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『好きな人がいるので、幼馴染に恋愛相談していたら、なんだか様子がおかしくなりました』   作者: 伊佐波瑞樹


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30/54

第30話 好きな人から告白された日、私は初めて恋を終わらせるために好きだと伝えました



 土曜日の朝、午前六時十一分。


 目を覚ました私は、枕元のスマートフォンへ手を伸ばさなかった。


 通知が来ているかもしれない。


 竹下くんから。


 春斗から。


 愛ちゃんから。


 昨日までの私なら、目を開けた直後に画面を確認していたと思う。誰から何が届いているか、それによってその日の最初の感情まで決めてしまっていた。


 でも今日は。


 少しだけ。


 自分の中にあるものを、誰かの言葉を見る前に確かめたかった。


 薄いカーテンの向こうから、朝の光が入っている。


 天井を見る。


 昨日、一人で帰った。


 春斗から離れ。


 竹下くんにも連絡せず。


 一人で電車へ乗った。


 そしてノートへ書いた。


『竹下くんと恋人になったら』


『春斗と恋人になったら』


 どちらも想像した。


 どちらも幸せそうだった。


 竹下くんと付き合えば。


 きっと楽しい。


 学校で目が合うたび嬉しくなり、昼食を一緒に食べ、部活の予定を聞き、休みの日には水戸へ出かける。


 サッカーの試合へ応援に行く。


 手を繋ぐ。


 写真を撮る。


 いつか。


 もっと近づく。


 竹下くんは、私を大切にしてくれると思う。


 私も。


 竹下くんを大切にしたい。


 その気持ちは。


 今朝になっても消えていない。


 でも。


 春斗と付き合う未来を想像したとき。


 私は泣いた。


 怖かった。


 今までの関係まで変わることが。


 家族ぐるみの時間まで、恋人という名前へ巻き込まれることが。


 もし別れたら。


 朝も。


 帰りも。


 昔の思い出も。


 全部が気まずいものになるかもしれないことが。


 だから。


 私は春斗を選べないのではなく。


 春斗を選ぶことが。


 怖かった。


 そこまで考えたとき。


 昨夜。


 電話越しの春斗へ言った言葉が戻ってくる。


『春斗と恋人になりたいって、思ってる』


 自分で言った。


 春斗が誘導したわけではない。


 泣いて。


 怖くて。


 それでも。


 口から出た。


 春斗と恋人になりたい。


 私は布団の中で目を閉じる。


 今日。


 竹下くんへ会う。


 竹下くんは。


 好きだと言う。


 正式に告白する。


 私は。


 それを聞かなければならない。


 逃げずに。


 竹下くんがどれだけ私を好きだったのか。


 私がどれだけ竹下くんを好きだったのか。


 全部。


 なかったことにせず。


 向き合う。


 そのあと。


 岩瀬駅には。


 春斗が待っている。


 私が来るかも分からないのに。


 来るまで待つと言った。


「……春斗」


 名前を呟く。


 胸が締めつけられる。


 会いたい。


 今。


 すでに。


 会いたい。


 それでも。


 先に行く場所は。


 春斗のところではない。


 竹下くんのところだ。


 私はようやくスマートフォンへ手を伸ばした。


 画面をつける。


 三件。


 最初は愛ちゃん。


『今日は絶対逃げるな。泣いたら連絡して』


 次は春斗。


 午前五時四十六分。


『起きてる』


 それだけ。


 昨日。


 眠れないと思うと言っていた。


 本当に早くから起きている。


 最後。


 竹下くん。


 午前六時三分。


『今日、一時で大丈夫?』


 胸が鳴る。


 私は竹下くんから返す。


『大丈夫。少し早く着くと思う』


 送信。


 すぐに既読。


『俺も』


 いつものようなやり取り。


 でも。


 今日は。


 その後に待っているものが違う。


『竹下くん』


 一度、打つ。


 何を続けるか迷う。


 今日ちゃんと話す。


 逃げない。


 ありがとう。


 好き。


 どれも。


 今、文字で送ることではない。


 消す。


『じゃあ水戸で』


 送る。


『うん』


 竹下くんとの画面を閉じる。


 春斗。


『起きた』


 送る。


 既読は。


 ほとんど同時についた。


『今日』


『うん』


『行ってくる』


 少し間。


『うん』


 それだけ。


 春斗は。


 行くなとは言わない。


『待ってる?』


 自分から聞いた。


 返事。


『待つ』


 胸が苦しい。


『何時になるか分からない』


『分かってる』


『行かないかもしれない』


 送る指が震える。


 既読。


 少し長い沈黙。


『分かってる』


 同じ言葉。


 でも。


 その二回目には。


 春斗の怖さまで見える気がした。


『春斗』


『何』


『ちゃんと行ってくる』


『うん』


『逃げない』


『うん』


 最後に。


『行ってらっしゃい』


 届いた。


 涙が出そうになる。


 でも。


 今は泣かない。


 泣くのは。


 竹下くんと向き合ったあとだ。


     ◇


 午前九時十八分。


 自室の床へ、三着の服が並んでいた。


 一度目の映画デートで着た、水色のブラウス。


 二度目の偕楽園で着た、クリーム色のブラウス。


 そして。


 今日のために昨日から考えていた、薄い桃色のシャツと濃紺のロングスカート。


 竹下くんとの三回目のデート。


 正式に告白される日。


 だから。


 手を抜きたくなかった。


 今日。


 もしかしたら。


 竹下くんの恋を終わらせるかもしれない。


 だからこそ。


 適当に行きたくない。


 竹下くんと会うために。


 竹下くんが好きな私として。


 きちんと準備したかった。


 鏡の前へ立つ。


 薄い桃色のシャツ。


 濃紺のスカート。


 白い靴。


 髪は下ろし、片側だけを小さな飾りのついたピンで留める。


 前回。


 竹下くんへ最初に服を見せた。


 今日も。


 春斗へは見せていない。


 春斗からも。


 聞かれていない。


 竹下くんとのデートだから。


 今日の私を。


 最初に見るのは竹下くん。


 それは。


 最後まで守りたかった。


 扉が軽く叩かれる。


「入るよ」


 母。


「どう?」


 私は振り返る。


 母は少しだけ目を細めた。


「いいと思う」


「本当?」


「竹下くんに会うため?」


「うん」


「春斗くんじゃなく?」


「うん」


 迷わず答える。


「今日の服は竹下くんに最初に見せる」


「そっか」


 母は部屋へ入り、ベッドの端へ腰を下ろした。


「答え出た?」


 聞かれる。


 私は鏡を見る。


「たぶん」


「たぶん?」


「でも」


 一度息を吸う。


「竹下くんの顔見たら、変わるかもしれない」


「うん」


「告白されたら、やっぱり付き合いたいって思うかもしれない」


「うん」


「だから」


 怖い。


 それでも。


「今ここで、竹下くんを断るって決めきりたくない」


 母は頷いた。


「それでいいと思うよ」


「いいの?」


「竹下くんに会う前に答えを固定したら、今日の時間が確認作業になるでしょう」


「うん」


「竹下くんをちゃんと見て」


「うん」


「そのあと決めなさい」


「分かった」


「でも」


「何?」


「春斗くんが駅で待ってることを、竹下くんとのデート中ずっと考えないようにね」


 胸が痛む。


「努力する」


「できる?」


「やる」


「竹下くんとの時間なんでしょう」


「うん」


「なら今日は」


 母が私の服を軽く整える。


「竹下くんを好きだった真理として、ちゃんと行っておいで」


 好きだった。


 過去形のように聞こえた。


「まだ好きだよ」


 反射的に言う。


 母は少し驚き。


 そのあと優しく笑った。


「なら、なおさら」


 胸へ落ちる。


 そうだ。


 私は。


 まだ竹下くんを好きだ。


 だから。


 今日が苦しい。


     ◇


 午前十一時三十分。


 岩瀬駅。


 日曜日ほどではないが、土曜日の駅には普段の通学時間とは違う人たちがいた。


 部活動へ向かう中高生。


 買い物へ行くらしい家族。


 旅行鞄を持った夫婦。


 ホームのベンチへ座る。


 私はスマートフォンを鞄へ入れた。


 今日は。


 水戸駅へ着くまで。


 春斗との画面を開かない。


 竹下くんへ会う前に。


 春斗の言葉で気持ちを動かさない。


 電車が入ってくる。


 一人で乗る。


 いつもなら。


 隣に春斗。


 でも今日は。


 一人。


 窓側へ座る。


 走り出した電車の窓から。


 岩瀬の街が流れていく。


 竹下くんとの最初のデートを思い出した。


 朝から。


 服を選んだ。


 春斗へ写真を送った。


 竹下くんに「今日の方が可愛い」と言われ、胸が止まりそうになった。


 パスタ。


 映画。


 雨。


 駅ビル。


 指先が少し触れた。


 二回目。


 偕楽園。


 竹下くんへ最初に服を見せた。


 景色を見た。


 手を繋いだ。


 次も繋ぎたいと言った。


 好きと言った。


 全部。


 私の大切な思い出だ。


 たとえ。


 今日。


 竹下くんを選ばなかったとしても。


 絶対に。


 間違いだったとは思いたくない。


     ◇


 午後十二時二十三分。


 水戸駅へ着いた。


 待ち合わせは一時。


 また。


 早すぎる。


 でも。


 今日は竹下くんも早く来ると言った。


 北口へ向かう。


 休日の駅は人が多い。


 階段を上がる。


 あの日。


 初デートで待った時計が見える。


 そこに。


 竹下くんがいた。


 もう来ている。


 薄いグレーのシャツ。


 黒のパンツ。


 ショルダーバッグ。


 私より早い。


 竹下くんは、何度もスマートフォンを見ていた。


 顔を上げる。


 私へ気づく。


 一瞬。


 表情が柔らかくなる。


 でも。


 すぐに少し硬くなった。


 私も。


 足が遅くなる。


 好き。


 会えて嬉しい。


 でも。


 怖い。


 それでも近づく。


「おはよう……じゃないね」


 私が言う。


「こんにちは」


 竹下くんが答える。


「早いね」


「久保さんも」


「十二時半前だよ」


「俺は十二時くらいに来た」


「もっと早い」


「家にいても落ち着かなかった」


「私も」


 一瞬。


 以前のように。


 二人で少しだけ笑った。


 でも。


 すぐに沈黙。


 竹下くんの視線が。


 私の服へ向く。


「今日」


「うん」


「可愛い」


 胸が鳴る。


 初デート。


 竹下くんに初めて私服を褒められたときと。


 同じように。


 嬉しい。


「ありがとう」


「今日も」


 竹下くんは言葉を選ぶ。


「俺が最初?」


 何を聞かれているか分かった。


「うん」


「春斗くんには見せてない?」


「見せてない」


「本当に?」


「うん」


 竹下くんが少しだけ息を吐いた。


「それ」


「何?」


「嬉しい」


「うん」


「今日くらい」


 声が僅かに震える。


「俺のためだけにしてほしかった」


 胸が痛む。


「今日の服は竹下くんに会うため」


「うん」


「それは本当」


「ありがとう」


 竹下くんは。


 少しだけ笑った。


 その笑顔を見て。


 胸の奥へ。


 懐かしいほど強い高鳴りが戻った。


 好き。


 私は。


 やっぱり竹下くんを好きだ。


 今日。


 簡単には終われない。


     ◇


 予定より早く会えたため、私たちは駅近くを少し歩いてから、水戸芸術館へ向かうことにした。


 並んで歩く。


 でも。


 手は繋がない。


 前回なら。


 竹下くんが近づけば、意識していた。


 今日は。


 互いに少し距離を取っていた。


 歩道には休日の人たちが行き交い、買い物袋を持った親子や、制服姿の学生とすれ違う。空はよく晴れているが、風は少し冷たい。


「竹下くん」


「何?」


「体調」


「大丈夫」


「本当に?」


「うん」


「木曜日休んだの」


「身体じゃない」


 胸が痛む。


「ごめん」


「謝らないでって言った」


「うん」


「今日」


 竹下くんは前を向いたまま続ける。


「ちゃんと話したい」


「私も」


「怒ると思う」


「うん」


「嫌なこと言うかもしれない」


「うん」


「それでも」


 竹下くんが私を見る。


「途中で帰らないで」


「帰らない」


「春斗くんから連絡来ても?」


 胸が強く鳴る。


「今日は」


 スマートフォンの入った鞄を見る。


「竹下くんとの時間が終わるまで見ない」


 竹下くんの表情が少し変わる。


「本当?」


「うん」


「約束?」


「うん」


「通知来ても?」


「緊急じゃなければ」


「春斗くんが寂しいとか送ってきても?」


「見ない」


 竹下くんは少しだけ唇を緩めた。


「それなら」


「うん」


「今日は、俺を見て」


 何度も。


 言われた言葉。


「見る」


 今日は。


 本当に。


 そのために来た。


     ◇


 水戸芸術館へ着く。


 広場には家族連れや若い人たちが歩き、少し離れた場所では写真を撮っている人もいた。特徴的な塔を見上げる観光客がいて、子どもたちが広場を走っている。


 展示室へ入る。


 最初は。


 お互い緊張していた。


 何を話していいか分からない。


 でも。


 一つの作品の前で。


 竹下くんが小さく言った。


「俺、こういうの分からない」


「私も」


「分からないのに来た?」


「竹下くんが行ってみたいって言ったから」


「久保さんもいいって」


「興味はあった」


「感想」


「青い」


「それだけ?」


「竹下くんは?」


「大きい」


 顔を見合わせる。


 数秒。


 二人で吹き出した。


 近くにいた年配の女性が、少し驚いてこちらを見る。


「静かにしないと」


 私が小声で言う。


「久保さんが笑うから」


「竹下くんが大きいって」


「本当に大きい」


「感想小学生」


「青いも同じ」


 肩の力が少し抜けた。


 展示を見ながら。


 話す。


 この色は好き。


 これは怖い。


 家に置くならどれ。


 絶対これ。


 それは嫌。


 会話が。


 少しずつ戻ってくる。


 竹下くんといると楽しい。


 今日。


 改めて。


 思う。


 この人を嫌いになったわけではない。


 気持ちが冷めたから。


 春斗へ向いたわけでもない。


 竹下くんといる時間は。


 今も。


 大切。


     ◇


 展示を見終えたあと。


 近くのカフェへ入った。


 窓際。


 二人席。


 以前のパスタ店と似た位置。


 でも。


 今日の空気は全く違う。


 私は紅茶。


 竹下くんはコーヒー。


 注文が届くまで。


 竹下くんは何も言わなかった。


 私も。


 待った。


 飲み物が運ばれる。


 店員が離れる。


 竹下くんが。


 ようやく口を開いた。


「手」


 胸が鳴る。


「うん」


「春斗くんと」


「うん」


「何で繋いだの」


 逃げない。


「繋ぎたかったから」


 竹下くんの指が、テーブルの下で強く握られる。


「俺と繋いだのに?」


「うん」


「次も繋ぎたいって言った」


「うん」


「今も?」


 聞かれる。


 胸が痛い。


 でも。


 嘘はつかない。


「竹下くんと手を繋ぐの」


 自分の右手を見る。


「今も嫌じゃない」


「嫌じゃない?」


「繋ぎたいと思う気持ちもある」


「ある?」


「うん」


 竹下くんの表情が苦しそうに歪む。


「じゃあ、どうして春斗くんとも」


「春斗とも繋ぎたかった」


「二人とも?」


「うん」


「それ」


 竹下くんの声が少し強くなる。


「やっぱり分からない」


「うん」


「俺には無理」


 周囲の客が僅かにこちらを見る。


 竹下くんは気づき、声を抑えた。


「俺は」


 呼吸を整える。


「久保さんと手を繋いだとき、もうほかの女子とは繋ぎたくないって思った」


「うん」


「久保さんだけでいいって」


「うん」


「だから」


 竹下くんの目が赤くなる。


「久保さんが俺とも春斗くんとも繋ぎたいって気持ち、分からない」


「分かってもらおうとは思ってない」


「じゃあ何で」


「私も分からなかった」


 紅茶のカップを両手で包む。


「最初は竹下くんだけだった」


「うん」


「春斗は幼馴染」


「うん」


「恋愛相談する相手」


「うん」


「それだけだと思ってた」


「でも違った」


「うん」


 言葉を続ける。


「竹下くんを好きになったから」


「うん」


「春斗が私を好きだって知った」


「うん」


「春斗が私から離れようとした」


「うん」


「ほかの女の子と話してるの見た」


 石井さん。


「嫌だった」


「うん」


「それで」


 声が少し震える。


「春斗を失いたくないだけだと思った」


「違った?」


「違った」


 竹下くんの顔が固くなる。


「手を繋いで」


「うん」


「嬉しかった」


「うん」


「男の子として」


 言うのが苦しい。


「春斗を好きになってるって、分かった」


 竹下くんは。


 しばらく何も言わなかった。


 店内には穏やかな音楽が流れている。


 隣の席では、大学生らしい二人が楽しそうにスマートフォンを見ている。


 私たちのテーブルだけ。


 時間が止まったようだった。


「じゃあ」


 竹下くんが言う。


「もう答え出てる?」


 胸が締めつけられる。


「昨日」


「うん」


「一人で考えた」


「うん」


「竹下くんと付き合う未来も」


「うん」


「春斗と付き合う未来も」


 竹下くんの喉が動く。


「どっち」


「まだ」


 一度。


 目を閉じる。


「ここに来るまでは」


 竹下くんが私を見る。


「今は?」


 答え。


 胸の奥。


 私は。


 この人を好きだ。


 目の前にいる竹下雅人を。


 優しく。


 格好よく。


 少し負けず嫌いで。


 嫉妬もして。


 怒って。


 泣きそうになっている。


 全部を知るほど。


 最初の憧れだけではなく。


 本当に好きになった。


 だからこそ。


「竹下くん」


「うん」


「私」


 声が震える。


 涙が溢れそうになる。


「竹下くんのこと、好き」


 竹下くんの目が大きくなる。


「今も」


 続ける。


「今日会えて嬉しかった」


「うん」


「可愛いって言われて嬉しかった」


「うん」


「展示見て笑ったのも楽しかった」


「うん」


「また」


 涙が一つ。


 頬を落ちる。


「竹下くんとこうやって出かけたいって思う」


 竹下くんも。


 目が赤い。


「じゃあ」


 声が震える。


「俺を選んで」


 胸が痛い。


「久保さん」


 竹下くんが前へ身を乗り出す。


「俺と付き合って」


 来た。


 正式な告白。


「好き」


 竹下くんは。


 逃げない。


「最初は、久保さんが俺を好きなの分かって嬉しかっただけだった」


「うん」


「でも一緒に昼食べて」


「うん」


「映画行って」


「うん」


「偕楽園行って」


「うん」


「手繋いで」


 竹下くんの声が掠れる。


「俺、本気で久保さんを彼女にしたいって思った」


 涙が滲んでいる。


「春斗くんより」


「うん」


「俺を見てほしい」


「うん」


「俺が久保さんの一番になりたい」


「うん」


「春斗くんに取られたくない」


 握った拳が震えている。


「だから」


 竹下くんが。


 私を見る。


「久保真理さん」


 初めて。


 名前まで。


 はっきり呼ばれた。


「俺と付き合ってください」


 胸が。


 壊れそうなほど痛かった。


 私は。


 この告白を。


 ずっと望んでいた。


 入学して。


 竹下くんを好きになり。


 女友達へ相談して。


 春斗へ相談して。


 どうすれば近づけるか考え。


 一緒に昼食を食べられただけで舞い上がり。


 映画へ誘われ。


 可愛いと言われ。


 手を繋いだ。


 あの頃の私なら。


 一秒も迷わず。


 はい。


 と答えていた。


 今も。


 好き。


 それなのに。


 口から出る答えは。


「……ごめんなさい」


 声が震えた。


 竹下くんの表情が。


 止まった。


 私も。


 涙を止められなかった。


「ごめん」


 もう一度。


「竹下くん」


「……何で」


 小さな声。


「好きなんだろ」


「うん」


「今も好きって」


「うん」


「じゃあ何で」


 竹下くんの声が。


 少しずつ強くなる。


「何で駄目なんだよ」


 周囲の視線が集まる。


 でも。


 もう気にできなかった。


「春斗が」


 言葉を出す。


 竹下くんの顔が歪む。


「やっぱり春斗くん?」


「うん」


「久保さん」


「ごめん」


「謝らないで!」


 竹下くんの声が大きくなった。


 何人かの客が振り返る。


 店員もこちらを見る。


 竹下くんはすぐに顔を伏せ、声を抑えた。


「ごめん」


 今度は竹下くんが謝る。


「でも」


 涙が。


 竹下くんの頬を落ちた。


 初めて見た。


「俺」


 声が震える。


「何が足りなかった?」


 胸が痛い。


「足りないんじゃない」


「じゃあ何」


「竹下くんは」


 言葉を探す。


「本当に好き」


「それ言わないで」


「でも」


「振る相手に好きって言わないでよ」


 胸へ刺さる。


 竹下くんの言うことは正しい。


 でも。


 好きだった気持ちまで嘘にはしたくない。


「ごめん」


「だから」


「でもこれだけは」


 私は涙を拭いながら。


 竹下くんを見る。


「好きだったことを、なかったことにしたくない」


 竹下くんの目が揺れる。


「最初から春斗が好きだったんじゃない」


「うん」


「竹下くんを好きになった」


「うん」


「本気だった」


「うん」


「今も」


 喉が苦しい。


「好きな気持ちは残ってる」


「じゃあ」


「でも」


 私は。


 昨夜。


 ノートへ書けなかった名前を。


 心の中で。


 初めて。


 はっきり書いた。


「春斗と恋人になれない未来の方が」


 声が震える。


「怖かった」


 竹下くんの表情が。


 ゆっくり崩れる。


「……そっか」


「うん」


「俺を失うより?」


 残酷。


 でも。


 逃げない。


「恋人としては」


 涙が落ちる。


「うん」


 答えた。


 竹下くんは。


 顔を伏せた。


 肩が震えている。


 泣いている。


 私は。


 触れられない。


 今。


 竹下くんの手を取ることは。


 優しさではない。


 私が楽になりたいだけになる。


 だから。


 ただ。


 待った。


 竹下くんが。


 顔を上げるまで。


     ◇


 どれくらい時間が経ったか分からない。


 飲み物は。


 すっかり冷めていた。


 竹下くんは目元をハンカチで拭き、少しだけ笑った。


 無理に。


「格好悪い」


「格好悪くない」


「泣いた」


「私も」


「久保さんはいい」


「何で」


「振った側だから」


「振った側も泣くよ」


「知らない」


 少し。


 いつもの竹下くん。


 でも。


 笑顔はすぐに消えた。


「春斗くんのところ」


 言われる。


 心臓が鳴る。


「行くの?」


 竹下くんは。


 知っていない。


 岩瀬駅で春斗が待っていること。


「うん」


 私は嘘をつかなかった。


「今日?」


「うん」


 竹下くんが。


 目を閉じる。


「そっか」


「ごめん」


「もう謝らないで」


「でも」


「俺」


 竹下くんは。


 テーブルの上へ置いた自分の手を見る。


「今、春斗くん嫌い」


「うん」


「かなり」


「うん」


「久保さんのことも」


 胸が強く痛む。


「今はちょっと嫌い」


 それでも。


 私は受け止める。


「うん」


「ひどいこと言いたい」


「言っていい」


「言ったら後悔する」


「うん」


「だから言わない」


 竹下くんは。


 自分の感情を。


 必死に止めている。


「でも」


「うん」


「今日、駅まで一緒に帰れない」


「分かった」


「手も」


「うん」


「もう繋げない」


 胸が苦しい。


 偕楽園。


 温かかった手。


 次も繋ぐと約束した。


「うん」


「写真」


「消さない」


 反射的に言った。


 竹下くんが顔を上げる。


「消さないの?」


「嫌なら消す」


「……」


「でも」


 私は続ける。


「私は残したい」


「何で」


「大事な日だったから」


 竹下くんの目から。


 また涙が落ちる。


「ずるい」


「うん」


「振るのに、大事って」


「うん」


「俺、しばらく久保さんと普通に話せない」


「分かってる」


「同じクラスだから」


「うん」


「学校で見る」


「うん」


「春斗くんと付き合ったら」


 言葉が詰まる。


「見たくない」


「うん」


「たぶん」


 竹下くんは。


 苦しそうに笑う。


「すごい嫌な態度取るかもしれない」


「うん」


「でも」


 少し間。


「ずっとは嫌いでいたくない」


 胸が締めつけられる。


「竹下くん」


「今は無理」


「うん」


「でも」


 竹下くんは。


 私を見た。


「久保さんを好きになったことは」


 声が震える。


「俺も、間違いにしたくない」


 涙が止まらない。


「ありがとう」


「それは言っていい」


「うん」


「今まで」


 竹下くんは。


 一度。


 大きく息を吸う。


「楽しかった」


「私も」


「かなり」


「私も」


「初デート」


「うん」


「久保さん早すぎた」


「竹下くんも」


「映画」


「泣いた」


「俺、映画より久保さん見てた」


「え?」


「今言う」


 竹下くんが。


 少しだけ笑う。


「ずっと可愛いと思ってた」


 また涙が出る。


「今言わないで」


「最後だから」


「ずるい」


「久保さんに言われたくない」


 本当に。


 少しだけ。


 二人で笑った。


 泣きながら。


「偕楽園」


 竹下くんが続ける。


「手繋いだ」


「うん」


「俺」


 自分の手を見る。


「一生忘れないと思う」


「私も」


「でも」


 少し顔を歪める。


「次は、俺だけを好きな子と繋ぐ」


 胸へ刺さる。


 でも。


 それでいい。


「うん」


「久保さんより」


「何?」


「可愛い子探す」


 少しだけ強がり。


「いるかな」


 私も返す。


「いる」


「即答」


「たくさんいる」


「ひどい」


「でも」


 竹下くんが。


 最後に。


 私を見る。


「今は久保さんが一番可愛いと思ってる」


 涙。


 止まらない。


「本当にずるい」


「今日だけ」


「うん」


 この人を。


 好きになれて。


 よかった。


 心から。


 そう思った。


     ◇


 カフェを出たのは。


 午後三時を少し過ぎた頃だった。


 予定では。


 本屋にも行くはずだった。


 でも。


 行かなかった。


 もう。


 デートを続けられる空気ではない。


 駅へ向かう。


 隣を歩く。


 距離は。


 少し離れている。


 手は。


 繋がない。


 それでも。


 途中までは。


 一緒に歩いた。


 駅の北口。


 最初のデートで会った場所。


 時計。


 そこへ着く。


 竹下くんが立ち止まる。


「俺」


「うん」


「少し歩いてから帰る」


「一緒じゃなくて?」


「今は一人になりたい」


 胸が痛む。


 でも。


 分かる。


「うん」


「久保さん」


「何?」


「春斗くん」


 竹下くんの表情が。


 少しだけ険しくなる。


「泣かせたら」


 言う。


「殴る」


「竹下くん」


「本気」


「暴力は駄目」


「じゃあサッカーで勝つ」


「何に?」


「知らない」


 少しだけ笑う。


 竹下くんも。


 笑う。


「また」


 私が言う。


 竹下くんの表情が止まる。


「学校で」


 言い直す。


「うん」


「すぐには無理でも」


「うん」


「いつか」


「うん」


 竹下くんは。


 小さく頷いた。


「じゃあ」


「うん」


「久保さん」


「何?」


「好きだった」


 過去形。


 まだ。


 気持ちは。


 現在形のはずなのに。


 竹下くんは。


 自分から過去へ変えようとしている。


「私も」


 声が震える。


「好きだった」


 言う。


 でも。


 それだけでは足りない。


「今も」


 竹下くんの目が揺れる。


「恋を終わらせるから」


 私は。


 涙を拭う。


「好きだった気持ちごと、大事にする」


 竹下くんは。


 しばらく何も言わなかった。


 そして。


 ゆっくり頷いた。


「それなら」


「うん」


「いい」


 竹下くんが背を向ける。


 歩き出す。


 私は。


 追わない。


 何度も。


 振り返りそうになる。


 でも。


 竹下くんは。


 一度も振り返らなかった。


 人の流れへ。


 消える。


 私の。


 最初の恋。


 終わった。


     ◇


 一人になった瞬間。


 足から力が抜けた。


 駅の端にあるベンチへ座る。


 泣く。


 人がいる。


 見られている。


 それでも。


 止められない。


 鞄からハンカチを出す。


 竹下くん。


 好きだった。


 格好よかった。


 可愛く笑った。


 優しかった。


 嫉妬した。


 怒った。


 泣いた。


 全部。


 恋だった。


「……ごめん」


 誰へ向けた言葉か分からない。


 竹下くん。


 春斗。


 自分。


 スマートフォンは。


 鞄の中。


 竹下くんとの時間が終わるまで。


 見ないと決めた。


 終わった。


 でも。


 すぐには取り出せなかった。


 春斗へ行く。


 その前に。


 少しだけ。


 竹下くんとの恋を。


 終わらせる時間が欲しかった。


 五分。


 十分。


 ベンチへ座ったまま。


 泣く。


 少しずつ。


 涙が止まる。


 私は。


 ようやく鞄からスマートフォンを出した。


 通知。


 愛ちゃん。


『どう?』


 母。


『帰り決まったら連絡して』


 春斗からは。


 一件もない。


 待つ。


 そう言ったから。


 何も送らず。


 岩瀬駅で。


 待っている。


 私は時計を見る。


 午後三時三十八分。


 水戸から岩瀬。


 電車に乗る。


 一時間前後。


 春斗は。


 もう駅にいるのだろうか。


 それとも。


 私から何か連絡が来てから行くつもりなのか。


 昨夜。


『来るまで』


 と言った。


 私は。


 春斗との画面を開く。


 指が震える。


『終わった』


 打つ。


 送る。


 既読。


 すぐ。


『うん』


 それだけ。


『今どこ?』


 聞く。


 返事。


『岩瀬駅』


 息が止まる。


『もう?』


『二時から』


「……馬鹿」


 涙が。


 また出る。


 二時。


 私が竹下くんと。


 まだカフェにいた頃。


 春斗は。


 岩瀬駅で。


 待っていた。


『早すぎ』


『分かってる』


『私、まだ水戸』


『うん』


『待つ?』


 送る。


 馬鹿な質問。


 返事。


『待つ』


 胸が。


 苦しい。


『春斗』


『何』


 打つ。


 消す。


 打つ。


 また消す。


 最後に。


『会いたい』


 送った。


 既読。


 少し。


 間が空く。


『俺も』


 その二文字を見た瞬間。


 私は立ち上がった。


     ◇


 水戸駅のホーム。


 帰りの電車を待つ。


 人が多い。


 土曜日の午後。


 買い物帰り。


 部活動帰り。


 家族連れ。


 私は。


 一人。


 右手。


 竹下くんと繋いだ記憶。


 左手ではなく。


 右手。


 あの日。


 偕楽園。


 嬉しかった。


 そのあと。


 春斗とも繋いだ。


 嬉しかった。


 同じ手。


 違う恋。


 私は。


 今日。


 一つを終わらせた。


 でも。


 もう一つへ。


 すぐ飛びついていいのだろうか。


 竹下くんを振った直後に。


 春斗へ行く。


 それは。


 竹下くんを踏み台にすることにならないか。


 胸へ不安が生まれる。


 でも。


 春斗へ会いたい。


 昨夜。


 約束した。


 竹下くんを選ばなかったら。


 春斗へ会いたいと思ったら。


 岩瀬駅へ行く。


 今。


 会いたい。


 それは。


 竹下くんを振ったからではない。


 昨日。


 一人で考えた時点で。


 すでに。


 春斗と恋人になれない未来の方が怖いと。


 気づき始めていた。


 それでも。


 私は。


 まだ。


 春斗と付き合うと決めたわけではない。


 竹下くんとの恋を終えたばかり。


 涙も。


 まだ乾いていない。


 だから。


 今日。


 春斗へ会って。


 すぐに恋人にならなくてもいい。


 でも。


 伝えたい。


 竹下くんを選ばなかったこと。


 春斗へ会いたいと思ったこと。


 そして。


 私の中に。


 春斗への恋があること。


 電車が来る。


 私は乗る。


     ◇


 窓の外。


 水戸の街が遠ざかる。


 スマートフォンへ。


 春斗から。


『乗った?』


『乗った』


『何時』


『四時五十二分くらい』


『分かった』


『寒くない?』


『少し』


『駅の中いれば』


『ホーム』


『何で』


『来る電車見えるから』


「本当に馬鹿」


 声に出してしまう。


『中入って』


『嫌』


『風邪ひく』


『真理来るまで大丈夫』


『この前熱出したでしょ』


『今日は平気』


 いつものやり取り。


 それだけで。


 胸が温かくなる。


 私は。


 ふと。


 竹下くんとのトーク画面を見る。


 最後。


 昨日。


 短い会話。


 今日のことは。


 まだ何も残っていない。


 送るべきではない。


 今は。


 竹下くんへ何かを送れば。


 自分が楽になりたいだけになる。


 だから。


 画面を閉じる。


 竹下くんの写真。


 消さない。


 今は。


 それでいい。


     ◇


 午後四時五十一分。


 電車が岩瀬駅へ近づく。


 胸が。


 どんどん速くなる。


 ホームが見える。


 人。


 ベンチ。


 柱。


 その中。


 見慣れた制服。


 春斗。


 本を持っている。


 でも。


 読んでいない。


 線路の向こう。


 こちらを見ている。


 まだ電車は完全に止まっていない。


 それなのに。


 目が合った気がした。


 春斗が。


 立ち上がる。


 電車が止まる。


 扉が開く。


 私は。


 降りる。


 足が。


 震える。


 春斗は。


 走ってこない。


 私が来るのを。


 待っている。


 一歩。


 二歩。


 ホーム。


 距離が縮まる。


 竹下くんと別れたばかり。


 まだ。


 目が赤い。


 春斗は。


 私の顔を見る。


「真理」


 名前を呼ぶ。


 その声を聞いた瞬間。


 涙が。


 また出た。


「春斗」


「うん」


「待ちすぎ」


「知ってる」


「寒いでしょ」


「少し」


「馬鹿」


「うん」


 春斗は。


 手を伸ばしかける。


 途中で止める。


 昨夜。


 約束した。


 私が来たら。


 抱き締めてもいいか。


 そのとき聞く。


 春斗は。


 私を見た。


「真理」


「何」


「竹下」


 喉が詰まる。


「断った」


 言う。


 春斗の表情が。


 大きく揺れる。


 でも。


 喜ばない。


 すぐには。


「そっか」


「うん」


「泣いた?」


「二人とも」


「そっか」


「竹下くん」


 涙を拭う。


「最後まで優しかった」


「うん」


「怒ったし」


「うん」


「泣いたし」


「うん」


「私のこと、今は少し嫌いって」


 春斗の眉が僅かに寄る。


「でも」


「うん」


「好きになったことは間違いにしたくないって」


 春斗は。


 何も言わない。


 ただ。


 聞いてくれる。


「私も」


 声が震える。


「竹下くんを好きだったこと、間違いじゃない」


「うん」


「今もまだ」


 一度。


 息を吸う。


「気持ち、全部なくなってない」


 春斗の顔が少し痛そうに歪む。


 それでも。


「うん」


 受け止める。


「でも」


 私は。


 春斗を見る。


 竹下くんではなく。


 春斗。


「春斗に会いたかった」


 春斗の目が揺れる。


「うん」


「水戸駅で」


「うん」


「終わって」


「うん」


「一人になって」


 涙が止まらない。


「一番会いたかったの、春斗だった」


 言った。


 春斗の唇が。


 僅かに震える。


「真理」


「何」


「それ」


「うん」


「期待していい?」


 今まで。


 何度も聞かれた。


 期待する。


 止める。


 責任を持つ。


 その繰り返し。


 今日は。


「うん」


 私は頷く。


「期待して」


 春斗が。


 目を閉じる。


 一度。


 長く息を吐く。


 そして。


 私を見る。


「抱き締めてもいい?」


 聞かれた。


 昨夜の約束。


 心臓が。


 壊れそうなくらい鳴る。


 竹下くんと別れたばかり。


 今。


 春斗へ抱き締められる。


 早いかもしれない。


 ずるいかもしれない。


 でも。


 私は。


 春斗へ会いたくて。


 ここへ帰ってきた。


「……うん」


 答えた。


 春斗が。


 一歩。


 近づく。


 腕が。


 私の背中へ回る。


 強くはない。


 逃げられる。


 でも。


 私は逃げなかった。


 春斗の胸へ。


 身体が触れる。


 制服越しの体温。


 昔から知っている匂い。


 でも。


 初めての距離。


 春斗の腕が。


 少しだけ強くなる。


「真理」


 耳元。


 近い。


「来てくれてよかった」


 涙が。


 春斗の制服へ落ちる。


「うん」


「本当に」


 声が震えている。


 春斗も。


 泣きそうなのかもしれない。


「春斗」


「何」


「私」


 言わなければ。


 今日。


 竹下くんとの恋を終わらせた。


 だからといって。


 すぐ春斗の彼女になる。


 それは違うと思う。


「まだ」


 春斗の胸へ顔をつけたまま続ける。


「すぐ付き合うって言えない」


 春斗の腕が。


 一瞬。


 僅かに固くなる。


「うん」


「竹下くんと別れた直後だから」


「うん」


「春斗を選んだから、竹下くんを振ったのは本当だけど」


「うん」


「今すぐ恋人になったら」


 涙を拭うこともできない。


「竹下くんとの恋を、急いで上書きするみたいで嫌」


 春斗は。


 少しだけ。


 抱く力を弱める。


 離れはしない。


「分かった」


「怒る?」


「少し」


「うん」


「今すぐ付き合いたい」


「うん」


「かなり」


「うん」


「でも」


 春斗の声が。


 少しだけ柔らかくなる。


「真理が俺のところへ来た」


「うん」


「竹下じゃなく」


「うん」


「会いたいって言って」


「うん」


「抱き締めてもいいって」


「うん」


「それだけで」


 春斗が。


 小さく息を吐く。


「今日は十分」


 胸が。


 温かくなる。


「春斗」


「何」


「待てる?」


 春斗は。


 少しだけ身体を離す。


 でも。


 腕はまだ。


 私の肩へ残っている。


 顔が見える。


 近い。


「長い?」


「分からない」


「一週間?」


「分からない」


「一か月?」


「そんなに待たせたくない」


「じゃあ」


 春斗の口元が。


 ほんの少し緩む。


「明日?」


「早い」


「明後日」


「交渉しないで」


「待つだけやめたから」


 それを言う。


 私は。


 泣きながら笑った。


「春斗」


「何」


「私」


 ここまで。


 言える。


「春斗を好き」


 春斗の表情が。


 止まる。


 完全に。


「真理」


「うん」


「今」


「言った」


「もう一回」


「嫌」


「何で」


「恥ずかしい」


「俺、何年待ったと思ってる」


「知らない」


「かなり」


「じゃあ一回で我慢して」


「無理」


 春斗は。


 泣きそうな顔で。


 笑った。


「俺も好き」


「うん」


「ずっと」


「うん」


「今はもっと」


 胸が鳴る。


「うん」


「だから」


 春斗は。


 また少しだけ。


 私を抱き寄せる。


「恋人になるまで」


「うん」


「逃げるなよ」


「逃げない」


「竹下へ戻る?」


 胸が痛む。


 でも。


 答える。


「戻らない」


「本当に?」


「竹下くんを好きだったことは大事にする」


「うん」


「でも」


 春斗を見る。


「恋人になりたいと思ってるのは、春斗」


 今度は。


 はっきり。


 言った。


 春斗の目に。


 涙が滲んだ。


「春斗、泣いてる?」


「泣いてない」


「目赤い」


「寒い」


「嘘」


「見るな」


「さっき私の顔ずっと見た」


「真理」


「何?」


「うるさい」


 言いながら。


 春斗は笑った。


 私も。


 泣きながら笑った。


     ◇


 駅のホーム。


 夕方。


 人は。


 何人もいる。


 こちらを見ている人もいたかもしれない。


 でも。


 今は。


 どうでもよかった。


 私の最初の恋は。


 今日。


 終わった。


 竹下雅人くん。


 好きだった。


 今も。


 その気持ちの残りは。


 胸の中にある。


 だから。


 すぐに消さない。


 消す必要もない。


 その恋があったから。


 春斗の気持ちを知った。


 春斗を失うことが怖いと気づいた。


 幼馴染ではなく。


 一人の男の子として。


 春斗を見た。


 そして。


 自分から。


 春斗のところへ帰ってきた。


「真理」


 春斗が呼ぶ。


「何?」


「手」


 聞かれる。


 春斗の右手。


 差し出されている。


 竹下くんと繋いだことを。


 なかったことにはしない。


 でも。


 今。


 この手を。


 取りたい。


 私は。


 自分から。


 春斗の手へ指を重ねた。


「繋ぐ」


 春斗が。


 少し驚く。


「真理から?」


「嫌?」


「絶対離さない」


「駅では離して」


「何で」


「恥ずかしい」


「もう抱き締めた」


「それは泣いてたから」


「関係ない」


「春斗」


 笑いながら。


 手を繋ぐ。


 恋人ではない。


 まだ。


 でも。


 もう。


 ただの幼馴染でもない。


 私たちは。


 その間にいる。


 そして。


 今日。


 初めて。


 私は。


 誰かを失いたくないからではなく。


 自分がその人を好きだから。


 春斗の手を。


 選んだ。

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