第2話 幼馴染は、興味がないと言いながら妙に詳しい
朝七時二十五分。
水橋高校第三校舎、一年特進SSクラス。
教室の前方に設置された時計の秒針が、やけに大きな音を立てて進んでいるように感じた。
実際には。
そんなはずはない。
教室の中には、シャープペンシルを走らせる音。
参考書のページをめくる音。
朝食のパンが入っていた袋を小さく丸める音。
机を引く音。
眠気をこらえ切れなかった誰かの欠伸。
窓の外からは、第二校舎のグラウンドで朝練をしている運動部の掛け声も聞こえている。
静かではある。
けれど。
決して、無音ではない。
それなのに。
私には。
時計の針が一秒、一秒。
さっきの失敗を刻んでいるように思えてならなかった。
私は机へ突っ伏したまま。
両腕で頭を抱えていた。
「おはよございましゅ……」
口の中で。
もう一度。
さっき自分が発した言葉を再現してみる。
消えたい。
本気で消えたい。
穴があったら入りたいという言葉を、昔は大袈裟だと思っていた。
でも今なら分かる。
穴がなくても掘りたい。
シャベルが欲しい。
なんなら重機でもいい。
「真理」
「……」
「真理ってば」
「……今、私はこの世に存在していません」
後ろから肩をつつかれる。
もちろん、愛ちゃんだ。
私は顔を上げなかった。
今、顔を上げたら。
隣にいる。
竹下くんが。
視界に入ってしまう。
無理だ。
さっき盛大に噛んだ。
しかも。
普通に噛んだだけではない。
おはようございます。
ただそれだけでいい。
高校生なら誰でも言える。
幼稚園児でも言える。
いや、幼稚園児の方が上手に言えるかもしれない。
それを私は。
「おはよございましゅ」
である。
なぜ最後だけ幼児化したのだ。
何があった、私の舌。
「いい加減顔上げなよ」
「無理」
「もう誰も気にしてないよ?」
「私は気にしてる」
「でも竹下くん、さっきから普通にしてるじゃん」
「その情報を私に与えないで」
「なんで?」
「意識するから」
「もう十分してるでしょ」
「そうだけど!」
思わず顔を上げかける。
その瞬間。
「久保さん」
「ひゃい!」
変な声が出た。
私は。
ゆっくり。
ほんとうに、ゆっくり。
恐る恐る横を向いた。
竹下くんがいた。
当たり前だ。
隣の席なのだから。
分かっていた。
分かっていたけれど。
心の準備が追いついていない。
竹下くんは机の上に教科書とノートを並べながら。
少し心配そうな顔で私を見ていた。
「さっきぶつけたところ、大丈夫?」
「え?」
「腰。机にぶつけてたから」
「あ」
そこ?
そこを心配してくれたの?
優しい。
無理。
好き。
「だ、大丈夫!」
私は反射的に背筋を伸ばした。
その拍子に。
「いっ……!」
腰に鈍い痛みが走った。
さっきぶつけた場所だ。
顔が引きつる。
竹下くんが眉を寄せた。
「大丈夫じゃないじゃん」
「大丈夫! これは……遅れてやってきた痛み!」
「それ、大丈夫じゃない人が言うやつじゃない?」
「でも歩けるから!」
「保健室行った方がよくない?」
「そこまでじゃないよ、本当に!」
私は慌てて両手を振る。
その手が机の端に当たり。
筆箱が落ちた。
「あ」
中身が床に散らばる。
シャープペンシル。
消しゴム。
定規。
蛍光ペン。
替え芯。
そして。
なぜか入っていた小さな飴。
教室の床をころころ転がっていく。
数人の生徒が振り返った。
「朝から忙しいな、久保」
前の席の男子が笑う。
「うるさいな!」
私は恥ずかしさを誤魔化すように言い返し。
急いでしゃがもうとした。
その瞬間。
「いっ……」
また腰が痛い。
「ほら、やっぱり痛いんじゃん」
竹下くんも席を立った。
「いいよ、俺拾うから」
「え!?」
待って。
竹下くんが?
私の?
筆箱の中身を?
一緒に拾ってくれる?
「だ、大丈夫! 自分でできる!」
「でも痛いんでしょ?」
「痛くない!」
「今、痛いって言ったじゃん」
「言ってない!」
「言ったよ」
「空耳だよ!」
「結構はっきり聞こえたけど」
竹下くんが笑った。
あ。
笑った。
好きなやつだ。
目尻が少し下がる。
爽やかなのに。
少しだけ幼く見える。
私の中で。
さっきまで腰に集中していた痛覚が。
一瞬で心臓へ移動した。
苦しい。
いや。
嬉しい。
いや。
やっぱり苦しい。
恋というものは。
人体に悪いのではないだろうか。
「真理、固まってるよ」
愛ちゃんの声で我に返った。
「あ、うん!」
私は慌ててしゃがむ。
竹下くんもしゃがむ。
床に散らばった文房具を、二人で拾う。
たったそれだけ。
たったそれだけなのに。
距離が近い。
顔が近い。
手が近い。
まずい。
私の手がシャープペンシルへ伸びる。
同時に。
竹下くんの手も伸びた。
「あ」
「あ、ごめん」
指先が。
ほんの少し。
触れた。
私は。
止まった。
時間が。
止まった。
世界が。
止まった。
気がした。
もちろん。
本当に止まったわけではない。
窓の外では運動部が走っている。
教室では誰かが笑っている。
先生が廊下を歩く足音も聞こえる。
それでも。
私の中だけ。
何も動かなくなった。
触れた。
竹下くんと。
手が。
指が。
ほんの一瞬。
触れた。
「久保さん?」
「……」
「久保さん?」
「へっ?」
私は勢いよく顔を上げた。
ごん。
「痛っ!」
「うわっ、ごめん!」
竹下くんの額と。
私の額が。
思い切りぶつかった。
一瞬。
教室が静かになる。
そして。
「ぶはっ!」
誰かが吹き出した。
それを皮切りに。
あちこちから笑い声が起こる。
「久保、朝から何やってんだよ!」
「大丈夫!?」
「竹下も災難だな!」
「違う! 今のは私だけが悪いわけじゃ!」
「いや、久保さんが急に上向いたから……」
竹下くんは額を押さえながら。
困ったように笑っている。
私は。
もう。
消えたいを通り越して。
転校したい。
できれば海外へ。
誰も私を知らない国へ。
「真理」
愛ちゃんが。
肩を震わせながら近づいてきた。
「何」
「ごめん」
「何」
「無理」
「何が」
「笑う」
「愛ちゃん!!」
教室に。
また笑い声が広がった。
◇
午前七時三十分。
LHRという名の。
事実上の一限目が始まった。
教師が黒板に数式を書いている。
私はノートを開いていた。
もちろん。
内容はほとんど頭に入っていない。
理由は。
隣にいる竹下くん。
さっき。
手が触れた。
額もぶつかった。
後者はいらなかった。
でも。
手が触れた。
その感覚が。
まだ指先に残っているような気がする。
気のせいだ。
分かっている。
でも。
何度も思い出してしまう。
「久保」
「はい!」
突然教師に名前を呼ばれた。
私は勢いよく立ち上がった。
教室中の視線が集まる。
先生が。
黒板の前で。
少し呆れた顔をしていた。
「誰が立てと言った」
「え」
「答え」
「……何のですか?」
教室に笑いが起きる。
「聞いてなかったな?」
「聞いてました!」
「じゃあ、この問題」
先生が黒板を指す。
私は見る。
数式。
知らない。
いや。
習った。
昨日。
でも。
今。
頭の中には竹下くんの手しかない。
まずい。
「えっと……」
沈黙。
先生が腕を組む。
「久保。朝から随分忙しいみたいだな」
「先生まで知ってるんですか!?」
「何の話だ」
「……何でもないです」
また笑われる。
私は顔を赤くしながら問題を見る。
そのとき。
机の上。
視界の端で。
隣から。
ノートが少しだけ動いた。
竹下くん。
自分のノートを。
こちらに少し寄せている。
そこには。
途中式。
答え。
私は目を見開いた。
竹下くんは前を向いたまま。
何も言わない。
私は。
小さく息を吸う。
「……答えは、三です」
「遅い」
「すみません」
「次からちゃんと聞け」
「はい」
私は座った。
先生が再び授業を進める。
私は。
隣を見た。
竹下くんは。
普通にノートを取っている。
私は。
声を出さずに。
口だけ動かした。
ありがとう。
竹下くんが。
ちらりとこちらを見る。
そして。
小さく笑った。
うん。
それだけ。
その一瞬で。
私の心は。
また大騒ぎになった。
◇
午前八時。
HRまでの短い休憩。
先生が教室を出た瞬間。
愛ちゃんが。
机ごとこちらへ迫ってきた。
「で?」
「何」
「どうだった?」
「何が」
「手!」
「声が大きい!」
私は慌てて愛ちゃんの口を塞ぐ。
近くにいた女子二人が。
「手?」
とこちらを見る。
「何でもないです!」
「怪しい」
「何でもないって!」
愛ちゃんは。
私の手を外すと。
声を落として。
にやにや笑った。
「触ったんでしょ?」
「事故だよ」
「でも触った」
「一瞬だけ」
「どうだった?」
「何が?」
「感触」
「聞く!?」
「恋する乙女としては大事でしょ」
「普通の手だよ!」
「ふうん?」
「何、その顔!」
「普通の手なのに、さっきから自分の指見てるよ」
「見てない!」
「見てた」
「気のせい!」
私は慌てて両手を机の下に隠す。
愛ちゃんは楽しそうに笑っている。
「真理って分かりやすいよねぇ」
「うるさい」
「竹下くんも優しいし」
「そうなんだよ!」
反射的に。
私は食いついた。
愛ちゃんの笑みが深くなる。
「あ」
「何?」
「釣れた」
「何が!?」
「竹下くん」
愛ちゃんが。
私の後ろを見る。
私は。
ゆっくり。
振り返った。
竹下くんがいた。
友人らしき男子と話しながら。
こちらへ視線を向けている。
目が合った。
笑われた。
終わった。
絶対。
今の。
聞かれた。
「……どこから?」
私は。
愛ちゃんへ小声で聞いた。
「分からない」
「なんで教えてくれなかったの」
「面白かったから」
「友達やめる?」
「ごめんって!」
私は机へ突っ伏した。
まただ。
今日は。
朝から。
何回机へ突っ伏せばいいのだろう。
机と仲良くなれそうだ。
「でもさ」
愛ちゃんが。
少し声を落とした。
「真理」
「何」
「昨日、春くんにどこまで相談したの?」
「どこまでって?」
「竹下くんのこと」
「ほとんど全部」
「彼女がいないとか?」
「言った」
「好きな人もいなさそうとか?」
「言った」
「告白された回数とか?」
「言った」
「真理、本気で付き合いたいとか?」
「言った」
愛ちゃんが。
一瞬。
黙った。
「……へえ」
「何?」
「いや」
「何、その間」
「別に」
「絶対何かあるでしょ」
愛ちゃんは。
少し考えるように。
机の端を指で叩いた。
「春くん、何て言ってた?」
「興味ないって」
「それだけ?」
「最初はね」
「最初?」
「途中から、本気なのかって何回か聞かれた」
愛ちゃんの指が止まる。
「何回?」
「昨日の帰りと、今朝」
「二回?」
「うん」
「それで?」
「本気だって言ったら、分かったって」
「……へえ」
「だから何、そのへえ」
愛ちゃんは。
すぐには答えなかった。
いつもの。
明るくて。
何でもすぐ口に出す愛ちゃんには珍しい。
少しだけ。
考え込むような顔。
私は不思議になった。
「何?」
「ううん」
「気になる」
「まだ言わない」
「なんで」
「真理が鈍いから」
「悪口!?」
「褒めてる」
「どこが!」
愛ちゃんが笑う。
でも。
その目は。
少しだけ。
さっきまでとは違って見えた。
◇
昼休み。
第三校舎の食堂は。
今日も混んでいた。
特進S。
特進SS。
それに。
第二校舎から来た一部のスポーツ特進。
席を探す生徒たち。
食券機の前にできる列。
カレー。
ラーメン。
丼物。
揚げ物。
いろんな匂いが混じっている。
私と愛ちゃんは。
窓際の四人席を確保していた。
「真理、何食べる?」
「A定食」
「また唐揚げ?」
「好きだから」
「竹下くんの好きな食べ物は?」
「知らない」
「調査不足」
「春斗にも同じこと言われた」
「え」
「自分で聞けって」
「春くんが?」
「うん」
愛ちゃんは。
また。
少し妙な顔をした。
「何」
「いや」
「最近それ多いよ」
「春くんってさ」
「うん」
「真理に協力する気あるのかな」
「考えとくって言ってたよ」
「ふうん」
「愛ちゃんも春斗みたいな返事しないで」
そんな話をしていると。
食堂の入口が。
少しざわついた。
「竹下じゃん」
「今日こっち来たんだ」
「サッカー部の?」
「一年の?」
周囲の女子たちの声。
私は。
反射的に。
入口を見る。
竹下くん。
いた。
同じクラスの男子二人と一緒に。
食券を買っている。
制服の袖を少しまくって。
友人と話しながら笑っている。
私は。
箸を止めた。
「真理」
「……」
「真理」
「……」
「唐揚げ落ちるよ」
「はっ!」
箸から。
唐揚げが落ちかけていた。
危ない。
「見すぎ」
「だって」
「話しかける?」
「無理」
「昨日まで仲良くなりたいって言ってたじゃん」
「遠くから見るのと話すのは違う」
「じゃあ、今日も見て終わり?」
「……」
それを言われると。
痛い。
春斗にも言われた。
話しかければいい。
簡単に言う。
でも。
それができないから。
困っている。
「でも」
私は。
竹下くんを見る。
食券機の前。
友達と笑っている。
人気者だ。
当然。
女子からも。
よく話しかけられている。
私は。
隣の席なのに。
朝の挨拶すら噛む。
今日。
少しだけ会話した。
腰を心配してくれた。
文房具を拾ってくれた。
授業では答えを教えてくれた。
全部。
竹下くんが優しかったから。
私からは。
何もできていない。
そう思うと。
少しだけ。
胸の奥が。
情けなくなった。
「……話しかけたい」
私は。
小さく言った。
愛ちゃんが。
笑顔を引っ込めた。
からかう顔ではなく。
ちゃんと。
友達の顔になった。
「じゃあ、行こう」
「今!?」
「うん」
「無理!」
「言ったじゃん!」
「心の準備が!」
「準備してたら卒業するよ」
「それは困る!」
「じゃあ行く」
愛ちゃんが立つ。
「待って!」
「大丈夫」
「何が!?」
「私が最初に話すから」
「それじゃ意味ない!」
「じゃあ真理が話す?」
「それも無理!」
「どっち!」
私たちが。
小声で。
でも。
結構必死にやり取りしていると。
「何してるの?」
声。
私は。
固まった。
竹下くん。
いつの間に。
目の前に。
トレーを持って立っている。
「席、ここ空いてる?」
「……」
私は。
愛ちゃんを見る。
愛ちゃんは。
私を見る。
周囲の音が。
一瞬。
遠くなった。
「空いてるよ!」
愛ちゃんが答えた。
「じゃあいい?」
「もちろん!」
私の許可は。
なかった。
竹下くんと。
その友人二人が。
同じテーブルへ座った。
私の正面。
竹下くん。
距離。
近い。
食堂。
人。
多い。
逃げ場。
ない。
「真理」
愛ちゃんが。
小声で。
私の足を。
軽く蹴った。
痛い。
でも。
意味は分かる。
話せ。
今。
チャンス。
私は。
箸を握り直した。
「た、竹下くん」
「ん?」
見られた。
笑顔。
無理。
でも。
逃げたら。
また。
遠くから見るだけ。
「今日の……」
「今日の?」
「朝」
「朝?」
ダメ。
話題が。
朝しか出てこない。
「ぶつかって、ごめんね」
「ああ」
竹下くんが。
笑った。
「全然大丈夫」
「本当に?」
「うん。久保さんの方が痛そうだったし」
「私は大丈夫!」
「腰も?」
「……ちょっと痛い」
「やっぱり」
友人の男子が笑う。
「朝から何してたんだよ、お前ら」
「久保さんが筆箱落として、拾ってただけ」
「それで頭ぶつける?」
「事故だよ!」
私は慌てて言う。
竹下くんも笑う。
「久保さん、慌てると面白いね」
「え?」
面白い。
今。
面白いって。
言われた。
悪い意味?
いい意味?
分からない。
「嫌だった?」
竹下くんが。
少し心配そうに聞く。
「全然!」
私は。
勢いよく首を振った。
「面白い女になりたいです!」
「急に目標ができたな」
友人が笑う。
竹下くんも。
また笑った。
愛ちゃんが。
私の隣で。
こっそり親指を立てる。
私は。
机の下で。
震えていた。
話せた。
普通に。
いや。
途中ちょっとおかしかったけど。
話せた。
それだけで。
嬉しかった。
◇
放課後。
水戸駅へ向かう道。
私は。
いつもの場所で。
春斗を待っていた。
第三校舎から出て。
第一校舎の生徒と合流する場所。
下校する生徒たちが。
次々と通り過ぎる。
笑い声。
自転車を押す音。
部活へ向かう生徒の掛け声。
夕方の陽。
水戸の街を抜ける風。
私は。
今日のことを。
春斗に話したくて仕方なかった。
竹下くんと。
朝。
手が触れた。
頭もぶつけた。
昼。
同じテーブルで。
ご飯を食べた。
会話した。
笑ってくれた。
私を。
面白いと言った。
たぶん。
良い意味。
きっと。
良い意味だ。
「真理」
声。
春斗。
私は。
振り返る。
「遅い!」
「五分だろ」
「五分は長い」
「お前、今朝俺を置いて先に行っただろ」
「それは春斗が寄り道したからでしょう!」
「そうだっけ」
「そうだよ!」
春斗は。
いつものように。
本を片手に持っていた。
私は。
その隣へ並ぶ。
自然に。
歩き出す。
この感じ。
朝。
一人だったときに。
少し物足りなかったもの。
戻ってきた。
それだけで。
なんとなく。
落ち着く。
「ねえ聞いて!」
「嫌」
「今日ね!」
「聞いてない」
「竹下くんと!」
「……」
春斗の足が。
ほんの少し。
止まった。
私は気づかず続ける。
「手、触れた!」
「……は?」
珍しい。
春斗が。
はっきり聞き返した。
私は。
嬉しくなって。
さらに話す。
「筆箱落として、一緒に拾ってたら偶然!」
「偶然」
「うん!」
「それだけ?」
「あと頭もぶつけた!」
「何してんだよ」
「それは自分でも思う」
「馬鹿なのか」
「失礼な!」
春斗が。
ため息をつく。
「それで?」
「それでね!」
私は。
昼のことも話した。
竹下くんが。
同じテーブルへ来たこと。
会話できたこと。
面白いと言われたこと。
話しながら。
私は。
どんどん嬉しくなった。
今日一日。
ずっと。
胸の中に溜めていたものを。
ようやく。
誰かに聞いてもらえる。
愛ちゃんには。
その場で話していた。
でも。
春斗に話すのは。
なんとなく。
違う。
昔から。
何かあったら。
私は。
こうして。
春斗に話してきた。
テスト。
部活。
友達。
先生。
嫌だったこと。
嬉しかったこと。
春斗は。
大抵。
ふうん。
とか。
そう。
とか。
どうでもいい。
とか。
そんな返事しか返さない。
それでも。
聞いてはいる。
だから。
今日も。
話した。
「それで、面白いって言われたの!」
「それ、褒められてるか?」
「褒められてるよ!」
「たぶん変な奴だと思われてる」
「違う!」
「朝から噛んで、机にぶつかって、筆箱落として、頭ぶつけたんだろ」
「……」
私は。
黙った。
「変な奴だな」
「春斗の意地悪」
「事実だろ」
「でも、昼は普通に話せた」
「そう」
「しかもね、竹下くん」
「うん」
「好きな食べ物、唐揚げらしい」
春斗が。
私を見る。
「何で分かった」
「昼に食べてたから」
「それだけで?」
「好きそうだった」
「推測かよ」
「でも二個おかわりしてた」
「それは好きかもな」
「でしょう!」
私は。
嬉しくなって。
笑った。
「私も唐揚げ好きだから、共通点だよ!」
「全国に何万人いる共通点だ」
「夢を壊さないで!」
春斗は。
また。
小さくため息をついた。
でも。
さっきより。
少しだけ。
機嫌が悪いように見えた。
「どうしたの?」
「何が」
「なんか不機嫌」
「普通」
「嘘」
「普通だって」
「竹下くんの話、嫌?」
私が聞くと。
春斗は。
少しだけ。
黙った。
夕方の歩道。
私たちの横を。
自転車が通り過ぎる。
風が。
制服の裾を揺らす。
「別に」
春斗は。
それだけ言った。
「じゃあ聞いて」
「勝手に話すだろ」
「よく分かってるじゃん」
「十五年の付き合いだからな」
私は。
笑った。
春斗も。
ほんの少し。
口元を緩めた。
でも。
次の言葉は。
妙だった。
「竹下って」
「うん?」
「サッカー部で、特進SSなんだろ」
「そう」
「朝練は週四」
「え?」
「一年なのに、もうAチームの練習に混ざってる」
「……え?」
私は。
足を止めた。
春斗も。
数歩先で止まる。
「何で知ってるの?」
「何が」
「今の」
「聞いた」
「誰に?」
「知り合い」
「誰?」
「商業科の」
「誰!」
「うるさい」
私は。
春斗へ詰め寄る。
「興味ないって言ってたよね!?」
「興味はない」
「めちゃくちゃ調べてるじゃん!」
「たまたま聞いただけ」
「朝練週四までたまたま聞く!?」
「聞いた」
「Aチームの練習まで!?」
「話の流れで」
「どんな流れ!?」
春斗は。
目を逸らした。
明らかに。
怪しい。
「春斗」
「何」
「もしかして」
私は。
少し。
期待した。
「私のために調べてくれた?」
「……」
沈黙。
春斗は。
答えない。
私は。
じっと見る。
春斗は。
面倒そうに。
頭を掻いた。
「恋愛相談するなら、相手の情報くらい必要なんだろ」
「……」
「だから、少し聞いただけ」
「……春斗」
「何」
「ありがとう!」
私は。
嬉しくなって。
春斗の腕を。
両手で掴んだ。
「本当に協力してくれるんじゃん!」
「離せ」
「やっぱり幼馴染だね!」
「離せって」
「優しい!」
「違う」
「優しい!」
「違うって」
「照れてる?」
「殴るぞ」
「怖い!」
私は笑いながら手を離した。
春斗は。
不機嫌そうに。
また歩き出す。
私は。
その隣へ。
駆け足で追いつく。
「他には?」
「何が」
「竹下くん情報!」
「ない」
「絶対ある」
「ない」
「好きな女の子のタイプは?」
「知らない」
「過去の恋愛歴!」
「知らない」
「好きな飲み物!」
「知らない」
「誕生日!」
「知らない」
「身長!」
「178」
「知ってるじゃん!」
「……」
春斗が。
黙った。
私は。
止まった。
「春斗」
「……」
「めちゃくちゃ詳しいじゃん」
「うるさい」
「やっぱり調べてくれたんだ!」
「違う」
「何が違うの!」
「もう話さない」
「待って!」
春斗が。
歩く速度を上げる。
私は。
その後ろを追いかける。
夕方の道。
長く伸びる影。
水戸駅へ向かう。
いつもの帰り道。
私は。
春斗が。
私の恋を応援してくれている。
そう思っていた。
嬉しかった。
心強かった。
これなら。
竹下くんと。
もっと仲良くなれるかもしれない。
そう。
単純に。
思っていた。
だから。
気づかなかった。
春斗が。
私から顔を逸らしたまま。
少しだけ。
強く。
本の背表紙を握っていたことに。
その指先が。
白くなるくらい。
力が入っていたことに。
私は。
まだ。
気づいていなかった。




