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『好きな人がいるので、幼馴染に恋愛相談していたら、なんだか様子がおかしくなりました』   作者: 伊佐波瑞樹


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第50話 彼氏と学校で付き合うことに少し慣れたと思ったら、今度は周りの方が私たちを恋人として扱い始めました


 火曜日の朝。


 昨日より少しだけ早く支度を終えた私は、玄関脇の鏡の前で制服の襟を整えながら、自分の顔をじっと見つめていた。


 特に変なところはない。頬も赤くないし、目元だっていつも通りだ。少なくとも昨日みたいに、春斗の顔を見ただけで土曜日の初キスを思い出して固まることは、今日は少し減るはずだった。


「……たぶん」


 自分でそう付け足した途端、急に自信がなくなった。


 昨日は、恋人になってから初めて学校へ戻った日だった。朝から母にからかわれ、車の後部座席では春斗と小指だけを絡めた。学校へ着いてからは手を繋がず、廊下ですれ違うだけでお互い少し赤くなって、昼休みには愛ちゃんの失言で石井さんに初キスまで知られてしまった。


 竹下くんとも話した。


 気まずくしたくないこと。私と春斗の関係を邪魔するつもりはないこと。そして私も、告白を断ったからといって竹下くんを必要以上に避けるつもりはないこと。


 全部が綺麗に整理できたわけではない。それでも一日を終えてみれば、誰かとの関係が急に壊れたわけではなかった。


 放課後には春斗と手を繋いだし、少しだけ抱き締めてもらった。キスはしなかったけれど、次はまた聞いてほしいと自分から言えた。


 そこまで思い返したところで、鏡の中の頬がさっきより少し赤く見えてくる。


「……やっぱり、まだ普通じゃないかも」


 私は慌てて鏡から視線を外した。


 慣れた。


 たぶん昨日よりは。


 でも、全部に慣れたわけではない。


 そのとき、手にしていたスマートフォンが短く震えた。


 画面には春斗の名前。


『出る』


 たった二文字だった。


 付き合う前なら、本当にただの連絡だったと思う。今だって内容そのものは変わらない。


 なのに。


 彼氏が迎えに来る。


 そう思っただけで、胸の奥が少しだけ浮ついた。


『私も準備できた』


 返すと、すぐに既読がついた。


『今日』


『何』


『普通にできそう?』


 昨日も似たようなことを聞かれた。


 私は少しだけ考えてから指を動かす。


『昨日よりは』


『俺も』


 そこで終わると思ったのに、春斗からもう一通届いた。


『真理見ないと分からないけど』


 何が、とは聞かなくても分かる。


 昨日も私たちは、学校で目が合うたびに土曜日のキスを思い出していた。


 本当は『キス思い出さない?』と打ちかけた。でも送信する直前で指を止める。昨日は学校でその話をしないでと言ったのに、自分から聞こうとしている。


 少し迷った末、別の言い方にした。


『昨日よりは赤くならないと思う』


『俺もたぶん』


『たぶんなんだ』


『真理見ないと分からない』


 胸が少し鳴る。


『じゃあ見ないで』


『嫌』


『即答』


『彼女見る』


「……朝から強い」


 思わず玄関で呟き、空いている手で顔を覆った。


「真理?」


 台所の方から母の声がした。


「何?」


「春斗くん来る前から赤いけど大丈夫?」


「何で見てるの!」


「通っただけよ」


「見ないで」


「同じ家に住んでるのに、それは無理でしょう」


 母は笑いながら廊下を歩いてきた。エプロンを外しながらこちらを見る顔には、朝から明らかに楽しんでいる色がある。


「でも今日は昨日より普通そうね」


「本当に?」


「昨日は玄関のチャイムが鳴っただけで固まってたから」


「忘れて」


「無理」


「春斗みたい」


「あら、似てきた?」


「そこ似なくていい」


 そんなことを言っているうちに、外から聞き慣れた足音が近づいてきた。


 数秒後、チャイムが鳴る。


 昨日ほどではない。


 でも、やっぱり胸が少し速くなる。


「ほら、彼氏来たよ」


「お母さん」


「何?」


「朝からそれ言わないで」


「昨日より慣れたんじゃないの?」


「少しだけ!」


 母の笑い声を背中で聞きながら、私は靴を履いて玄関の扉を開けた。


「おはよう」


 そこには制服姿の春斗がいた。


 昨日と同じ。何年も見てきた制服で、何年も見てきた顔だ。


 今日は大丈夫。


 そう思って、ちゃんと春斗を見る。


 目が合った。


 二人とも、ほんの数秒黙った。


 春斗の耳が少しだけ赤い。


 たぶん、私も同じだ。


「おはよう」


 春斗がもう一度言う。


「……おはよう」


 昨日よりは早く返せた。


 春斗がほんの少し笑う。


「真理」


「何?」


「昨日より大丈夫」


「春斗も」


「うん」


 そこで二人とも少し笑った。


 その直後。


「昨日より、ねえ」


 背後から母の声がした。


「お母さん!」


「何も言ってないよ」


「言ってる!」


 隣で春斗の肩が小さく震える。


「春斗も笑わないで」


「ごめん」


「全然ごめんの顔じゃない」


 でも、昨日とは違った。


 恥ずかしいし、顔も少し熱い。それでも春斗の顔を見ないで逃げたくなるほどではない。


「行こ」


「うん」


 私たちは並んで車へ向かった。


     ◇


 後部座席へ座ってから、私も春斗も自然に手を膝の上へ置いていた。


 母がいる。


 だから手は繋がない。


 昨日は、その代わりに小指だけを絡めた。


 今日も少しだけ期待している自分がいるのに、春斗の左手は膝の上から動かなかった。私も自分からは動けない。


 車が静かに走り出す。


 住宅街を抜け、朝の通勤車両が増え始めた道へ入る。窓の外には、制服姿の中学生や通勤途中らしい人たちが流れていった。


 母は何も言わない。


 それが逆に気になった。


「お母さん」


「何?」


「今日静か」


「昨日、変なこと言うなって怒られたから」


「じゃあそのままで」


「でもね」


「何」


「後ろ、昨日より距離あるね」


「お母さん!」


 春斗が吹き出した。


「今のはお母さん悪くないでしょ。事実を言っただけ」


「見ないでよ!」


「運転してるから前見てる」


「バックミラーある!」


「必要だから付いてるの」


 本当に母は強い。


「春斗」


「何」


「何か言って」


「俺?」


「助けて」


「無理」


「早い!」


 春斗が楽しそうに笑う。


 そのあと、少しだけ声を落とした。


「でも、真理」


「何?」


 見ると、春斗の左手がほんの少しだけ私側へ寄っていた。


 昨日と同じ。


 小指。


 それに気づいた瞬間、思わず笑ってしまう。


 自分の右手も、少しだけ寄せる。


 触れる。


 それから、小指同士が絡んだ。


 手を繋いでいるとは言えないくらい小さな接触なのに、それだけで胸の奥がゆっくり温かくなる。


 昨日は、お互いかなり迷ってからやった。


 今日は自然にできた。


「真理?」


 母が前から声を掛けてくる。


「何?」


「急に機嫌直った?」


「直ってない」


「そう?」


「うん」


 小指は絡んだままだった。


 春斗は前を向いている。でも口元が少しだけ笑っていた。


 私も、きっと同じだった。


     ◇


 学校へ着く頃には、小指を離すことも昨日より自然にできた。


 もちろん少し寂しい。


 でも、放課後になればまた手を繋げる。


 それをもう知っている。


「行ってきます」


「行ってきます」


 二人で車を降りる。


 今日は母も余計なことを言わなかった。


 私は少し安心して扉を閉める。


 直後。


 運転席の窓が下がった。


「真理」


「何?」


「今日は春斗くんの顔、ちゃんと見られてるね」


「お母さん!」


「成長、成長」


「早く行って!」


 母の車が走り去っていく。


 春斗は隣で完全に笑っていた。


「笑わないで」


「昨日より慣れた」


「何が」


「真理の母さん」


「そこは慣れなくていい」


 二人で校門へ向かう。


 周囲には登校する生徒が多く、自転車を押して歩く子や友達同士で話す子、校門前で先生へ挨拶する生徒たちが行き交っている。


 私と春斗も、その中の二人だった。


 手は繋がない。


 でも昨日より、並んで歩く距離は自然だった。


「春斗」


「何?」


「今日」


「うん」


「学校では普通」


「うん」


「赤くなっても」


「うん」


「お互い言わない」


「何で」


「恥ずかしいから」


「でも面白い」


「春斗」


「分かった」


 春斗が笑う。


「でも」


「何?」


「昼」


「食堂?」


「うん」


「愛ちゃんと石井さんも来ると思う」


「たぶん」


「昨日のこと、言われそう」


 春斗の耳が少しだけ赤くなった。


 私はそれを見て、少し笑う。


「嫌?」


「少し」


「私も」


 昨日、初キスを知られたときは本当に恥ずかしかった。


 でも石井さんも愛ちゃんも、ただ面白がっただけではない。春斗がちゃんと私へ確認したのか、私が本当に嫌ではなかったのか。そこを気にしてくれた。


 だから、二人に知られたこと自体をずっと嫌だと思っているわけではない。


 ただ、それ以上広がるのは嫌だった。


「春斗」


「何?」


「石井さん、他の人には言わないよね?」


「言わない」


「本当?」


「昨日も言ってた」


「うん」


「愛も言わないだろ」


「うん」


 春斗が少しだけこちらを見る。


「二人のことだから。俺らが言いたい人にだけ言えばいい」


 胸が少し温かくなる。


「うん」


 それがいい。


 付き合っていることを隠す必要はない。


 でも、手を繋いだとか、抱き締めたとか、キスしたとか。そういうところまでみんなへ話す必要はない。


 私たちだけのものがあってもいい。


     ◇


 昇降口で上履きへ履き替え、今日も途中で春斗とは別れる。


「じゃあ昼」


「うん」


「真理」


「何?」


 春斗が周囲を少しだけ確認した。


 昨日、この場所で春斗は小さな声で「好き」と言った。


 それを思い出して。


「今日も?」


 聞いてから、自分が何を言ったのかに気づいた。


 春斗が少し驚いた顔をする。


「何が?」


「……好き」


 言ってしまった。


 一気に顔が熱くなる。


「違う!」


「何が」


「昨日みたいに言うのかなって聞いただけ!」


 春斗が笑った。


「言ってほしい?」


「そういう聞き方しないで」


「じゃあ」


 春斗は少し声を落とした。


「好き」


 やっぱり胸が鳴る。


 昨日より少し慣れた。


 それでも、嬉しい。


「……私も」


 今度は昨日より少し早く返した。


「好き」


 春斗の耳が分かりやすく赤くなる。


「真理」


「何」


「昨日より強い」


「春斗が言ったからでしょ」


「でも嬉しい」


「分かってる」


 二人で少し笑う。


「じゃあ昼」


「うん」


 今度こそ離れる。


 私は数歩歩いた。


 今日は振り返らない。


 昨日はお互い同時に振り返って、目が合って、二人揃って赤くなった。


 だから今日は前を見る。


 そう決めた。


「真理」


 後ろから春斗の声がした。


 反射的に振り返る。


 春斗はまだ同じ場所に立って、こちらを見ていた。


「何?」


「呼んだだけ」


「春斗!」


 春斗が笑う。


 私の顔がまた熱くなる。


 結局、今日もあまり変わっていない。


     ◇


 教室へ入ると、愛ちゃんはもう来ていた。


「おはよう」


「おはよう」


 今日はすぐ呼ばれない。


 少し安心しながら鞄を机へ置き、教科書を出す。


 数秒後。


「真理」


 やっぱり来た。


「何?」


 愛ちゃんが椅子ごと少しこちらへ向く。


「昨日の帰り、春くんと一緒だった?」


「うん」


「何した?」


「何も」


「本当?」


「手繋いだ」


「うん」


「抱き締めた」


「うん」


「キスは?」


「してない!」


 即答すると、愛ちゃんが少し笑った。


「聞いただけ」


「顔が面白がってる」


「ちょっとだけ」


「愛ちゃん」


「ごめん」


 そこで愛ちゃんの顔が少し真面目になった。


 昨日の失言をまだ気にしているのだと分かった。


「真理」


「何?」


「昨日のこと、まだ怒ってる?」


「石井さんに言っちゃったこと?」


「うん」


 私は少し考える。


「少しは怒った」


「ごめん」


「でも」


 愛ちゃんを見る。


「石井さんで止まったから、もういい」


「本当に?」


「うん」


「もう絶対言わない」


「お願いします」


「本当にごめん」


「うん」


 少しだけ真面目な空気が流れる。


 でも、その空気は長く続かなかった。


 愛ちゃんの目が、すぐに少し細くなる。


「で」


「何」


「昨日抱き締めたんだ」


「そこ戻る!?」


「それは真理が自分で言った」


「言わなきゃよかった」


「遅い」


 私はため息をつく。


 でも、結局笑ってしまった。


「真理」


「何?」


 愛ちゃんが今度は少し穏やかな声で言った。


「何かさ。付き合ってから、前より顔柔らかくなった気がする」


「何それ」


「本当」


「どこが」


「竹下くんのこと好きだったときも、楽しそうな顔はしてたけど」


 胸の奥が少しだけ動いた。


「うん」


「ずっと考えてたじゃん。相手どう思ってるかなとか、どう話そうとか、春くんに相談しようとか」


 そうだった。


 竹下くんを好きだった頃、私は毎日のように考えていた。どうすれば近づけるか、私のことをどう思っているのか。そして、そのことを春斗へ相談するところまで含めて。


 あれも恋だった。


 本当に。


 でも。


「今も色々考えてるけど」


 愛ちゃんが続ける。


「前より楽しそう」


 胸の奥が少し温かくなる。


「そう?」


「うん」


 私は少し迷った。


 でも。


「……楽しい」


 素直に答えた。


「春斗と付き合うの」


 愛ちゃんの表情が柔らかくなる。


「そっか」


「うん」


「ならよかった」


 それだけだった。


 からかいもない。


 ただ親友として笑ってくれた。


 そのことが、少し嬉しかった。


     ◇


 一時間目が始まる前。


 担任が教室へ入り、いつも通り出席を取った。


 何人かの生徒が遅れて教室へ駆け込み、先生に注意され、教室のあちこちから小さな笑いが起きる。


 連絡事項が終わったあと、先生が黒板の端を軽く叩いた。


「それと今週から、文化祭準備の確認を始める」


 教室が少しざわついた。


 文化祭。


 本番まではまだ少しあるけれど、そろそろクラス企画や係を決め始める時期だった。


「今日のホームルームでクラス案を出す。部活や委員会があるやつは、予定も確認しておけよ」


 先生がそう言うと、教室のあちこちで早くも話が始まる。


「文化祭」


 愛ちゃんが小声でこちらを見る。


「うん」


「今年、春くんと回る?」


「まだ何も決めてない!」


「でも付き合ってるじゃん」


「だからって」


「文化祭デート」


「学校!」


「校内デート」


「早い」


 そう言いながら、少しだけ想像してしまう。


 春斗と文化祭を回る。


 クラスの企画を見て、何か食べて、写真を撮る。


 今までだって幼馴染として一緒にいることはできたはずなのに、恋人になった今は少し違うものに見えた。


「真理」


 愛ちゃんが笑う。


「今想像した」


「してない」


「顔」


「みんなそれやめて」


 私は頬を押さえながら前を向いた。


     ◇


 二時間目の休み時間。


 愛ちゃんと廊下の自販機へ向かったところで、向こうから春斗と石井さんが歩いてきた。


 昨日とほとんど同じ場面だった。


 でも、今日は春斗と目が合っても、すぐ顔が熱くなることはなかった。


 もちろん胸は少し鳴る。


 でも、大丈夫。


 春斗も少しだけ笑った。


「おはよう」


「もう二時間目終わるよ」


「じゃあお疲れ」


「早い」


 石井さんが私と春斗を順番に見る。


「今日は普通だな」


「昨日も普通」


 春斗が言う。


「全然」


 石井さんは即答した。


「昨日は廊下で目合っただけで二人とも赤くなってただろ」


「石井さん」


「何?」


「忘れてください」


「無理」


「みんな春斗みたい」


「何が」


「忘れてって言っても忘れない」


「重要事項だから」


「石井」


 春斗の声が少し低くなる。


「それ以上は言うな」


「分かってるって」


 石井さんはすぐに引いた。


 昨日のことを無闇に広める気がないのは本当らしい。


 少し安心する。


 春斗が私を見る。


「真理」


「何?」


「昼」


「食堂」


「うん」


 そこで石井さんが自分を指した。


「俺らも?」


「来たいなら」


 春斗が答える。


「お前冷たくない?」


「二人で食べたい気持ちもある」


 春斗は普通の顔で言った。


 私は一瞬固まった。


「春斗」


「何」


「学校」


「でも本当」


 石井さんが少し口を開けたまま春斗を見る。


「お前さ」


「何」


「最近本当に変わったよな」


「知ってる」


「自覚あるのかよ」


「真理に言われる」


 私の頬が少し熱くなる。


 愛ちゃんが隣で笑った。


「春くん、強い」


「愛ちゃんまで」


「真理も強くなったけど」


「私?」


「昨日、自分から好きって言ったんでしょ?」


「何で知ってるの!」


「顔」


「もう!」


 三人が笑う。


 春斗も少しだけ私を見る。


 その目が嬉しそうで、私も少し笑った。


 学校で恋人として扱われる。


 前なら、それだけで逃げたくなったかもしれない。


 今も恥ずかしい。


 でも。


 嫌ではなかった。


     ◇


 昼休み。


 食堂には昨日と同じ四人が集まった。


 私、春斗、愛ちゃん、石井さん。


 今日は昨日ほど妙な緊張もなく、それぞれ普通に昼食を広げる。周囲では別のクラスの生徒たちが文化祭の話で盛り上がり、食堂全体がいつもより少しだけ騒がしかった。


 石井さんは食べ始めてすぐ、春斗を見た。


「なあ」


「何」


「聞いていい?」


「内容による」


「付き合ってから、毎日会ってんの?」


 春斗が箸を止める。


「土日」


「土曜デート」


「うん」


「日曜も?」


「会った」


「で、今日は学校」


「うん」


 石井さんが少し呆れた顔をした。


「お前ら会いすぎじゃない?」


「そう?」


 私が聞く。


「付き合いたてならそんなもんなのか?」


 石井さんが愛ちゃんを見る。


「私に聞かれても知らない」


「俺も知らん」


 二人揃って言ってから、私と春斗を見る。


「何」


 私。


「何」


 春斗。


 愛ちゃんが笑う。


「本人たちが一番分かってない」


「初めてだから」


 春斗が言った。


「付き合うの?」


 石井さんが聞き返す。


「うん」


 春斗は普通に答えた。


 私は少し驚いた。


 そうだ。


 春斗も初めて。


 私も初めて。


 彼氏になるのも、彼女になるのも、全部初めてだ。


「真理も?」


 愛ちゃんが聞く。


「うん」


「じゃあ好きにやればいいんじゃない」


「適当」


「他人の普通に合わせても仕方ないでしょ」


 愛ちゃんは少し肩を竦めた。


「二人が嫌じゃないなら毎日会ってもいいし、会わない日があってもいいし。手繋ぐのも、キ――」


「愛ちゃん」


「言わない」


 途中で止まった。


 石井さんが少し笑う。


 私はため息をつく。


 でも、空気は悪くなかった。


「まあ」


 石井さんが今度は少し真面目な声を出した。


「学校では今くらいでいいんじゃない?」


「何が?」


 私が聞く。


「距離。付き合ってるって分かるけど、ベタベタしてないし」


 春斗が少し頷いた。


「俺らもそうしようって話してた」


「真面目だな」


「悪い?」


「いや」


 石井さんが笑う。


「春斗がちゃんと恋愛してるの面白い」


「石井」


「悪口じゃねえって」


 愛ちゃんが今度は私を見る。


「真理もね」


「何」


「前は春くん、恋愛対象じゃないって言ってたのに」


「……」


 そこを出されると弱い。


「今は?」


 愛ちゃんが聞く。


 私は一度だけ春斗を見る。


 目が合った。


 春斗は何も言わずに待っている。


 周囲には食事をしている生徒がたくさんいる。大きな声で言う必要はない。


 でも。


 小さく。


「恋愛対象」


 答えた。


 春斗の動きが完全に止まる。


 石井さんが目を少し見開き、愛ちゃんは満足そうに笑った。


「真理」


 春斗の声が少し低くなる。


「何」


「今の、かなり――」


「言わないで!」


 顔が熱い。


 三人が笑う。


 でも、春斗が分かりやすく嬉しそうで。


 それを見ると、私まで嬉しくなった。


     ◇


 昼食の途中。


 食堂の入口へ目を向けると、竹下くんが友達二人と一緒に入ってきた。


 昨日はそれだけで身体が少し固くなった。


 今日は少しだけ胸が動く程度だった。


 竹下くんもこちらへ気づき、軽く手を上げる。


「久保」


「うん」


「春斗くん」


「うん」


 春斗も普通に返した。


 短い挨拶。


 それだけ。


 竹下くんはそのまま友達と席へ向かう。


 私は少しだけ春斗を見る。


「何」


 春斗が小声で言う。


「大丈夫?」


「何が」


「嫉妬」


 春斗がほんの少し笑う。


「するけど」


「うん」


「昨日より平気」


「何で?」


「真理が隠さないって言ったから」


 胸が温かくなる。


「うん」


「あと」


「何」


 春斗は声をさらに落とした。


「俺の彼女だから」


 一気に顔が熱くなる。


「春斗」


「何」


「それ今言う?」


「真理だけに」


 向かいから石井さんの声が飛んできた。


「聞こえてる」


「石井」


「近いから仕方ない」


 愛ちゃんが笑い始める。


 私は顔を手で隠した。


「もう……」


 でも。


 嫌ではない。


 むしろ、春斗が私を彼女だと当たり前に思ってくれていることが、まだ少しくすぐったくて嬉しかった。


     ◇


 午後のホームルームでは、さっそく文化祭のクラス企画について話し合うことになった。


「何か案あるやつ」


 担任が黒板の前で聞く。


 すぐに男子の一人が手を上げた。


「メイド喫茶!」


「却下!」


 女子側から一斉に声が飛び、教室が笑いに包まれる。


「じゃあ執事喫茶!」


「男子がやれ!」


「両方やればよくない?」


「衣装代どうすんの!」


 次々と意見が飛び交う。


 普通の喫茶店、お化け屋敷、縁日、展示、写真スポット。黒板には候補が増えていき、先生が時々呆れた顔で整理していた。


「真理」


 隣の愛ちゃんが小声で呼ぶ。


「何?」


「メイド」


「絶対嫌」


「春くん喜ぶと思う」


「もっと嫌」


「何で?」


「恥ずかしい!」


 春斗が見る。


 その想像だけで嫌になる。


 でも、たぶん春斗なら。


 可愛い。


 そう言う。


 絶対。


 そう思った瞬間、また顔が熱くなった。


「真理」


「何」


「今想像した」


「してない」


「顔」


「もう嫌」


 私は前を向く。


 文化祭。


 恋人になってから初めて迎える学校行事。


 今までなら春斗と一緒に回ることがあっても、ただの幼馴染だった。


 でも今年は、彼氏と彼女として迎える。


 まだ先の話なのに。


 少しだけ、楽しみだった。


     ◇


 放課後。


 終礼が終わってすぐ、スマートフォンが震えた。


『少し待って』


 春斗から。


『何かある?』


『先生』


『分かった』


 今日はすぐに昇降口へ来られないらしい。


 私は愛ちゃんと一緒に教室へ残ることにした。窓の外では運動部の声が聞こえ始め、廊下を通る生徒たちも少しずつ減っていく。


「春くん?」


「先生に呼ばれたみたい」


「待つ?」


「うん」


「彼女」


 愛ちゃんがにやりと笑う。


「普通でしょ」


「前なら先帰ってた?」


 聞かれて、少し考える。


「待ってたかも」


「幼馴染だから?」


「うん」


「今は?」


 答えはすぐに出た。


「彼氏だから」


 口にしてから、少し遅れて気づく。


 前は「彼氏」と言うだけで顔が熱くなっていた。


 今はまだ照れるけれど、少しだけ自然になっている。


 愛ちゃんもそこへ気づいたらしい。


「慣れたね」


「何が」


「彼氏って言うの」


「……少し」


「いいじゃん」


「うん」


 恋人という言葉が、少しずつ私の中へ馴染み始めている。


     ◇


 十五分ほどして、春斗が教室前へ来た。


「ごめん」


「大丈夫」


「待った?」


「少し」


「帰る?」


「うん」


 愛ちゃんが大きく手を振る。


「お幸せに」


「愛ちゃん!」


「普通の挨拶」


「違う!」


 春斗が笑う。


 私は少し睨んでから教室を出た。


「先生何だった?」


 廊下を歩きながら聞く。


「文化祭」


「春斗のクラスも?」


「うん」


「何やるの?」


「まだ決まってない」


「こっちも」


 放課後の校舎には、まだたくさんの生徒が残っていた。部活動へ向かう声、教室へ残って話し合う声、廊下を走って先生に注意される声が重なっている。


 だから手は繋がない。


 でも、並ぶ距離は近い。


「真理のクラス」


 春斗が聞く。


「何?」


「何候補?」


「喫茶とかお化け屋敷とか」


「メイド?」


「何でそこ分かるの!」


「定番」


「一回却下された」


「残念」


 私は立ち止まりそうになった。


「残念?」


「少し」


「見たかった?」


 春斗が少しだけ顔を赤くする。


「……うん」


 胸が鳴った。


「春斗」


「何」


「正直すぎる」


「待つだけやめたから」


 付き合う前から何度も聞いた言葉。


 今は、少し好きだ。


「じゃあ」


 私も少し意地悪したくなる。


「春斗のクラスが執事喫茶だったら?」


「やる」


「見に行く」


「本当?」


「うん」


「真理に見られるの?」


「嫌?」


「緊張する」


「私もメイド嫌なの同じでしょ」


「じゃあ」


 春斗が少し笑った。


「お互い文化祭で何か衣装だったら、見せる」


「……うん」


 まだ何も決まっていない。


 それでも新しい約束が一つ増えた。


     ◇


 学校から少し離れ、住宅街へ入る。


 制服姿の生徒が徐々に減っていく。


 昨日と同じあたりまで来たところで、春斗の右手が少し動いた。


 でも今日は、私の方が早かった。


「春斗」


「何?」


「手」


 自分から右手を出す。


 春斗が少し驚く。


 すぐに表情が柔らかくなった。


「うん」


 手が重なり、指が絡む。


 昨日よりずっと自然だった。


「真理から」


「何」


「出した」


「嫌?」


「逆」


「かなり?」


「かなり」


「やっぱり」


 二人で笑う。


「今日」


 春斗が歩きながら言う。


「うん」


「学校、昨日より楽だった」


「私も」


「赤くなったけど」


「少し」


「石井に言われた」


「愛ちゃんにも」


「でも」


 春斗が繋いだ手を見る。


「少し慣れてきた」


「うん」


 私もそう思う。


 学校に彼氏がいること。


 恋人として会うこと。


 少しだけ慣れてきた。


 でも。


 今日、別のことにも気づいた。


「春斗」


「何?」


「今日さ」


「うん」


「周り」


「何」


「私たちのこと、普通に恋人として扱ってた」


 春斗が少し考える。


「愛とか石井?」


「うん。それ以外も」


 廊下ですれ違う。


 昼休みに春斗が来る。


 放課後に待つ。


 もう誰も「幼馴染なのに何で?」とは思わない。


 付き合っている。


 その前提で見られている。


「真理」


「何?」


「嫌?」


 聞かれて、少し考える。


「恥ずかしい」


「うん」


「でも」


 繋いだ手を少し握る。


「嫌じゃない」


 春斗の目が柔らかくなる。


「俺も」


「前は春斗と一緒にいても、幼馴染だった」


「うん」


「今は」


 少し顔が熱くなる。


「彼氏と一緒にいるって見られる」


「うん」


「何か変」


「慣れる?」


「たぶん」


「いつ?」


「分からない」


 春斗が少し笑う。


「じゃあ、ゆっくり」


「うん」


 それがいい。


     ◇


 いつもの信号へ着いた。


 赤。


 二人で立ち止まる。


 夕方の風が、朝より少しだけ涼しくなっている。繋いだ手はそのままだ。


「真理」


「何?」


「今日」


「うん」


「キス」


 胸が跳ねる。


 でも昨日ほど逃げたくはならない。


「何?」


「学校で思い出した?」


「何回か」


「俺も」


「昨日よりは少ない」


「俺も」


 信号が青へ変わる。


 二人で歩き出し、横断歩道を渡りきる。


 そのあと、春斗が少し声を落とした。


「したい?」


 私は歩く速度を少しだけ緩めた。


 土曜日。


 初めてキスをした。


 日曜日はしなかった。


 月曜日は学校へ戻り、放課後に抱き締めてもらった。


 そして今日。


 学校で、少しずつ普通に恋人として過ごせた。


 今は二人だけで帰っている。


 キスしたい?


 自分へ聞く。


 前よりずっと早く答えが出た。


「……したい」


 言った。


 春斗の足が止まった。


 私も止まる。


 顔が熱い。


 でも、言い直さない。


「真理」


「何」


「今」


「言った」


「うん」


「聞いた」


「じゃあ」


 私は少し春斗を見る。


「でも、ここじゃない」


 住宅街。


 人は少ないけれど、普通の道路だ。家の前へ出てくる人がいるかもしれないし、自転車だって通る。


「うん」


 春斗はすぐ答えた。


 それが安心できる。


「じゃあ次、場所が大丈夫なときに聞く」


「うん」


「ちゃんと」


「分かった」


 また歩き出す。


 繋いだ手が少しだけ強く絡む。


 今。


 私は初めて。


 春斗に、キスしたいとはっきり言えた。


 土曜日は春斗が聞いて、私が「していい」と答えるだけで精一杯だった。


 今は少し違う。


 自分もしたい。


 それを言える。


 もしかすると、恋人であることに少しずつ慣れてきたからかもしれない。


     ◇


 母との待ち合わせ場所までは、あと十分ほどだった。


「春斗」


「何?」


「文化祭」


「うん」


「一緒に回りたい」


 春斗が一瞬だけ歩みを止める。


「本当?」


「うん」


「クラスあるけど」


「空いてる時間」


「うん」


「全部じゃなくていい」


「うん」


「少しでも」


 春斗が笑った。


「俺も」


「約束?」


「うん」


「絶対?」


「そこは言うんだ」


「文化祭はいい」


「何で」


「キスより恥ずかしくない」


「真理」


「何」


「比較おかしい」


「分かってる」


 二人で笑う。


 文化祭はまだ少し先だ。


 でも恋人になってから初めて一緒に迎える学校行事。


 また一つ。


 楽しみが増えた。


     ◇


 待ち合わせ場所が見えてきた。


 母の車はまだ来ていない。


 時刻を見ると、予定まではあと五分ほどある。


「まだ来てないね」


「うん」


 二人で道路脇の少し広くなったところへ寄った。


 住宅は少し離れていて、人通りもほとんどない。時折、車が通り過ぎるくらいだ。


 春斗が私を見る。


「真理」


「何?」


「さっき」


「うん」


「したいって言った」


 顔が熱くなる。


「言った」


「うん」


 春斗は一度周囲を確認した。


 それから、ほんの少しだけ声を落とす。


「今、聞いていい?」


 心臓が強く鳴った。


 土曜日と同じ。


 でも今は、あのときほど怖くない。


「うん」


 私は春斗を見る。


 次の言葉は分かっている。


 それでも、ちゃんと待つ。


「キスしていい?」


 胸が鳴る。


 土曜日、初めて聞かれたときは、答えるまでに長い時間がかかった。


 今日は少し緊張する。


 でも。


 答えはもう決まっている。


「うん」


 すぐに言えた。


 春斗の目が少しだけ見開かれる。


「早い」


「何が」


「答え」


 私は少し笑った。


「土曜日の最後に思ったから」


「何を?」


「次に聞かれたら、もう少し早く答えられるかもって」


 春斗の表情がゆっくり柔らかくなる。


「そっか」


「うん」


 私はほんの少しだけ近づいた。


「だから」


 恥ずかしい。


 でも。


 逃げない。


「していいよ」


 春斗もゆっくり距離を縮める。


 土曜日より自然だった。


 私は自分から目を閉じた。


 今度は、いつ目を閉じればいいのかも少しだけ分かる。


 春斗の気配が近づく。


 そして。


 唇が触れた。


 一瞬。


 でも、土曜日よりほんの少しだけ長い。


 今回は、柔らかな感触をちゃんと意識する余裕があった。


 胸が速く鳴る。


 身体はまだ少し固くなる。


 でも。


 怖くない。


 むしろ。


 もう少しだけ、このままでもいいと思いかけたところで、春斗がゆっくり離れた。


 私は目を開く。


 春斗の顔が、まだ近い。


 耳まで赤い。


 たぶん、私も同じだ。


 数秒、二人とも何も言わなかった。


 でも。


 どちらからともなく、少し笑った。


「真理」


「何?」


「大丈夫?」


「うん」


 今回はすぐに答えられた。


「嫌じゃない」


「うん」


「むしろ」


 言うか迷う。


 でも今日はもう、「したい」と言った。


 だから。


「前より分かった」


 春斗が少し笑う。


「何が?」


「……キス」


 また顔が熱くなる。


「真理」


「何」


「それ」


「言わないで」


「まだ何も言ってない」


「顔が言ってる」


「真理も」


 二人で笑う。


 初めてのとき。


 キスが終わったあとは、春斗の顔を見ることすらできなかった。


 今日は違う。


 恥ずかしい。


 心臓もまだ速い。


 でも。


 春斗の顔を見て、笑える。


 少しだけ。


 慣れた。


「春斗」


「何?」


「二回目」


「うん」


「できたね」


 春斗の耳がまた赤くなる。


「うん」


「次」


 言いかけた。


 春斗が見る。


「何?」


 私は少し迷ってから首を横へ振った。


「……まだいい」


「分かった」


 春斗は無理に聞かなかった。


 それが嬉しい。


 今度は私がしたいと思ったときに。


 また。


 ちゃんと言えばいい。


 そのとき、遠くに見慣れた車が見えた。


「お母さん」


「うん」


 一気に現実へ戻される。


 でも、不思議だった。


 土曜日は初キスのあと、春斗の顔すらまともに見られなかった。


 今は。


 さっきキスしたばかりなのに。


 春斗と顔を見合わせて笑えている。


「春斗」


「何?」


「普通に乗れるかな」


「無理じゃない?」


「何で」


「二人とも顔赤い」


「春斗も」


「真理も」


「最悪」


「二人で」


 車が近づいてくる。


 私は最後に一度だけ春斗の手を握り直した。


 そして母から見える距離になる少し前に、自然に手を離した。


     ◇


 母の車が停まった。


 後部座席へ乗り込む。


「お疲れ」


「お疲れ」


「ありがとうございます」


 春斗も隣へ座る。


 母はバックミラー越しに私たちを見た。


 一秒。


 二秒。


「何かあった?」


「何も!」


「何もないです!」


 声が綺麗に重なった。


 母が吹き出す。


「昨日も同じこと聞いた気がする」


「気のせい」


「そう?」


「そう」


 私は窓の外を見る。


 隣では春斗が少し笑っている。


 私も笑いを堪えきれなかった。


     ◇


 学校で恋人として過ごすことに、昨日よりほんの少し慣れた。


 手を繋がなくても、春斗が彼氏であることは変わらない。


 別々の教室にいても、昼休みになれば会える。


 学校では友達と一緒に普通に話して、二人きりになれば手を繋ぐ。


 それでいい。


 そんなことが、少しずつ分かってきた。


 でも今度は、周りの方が私たちを「幼馴染」ではなく「付き合っている二人」として見るようになっていた。


 愛ちゃんが。


 石井さんが。


 クラスの人たちが。


 そして、たぶん私自身も。


 春斗と一緒にいることを、少しずつ別の意味で受け止め始めている。


 文化祭の話をすれば、一緒に回ることを考える。


 待つ理由を聞かれれば、彼氏だからと答えられる。


 学校から離れれば、自分から手を差し出せる。


 そして今日は。


 二回目のキスをした。


 土曜日より答えるまでの時間は短かった。


 目を閉じるタイミングも少し分かった。


 触れている時間も、本当に少しだけ前より長かった。


 それ以上に。


 今度は、自分から「したい」と言えた。


 離れたあとも春斗の顔を見ることができた。


 たったそれだけの変化。


 でも私には、かなり大きい。


 車の中で、私は隣に座る春斗を少しだけ見る。


 ちょうど春斗もこちらを見た。


 目が合う。


 さっきキスしたことを思い出す。


 頬が少し熱くなる。


 でも。


 今日は逸らさない。


 春斗の口元が少し笑う。


 私も笑った。


「二人とも」


 前から母の声がした。


「何?」


「また目合わせて笑ってる」


「普通!」


「はいはい」


 母が楽しそうに笑う。


 私はもう一度だけ春斗を見る。


 今はまだ、普通ではないのかもしれない。


 でも。


 たぶん。


 これがこれから、今の私たちの普通になっていく。


 幼馴染だった頃とは少し違う。


 目が合うだけで嬉しくて。


 周りから恋人として見られると恥ずかしくて。


 二人きりになれば手を繋ぎたくなって。


 少しずつ、自分からも近づきたいと思える。


 昔の普通とは違う。


 でも。


 前よりずっと好きな普通だった。


 私はそう思いながら、さっき二度目に触れた春斗の唇を思い出しそうになる自分を、今度は無理に止めなかった。

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