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『好きな人がいるので、幼馴染に恋愛相談していたら、なんだか様子がおかしくなりました』   作者: 伊佐波瑞樹


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第51話 彼氏と文化祭を回る約束をした翌日、クラスメイトまで私たちの予定を勝手に決め始めました



 水曜日の朝。


 目を覚ました私は、まだ完全に開ききっていない目のまま、枕元に置いていたスマートフォンへ手を伸ばした。カーテンの隙間から差し込む朝の光はまだ淡く、部屋の中には夜の名残のような静けさが残っている。


 画面を点けると、時刻は午前六時三分だった。


 通知欄には何も表示されていない。


 春斗から「おはよう」が届くには、少し早い時間なのかもしれない。


 そもそも昨日は学校で一日顔を合わせていた。そのうえ放課後には一緒に帰り、住宅街へ入ってからは手を繋いだし、母との待ち合わせ場所へ着く少し前には二回目のキスまでしている。


 だから、朝一番から連絡を待つ必要なんてない。


 今日だって学校へ行けば会えるし、あと一時間半もすれば、いつものように春斗が家まで迎えに来る。


 頭ではちゃんと分かっている。


 それなのに私は画面を消さず、そのまま数秒見つめていた。


「……待ってるじゃん」


 小さく呟いた途端、自分で認めてしまったことが恥ずかしくなった。


 スマートフォンを枕の横へ戻し、仰向けになって天井を見上げる。寝起きでぼんやりしていた頭が、少しずつ昨日の記憶を拾い始めた。


 学校で春斗と付き合っていることには、少しずつ慣れてきたと思う。


 月曜日は目が合うたびに土曜日の初キスを思い出して、お互い分かりやすく顔を赤くしていた。愛ちゃんにはすぐに見抜かれ、昼休みには彼女の失言で石井さんにまで初キスを知られてしまった。


 昨日は、それより少しだけ普通に過ごせた。


 クラスメイトから春斗を「彼氏」と呼ばれても、顔は熱くなるけれど逃げ出したいほどではなくなったし、放課後には私の方から春斗へ手を差し出すこともできた。


 それから。


『……したい』


 昨日の自分の声を思い出した瞬間、布団の中で身体が少し固まった。


 私は初めて、自分から「キスしたい」と言った。


 春斗に聞かれて答えただけではない。


 自分の意思で、したいと思って。


 それを春斗へ伝えた。


「……朝からまたそれ考えてる」


 両手で顔を覆う。


 そのあと母との待ち合わせ場所へ向かう途中で、春斗から「キスしていい?」と聞かれたときも、初めてのときほど迷わなかった。


『うん』


 ほとんどすぐに答えられた。


 一回目よりほんの少しだけ長いキス。


 唇が触れたことを理解する余裕があって、離れたあとも春斗の顔を見ることができた。初めてのときみたいに、恥ずかしくて何秒も目を開けられなくなることもなかった。


 初めて。


 二回目。


 そして、次。


 そんなふうに回数まで意識している時点で、考えていることは完全に恋人だった。


 私は本当に春斗の彼女なんだ。


 付き合い始めてから何度も確認してきたことなのに、今さら改めて思うと胸の奥がじんわり温かくなる。


 そのとき、枕元のスマートフォンが短く震えた。


 私はほとんど反射的に手を伸ばす。


 画面には、さっきまで待っていた名前が表示されていた。


『おはよう』


 たった四文字。


 それだけなのに、口元が勝手に緩む。


『おはよう』


 返すと、すぐに既読がついた。


『起きてた?』


『今』


 嘘ではない。


 ただ、数分前から画面を眺めながら春斗からの連絡を待っていたことまでは言わない。


『今日』


『何』


『文化祭』


 昨日から学校で一気に現実味を帯び始めた文化祭の話だった。


『真理のクラス今日決める?』


『まだかも。候補絞るくらい』


『こっちも』


『何候補?』


『喫茶、展示、ゲーム』


 そこで私は少しだけ笑った。


『執事喫茶は?』


 送った瞬間、昨日の帰り道を思い出す。


 春斗のクラスが執事喫茶だったら見に行く。


 私がそう言うと、春斗は少し照れながらも「やる」と答えていた。


 返事はすぐに来た。


『候補にない』


『残念』


『昨日より積極的』


『何が』


『俺の執事』


「……っ」


 思わずスマートフォンを少し遠ざけた。


 朝から言い方がおかしい。


 いや、そもそも昨日「見たい」と言ったのは私なのだけれど。


『違う』


『何が』


『クラスの企画として』


『分かってる』


 絶対に、分かっていて言っている。


『春斗』


『何』


『朝』


『うん』


『まだ六時』


『昨日も言われた』


 思わず笑ってしまった。


 こういうどうでもいいやり取りも、少しずつ私たちの普通になってきている。


 付き合う前だって、春斗とは毎日のように連絡していた。


 でも今は、同じような言葉の中に少しだけ恋人らしい意味が混ざる。それだけで、同じ会話なのに以前とは少し違って感じられた。


『真理』


『何』


『文化祭』


『うん』


『一緒に回るの楽しみ』


 指が止まった。


 急に真っ直ぐ言われると、まだ弱い。


 私は少し迷ってから『私も』と返し、それだけでは足りない気がして、続けてもう一言送った。


『かなり』


 既読がつく。


 数秒後。


『取った』


『使える』


『返して』


『嫌』


 昨日も似たようなやり取りをした。


 それでも飽きない。


 むしろ、同じ冗談を何度も使って笑えることが、少しだけ嬉しかった。


     ◇


 朝食を終え、制服へ着替えて一階へ降りると、母が車の鍵を持ちながら玄関近くで待っていた。


「今日は春斗くん、もう来る?」


「たぶん」


「連絡あった?」


「朝した」


「何時?」


「六時くらい」


「早いね」


「お互い起きてたから」


「へえ」


 母が少しだけ意味ありげに笑った。


 最近、その顔を見ると嫌な予感しかしない。


「何」


「何でもない」


「絶対何かある」


「付き合いたてって元気だなと思っただけ」


「お母さん」


「何?」


「朝から変なこと言わないで」


「別に変なことじゃないでしょう」


「変」


 そう返しているうちに、外から聞き慣れた足音が近づいてきた。


 昨日まではチャイムが鳴るだけで少し身構えていた。


 春斗が来る。


 彼氏が来る。


 そう意識してしまっていたからだ。


 今日は胸が少し速くなるものの、前ほどではない。


 数秒後、チャイムが鳴った。


 私は靴を履き、玄関の扉を開ける。


「おはよう」


 制服姿の春斗が立っていた。


「おはよう」


 今日は一回で言えた。


 春斗もそれに気づいたらしく、少しだけ口元を緩める。


「今日は早い」


「何が?」


「返事」


「慣れた」


「俺に?」


 その聞き方に、少しだけ引っかかった。


 私は春斗の顔を見る。まだ少し恥ずかしいけれど、昨日みたいにすぐ視線を逸らしたくなるほどではない。


「……彼氏に」


 ちゃんと言った。


 春斗の動きが止まる。


「真理」


「何」


「朝から強い」


「春斗が聞いたんでしょ」


「でも」


 春斗の耳が少しだけ赤くなった。


 その顔を見ると、何となく少しだけ勝ったような気がする。


「二人とも、玄関でずっと止まってないで行くよ」


 後ろから母の声が飛んできた。


「うん」


「はい」


 私たちは顔を見合わせて少し笑い、車へ向かった。


     ◇


 後部座席へ座る。


 私が左。


 春斗が右。


 何百回と繰り返してきた、いつもの場所だった。


 今日も母が前にいる。


 一昨日と昨日は、その母から見えないように小指だけを絡めた。


 手を繋ぐほどではない。


 でも、ほんの少しだけ触れていたくて。


 今日も、そうするのだろうか。


 車が静かに走り出す。


 私は膝の上へ手を置いたまま、横目で春斗を見る。春斗は前を向いていて、左手も膝の上から動かない。


 少し待つ。


 それでも動かない。


 何で。


 いや、毎朝する約束なんてしていない。


 小指を絡めるのだって、一昨日と昨日にたまたましただけだ。


 それでも、少しくらい期待してもいいと思う。


「真理」


 春斗が小さく呼んだ。


「何」


「今日、何か怒ってる?」


「怒ってない」


「本当?」


「うん」


「じゃあ何?」


 バレていた。


 私は窓の外へ視線を逃がしながら、少しだけ迷う。


「……小指」


 春斗が一瞬こちらを見る。


 そして、少し笑った。


「真理から言うんだ」


「嫌ならいい」


「嫌じゃない」


 返事は早かった。


 春斗の左手が少しだけこちらへ寄る。


 私は自分の右手を動かし、その小指へ絡めた。


 たったそれだけ。


 手を繋ぐと呼ぶには小さすぎる接触なのに、身体の力が少し抜けるくらい安心した。


「後ろ、静かだね」


 母の声が前から飛んでくる。


「普通」


 私が答える。


「普通です」


 春斗も続いた。


「声だけはね」


「何それ」


「何でもない」


 母は前を向いたまま笑っていた。


 絶対に何か気づいている。


 でも、今日は追及してこない。


 私は小指だけ繋いだまま窓の外を見る。


 信号。


 コンビニ。


 通学中の自転車。


 何度も見てきた朝の町が流れていく。


 春斗と付き合う前から存在していた景色へ、今までとは違う意味が一つずつ足されていくようだった。


     ◇


 学校へ着き、母の車を降りる。


 春斗と並んで昇降口へ向かう足取りは、昨日よりさらに少し自然だった。


 校門付近には、自転車を押しながら友達と話す生徒や、先生へ挨拶をする生徒がいる。朝の校舎へ吸い込まれていく制服姿の群れの中で、私たちも同じ速度で歩いた。


 周りから見られているかもしれない。


 でも前ほどは気にならない。


「久保さん」


 少し前から声を掛けられた。


 振り向くと、同じクラスの佐々木さんがいた。


「おはよう」


「おはよう」


 佐々木さんは私を見てから、その隣にいる春斗へ視線を移す。


「彼氏と登校?」


 胸が一瞬だけ鳴った。


 でも、もう否定する理由はない。


「……うん」


 答える。


 佐々木さんは特に驚くでもなく、少しだけ笑った。


「いいね」


「何が?」


「普通に。朝から一緒なの、いいなと思って」


 からかうわけでも、詳しく聞いてくるわけでもない。


 ただ「彼氏」という言葉を、ごく普通に使った。


「じゃあ先行くね」


「うん」


 佐々木さんは友達のところへ小走りで向かっていった。


 その背中を見送りながら、私は少しだけ黙る。


「真理」


「何?」


「大丈夫?」


「うん」


 春斗を見る。


「今、普通に彼氏って言われた」


「俺も聞いた」


「何か……まだ変」


「俺は嬉しい」


「春斗はね」


「真理は?」


 少し考える。


「……嬉しい」


 正直に答えた。


「でも恥ずかしい」


「両方?」


「うん」


「真理っぽい」


「何それ」


 春斗が少し笑い、私もつられて笑った。


 恋人として見られることへ、まだ完全には慣れない。


 でも。


 嫌ではなかった。


     ◇


 教室へ入ると、今日はいつもより少しだけざわついていた。


 黒板の端には、昨日のホームルームで出た文化祭企画の候補がそのまま残っている。


 喫茶。


 お化け屋敷。


 縁日。


 展示。


 写真スポット。


 そして、その下へ小さく書き足されていた。


『メイド・執事喫茶?』


「何これ」


 思わず声が出る。


 愛ちゃんがすぐに振り返った。


「おはよう」


「おはよう。何で復活してるの」


「昨日の放課後、残ってた男子と女子でまた話したらしいよ」


「誰が」


「知らない」


「絶対嫌」


「まだ決まってないって」


「でも書いてある」


「候補だから」


 愛ちゃんが少し笑う。


「真理、昨日より反応強い」


「だって」


 黒板を見る。


 メイド。


 春斗が見に来る。


 昨日。


『見たかった』


 と、普通に言われた。


 あのときの春斗の少し赤くなった顔まで思い出してしまう。


「……」


「真理」


「何」


「春くん?」


「違う」


「まだ何も言ってない」


「分かる」


 愛ちゃんが楽しそうに笑った。


「文化祭、楽しみになってきた?」


「……少し」


「少し?」


「かなり」


「取ったね」


「春斗にも言われた」


「完全に移ってるじゃん」


 二人で笑ったところで、後ろから男子の声が飛んできた。


「久保」


「何?」


 同じクラスの山口くんだった。


「文化祭、喫茶になったら久保の彼氏来る?」


 一瞬、教室の何人かがこちらを見る。


 少し前だったら、その視線だけで何も言えなくなっていたかもしれない。


 でも今は。


「来ると思う」


 答えられた。


 山口くんが笑う。


「じゃあ客一人確保」


「そういう数え方?」


「大事だろ」


 周りから笑いが起きる。


 別の女子が振り向いた。


「久保、彼氏のクラスにも行くの?」


「行く」


「一緒に回る?」


「空いてる時間に」


「いいなー」


「青春じゃん」


 さらに別の机からも声が飛び、教室が少しだけ盛り上がった。


 私は顔が熱くなるのを感じた。


 でも昨日までとは違う。


 みんな、春斗を幼馴染としてではなく、私の彼氏として話している。


 そこが少しくすぐったい。


「久保」


 山口くんがさらに聞いてくる。


「彼氏連れてくるなら、何やったら来る?」


「何で私に聞くの」


「客目線」


「知らないよ」


「春斗くんって甘いの食べる?」


「食べる」


「コーヒーは?」


「好き」


「じゃあ喫茶強いじゃん」


「何の会議なの」


 教室にまた笑いが起きる。


 私も少しおかしくなって笑った。


 春斗はコーヒーが好き。


 甘いものも普通に食べる。


 パスタならカルボナーラも、ミートソースも、ナポリタンも好き。


 付き合ってから初めて知ったことも多い。


 それをこうしてクラスメイトへ答えているのが、何だか不思議だった。


「真理」


 愛ちゃんが小声で呼ぶ。


「何」


「彼氏情報すぐ出てくるね」


「最近知ったのも多い」


「楽しそう」


 私は一度だけ考えた。


 でも。


「うん。楽しい」


 もう否定しなかった。


 愛ちゃんの表情が少しだけ柔らかくなる。


     ◇


 朝のホームルームが始まる直前、担任が教室へ入ってきた。


「今日の六時間目、文化祭の企画を絞るからな」


 その一言で、教室がまたざわつく。


「それと、企画が決まったら今週中に係分担も始める。装飾、買い出し、会計、広報、当日運営。部活や委員会があるやつは、無理な係を取るなよ」


 文化祭。


 本当に始まるんだ。


 今までは、少し先の学校行事というだけだった。


 でも、クラス企画を決めて、係を決めて、準備を始める。


 そこまで進めば、もう現実だ。


 私は黒板を見る。


 春斗とは一緒に回る約束をした。


 でも、クラスの係が忙しければ自由に動ける時間は少なくなるかもしれない。


 それでも。


 少しだけでも。


 一緒に回りたい。


「真理」


 愛ちゃんが小さな声で呼ぶ。


「何?」


「係何やる?」


「まだ決めてない」


「一緒に広報とかやる?」


「広報?」


「写真とかポスターとか」


「ありかも」


「春くんのクラス見に行く時間作れそうな係」


「それ基準にしないで」


「でも大事じゃない?」


 否定しようとして、少し止まる。


 確かに、ずっと当番へ入るような係なら、一緒に回る時間は減る。


 でも恋人との予定だけでクラスの係を決めるのも違うと思う。


「クラス優先」


「うん」


「でも、少しは空けたい」


 私が笑うと、愛ちゃんがにやりとする。


「彼女」


「言わないで」


「もう慣れたんじゃない?」


「まだ」


 そう返しながらも、前ほど強く否定しなくなっている自分には気づいていた。


     ◇


 一時間目と二時間目は、思ったより普通に過ぎた。


 授業中は春斗のことをほとんど考えなかったし、黒板の内容もちゃんと頭へ入った。


 二時間目が終わった休み時間、スマートフォンを確認すると春斗からメッセージが届いていた。


『文化祭』


 またそれ。


『何』


『こっちゲーム系有力』


『ゲーム?』


『輪投げとか射的とか』


『縁日みたい』


『たぶん』


『執事は?』


 送ると、少し間が空いた。


『まだ言う?』


『少し見たい』


 送ったあとで少しだけ顔が熱くなったけれど、既読はすぐについた。


『真理』


『何』


『文化祭まで覚えてる』


『忘れて』


『無理』


『もう』


『真理のクラスは?』


『メイド復活』


 今度は返事が少し遅れた。


 そして。


『本当?』


 反応が分かりやすすぎる。


『まだ候補』


『見たい』


『即答』


『彼氏だから』


 便利に使ってる。


 でも。


 少し嬉しい。


『決まっても見ないで』


『行く』


『嫌』


『でも一緒に回る』


 その言葉で、胸が少し温かくなる。


『うん』


『そこは行く』


『うん』


『約束』


『うん』


 文化祭を一緒に回る約束なんて、昨日から何度も確認している。


 それでも今は、何度確認しても嬉しかった。


     ◇


 三時間目の休み時間。


 廊下へ出たところで、少し離れた場所から声を掛けられた。


「久保」


 竹下くんだった。


 一人で立っている。


「何?」


「これ」


 差し出されたのはプリントだった。


「先生が配ってた。来週提出のやつ」


「あ、ありがとう」


「この前休んでた分」


「うん」


 普通の会話だった。


 昨日、竹下くんとは必要以上に避けないこと、それでも前とまったく同じ関係へ戻そうともしないことを少しだけ話した。


 そのおかげなのか、今日は前より自然に話せる。


「文化祭」


 竹下くんが廊下の掲示へ目を向ける。


「そっち何やる?」


「まだ決まってない」


「こっちも」


「何候補?」


「展示と模擬店」


「へえ」


 そこで少しだけ沈黙が落ちる。


 でも、以前のような、何を話せばいいのか分からない気まずさではなかった。


「じゃあ」


 竹下くんが軽く手を上げる。


「また」


「うん」


 離れていく背中を見ながら、少しだけ胸の力が抜けた。


 前に好きだった人。


 その事実まで消す必要はない。


 でも今は、普通に話せる相手として少しずつ距離を作り直している。


「真理」


 後ろから愛ちゃんの声がした。


「何」


「大丈夫?」


「うん」


「普通だったね」


「うん」


「春くんに言う?」


「聞かれたら」


 そこまで答えてから、少し考える。


「でも、隠さない」


 愛ちゃんが頷いた。


「それがいいと思う」


「うん」


 私もそう思う。


 春斗へ何でも逐一報告する必要はない。


 でも、聞かれたときに隠したり、後ろめたそうにしたりする必要もない。


 そのくらいが、今の私たちにはちょうどいい。


     ◇


 昼休み。


 食堂へ向かおうとしたところで、春斗から短いメッセージが届いた。


『廊下』


『どこ』


『商業棟側』


 私は愛ちゃんを見る。


「先行ってて」


「春くん?」


「うん」


「はいはい。恋人合流ね」


「言い方」


 そう返しながらも、その表現にも少し慣れてきている。


 商業棟側の廊下を曲がると、春斗が一人で立っていた。


 石井さんは今日は一緒ではない。


「何?」


「真理」


「うん」


「文化祭」


「また?」


「クラス、ゲーム系になりそう」


「本当に?」


「まだ決定じゃないけど」


「何やるの?」


「射的か輪投げ」


「春斗やる?」


「係次第」


「見たい」


 自分でも驚くくらい、すぐに言えた。


 春斗が少し笑う。


「俺も真理のクラス見たい」


「メイドなら?」


「見たい」


「普通の喫茶なら?」


「見たい」


「何でも?」


「真理いるから」


 胸が鳴る。


「春斗」


「何」


「最近それずるい」


「何が」


「何言っても最後それになる」


「本当だから」


 春斗が少し笑う。


 私は恥ずかしくなって、少しだけ視線を逸らした。


「真理」


「何?」


「昼」


「食堂でしょ」


「うん。でも、一分だけ」


「何」


「二人でいたかった」


 周囲には普通に生徒が通っている。


 それでも廊下の端だから、少しだけ人の流れから外れていた。


「何するの?」


 聞くと、春斗が私を見る。


「話すだけ」


「本当?」


「うん」


「キスは?」


 口から出た。


 春斗が固まる。


 私も、言ったあとで固まった。


「違う」


「真理」


「何」


「今」


「言わないで」


「自分から言った」


「言わないで!」


 声は小さい。


 でも、顔が熱い。


 春斗が少し笑う。


「学校ではしない」


「分かってる」


「でも」


 春斗が少しだけ声を落とした。


「したい?」


 昨日も聞かれた。


 今日。


 学校の廊下。


 ここでは無理。


 でも、したいかどうか。


 その答えは。


「……少し」


 春斗の耳が赤くなる。


「真理」


「何」


「昼前から強い」


「春斗が聞いたんでしょ」


「うん」


「だから」


 私は少しだけ笑った。


「放課後」


 春斗が私を見る。


「場所が大丈夫なら、ちゃんと聞く」


「……うん」


 頷いた、その瞬間だった。


「お前ら何してんの」


 後ろから声がした。


 石井さんだった。


「何も」


 春斗。


「何も」


 私。


 声が綺麗に重なる。


 石井さんが目を細めた。


「怪しい」


「違う」


「二人きりで廊下の端にいて?」


「話してただけ」


「何の話」


 私と春斗が一瞬目を合わせる。


 春斗が少し笑った。


「文化祭」


「絶対嘘」


「本当」


「半分?」


 鋭い。


「行くぞ」


 春斗が歩き出す。


「当たりか」


 石井さんが笑う。


 私は顔が熱い。


 でも、前ならもっと恥ずかしかったはずの状況なのに、今は少しだけ楽しかった。


     ◇


 食堂へ着くと、愛ちゃんはすでに席を取っていた。


「遅い」


「ごめん」


「二人で何してた?」


「文化祭」


 私が即答する。


 その横から石井さんが口を挟んだ。


「半分な」


「石井さん!」


 愛ちゃんの目が一気に輝く。


「何?」


「何でもない!」


 春斗が隣で笑っている。


「真理」


「何」


「顔」


「言わないって決めたでしょ」


「学校では」


「今学校!」


 四人で笑う。


 近くの席の生徒が少しこちらを見る。


 でも昨日までみたいに「見られた」と強く恥ずかしくなることはなかった。


 恋人としてからかわれることが、少しずつ日常になってきている。


「で」


 愛ちゃんが箸を持ちながら聞く。


「文化祭、真理たち一緒に回るんでしょ?」


 私は春斗を見る。


「うん」


 答える。


 春斗も頷いた。


「うん」


「いつ?」


 石井さんが聞く。


「まだ」


「当番決まってないし」


「じゃあ」


 愛ちゃんが少し楽しそうに身を乗り出す。


「四人で回る時間も作る?」


 私は少し考えた。


 愛ちゃんたちと一緒に回るのも、絶対楽しい。


 でも。


 それだけでは。


「あり」


 春斗が先に答える。


「でも」


 私は続けた。


「二人の時間もほしい」


 言った瞬間、三人の動きが止まった。


 愛ちゃんは箸を持ったまま私を見る。


 石井さんも口へ運びかけていた箸を止めている。


 そして春斗まで、分かりやすく固まっていた。


「……何」


 私は三人を順番に見る。


「何でみんな止まるの」


 愛ちゃんの口元がにやりと上がる。


「真理から言った」


「何を」


「二人の時間ほしいって」


 顔が熱くなる。


 でも、今さら引き下がれない。


「だって恋人だし!」


 さらに言った。


 石井さんが吹き出す。


 春斗の耳まで赤くなった。


「真理」


「何」


「今の、かなり――」


「言わないで!」


 三人が笑う。


 顔は熱い。


 でも。


 後悔はしていない。


 本当に、文化祭では春斗と二人で回る時間もほしい。


 愛ちゃんたちと一緒に回るのも楽しそうだし、クラスの当番だってちゃんとやりたい。


 それでも。


 春斗は彼氏だから。


 二人だけで文化祭を歩く時間も、やっぱり欲しい。


「じゃあ」


 愛ちゃんが笑いながら言う。


「四人で回る時間と、恋人時間」


「名前つけないで」


「分かりやすいじゃん」


「嫌」


「でも必要でしょ」


 石井さんまで頷く。


「俺らが邪魔しない方がいい時間もあるだろ」


「石井さんまで」


「普通だろ」


 春斗が少し笑った。


「真理」


「何」


「俺も二人の時間ほしい」


 胸が鳴る。


「……うん」


 小さく答える。


 愛ちゃんが呆れたように、でも楽しそうに笑った。


「文化祭始まる前から予定決まっていくね」


「まだクラス企画も決まってないのに」


 私も笑う。


「でも、楽しみ」


 春斗を見ると、すぐに返ってきた。


「俺も」


 その一言で、文化祭がまた少しだけ近くなった気がした。


     ◇


 六時間目。


 文化祭企画の話し合いが本格的に始まった。


 担任が黒板の前へ立ち、昨日までに出た候補を一つずつ整理していく。


「今日は三つまで絞るぞ」


 教室のあちこちから意見が飛び始めた。


 喫茶は準備が比較的分かりやすい。


 お化け屋敷は人気が出そう。


 縁日は準備が大変だけれど盛り上がる。


 展示は少し地味。


 写真スポットは今っぽい。


 そして、メイド・執事喫茶は意見が真っ二つに割れていた。


「普通の喫茶でいいじゃん」


 女子の一人が言う。


「衣装だけ少し揃えるとか」


 別の女子が続ける。


「全員メイドは無理!」


「男子もやればいい!」


「じゃあ男女エプロンでよくない?」


「それなら現実的じゃない?」


 話し合いは少しずつ現実的な案へ変わっていく。


 私はそれを聞きながら、愛ちゃんを見る。


「真理」


「何」


「エプロンなら?」


「それなら……まだ」


「春くん来るよ」


「来ると思う」


「可愛いって言う」


「言わないで」


「絶対言う」


 想像してしまう。


 春斗が教室へ来る。


 私はエプロン姿で接客している。


 たぶん春斗は最初に私を見つける。


 そして。


『可愛い』


 言う。


 無理。


 今からでも恥ずかしい。


 でも。


 少しだけ嬉しい。


「久保」


 山口くんに呼ばれる。


「何?」


「彼氏、喫茶なら来るんだろ? 宣伝しといて」


「何で私」


「客は大事」


「同じ学校なんだけど」


「特進側なら普段こっち来ないだろ」


「関係ないって」


 周囲から笑いが起きる。


 別の女子が聞いてきた。


「久保の彼氏来たら友達も来るんじゃない?」


「石井さん?」


「誰?」


「あ」


 知らないのが普通だ。


 みんな、春斗を私の彼氏としては知っている。


 でも、春斗の友人関係まで知っているわけではない。


「たぶん友達も来ると思う」


 答える。


「じゃあ一票喫茶」


「勝手に票へ入れないで」


 また笑いが起きた。


 少し前だったら、教室のみんなの前で「彼氏」という話題を出されるだけで無理だったかもしれない。


 今も恥ずかしい。


 でも、こうして普通に笑える。


 それは、私にとって思っている以上に大きな変化だった。


 最終的に候補は三つへ絞られた。


 喫茶。


 お化け屋敷。


 縁日。


 次のホームルームで正式投票をすることになった。


 私は黒板へ残った三つの候補を見つめる。


 文化祭が少しずつ、本当に始まっている。


     ◇


 放課後。


 今日は春斗がすぐ昇降口へ来た。


「お疲れ」


「お疲れ」


「決まった?」


「三つまで」


「何?」


「喫茶、お化け屋敷、縁日」


「メイドは?」


「喫茶の衣装案だけ残ってる」


 春斗が少し笑う。


「見たい」


「まだ言う」


「真理は?」


「何が」


「俺のクラス」


「何残った?」


「ゲーム、喫茶、展示」


「執事は?」


「ない」


「残念」


 春斗が私を見る。


「本当に見たい?」


「少し」


「真理」


「何」


「今度何か着る?」


「何を」


「執事」


「春斗が?」


「うん」


 少しだけ想像する。


 普段の制服ではなく、黒っぽい服。


 きちんとしたシャツ。


 いつもより少しだけ大人っぽい春斗。


「……見たい」


 言った。


 春斗の耳が赤くなる。


「じゃあ」


「何」


「文化祭じゃなくても?」


「それはもっと恥ずかしいから嫌」


「俺が?」


「私が見るのが」


 春斗が笑った。


「分かった」


 二人で学校を出る。


 まだ周りには生徒が多いから、手は繋がない。


 でも住宅街へ入り、制服姿の生徒が少しずつ減っていくと、私は春斗の右手を見た。


 昨日。


 自分から出した。


 今日も、できる。


「春斗」


「何?」


 私は右手を差し出す。


「手」


 春斗が少し驚いた。


 でも、すぐに笑う。


「うん」


 手が重なる。


 指が絡む。


 昨日よりも、ずっと自然だった。


「真理から二日連続」


「数えないで」


「嬉しい」


「分かってる」


「かなり」


「それも分かってる」


 夕方の風が少し涼しい。


 制服の袖が揺れる。


 繋いだ手は温かい。


「春斗」


「何?」


「今日ね、クラスでも普通に彼氏って言われた」


「朝も?」


「それも。教室でも」


「嫌だった?」


「違う」


 少し考える。


「恥ずかしいけど、前より平気」


「うん」


「それで、文化祭も春斗が来る前提で話進んでた」


 春斗が少し笑う。


「行く」


「まだ何やるか決まってないよ」


「何でも行く」


「お化け屋敷でも?」


「行く」


「怖いの平気?」


「真理いるなら」


「またそれ」


「本当だから」


 私は笑う。


「じゃあ、怖くても逃げないで」


「真理が怖がったら?」


「春斗に近づく」


 言ってから、自分で止まる。


 春斗も足を止めた。


「真理」


「何」


「それ、かなり――」


「もう言わなくていい!」


 春斗が笑う。


 私の顔は熱い。


 でも、手は離さなかった。


     ◇


 母との待ち合わせまでは、まだ十五分ほどある。


 今日は少しだけ遠回りして帰ることにした。


「春斗」


「何?」


「昼」


「うん」


「二人の時間ほしいって言ったの」


「うん」


「忘れて」


「無理」


「恥ずかしかった」


「俺は嬉しかった」


「分かってる」


 春斗が少しだけ真面目な声になる。


「真理」


「何」


「文化祭、ちゃんと二人で回ろう」


 私は春斗を見る。


「うん」


「友達とも回る」


「うん」


「クラスの当番もやる」


「うん」


「でも、二人の時間も作る」


 繋いでいる手へ少しだけ力が入った。


 胸が温かくなる。


「うん」


「写真撮る?」


「撮りたい」


「二人?」


「……うん」


「真理から言った」


「普通でしょ」


「今まで二人だけの写真、あんまり撮らなかったから」


 言われて気づく。


 家族ぐるみで出掛けたときの写真。


 学校行事。


 友達と一緒。


 そういうものはある。


 でも、私と春斗だけ。


 二人きりで撮った写真は意外と少ない。


「じゃあ」


 私は少し笑う。


「文化祭で、二人の写真撮ろう」


 春斗も笑った。


「約束」


「うん」


 また一つ、文化祭の約束が増える。


 一緒に回る。


 衣装があれば見せる。


 二人で写真を撮る。


 まだ本番は先なのに、どんどん楽しみが増えていく。


     ◇


 住宅街と小さな公園の間にある、人通りの少ない道へ入った。


 前にも通ったことがある場所だ。


 母が迎えに来るまでは、まだ少し時間がある。


 春斗の歩く速度が少しだけ落ちた。


 私はすぐに気づいた。


「何?」


「何が」


「遅い」


「真理」


「うん」


「昼」


 その一言で分かる。


 昼休み。


 キスしたいかと聞かれて。


 私は「少し」と答えた。


 春斗は覚えている。


「……うん」


 二人の歩みが止まる。


 周囲に人はいない。


 ただ、少し離れた公園からは子どもの声が聞こえるし、今いる道も見通しがいい。


「春斗」


「何」


「ここは……」


「駄目?」


 私は少し考えた。


 誰かが来たらすぐ見える。


 それでは落ち着かない。


「もう少し」


「うん」


 春斗はすぐに受け入れた。


 そこから少し進み、公園の裏手にある遊歩道へ入る。


 木は少し多いけれど、暗い場所ではない。


 時折人が通る場所ではあるものの、今は誰もいなかった。


「ここ?」


 春斗が聞く。


 私は周囲を確認する。


「少しなら」


 答えた。


 春斗の表情が柔らかくなる。


「真理」


「何?」


「抱き締める?」


 先に聞かれた。


 その確認に安心する。


 でも今日は、私の方から一歩進みたかった。


「キスは?」


 聞いた。


 春斗が完全に止まる。


「真理」


「何」


「今日強い」


「それ禁止」


「でも」


「昼に話したから」


「うん」


「だから……聞いて」


 顔が熱い。


 でも、逃げない。


 春斗は一度小さく息を吸って、私を見る。


「キスしていい?」


 胸が鳴る。


 でも昨日より答えは早かった。


「うん。していいよ」


 春斗がゆっくり近づく。


 私は今回は、自分から先に目を閉じた。


 距離が縮まる気配と、少しだけ近くなった呼吸。


 そして。


 唇が触れた。


 短い。


 それでも昨日より少し自然だった。


 春斗の唇が離れ、私は目を開ける。


 まだ顔は近い。


 でも今日は、その近さに耐えられる。


 むしろ、少し笑えた。


「真理」


「何?」


「大丈夫?」


「うん」


 この確認も、少しずつ二人の中で自然になってきた。


 でも、慣れたから必要ないとは思わない。


「春斗は?」


「何が?」


「大丈夫?」


 春斗が少し笑う。


「かなり」


「それ、大丈夫の答え?」


「かなり嬉しい」


「やっぱり」


 私も笑った。


 それから少し迷う。


 でも。


 今。


 言いたい。


「もう一回」


 春斗が固まった。


 私も、言ったあとで顔が熱くなる。


「真理」


「何」


「今」


「言った」


「うん」


「聞いた」


「じゃあ」


 恥ずかしい。


 でも、もう逃げない。


「……もう一回していい」


 春斗はすぐには近づかなかった。


「本当に?」


「うん」


「真理から言った」


「何回言うの」


「嬉しい」


「分かってる」


 春斗が少しだけ笑う。


 そして、もう一度ゆっくり顔が近づいた。


 私は目を閉じる。


 今日二回目。


 通算では三回目。


 何でまた数えているのだろう。


 でも今回は、ほんの少しだけ長かった。


 最初のキスのときみたいに、触れた瞬間に何も考えられなくなるわけではない。


 春斗が近くにいることも。


 自分の心臓が速くなっていることも。


 それでも離れたいとは思っていないことも。


 ちゃんと分かる。


 怖くない。


 自分が望んでいると分かっているから。


 春斗が離れたあと、私はゆっくり目を開けた。


 春斗の顔が赤い。


 私もたぶん同じだ。


 数秒、二人とも何も言わなかった。


「春斗」


「何」


「顔赤い」


「真理も」


「言わない約束」


「学校で」


「ここ学校じゃない」


「あ」


 二人で笑う。


 その笑いが少し恥ずかしくて、でもすごく嬉しかった。


 今日。


 私は初めて自分から「もう一回」と言った。


 そのことが。


 キスそのものと同じくらい。


 私には大きかった。


     ◇


 また歩き出す。


 手を繋ぐと、さっきまでより少しだけ温かく感じた。


「春斗」


「何?」


「今日、周りが恋人扱いしてくるの」


「うん」


「最初は恥ずかしかった」


「うん」


「でも」


 少しだけ言葉を探す。


「二人だけで恋人って思ってるより、周りから普通にそう見られるの……ちょっと嬉しい」


 春斗が私を見る。


「俺も」


「本当?」


「うん」


 春斗は少しだけ笑った。


「前は、真理の隣にいても幼馴染だった」


「うん」


「今は彼氏」


 繋いだ手へ少しだけ力が入る。


 胸が鳴った。


「うん」


「それ、かなり好き」


 私は笑う。


「私も」


「何が?」


 聞いてくる。


 ずるい。


 分かっているくせに。


 でも今日は、言う。


「彼氏って見られる春斗」


 春斗の足が止まった。


 私は少しだけ先へ進みかけたものの、手を繋いでいるから軽く引かれて止まる。


「真理」


「何」


「今の」


「忘れて」


「無理」


 いつもなら、そこで終わる。


 でも今日は。


「じゃあ覚えてて」


 言った。


 自分でも少し驚く。


 春斗はもっと驚いた顔をした。


 でも、すぐに笑う。


「覚える」


「うん」


 もう、恥ずかしい言葉を全部「忘れて」で消さなくてもいいのかもしれない。


 私が言ったことを春斗が喜んでくれるなら。


 少しくらい。


 残ってもいい。


     ◇


 母との待ち合わせ場所が見えてきた。


 まだ車は来ていない。


「あと三分くらい」


「うん」


 春斗は手を繋いだまま歩く。


「真理」


「何?」


「文化祭」


「うん」


「一緒に回る」


「うん」


「写真」


「うん」


「二人の時間」


「うん」


「キス」


「それは文化祭の予定に入れないで!」


 春斗が笑う。


「入れてない」


「今並べた」


「今日の話」


「紛らわしい」


「でも」


 春斗が少しだけ私を見る。


「文化祭でも、二人になれたら」


 胸が鳴る。


「うん」


「したい?」


 私は少しだけ考える。


 まだ先の話。


 文化祭は人も多いし、学校の中だ。


 簡単ではない。


 でも。


「場所が大丈夫なら」


 答える。


 春斗の目元が柔らかくなる。


「うん」


「でも」


「何」


「文化祭は、それだけじゃないからね」


「知ってる」


「一緒に回って、写真撮って、何か食べて。クラスのこともやって、友達とも遊ぶ」


「うん」


 私は少し笑う。


「全部楽しみたい」


 春斗も頷いた。


「全部楽しもう」


「うん」


 そのとき、遠くに母の車が見えた。


 私は繋いでいた手を離す。


 少し寂しい。


 でも前ほどではない。


 また繋げることを知っているから。


「春斗」


「何?」


「今日」


「うん」


「三回目」


 言う。


 春斗が少し固まった。


「数えた?」


「数えた」


「真理」


「何」


「かなり――」


「それ禁止」


 二人で笑った。


     ◇


 母の車へ乗り込む。


「お疲れ」


「お疲れ」


「ありがとうございます」


 いつもの後部座席。


 春斗が隣。


 母がバックミラー越しに一度こちらを見る。


「今日は二人とも普通だね」


 私と春斗の目が合った。


 一瞬。


 さっきのキスを思い出す。


 しかも今日は二回。


 でも、ここで変な顔をしたら絶対に何か言われる。


「普通」


 私が答える。


「普通です」


 春斗も続いた。


「そう?」


「そう」


「へえ」


 絶対に疑っている。


 でも、追及はしてこない。


 車が静かに走り始めた。


 私は窓の外へ視線を向ける。


 文化祭の企画はまだ決まっていない。


 係だって分からない。


 それなのに、もう友達もクラスメイトも、私たちが恋人として文化祭を過ごす前提で話し始めている。


『彼氏来る?』


『一緒に回る?』


『二人の時間も必要でしょ』


 少し前なら。


 全部無理だった。


 恥ずかしくて。


 否定して。


 逃げていたと思う。


 今も恥ずかしい。


 でも、嫌ではない。


 むしろ少し嬉しい。


 私と春斗が恋人になったことが、二人だけが知っている特別な出来事から、少しずつ周りも知っている日常へ変わっている。


 それでも。


 二人しか知らないことは、ちゃんと残っている。


 今日、放課後に私から「もう一回」と言ったこと。


 二回キスしたこと。


 春斗がちゃんと聞いて。


 私が自分で決めたこと。


 それは母は知らない。


 愛ちゃんも。


 石井さんも知らない。


 私と春斗だけが知っている。


 周りに恋人として見られることも。


 二人だけの時間を大切にすることも。


 どちらか一つを選ばなくていい。


 学校では友達やクラスメイトの中にいる私たち。


 二人になれば、少しだけ距離が近くなる私たち。


 その両方を、これから少しずつ作っていけばいい。


 私は隣へ目を向けた。


 ちょうど春斗もこちらを見た。


 目が合う。


 春斗の口元が少しだけ緩み、私もつられて笑う。


「また」


 母の声が前からした。


「何?」


「目合わせてる」


「普通」


「最近、その普通を便利に使ってない?」


 私は一瞬黙る。


 春斗が隣で笑った。


「春斗」


「何」


「笑わないで」


「でも」


「何」


 春斗が小さな声で言った。


「俺らの普通」


 胸の奥が温かくなる。


「……うん」


 私はもう一度だけ春斗を見る。


 幼馴染だった頃の普通とは違う。


 でも。


 今の私たちには、こっちの方が少しずつ自然になってきている。


 彼氏と学校で付き合うことに慣れるだけでも大変だと思っていたのに、今度はクラスメイトまで、文化祭を私たちが恋人として過ごす前提で予定を考え始めた。


 少し恥ずかしい。


 でも。


 文化祭では春斗と一緒に回りたい。


 二人で写真も撮りたい。


 愛ちゃんたちとも楽しみたい。


 クラスの企画もちゃんとやりたい。


 そして、その中に。


 春斗と二人だけの時間も欲しい。


 まだ企画すら決まっていないのに。


 その全部が。


 今はもう。


 かなり楽しみだった。

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