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『好きな人がいるので、幼馴染に恋愛相談していたら、なんだか様子がおかしくなりました』   作者: 伊佐波瑞樹


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第57話 文化祭の当番表を作り始めただけなのに、彼氏と会える時間までクラスのみんなに気にされるようになりました



 火曜日の朝。


 目を覚ました私は、枕元のスマートフォンへ手を伸ばす前に、昨日のことを思い出して少しだけ笑った。


 一日だけ会わずに過ごしたあと、月曜日の朝に玄関の扉を開けた瞬間、目の前にいた春斗の顔を見て、思っていた以上に嬉しくなった。車では小指を絡め、学校では何度も目が合い、放課後には手を繋いで帰った。キスはしなかったけれど、母との待ち合わせ前には短く抱き締めてもらった。


 それだけで十分だったし、会わない日があっても平気なのだと分かった。同時に、会えたらやっぱり嬉しいということも、昨日一日でかなりはっきり実感した気がする。


「……かなりって、本当に普通に使うようになったな」


 布団の中で呟くと、自分でも少しおかしくなって笑った。


 もともとは春斗がよく使っていた言葉なのに、最近は私まで何かあるたびに「かなり」と言っている。愛ちゃんには完全に移ったと笑われたし、母からも同じことを指摘された。


 けれど、別に嫌ではなかった。私と春斗だけが使う特別な言葉というわけではないのに、二人の間ではいつの間にか少しだけ特別な響きを持つようになっている。それくらいなら、悪くないと思う。


 私はようやくスマートフォンを手に取った。


 時刻は午前六時十五分。通知は二件来ていて、一つは文化祭のクラスグループ、もう一つは春斗だった。


 先に春斗の方を開く。


『おはよう』


『おはよう』


 返すと、すぐに既読がついた。


『今日』


『何』


『会う』


『学校だから』


『うん』


『昨日も会った』


『うん』


『何』


『確認』


 思わず口元が緩む。


『毎日確認するの?』


『少し』


『会うかどうか?』


『彼女』


 指が止まった。


『何それ』


『真理今日も彼女?』


 昨日は、一日会わなくても彼氏と彼女であることは変わらないと確かめた。夜の電話でも春斗が「彼女」と言い、私も「彼氏」と返している。


 今朝はもう、不安だから確認したいわけではない。だからこそ、私は迷わず返した。


『彼女』


 少し考えてから、もう一つ送る。


『春斗は?』


『彼氏』


『うん』


 たったそれだけのやり取りなのに、胸の奥が少し温かくなった。


 すぐに次のメッセージが届く。


『文化祭』


『何』


『今日当番決める?』


『たぶん大まかに』


『こっちも』


『合わせられるかな』


 送ってから、私は少しだけ画面を見つめた。


 昨日までにも何度も話している。クラスの予定が最優先だけれど、できることなら、私が接客している時間に春斗が来てほしいし、春斗が射的の担当をしている時間に私も遊びに行きたい。


 全部を合わせる必要はない。


 ただ、一つくらい二人の時間が重なったら嬉しい。


 そんなことを考えていると、春斗から先にメッセージが来た。


『無理なら無理』


 私の考えていたことが伝わったみたいだった。


『うん』


『クラス優先』


『うん』


『でも』


『何』


『合わせられたらかなり嬉しい』


 私は少し笑った。


『私も』


 それだけ送ってから、『かなり』と付け足す。


『取った』


『共有』


 朝から、またいつものやり取り。それなのに昨日一日会わなかった経験を挟んだせいなのか、こういう何でもない会話まで今日は少し心地よく感じられた。


     ◇


 朝食を済ませて一階へ降りると、母が玄関近くで何かを探していた。


「ない」


「何が?」


「車の鍵。昨日どこ置いたっけ」


「いつものところじゃないの?」


「ないんだよね。真理知らない?」


「知らないよ」


 母は玄関台の上を見たり、棚の小物をどかしたりしている。私も何となく一緒に探していたけれど、ふと母の右手へ視線が落ちた。


「お母さん」


「何?」


「手」


「手?」


「持ってる」


 母が自分の右手を見る。そこには、探していた車の鍵が普通に握られていた。


 一瞬、二人の間に沈黙が落ちる。


「……あった」


「最初から持ってたよ」


「朝だから」


「春斗よりひどい」


「何でそこで春斗くんが出てくるの」


「何でもない」


 母は少し笑いながら鍵を持ち直した。


「朝から春斗くんのこと考えてた?」


「違う!」


 私が即座に否定したところで、玄関のチャイムが鳴る。


 母の口元がまた少し上がった。


「来たね」


「だから、そういう顔やめて」


「何もしてないでしょう」


「してる」


 私は靴を履き、玄関の扉を開けた。


「おはよう」


 制服姿の春斗が立っている。


「おはよう」


 昨日みたいに、顔を見た瞬間に胸が大きく跳ねるほどではなかった。それでも、やっぱり少し嬉しい。


 昨日の朝は、一日会わなかったあとの再会だったから特別だった。今日はその嬉しさが、もう少し日常へ戻っている。それも嫌ではなかった。


「真理」


「何?」


「今日普通」


「昨日は?」


「かなり」


「何が」


「嬉しそうだった」


「春斗もでしょ」


「うん」


「じゃあ同じ」


「うん」


 春斗が少し笑い、私もつられて笑った。


 背後から母の声が飛んでくる。


「二人とも、玄関で話してないで早く乗るよ」


「うん」


「はい」


 私たちは並んで車へ向かった。


     ◇


 後部座席へ座り、車が走り出して少しすると、いつものように私の右手と春斗の左手が膝の上へ置かれた。


 昨日は、どちらから小指を寄せるのか少しだけ意識したけれど、今日は違った。信号を一つ越えた頃、どちらが先とも分からないまま指先が触れ、そのまま自然に小指が絡んだ。


 それだけで、身体から少し力が抜ける。


「文化祭、今日は何するの?」


 赤信号で車が止まったところで、母が前から聞いてきた。


「当番表」


 私が答えると、母がバックミラー越しにこちらを見る。


「春斗くんのクラスも?」


「はい。多分、今日大まかに決めると思います」


「二人で時間合わせるの?」


 やっぱり鋭い。


 私は少し迷ったけれど、もう誤魔化す必要もないと思った。


「できたら」


「へえ」


「でも、クラス優先だから」


「それはそうでしょうね」


「うん」


「春斗くんも?」


「俺もそのつもりです」


 春斗が答えると、母は少しだけ感心したように笑った。


「ちゃんとしてるね」


「何が?」


「付き合いたてって、何でも一緒にしたがるのかなと思ってた」


 私は絡めている小指を意識しながら、窓の外へ視線を向けた。


「一緒にしたいことはあるよ。でも、全部じゃない」


「なるほどね」


 その横から、春斗が小さな声で私を呼ぶ。


「真理」


「何?」


「俺も、全部一緒じゃなくていい」


「うん」


 春斗の小指が、ほんの少しだけ強く絡んだ。


「でも、会える時間はほしい」


 胸の奥が温かくなる。


「……うん。私も」


 同じくらいの力で握り返すと、少しだけ静かになった後部座席へ母の声が飛んできた。


「後ろ、急に静かになったね」


「文化祭!」


「文化祭です」


 私と春斗の声が綺麗に重なり、母が吹き出した。


「今日も息ぴったりだね」


「違う」


「普通です」


「そこまで揃ってて?」


 私と春斗は顔を見合わせて、結局二人とも笑った。


     ◇


 学校へ着き、母の車から降りて昇降口へ向かう。


 今日は昨日ほど何度も春斗の顔を確認したりはしなかった。それでも、隣にいることはちゃんと感じている。


 昨日は一日会わなかったあとだったから、隣を歩くだけでも少し特別だった。今日はもう、その特別が少し日常へ戻っている。


 それもまた、恋人として過ごす普通なのだと思う。


「真理」


「何?」


「今日、昨日より見ない」


「何それ」


「俺のこと」


 私は横にいる春斗を見る。


「昨日は一日見てなかったから」


「今日は?」


「昨日いっぱい見たから」


 春斗が露骨に少し寂しそうな顔をした。


「何その顔」


「寂しい」


「見てるって」


「本当?」


「うん」


 私は歩きながら、今度はわざと春斗の顔をしっかり見る。


 一秒。


 二秒。


「これでいい?」


「もう少し」


「欲張り」


「彼氏だから」


「便利に使わないで」


「真理も使う」


「使うけど」


 二人で笑いながら昇降口へ入った。


 朝の校舎はいつも通り騒がしい。靴箱の扉が開閉する音、廊下を歩く生徒たちの声、少し遠くから先生が誰かを注意する声まで聞こえてくる。


 私たちだけに特別な朝が用意されているわけではない。


 その普通の学校の中に、恋人になった私と春斗がいる。今は、その方が自然だった。


「じゃあ昼」


 靴を履き替えた春斗が言う。


「うん。食堂」


「当番決まったら」


「途中経過教える」


「俺も」


「うん」


 今日はここで「好き」と言わない。言わなくても何も不安にならない。


「また昼」


「うん」


 私は自分の教室へ向かって歩き始めた。


 少し進んだところで、ポケットの中のスマートフォンが震える。


 画面を見る。


『好き』


「……」


 思わず立ち止まりそうになった。


『今別れたばっかり』


『言ってなかった』


 私は廊下を歩きながら、口元が緩むのを抑えられなかった。


『私も』


 返す。


 それだけで十分だった。


     ◇


 教室へ入ると、黒板には昨日までに決まった文化祭の内容がまとめられていた。


『喫茶』

『エプロン:ベージュ』

『備品二十二枚+追加購入』

『接客中心六名』

『広報』

『装飾』


 その横には大きく、『当日ローテーション案 本日作成』と書かれている。


「おはよう」


 愛ちゃんが振り返った。


「おはよう」


「今日だね」


「何が?」


「恋人時間決定」


「当番表!」


「同じでしょ」


「違う」


 愛ちゃんが楽しそうに笑う。


「でも、当番表決まらないと二人で回る時間も分からないじゃん。四人で回る時間も、写真撮る時間も決められないし」


「それはそうだけど」


「あと食べ歩き」


「いつから食べ歩き決まったの」


「文化祭なんだから何か食べるでしょ」


「まあ……」


「春くんと何食べる?」


「まだ決めてない」


「じゃあ、それも予定に入れとく」


「増やさないで」


 私は呆れながら笑った。


 愛ちゃんは本当に楽しそうだし、そんな彼女を見ていると私まで少し楽しくなってくる。


「真理」


 愛ちゃんが少しだけ声を落とした。


「当番、春くんに合わせたい?」


 私はすぐには答えなかった。


 以前なら、恥ずかしさが先に来て「別に」と言ったと思う。


 今は違う。


「……できたら。でも、クラス優先ね」


「うん」


「私だけ特別に空けてもらうとかは嫌。みんなと普通に調整して、それで春斗と合ったら……嬉しい」


 最後は少しだけ笑いながら言った。


 愛ちゃんも柔らかく笑う。


「それでいいと思う」


「うん」


「じゃあ私は真理たちの時間確保係」


「いらない」


「いる」


「愛ちゃん、自分も文化祭楽しんでね」


「楽しむよ」


「本当?」


「石井さん使うから」


「何に」


「暇つぶし」


「ひどい」


 また二人で笑った。


     ◇


 朝のホームルーム。


 担任が出席を取り終えると、黒板に書かれた当日ローテーション案へ視線を向けた。


「文化祭当日は一日ずっと喫茶を開ける予定だからな。全員どこかしら当番へ入るぞ」


 教室のあちこちから小さな声が上がる。


「接客中心の六人も、ずっと働くわけじゃない。交代で休め。昼もちゃんと食え。それから、文化祭を見て回る時間も作る」


「やった」


「ちゃんと回れるんだ」


「そりゃそうだろ」


 何人かが安心したように笑った。


 先生は黒板へ簡単な時間帯を書きながら続ける。


「大きく前半と後半に分けて、その中を一時間前後で交代する。細かい時間は六時間目に決めるから、自分が見たい企画とか、家族が来る時間とか、希望があるやつは考えとけ」


 私は黒板を見つめた。


 文化祭当日の時間が、初めて少し具体的になった。ただ「春斗と回る」だけだった約束に、何時頃、どのくらいという現実的な形がつき始めている。


「久保」


 後ろから山口くんが小さく呼んだ。


「何?」


「彼氏、何時来る?」


「まだ分からない」


「じゃあ聞いとけよ」


「何で?」


「シフト希望出すなら必要だろ」


「私だけ?」


「いや」


 山口くんは少し不思議そうな顔をした。


「友達と回りたいやつもいるし、部活見るやつもいるだろ。家族来るやつだっているんだし」


「あ」


 言われて気づいた。


 私だけではない。彼氏、友達、家族、部活、他クラス。それぞれに文化祭でやりたいことがある。


「希望時間あるなら、一応出せばいいじゃん。彼氏だから特別扱いってわけじゃなくて、希望の一個」


 その言い方が少し嬉しかった。


「ありがとう」


「何が?」


「普通に言ってくれたから」


「普通だろ」


「うん」


 山口くんはよく分からないという顔で前へ向き直った。


 それでいい。


 春斗と一緒に回る時間は、私にとって特別だ。でも学校の文化祭の中では、みんなが持っている予定の一つでもある。そのくらいの位置にあることが、今はちょうどよかった。


     ◇


 二時間目の休み時間。


 スマートフォンを見ると、春斗からメッセージが届いていた。


『当番』


『何』


『希望出せる』


『こっちも』


『真理いつ』


『まだ』


『俺も』


 私は少し考える。


『昼休み相談する?』


『うん』


 続けて、『でも合わせる前に自分のクラス優先』と春斗の方から送られてきた。


 私は自然に笑う。


『分かってる』


『真理も』


『うん』


『でも』


『何』


『一個くらい合わせたい』


 胸の奥がじんわり温かくなる。


『私も』


 迷わず返した。


 全部を春斗に合わせたいわけではないし、春斗にも全部を私へ合わせてほしいわけではない。それでも一つくらい、二人の予定が重なる時間がほしい。


 それくらいなら、今の私たちらしい気がした。


     ◇


 昼休み。


 食堂へ向かうと、今日は春斗と石井さんが先に席を取っていた。


 私と愛ちゃんが近づくと、春斗が少しだけ手を上げる。


「真理」


「何?」


「座る?」


「座るよ」


「隣」


「いつもでしょ」


「うん」


 愛ちゃんが横から笑う。


「今日、春くんちょっと甘くない?」


「何が?」


 春斗が首を傾げる。


「一日会わなかった余韻?」


「昨日一日会ってたよ」


 私が言うと、向かい側の石井さんが苦笑した。


「昨日も朝から昼から放課後までずっとこれだったけどな」


「何で知ってるの」


「昼見た」


「それだけでしょ」


「十分分かる」


 四人で笑いながら席へ座り、それぞれ昼食を広げ始める。


 そこで愛ちゃんがスマートフォンを取り出した。


「で。当番」


「本当に食事始めてすぐやるの?」


「重要事項です」


「文化祭ガチ勢」


「褒め言葉として受け取ります」


 春斗も自分の画面を開く。


「俺のクラスは午前と午後で交代する感じ」


「春斗は射的?」


「中心は多分そっち」


「希望出せる?」


「一個だけ」


「いつ?」


「まだ仮だけど、午前が十時と十一時くらい。午後が一時、二時、三時」


「こっちも似た感じだと思う」


 私が答えると、愛ちゃんがこちらを見る。


「真理は接客中心だから、一時間半くらいずつ二回入る可能性あるって」


「二回?」


「多分ね」


「結構働くんだ」


「中心担当なんだから当然でしょ」


 そこで石井さんが春斗を見る。


「お前、どこ空けるつもり?」


「真理が決まってから」


「駄目」


 私はすぐ言った。


 春斗が少し驚いてこちらを見る。


「何で?」


「春斗のクラスの都合を先に考えて。私に合わせるために希望変えないで」


 春斗が少し黙った。


 私は昼食の箸を一度置き、急かさずに続ける。


「春斗自身の希望あるでしょ?」


「……午後」


「何で?」


「午前の方が準備とか確認とか多そうだから。射的も最初ちゃんとやりたい」


「じゃあ午後でいいじゃん。そのあとで、私の空いてる時間と合ったら合わせよう」


 私が少し笑うと、春斗の表情も柔らかくなった。


「分かった」


 愛ちゃんが満足そうに頷く。


「ちゃんとしてる」


「何が?」


「二人とも」


 石井さんも同意するように笑った。


「春斗が全部真理に合わせたら、真理はそれ嫌だろ」


「嫌」


 即答すると、春斗が苦笑する。


「だよな」


「でも」


 私は少しだけ春斗を見る。


「一個くらい一緒がいい」


 春斗の動きが止まり、愛ちゃんと石井さんまで一瞬だけ静かになる。


「何でみんな止まるの」


 私が三人を見ると、愛ちゃんが嬉しそうに笑った。


「真理、本当に素直になったね」


「またそれ」


「前なら絶対言わなかったよ」


「……うん」


 否定はできない。


 春斗も少しだけ笑う。


「俺も、一個くらい一緒がいい」


「うん」


「じゃあ午後で一個合わせれば」


 石井さんが簡単に言う。


「勝手に決めないで」


「候補だよ」


「ならいい」


 また四人で笑った。


「あと」


 愛ちゃんが指を折り始める。


「四人で回る時間、写真、昼か午後。それから二人時間」


「愛ちゃん!」


「必要でしょ」


 すると春斗が普通の顔で頷いた。


「必要」


「春斗まで!」


 石井さんが吹き出す。


「もう認めろって」


 顔が熱い。


 でも、今さら否定する方が嘘だ。


「……必要」


 私が言うと、今度は三人が揃って止まった。


「何」


 私は少し恥ずかしくなりながらも続ける。


「だって、春斗と二人で回るって約束したし」


 愛ちゃんの口元が一気に上がった。


「はい、確保」


「まだ時間決まってないからね」


「決まったら」


「うん」


 恥ずかしい。


 でも、楽しかった。


     ◇


 六時間目。


 文化祭当日のローテーションについて、本格的な話し合いが始まった。


 黒板には大まかな時間帯が書かれている。九時半、十時半、十一時半、昼休憩を挟んで十三時、十四時、十五時。今後細かい変更はあるらしいけれど、基本的にはこの流れで交代する予定だった。


「まず接客中心の六人な」


 担任が黒板を指す。


「二人ずつ交代で入る。他の係からも補助を出すから、ずっと店に張りつく必要はない」


 佐々木さんが黒板の前へ出て、接客担当の名前を書き始める。


「希望ある人?」


 すぐに何人かの手が上がった。


「午前中に部活の展示見たい」


「妹が午後来るから少し空けたい」


「友達のバンド昼だから、その時間外してほしい」


 みんな、それぞれ予定がある。


 私は膝の上で指先を少し動かし、手を上げようか迷った。


 愛ちゃんが横から小さな声で言う。


「言えば?」


「うん」


 私は手を上げた。


「久保さん?」


「午後のどこか、一時間くらい空けたい」


「理由は?」


 佐々木さんは普通に聞いただけなのに、少し顔が熱くなる。


「他クラス回りたい」


 後ろから山口くんの声が飛んだ。


「彼氏?」


 教室の何人かが笑う。


 前ならここで慌てて否定したと思う。


 でも今日は違った。


「それも! でも春斗だけじゃなくて、友達とも一緒に回るから」


 少し笑いが広がったものの、佐々木さんはからかうことなく頷いた。


「了解。じゃあ午後に一枠空ける方向で。代わりに午前接客多めでも平気?」


「うん、いいよ」


 それだけだった。


 私が午後を空けたい代わりに、午前は多めに働く。誰かだけが得をするわけではなく、普通の調整として受け入れられたことが嬉しかった。


「久保」


 また山口くんが声を掛ける。


「彼氏枠」


「友達もって言ったでしょ!」


「はいはい」


「本当に!」


 教室に笑いが広がる。


 それでも嫌ではなかった。


 午前は少し忙しくなる。その代わり、午後に一時間ほど自由な時間ができる。もし春斗もその頃に空いているなら、一緒に回れるかもしれない。


 まだ確定ではない。


 でも、今はそれで十分だった。


     ◇


 終礼が終わる頃、クラスグループへ当番表の仮案が送られてきた。


 私はすぐ画面を確認する。


 十時半と十一時半は接客、十三時は休憩、十四時は補助、そして十五時は自由。


「真理」


 隣から愛ちゃんが呼ぶ。


「十五時」


「うん」


「空いたね」


「うん」


「春くんは?」


「まだ分からない。今送る」


 私は春斗との画面を開いた。


『仮』


『何』


『十五時空き』


 すぐ既読がつき、少し間があって返事が来る。


『俺』


『何』


『十五時空けられる』


 胸が鳴った。


『本当?』


『午後希望出した』


『真理に合わせた?』


『違う』


 ほとんど間を置かず、『元々午後希望』と続いた。


 昼に聞いた通りだ。


 私は少し笑った。


『じゃあ』


『何』


『合った』


『うん』


 そして春斗から、『かなり』と送られてくる。


 私も同じ言葉を返した。


『かなり』


 それだけなのに、二人で同時に言ったみたいで少し嬉しい。


『じゃあ十五時』


『一緒に回る?』


 返事は迷わなかった。


『うん』


 少しして、『二人?』と来る。


 そこだけは、少し顔が熱くなった。


『最初少し二人』


『うん』


『あと愛ちゃんたち』


『分かった』


 初めて、文化祭当日の予定が形になった。


 十五時に春斗と一緒に回る。


 まだ仮案だから変更はあるかもしれない。それでも、予定表の中に二人の時間が入り始めたことが、思っていた以上に嬉しかった。


     ◇


 昇降口へ向かうと、春斗はすでに待っていた。


 私を見つけた瞬間、少しだけ笑う。


「十五時」


「まだ仮だからね」


「でも、合った」


「うん」


 春斗の表情が嬉しそうで、私も自然に笑った。


「真理」


「何?」


「嬉しい」


「私も」


 普通に答えると、春斗が少し動きを止める。


「何」


「早い」


「何が?」


「私も、って」


「だって嬉しいから」


 春斗は少し笑い、今度は真面目な顔になる。


「クラス、無理してない?」


「してないよ。午前がちょっと多くなっただけ」


「大丈夫?」


「接客中心だし、元々働く予定だったから」


「そっか」


「春斗は?」


「俺も元々午後空けたかった」


「何で?」


「午前に射的ちゃんとやりたいから。でも、午後なら真理も来るかもって思ってた」


 私は少しだけ目を細める。


「それは少し合わせた?」


「少し」


 春斗は誤魔化さなかった。


 私も笑う。


「私も」


「本当?」


「午後を空けたい理由に、春斗も入ってる」


 春斗の耳が赤くなる。


「真理」


「何」


「今日、本当に強い」


「またそれ」


「でも嬉しい」


「知ってる」


「かなり」


「共有」


 二人で笑いながら学校を出た。


     ◇


 校門から離れ、住宅街へ入る頃には周囲の制服姿もかなり減っていた。


 春斗が自然に右手を差し出す。


 私は迷わず取った。


 指が絡む。


 学校では一日、普通にそれぞれの時間を過ごした。こうして帰り道になって手を繋ぐと、少しだけ二人の時間へ切り替わったような気がする。


「文化祭」


 春斗が言う。


「うん」


「十五時」


「また?」


「何する?」


「まだ決めてない」


「一緒に回る」


「うん」


「写真?」


「愛ちゃんたちと合流してからかな」


「二人写真」


「それも撮る」


「手」


「当日聞くって言ったでしょ」


「覚えてる」


 私は少し笑った。


「じゃあ、二人でいるとき何したい?」


 改めて聞かれると、少しだけ考える。


 文化祭当日の校内は、多分かなり混む。一時間丸ごと自由に使えるわけでもないだろうし、移動や友達との合流まで考えれば、二人だけで歩けるのは三十分か四十分くらいかもしれない。


 それでも十分だった。


「春斗のクラス行って、私のクラスも見て、何か食べて、他のクラスもちょっと見たい。あと写真」


「うん」


 私は繋いでいる手を少しだけ動かした。


「それで十分」


 春斗が柔らかく笑う。


「俺も」


「何か他に欲しい?」


「真理」


「それ禁止」


「一緒にいる時間」


「それなら」


 私も少し笑った。


「私も欲しい」


 春斗の歩く速度が少し落ちる。


「真理」


「何?」


「今日いっぱい言う」


「何を」


「そういうの」


「だって、言った方が春斗嬉しいでしょ」


「うん」


 私は一度視線を落とし、繋いでいる手を見る。


「私もね。春斗が言ってくれると嬉しい」


 春斗が完全に足を止めた。


 私も引かれて止まる。


「何」


 私が聞くと、春斗は少しだけ照れたように笑った。


「覚えてていい?」


「うん」


「かなり嬉しい」


「それも覚えてていいよ」


 私も笑う。


 こういうやり取りが、最近は本当に好きだった。


     ◇


 母との待ち合わせまでは、まだ十分ほどある。


 私たちはいつもの道を少しゆっくり歩いた。


「春斗」


「何?」


「昨日、キスしなかったね」


「うん」


「今日もまだ」


 春斗が少しだけ笑う。


「したい?」


 聞かれて、私はすぐには答えなかった。


 昨日は一日会わなかったあとの春斗に会えたことが嬉しくて、最後は少し抱き締めてもらった。


 今日はもっと普通の一日だった。学校へ行って、文化祭の当番を考えて、昼に一緒に食べて、今は手を繋いでいる。


 そのうえで、自分へ聞く。


 キスはしたい?


「……少しはしたい。でも今日はいいかな」


 答えると、春斗は理由を聞くこともなく、すぐに頷いた。


「うん」


「嫌?」


「嫌じゃない」


「本当?」


「うん」


 春斗が繋いでいる手を少しだけ握る。


「真理が今日はこれでいいって思うなら、それでいい」


 胸の奥がじんわり温かくなった。


「うん」


「俺はしたいけど」


 即答され、私は思わず笑う。


「知ってる」


「でもしない。また聞く」


「うん」


 それでいい。


 キスをする日もあれば、しない日もある。毎日、昨日より先へ進む必要はない。


 今日は手を繋いで、話して、文化祭の予定が一つ形になった。それだけで、今はかなり嬉しかった。


     ◇


 待ち合わせ場所へ着いたけれど、母の車はまだ見えなかった。


 私たちは道の端へ寄り、少しだけ立ち止まる。


「真理」


「何?」


「十五時」


「うん」


「文化祭」


「うん」


「最初、二人」


「少しだけね」


「楽しみ?」


 春斗が少しだけ意地悪そうに聞いてくる。


 私はもう迷わなかった。


「かなり」


 春斗が笑う。


「取った」


「共有」


 私も笑った。


 ちょうどそのとき、遠くに母の車が見える。


 繋いでいた手を離す前に、今日は私から一度だけ少し強く握った。春斗も同じように握り返してくれる。


「また明日」


「まだ一緒に帰るでしょ」


「でも」


「何」


「明日も彼女?」


 今朝も聞かれた。


 もう、この確認が不安から出ているものではないと分かっている。


「彼女。春斗は?」


「彼氏」


「うん」


 それだけで、二人とも少し嬉しくなる。


     ◇


 母の車へ乗り込む。


「お疲れ」


「お疲れ」


「ありがとうございます」


 車が静かに走り始める。


「当番決まった?」


「仮だけど」


「真理は?」


「午前多めで、午後少し空く」


「春斗くんは?」


「俺も午後空く予定です」


「へえ」


 母がバックミラー越しにこちらを見る。


「合わせた?」


 やっぱりそこへ気づく。


「少し。でも春斗は元々午後希望」


「真理も?」


「私も午後空けたかった」


「二人で回るんでしょう?」


「うん。最初は二人で少し、そのあと愛ちゃんたちとも回る予定」


 もう普通に答えられる。


「ちゃんと計画してるね」


「愛ちゃんが勝手に色々増やしてる」


「なるほど」


 母が笑う。


「楽しみ?」


「うん」


 私は少しだけ春斗を見た。


「かなり」


 すぐ隣から。


「取った」


「共有」


 母が呆れたように笑う。


「またそれ?」


「もう普通」


「二人の普通ってやつ?」


 その言葉に、昨日春斗が言った『俺らの普通』を思い出す。


 胸が少しだけ温かくなった。


「……うん」


 私は小さく答えた。


     ◇


 今日は、文化祭の当番表を作り始めただけの日だった。


 私のクラスには、それぞれ希望がある。家族が来る時間、部活の展示を見る時間、友達と回る時間、他クラスの企画を見る時間。


 私の場合は、その中に春斗がいる。


 彼氏だから、一緒に回りたい。できれば私が接客している時間に来てほしいし、春斗が射的の担当をしている時間にも遊びに行きたい。


 けれど、私だけが特別なわけではない。みんな、自分にとって大事な人や、見たいものや、やりたいことがある。


 だから私は午前中に少し多く接客へ入り、その代わり午後に一時間ほど自由な時間を作ってもらうことになった。春斗も、自分のクラスでは午前を中心に射的担当へ入り、午後に少し空ける予定になっている。


 その結果、十五時に二人の予定が重なった。


 全部を無理やり合わせたわけではない。


 でも、お互いに少しだけ相手のことを考えた。


 そのくらいが、今の私たちにはちょうどいい。


 私は車の窓の外へ視線を向けた。


 夕方の町並みが、ゆっくりと後ろへ流れていく。


 文化祭当日の十五時。


 春斗と一緒に回る。


 まだ仮の予定だから、変更される可能性はある。それでも、予定表の中に初めて「二人で過ごせそうな時間」ができたことで、文化祭がまた少し現実に近づいた。


「真理」


 隣から春斗が小さく呼ぶ。


「何?」


「十五時」


「また?」


「うん」


「楽しみ?」


「うん」


「私も」


 春斗が少しだけ笑う。


「かなり?」


 また聞く。


 私は春斗の顔を見て、今度はすぐに笑った。


「かなり」


 春斗も嬉しそうに笑う。


 前から母の声がした。


「文化祭の話?」


「うん。一緒に回る時間、仮で決まった」


「十五時?」


「何で聞こえてるの」


「後ろ近いからね」


「そうだった」


 母が笑う。


「よかったじゃない」


「うん」


 私は素直に頷き、もう一度だけ春斗を見る。


 恋人だからといって、全部の予定を一緒にする必要はない。でも一日の中で少しだけ、この人と一緒に過ごす時間をちゃんと空けたい。


 春斗も同じように思ってくれている。


 そのことが今は、かなり嬉しかった。

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