に近い存在へ辿り着く。
そんな流れが多かったように思う。
もちろん、昔から最初から強い主人公はいた。
だから、
「昔はみんな弱かった」
という話ではない。
ただ、私が長く読んできた中で感じるのは、
「最強」というものの扱われ方が変わってきた
ということだ。
昔は、最強になること自体が物語の大きな目標だった。
今は、
最強であることが最初から設定の一部になっている。
そんな作品を、以前よりよく見かけるようになったと感じる。
例えば『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』。
主人公のサトゥーは、序盤からかなり強い。
そもそも異世界に飛ばされた直後、いきなり大量の敵を倒して、とんでもないレベルまで上がってしまう。
最初から普通の冒険者とは比較にならない強さである。
それでも物語が進めば、さらに強くなっていく。
旅をする。
仲間が増える。
新しい敵が出てくる。
世界の秘密にも近づいていく。
そしてWeb版の最後には、ついには神格を得るところまで行く。
『転生したらスライムだった件』も似ている。
最初は一匹のスライムだったリムルが。
仲間を増やし。
国を作り。
魔王になり。
さらに強大な存在へ進化していく。
こちらも最後の方まで行けば、
「もう神様みたいなものでは?」
というところまで行く。
昔の成長型俺TUEEEが行き着く先の一つが、こういう形だった。
強くなる。
さらに強くなる。
もっと強い敵が出る。
それを倒す。
さらに上へ。
そのままインフレしていけば。
ついには神格級へ届く作品も出てくる。
そこまで行けば、もうほとんど天井である。
次は何と戦えばいいのだ。
神の次は神より強い何かを出すしかない。
そうなると、物語としても一つの終着点になりやすい。
だから、
神格級へ届くあたりを物語の終着点に置く
というのは、考えてみればかなり自然な流れだったのだと思う。
ところが。
長年そういう作品を読み続けた読者は、だんだん分かってくる。
この主人公、どうせ強くなるんでしょ?
このハズレスキル、どうせ最強になるんでしょ?
今は苦戦しているけど、最後には世界最強になるんでしょ?
そこまで分かっているなら。
作者側も、読者側も。
ある意味、こう思っても不思議ではない。
「じゃあ、そこまでの過程を飛ばしてもよくない?」
乱暴な話ではある。
だが実際、最近は、
最初から最強。
最初からチート。
最初から世界最高峰。
転生前から強い。
異世界から帰ってきた時点でもう最強。
神から能力をもらった瞬間に完成形。
そんな主人公も珍しくなくなった。
昔なら何百話もかけて辿り着いた場所から、
「はい、ここがスタート地点です」
と始めてしまう。
最初に見た時は、
「そこから話をどう続けるんだ?」
と思った。
だが。
普通に続くのである。
なぜ続くのか。
考えてみれば答えは単純だった。
強くなること以外を物語にすればいい。
主人公は最強。
それはもう決まっている。
では、その主人公が何をするのか。
旅をする。
料理をする。
村を作る。
店を開く。
弟子を育てる。
配信をする。
普通に学校へ通う。
周囲の人間を助ける。
本人は普通にしているつもりなのに、周囲だけが大騒ぎする。
つまり、
昔は、
「主人公がどうやって最強になるか」
が物語だった。
今は、
「最強の主人公が、その状態で何をするか」
が物語になる。
最強の意味そのものが変わったわけではない。
物語の中で置かれる場所が変わったのだ。
ゴールだったものが、スタート地点になった。
これには、読者側の変化もあるのかもしれない。
私自身、昔よりも主人公の成長を待たなくなった。
もちろん、成長物語が嫌いになったわけではない。
弱かった主人公が努力して強くなる話には、今でも独特の面白さがある。
ただ、
「この主人公、本当はすごいんです」
という作品なら。
最近の私は、
「分かった。じゃあ早めにすごいところを見せてくれ」
と思ってしまう。
昔なら十話かけていたところを。
三話で。
三話なら一話で。
場合によっては最初の数ページで。
読者として、ずいぶん気が短くなったものである。
そして。
最初から強い主人公には、もう一つ大きな利点がある。
安心して読める。
これは今の私にはかなり大きい。
主人公が強敵に遭遇した。
昔なら、
「勝てるのか?」
とハラハラした。
今は、
「まあ、この主人公なら大丈夫だろう」
と思いながら読んでいる。
本来、物語としてそれでいいのだろうか。
緊張感がなくならないのか。
そういう疑問は当然ある。
ただ、今の私は。
それでいい。
と思うことが増えた。
むしろ、
「この主人公は大丈夫」
という安心感があるからこそ、
気楽に続きを読める。
主人公の勝敗よりも。
どうやって解決するのか。
周囲がどんな反応をするのか。
また何をやらかすのか。
そちらを楽しむ。
勝つか負けるかではなく、
どう勝つかを見る。
これも、一つの読み方なのだと思う。
もちろん。
主人公を最初から最強にすれば、全部面白くなるわけではない。
ここはかなり重要だ。
何をやっても勝つ。
どんな敵も一撃。
何をしても成功。
周囲からひたすら褒められる。
それだけを何百話も続ければ、さすがに飽きる。
最強主人公には、
最強主人公なりの難しさがある。
主人公自身が負けないのなら、どこに物語の起伏を作るのか。
何を読者に期待させるのか。
どうやって先を読みたくさせるのか。
ここで作品ごとの差が出る。
そして私自身も、
主人公最強が好きなくせに。
同じ最強主人公でも、
面白く読める作品と、
途中で読まなくなる作品がある。
つまり。
私は「最強主人公」なら何でもいいわけではないらしい。
デスマーチのサトゥーは、かなり好きだ。
『即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。』の夜霧も、最初からとんでもなく強い。
『オーバーロード』のアインズだって、基本的には現地世界で圧倒的な存在である。
それでも、それぞれ面白さは全く違う。
一方で。
同じように主人公が圧倒的に強くて、最初はかなり好きだったのに。
途中で読まなくなった作品もある。
『魔法科高校の劣等生』が、私にとってはその一つだった。
ただし。
それは単純に、
「主人公が強すぎたから」
では説明できない。
むしろ、ここで分かるのは。
俺TUEEEは、主人公が強いだけでは決まらない
ということなのだと思う。
では。
同じ俺TUEEEでも。
何を面白がらせるのか。
その強さを、物語の中でどう使うのか。
次は、その辺を考えてみたい。




