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『好きな人がいるので、幼馴染に恋愛相談していたら、なんだか様子がおかしくなりました』   作者: 伊佐波瑞樹


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15/52

第15話 好きな人とのデート前日なのに、幼馴染からの返信が遅いだけで何も手につかなくなりました


 土曜日の朝、午前七時十二分。


 私は、いつもより遅い時間に目を覚ました。


 平日なら、とっくに家を出る準備をしている。


 春斗と五分早く会うようになってからは、目覚ましが鳴るより前に起きる日も増えた。


 でも今日は学校がない。


 送迎の車も。


 岩瀬駅のホームも。


 春斗と並んで座る、あの五分もない。


 代わりに。


 明日は竹下くんとの二回目のデート。


 枕元のスマートフォンを手に取ると、画面には二件の通知があった。


 最初は竹下くん。


『おはよう。明日、晴れ』


 午前六時三十八分。


 もう一つは春斗。


『熱三十六度九分』


 午前六時五十一分。


 春斗の熱は、ほとんど下がっている。


 それを見た瞬間、身体から力が抜けた。


「……よかった」


 声に出る。


 私は先に春斗へ返信した。


『下がったね』


 既読はつかない。


 寝ているのかもしれない。


 次に竹下くんへ。


『おはよう。本当に晴れそうだね』


 送る。


 すぐに既読がついた。


『朝から天気予報見た』


『毎日見てるね』


『明日だから』


『楽しみ?』


『かなり』


 胸が少し高鳴る。


『私も』


 返す。


『体調大丈夫?』


『私?』


『昨日、春斗くんのこと気にしてたから』


 竹下くんは、自分との明日の予定よりも先に、私の様子を気にしてくれる。


『春斗、熱下がったみたい』


『よかった』


『うん』


『なら明日大丈夫そう?』


『大丈夫』


『本当に?』


 少しだけ指が止まる。


 春斗の熱は下がった。


 明日になれば、もっと元気になっていると思う。


 だから。


 私は竹下くんとの時間へ集中できる。


『大丈夫だよ』


 送る。


『じゃあ九時半』


『うん』


『遅刻しないで』


『竹下くんが言う?』


『俺は遅刻してない』


『私より遅かった』


『待ち合わせの二十分前だった』


『私は二十五分前』


『早すぎ』


『待たせたくなかったから』


『それ俺の台詞』


 二人で同じような言葉を送り合う。


 画面を見ながら笑う。


 明日。


 竹下くんと会う。


 今度は映画館ではない。


 偕楽園を歩く。


 天気も晴れ。


 たぶん、人もそれほど多くない。


 話せる。


 前回よりも。


 もっと長く、互いの顔を見る。


 手を繋ぐかもしれない。


 そう思うだけで、胸が少し熱くなる。


 私はスマートフォンを胸元へ置いた。


 竹下くんとの会話は、素直に嬉しい。


 明日が楽しみ。


 それは何も変わっていない。


 でも。


 数分経っても。


 春斗から返信はなかった。


 熱は下がった。


 それなのに。


 私は画面を何度も確認した。


     ◇


 午前七時四十分。


 台所へ下りると、母が朝食の準備をしていた。


 焼いたパンの匂い。


 湯気の立つスープ。


 窓から入る朝の光。


 土曜日らしい、少しゆっくりした空気が家の中に流れている。


「おはよう」


「おはよう。今日は遅かったね」


「学校ないから」


「春斗くんの熱は?」


「下がった」


「よかったね」


「うん」


 母はスープを器へ注ぎながら、私を見る。


「明日の方は?」


「晴れるって」


「春斗くんじゃなくて、竹下くん」


「分かってる」


「楽しみ?」


「うん」


「服は?」


 その言葉で。


 私は昨日まで避けていたことを思い出す。


 明日の服。


 前回は、水色のブラウスにベージュのロングスカート。


 今回は、偕楽園を歩く。


 動きやすい服。


 スニーカー。


 竹下くんにも、歩きやすい靴でと言われた。


「まだ決めてない」


「今日選ぶ?」


「うん」


「春斗くんに見せるの?」


 母の問いへ、すぐには答えられなかった。


 前回。


 私は竹下くんに会う服を、春斗にも見てほしいと思った。


 春斗は「変じゃない」とだけ言った。


 可愛いと言えば、その喜びを持って竹下くんに会いに行くのが嫌だから。


 その言葉は、今も覚えている。


「見せない」


 私は答えた。


「どうして?」


「竹下くんとのデートの服だから」


「うん」


「春斗に見せたら、また比べると思う」


「誰の反応を?」


「二人の」


 母は静かに頷く。


「自分で決める?」


「うん」


「それがいいかもしれないね」


「でも」


「でも?」


「春斗なら、似合わないとき言ってくれる」


 思わず口にする。


 母が少しだけ笑う。


「竹下くんは?」


「たぶん何でも可愛いって言う」


「それはそれで嬉しいでしょう」


「うん」


「なら、真理が決めた服を、竹下くんに見てもらえばいいんじゃない」


「……うん」


「明日は竹下くんとの時間なんでしょう」


「うん」


「だったら、春斗くんの目を借りなくてもいい」


 胸へ落ちる。


 春斗の意見がなければ決められない。


 それでは。


 明日のデートまで、春斗との関係の中へ入れてしまう。


「分かった」


「本当に?」


「少し不安だけど」


「自分で選びなさい」


「お母さんは見て」


「私はいいの?」


「お母さんは恋愛関係ないから」


 母が笑う。


「便利に使われてるね」


「家族だから」


「それも便利な言葉」


 春斗と同じことを言われた。


 私は少しだけ笑った。


     ◇


 朝食を終え。


 午前九時。


 私は自分の部屋でクローゼットを開いていた。


 服を一枚ずつ取り出す。


 白いシャツ。


 淡い緑色のカーディガン。


 紺色のスカート。


 薄いベージュのパンツ。


 前回より歩きやすく。


 でも、少し可愛く見られたい。


 竹下くんに。


「……これかな」


 淡いクリーム色のブラウスを身体へ当てる。


 鏡を見る。


 少し大人っぽい。


 でも、下をスカートにすると歩きにくいかもしれない。


 パンツにすれば楽。


 けれど。


 竹下くんは、どちらが好きだろう。


 聞こうとして。


 止める。


 明日、初めて見るからいい。


 事前に写真を見せなくても。


 竹下くんが会った瞬間、どう反応するか。


 その顔を見たい。


 そう思えた。


 前回は春斗の言葉を待った。


 今度は。


 竹下くんの最初の言葉を、竹下くんだけのものにしたい。


 その気持ちへ気づき。


 胸が少し高鳴る。


「……うん」


 クリーム色のブラウス。


 薄い青のデニム。


 白いスニーカー。


 小さな茶色のバッグ。


 髪は下ろすか。


 少しだけ結ぶか。


 鏡の前で悩む。


 その間にも。


 机の上に置いたスマートフォンを何度も見る。


 春斗から返信はない。


 熱が下がったと送ってきたあと。


 また寝たのかもしれない。


 分かっている。


 でも。


 いつもなら、私が返信すれば、少しして返ってくる。


 今日は遅い。


 体調が悪い。


 当然。


 それでも。


 手が止まる。


 服を選んでいるのに。


 春斗の返信が気になっている。


「……何してるんだろ」


 呟く。


 寝ている。


 分かっている。


 私はスマートフォンを取り、もう一度画面を見る。


 既読はついていない。


『ちゃんと寝てる?』


 送りかける。


 でも。


 昨日。


 母親みたいにうるさいと言われた。


 今日は休み。


 寝かせた方がいい。


 私はメッセージを消す。


 鏡へ戻る。


 ブラウス。


 髪型。


 バッグ。


 明日のことを考える。


 それなのに。


 数分後には、またスマートフォンへ手を伸ばしていた。


     ◇


 午前十時十八分。


 愛ちゃんから電話がかかってきた。


「もしもし」


『服決めた?』


「何で分かったの」


『明日でしょ』


「うん」


『写真送って』


「いいの?」


『私は春くんじゃないから』


 母と同じ。


「今から送る」


 鏡の前で全身を撮る。


 愛ちゃんへ送信。


 すぐに通話の向こうで声が上がった。


『可愛い』


「本当?」


『うん。前回より歩きやすそうだし』


「デニムでいい?」


『いいよ。竹下くん、たぶんかなり好き』


「何で分かるの」


『真理が似合ってるから』


「それだけ?」


『それ以上いる?』


「春斗なら、丈とか色とか言う」


『春くん基準に戻らない』


「分かってる」


『でも考えた?』


「少し」


『見せたくなった?』


「なった」


 正直に答える。


『送る?』


「送らない」


『どうして?』


「明日の服は、竹下くんに最初に見てほしい」


 言う。


 通話の向こうが少し静かになる。


『真理』


「何?」


『ちゃんと進んでるね』


「本当?」


『うん。前回は春くんの言葉をもらってから竹下くんへ会いに行った』


「うん」


『今回は、竹下くんに一番に見てもらおうとしてる』


「うん」


『それは竹下くんとの関係を作ってると思う』


 胸が少し温かくなる。


「春斗に悪い?」


『何で?』


「見せてほしいと思うかもしれない」


『春くんは嫌だって言ってたでしょ』


「前は」


『今もたぶん嫌だよ』


「でも、見たくないのと、知らないの嫌なのは別」


『それは春くんが考えること』


「うん」


『真理は、明日の服を誰に見せたいの?』


「竹下くん」


『なら、それでいい』


 答えがはっきりしている。


 少し安心する。


『で』


 愛ちゃんの声が変わる。


『春くんは?』


「熱下がった」


『よかったね』


「でも返信ない」


『寝てるんじゃない?』


「うん」


『何回見た?』


「何を」


『スマホ』


「……たくさん」


 愛ちゃんが小さく息を吐く。


『デートの服選んでるのに?』


「うん」


『返信来ないだけで気になる?』


「体調悪いから」


『それだけ?』


 母と同じ。


 みんな。


 私が誤魔化そうとすると、すぐに見抜く。


「昨日会ったから」


『うん』


「熱ある顔見たから」


『うん』


「ちゃんと大丈夫って言われても、気になる」


『うん』


「あと」


『あと?』


「朝の返信、いつもより遅い」


『体調悪いからね』


「分かってる」


『それでも嫌?』


「嫌っていうか、不安」


『何が?』


 私は鏡の前に座る。


 明日の服が、ベッドの上へ置かれている。


 竹下くんへ会うために選んだ服。


 その横で。


 春斗からの返信を待っている。


「春斗が寝てるだけじゃなくて」


『うん』


「私との連絡、少し減らそうとしてるのかもって」


『熱出してる人に何考えてるの』


「分かってる」


『でも思ったんだ』


「うん」


『昨日会いに行ったから、今日は距離取ろうとしてるとか?』


「少し」


 愛ちゃんはすぐには答えなかった。


『真理』


「何」


『春くんが返信しないだけで、明日の準備できない?』


「できてる」


『手止まってるでしょ』


「……止まる」


『それ、失いたくないから?』


 昨日から。


 何度も考えている。


 失いたくないから。


 会いたいから。


「分からない」


『会いたい?』


「うん」


『返信ほしい?』


「うん」


『好きって言ってほしい?』


「今はそれじゃない」


『じゃあ何がほしい?』


「普通に返事してほしい」


『何で?』


「春斗と話したいから」


 口にする。


 胸の奥が少し熱くなる。


「ただ話したい」


『何を?』


「何でもいい」


『五分と同じだね』


 その言葉へ。


 私は黙った。


 朝の五分。


 何も話さなくてもいい。


 ただ一緒にいたい。


 今も。


 内容は何でもいい。


 ただ春斗から返事がほしい。


「……うん」


『真理』


「何」


『それ、結構大きいよ』


「何が?」


『春くんとの関係』


 胸が重くなる。


『竹下くんとの明日を楽しみにしてるのに』


「うん」


『春くんの返信がないと何も手につかない』


「うん」


『それを、ただの幼馴染って言うのは難しいと思う』


「分かってる」


『竹下くんに言える?』


 質問。


 言えない。


 明日の服を選びながら。


 春斗の返信を何度も待っていた。


 そんなことを知れば。


 竹下くんは傷つく。


「言わない」


『隠す?』


「全部言う必要ない」


『うん。それはそう』


「でも」


『でも?』


「明日、竹下くんといるときは春斗の連絡見ない」


 私は言った。


『本当に?』


「うん」


『熱上がったって来ても?』


 胸が止まる。


「それは」


『例外?』


「分からない」


『真理』


「何」


『無理な約束しなくていい』


「でも竹下くんを見るって」


『見るのと、春くんを消すのは違う』


「うん」


『ただ、ずっとスマホ見て春くんの返信待つのは違う』


「うん」


『明日、会う前に春くんの体調確認して』


「うん」


『デート中は、緊急じゃなければ見ない』


「できるかな」


『やるしかない』


「厳しい」


『竹下くんとの時間を作るんでしょ』


「うん」


『なら、そこは真理が決める』


 愛ちゃんの言葉は厳しい。


 でも。


 正しい。


「分かった」


『それと』


「何?」


『春くんから返信来ても、服の写真送らない』


「分かってる」


『本当に?』


「送らない」


『よし』


「先生みたい」


『真理が危なすぎるから』


 二人で少し笑う。


 通話を終える。


 私はベッドの上の服を見る。


 竹下くんに最初に見てもらう。


 その約束を。


 自分の中で、もう一度決めた。


     ◇


 午前十一時二十六分。


 ようやく春斗から返信が来た。


『寝てた』


 たった三文字。


 でも。


 画面を見た瞬間。


 胸の奥に溜まっていたものが一気にほどけた。


『知ってる』


 すぐに返す。


『何で』


『返信なかったから』


『寝てると思った?』


『思った』


『じゃあ待て』


『待った』


『何回見た』


 春斗まで聞く。


『たくさん』


 正直に返す。


 既読。


 少し間。


『何してた』


『明日の服選んでた』


 送る。


 春斗からの返事が止まる。


 私は画面を見つめる。


『見せる?』


 届く。


 胸が鳴る。


 前回と同じ。


 でも。


 今回は。


『見せない』


 送る。


 既読。


 長い沈黙。


『そっか』


 短い。


 胸が痛む。


『竹下くんに最初に見てもらう』


 続ける。


 既読。


 返事が来ない。


『嫌?』


『嫌』


 正直な答え。


『でも前は嫌って言った』


『うん』


『見せられるの嫌』


『うん』


『でも見せてもらえないのも嫌』


『うん』


『面倒』


 少し笑う。


『春斗が?』


『そう』


『知ってる』


『お前も』


『知ってる』


 少しだけ。


 いつもの会話へ戻る。


『でも』


 春斗から。


『見せない方がいい』


『うん』


『俺が可愛いって思っても言えない』


 胸が大きく鳴る。


『今、思ってくれるの?』


『写真見てない』


『前の服は?』


『言わない』


『可愛いと思った?』


『寝る』


『逃げた』


『熱ある』


『下がった』


『まだ病人』


『ずるい』


 春斗から、少し間を置いて返事が来る。


『明日の服は竹下に見せろ』


 胸へ静かに落ちる。


『うん』


『俺には月曜』


『何を?』


『学校の顔』


 意味がよく分からず。


『制服?』


『違う』


『じゃあ?』


『日曜のあと、お前がどんな顔で来るか』


 胸が少し痛む。


 春斗は。


 見たくない。


 でも。


 月曜日に私へ会う。


 その顔から。


 竹下くんとの時間を感じ取ってしまう。


『見ない方がいい?』


『見る』


 即答。


『嫌なのに?』


『会いたいから』


 昨日と同じ。


 会いたい。


 その言葉に。


 胸が温かくなる。


『私も月曜会いたい』


『日曜前に言うな』


『何で』


『期待する』


『月曜の五分は期待していい』


『それ以上』


『まだ』


『分かってる』


 春斗は受け止める。


 苦しいはずなのに。


『熱、もう大丈夫?』


『喉だけ』


『ご飯食べた?』


『食べた』


『薬』


『飲んだ』


『水』


『飲んだ』


『よし』


『母さん』


『違う』


『昨日触らなかったのに今日は母親』


『それとこれ別』


『便利』


『春斗も使う』


 少し笑う。


 文字だけ。


 顔は見えない。


 でも。


 話せている。


 それだけで。


 さっきまで止まっていた時間が、また動き始めたように感じた。


     ◇


 午後一時。


 私は母と近くの店へ、明日のための小物を見に出かけた。


 新しいものを買う必要はない。


 でも。


 髪を少しまとめるための飾り。


 小さなハンカチ。


 歩いたときに邪魔にならないバッグ。


 店内には休日らしい家族連れや、友人同士の若い客が多かった。


 鏡の前で、小さな茶色の髪留めを当てる。


「これどう?」


 母に聞く。


「いいと思う」


「地味?」


「服に合うよ」


「可愛い?」


「可愛い」


「竹下くんも?」


「お母さんには分からない」


「役に立たない」


「春斗くんに聞けば?」


 母が少し笑う。


「聞かない」


「偉い」


「さっき向こうから聞かれたけど」


「見せた?」


「見せてない」


「ちゃんと分けたね」


「うん」


 でも。


 母と話しながらも。


 春斗の「見せない方がいい」という言葉を思い出す。


 嫌なのに。


 見たいのに。


 それでも。


 竹下くんへ最初に見せろと言った。


 春斗も線を守ろうとしている。


 なら。


 私も守る。


「これにする」


 髪留めを籠へ入れる。


「明日、楽しみ?」


 母が聞く。


「うん」


「手を繋ぐの?」


 店の中で言われ。


 私は周囲を見る。


「声大きい」


「普通だよ」


「まだ決めてない」


「繋ぎたい?」


「少し」


「春斗くんとは?」


「今は繋がない」


「聞いてるのは、繋ぎたいか」


 母は逃がしてくれない。


「……気になる」


「竹下くんとは繋ぎたい。春斗くんとは気になる」


「うん」


「前にも言った」


「違いは分かった?」


 私は少し考える。


 竹下くんの手。


 繋いだら。


 恋が進む。


 嬉しい。


 照れる。


 もっと恋人らしくなる。


 春斗の手。


 繋いだら。


 何かが決まってしまう気がする。


 今までの幼馴染へ戻れなくなる。


 でも。


 昨日。


 熱のある春斗へ手を伸ばしかけた。


 触れたら。


 もっといたくなると思った。


「竹下くんとは、繋いだあとを想像できる」


「うん」


「春斗とは、繋いだ瞬間に全部変わりそうで怖い」


「どちらが大きい?」


「何が?」


「気持ち」


「分からない」


「そう」


 母はそれ以上聞かなかった。


「でもね」


「何?」


「怖いから大きいとは限らないし、分かりやすいから浅いとも限らないよ」


 胸へ落ちる。


「竹下くんとの恋を、分かりやすいから軽いと思わないこと」


「うん」


「春斗くんとの気持ちを、長いから本物だと決めないこと」


「うん」


「どちらも、その人と今からどうなりたいかで考えなさい」


 母の言葉は静かだった。


 私は髪留めを握る。


 竹下くんと。


 今からどうなりたい。


 もっと会いたい。


 もっと知りたい。


 手を繋ぎたい。


 恋人になりたい。


 春斗と。


 今からどうなりたい。


 五分長く会いたい。


 毎日一緒に帰りたい。


 ほかの女子を好きになってほしくない。


 女の子として見てほしい。


 でも。


 恋人になりたい。


 そこだけ。


 まだ、すぐには書けない。


     ◇


 午後三時十九分。


 帰宅すると。


 竹下くんからメッセージが届いていた。


『明日、偕楽園で少し寄りたいところある』


『どこ?』


『着いてから』


『また秘密』


『楽しみ増えるだろ』


『気になる』


『明日まで待って』


『分かった』


『服決まった?』


 胸が少し鳴る。


『決まった』


『写真』


 短い。


 少し笑う。


『見たいの?』


『見たい』


『明日見て』


 送る。


 すぐに返事。


『俺が最初?』


 胸が温かくなる。


『うん』


 既読。


『嬉しい』


 返ってくる。


『前は春斗くんに見せた?』


 質問。


 正直に答える。


『前は見せた』


 少し間。


『今回は?』


『見せてない』


『どうして?』


『明日は竹下くんに最初に見てほしいから』


 既読。


 しばらく返事がない。


 不安になる。


 何か重かっただろうか。


 でも。


『久保さん』


『何?』


『今すごい嬉しい』


 胸が熱くなる。


『そんなに?』


『うん』


『服だけだよ』


『違う』


『何が?』


『俺とのデートを、俺とのものにしてくれた感じする』


 胸へ落ちる。


 竹下くんも。


 同じことを感じていた。


『そうしたかった』


 送る。


『ありがとう』


『うん』


『明日、可愛いって言う』


『まだ見てない』


『たぶん可愛い』


『何でも言う』


『本当だから』


 顔が熱くなる。


『期待していい?』


『して』


 竹下くんは迷わない。


『俺も期待してる』


『何を?』


『服も』


『うん』


『手も』


 胸が強く鳴る。


『そのとき決める』


『分かってる』


『でも少しだけ』


 指が止まる。


 昨日も言った。


 少し楽しみ。


 今日は。


 もう少し踏み込める気がした。


『私も期待してる』


 送信。


 既読。


『本当?』


『うん』


『じゃあ明日聞く』


『何を?』


『手、繋いでいいか』


『うん』


『断られたら?』


『そのとき考える』


『怖い』


『竹下くんも?』


『怖いよ』


 竹下くんも不安。


 私の答えが分からない。


 それでも。


 明日聞く。


『ちゃんと答える』


 送る。


『うん』


『逃げない』


『ありがとう』


 胸が高鳴る。


 明日。


 私は。


 竹下くんから手を繋いでいいか聞かれる。


 そのとき。


 きちんと答える。


 春斗がどう思うかではなく。


 竹下くんと繋ぎたいか。


 自分で。


     ◇


 午後四時過ぎ。


 春斗からの連絡は途切れていた。


 最後は昼前。


 熱が下がった。


 喉が痛い。


 ご飯も薬も水も大丈夫。


 そのあと。


 返信がない。


 寝ている。


 たぶん。


 私は明日の持ち物を確認する。


 財布。


 スマートフォン。


 ハンカチ。


 折り畳み傘。


 飲み物。


 モバイルバッテリー。


 竹下くんとのトーク画面に、待ち合わせ場所と時間。


 九時半。


 水戸駅北口。


 そこからバス。


 全部揃っている。


 それでも。


 スマートフォンを何度も見る。


「また」


 自分へ言う。


 見ても、返信は増えない。


 私は画面を伏せる。


 五分後。


 また見る。


 通知なし。


 胸が落ち着かない。


『大丈夫?』


 送りたい。


 でも。


 何度も確認するのは。


 春斗を休ませない。


 私は我慢する。


 机へ向かい。


 学校の課題を開く。


 数学。


 小テストの直し。


 春斗に教えてもらった途中式。


 問題を一つ解く。


 途中で。


 春斗なら、ここはどう書くと言うだろう。


 考える。


 二問目。


 スマートフォンを見る。


 通知なし。


 三問目。


 式を間違える。


「……集中できない」


 私はペンを置いた。


 春斗からの返信がない。


 それだけで。


 課題も。


 明日の準備も。


 何も手につかなくなっている。


 昨日。


 会えないだけで寂しかった。


 今日は。


 連絡がないだけで不安。


 これは。


 失いたくないから。


 それとも。


 好きだから。


 私はまだ、答えを出せない。


 でも。


 ただの幼馴染なら。


 ここまで気になるのだろうか。


     ◇


 午後五時三十二分。


 ようやくスマートフォンが震えた。


 私は、机の上からすぐに取った。


 春斗。


『寝てた』


 また同じ。


 胸から力が抜ける。


『何時間寝るの』


『病人』


『熱は?』


『三十六度七分』


『下がった』


『うん』


『喉』


『少し』


『元気?』


『少し』


 一つずつ。


 返事がある。


 それだけで安心する。


『何してた』


 春斗が聞く。


『明日の準備』


『終わった?』


『ほとんど』


『服』


『見せない』


『分かってる』


 少し間。


『竹下に見せる』


『うん』


『嬉しそう』


『うん』


 正直に答える。


 春斗の返事が止まる。


 胸が痛む。


 でも。


 曖昧にしない。


『手』


 届く。


『明日聞かれる』


『何て答える』


『そのとき決める』


『今は?』


 私は画面を見つめる。


 竹下くんには。


 期待していると伝えた。


 春斗へ。


 同じ内容を言う必要はない。


『言わない』


 送る。


 既読。


『そっか』


『竹下くんとの話だから』


『うん』


『嫌?』


『嫌』


『でも?』


『分かった』


 春斗も受け止める。


『今日』


 私は送る。


『何』


『返信遅くて心配した』


『寝てた』


『分かってる』


『何回見た』


『たくさん』


『何で』


 聞かれる。


 愛ちゃんにも聞かれた。


 自分でも考えた。


『春斗と話したかったから』


 送る。


 既読。


 長い沈黙。


『何話す』


『何でもいい』


『明日のことでも?』


『それは話さない』


『じゃあ何』


『熱とか』


『うん』


『本とか』


『うん』


『学校の課題とか』


『うん』


『何でも』


 既読。


『期待する』


 また。


『何を?』


『俺と話したいって』


『話したいよ』


 返す。


『竹下と明日会うのに?』


『それとこれ別』


『便利』


『でも本当』


 少し間。


『俺は分けられない』


『うん』


『でもお前は分ける』


『うん』


『それ、嫌』


『うん』


『でも』


『何?』


『返信待ってたのは嬉しい』


 胸が温かくなる。


『待ってた』


『何も手につかなかった?』


 見られていたような質問。


『少し』


『少し?』


『かなり』


 正直に送る。


 春斗から返事が来ない。


『春斗?』


『いる』


『嫌だった?』


『逆』


『何が?』


『嬉しすぎて嫌』


 胸が大きく鳴る。


『どういう意味』


『期待するから』


『うん』


『お前が俺の返信ないだけで何もできないって』


『うん』


『それ、俺を選ぶかもって思う』


 胸が痛む。


 私はすぐに答えられない。


 春斗は。


 私の一つ一つの言葉から。


 未来を期待する。


 私は。


 その期待を分かった上で。


 正直に話している。


『今は選ぶって言えない』


 送る。


 既読。


『分かってる』


『でも返信ほしかったのは本当』


『うん』


『それだけは、違う意味にしないで』


『難しい』


『うん』


『でも分ける』


 春斗から。


『何を』


『お前が俺と話したいことと、俺を選ぶこと』


 胸へ落ちる。


 春斗も。


 自分で線を引こうとしている。


『ありがとう』


『嫌だけど』


『うん』


『明日』


『何?』


『連絡しない』


 胸が止まる。


『何で?』


『デート中』


『うん』


『俺から送ったら、お前見るだろ』


『……見るかも』


『だから送らない』


『でも体調』


『朝送る』


『熱上がったら?』


『母さんいる』


『でも』


『日曜は竹下なんだろ』


 春斗の言葉。


 胸が痛む。


『うん』


『なら、俺から邪魔しない』


『邪魔じゃない』


『お前にはそうでも、竹下には邪魔』


 何も返せない。


 正しい。


『終わったら』


 春斗が続ける。


『楽しかった、だけ』


『うん』


『手のことは言うな』


『言わない』


『顔で分かっても』


『聞かない』


『うん』


『月曜』


『五分早い』


 胸が温かくなる。


『うん』


『熱下がってたら』


『下げる』


『無理しないで』


『会いたいから』


 昨日と同じ。


 春斗は。


 月曜日に会いたい。


 私は。


 明日竹下くんに会いたい。


 そして。


 月曜日には春斗にも会いたい。


『私も』


 送る。


『明日行くのに?』


『月曜は春斗に会いたい』


 既読。


『分かった』


『期待する?』


『する』


『月曜の五分はしていい』


『それ以上は』


『まだ』


『分かってる』


 春斗との会話を閉じる。


 明日は。


 春斗から連絡は来ない。


 朝の体調報告だけ。


 そのあとは。


 竹下くんとの時間。


 それが正しい。


 分かっている。


 でも。


 少し寂しいと思った。


     ◇


 夕食のあと。


 私はもう一度明日の服へ袖を通した。


 クリーム色のブラウス。


 薄い青のデニム。


 白いスニーカー。


 茶色の小さなバッグ。


 髪は、今日買った髪留めで少しだけまとめる。


 鏡を見る。


 前回よりも。


 少し自然。


 歩きやすい。


 竹下くんと並んで。


 偕楽園を歩く姿を想像する。


 竹下くんは。


 可愛いと言ってくれるだろうか。


 たぶん言う。


 会った瞬間。


 どんな顔をするだろう。


 楽しみ。


 私は鏡の前で少し笑う。


 そのとき。


 右手を見る。


 明日。


 この手を。


 竹下くんが握るかもしれない。


 想像する。


 指が重なる。


 手のひらが触れる。


 並んで歩く。


 胸が熱くなる。


 嫌ではない。


 繋ぎたい。


 今日は。


 はっきりそう思えた。


「……たぶん、繋ぐ」


 声に出す。


 竹下くんに聞かれたら。


 私は。


 うん、と言うかもしれない。


 その決意が。


 少しずつ形になっている。


 でも。


 同じ手を見ながら。


 昨日。


 春斗へ伸ばしかけて止めたことを思い出す。


 熱のある春斗。


 肩へ触れたかった。


 触れたら。


 もっといたくなると思った。


 その気持ちも。


 消えていない。


 私は右手を握る。


 竹下くんと手を繋ぐ。


 それは。


 春斗への気持ちを否定することではない。


 でも。


 春斗との関係を、また少し変える。


 分かっている。


 それでも。


 明日。


 竹下くんとの恋を進めたい。


     ◇


 午後九時四十一分。


 愛ちゃんからメッセージが届く。


『準備できた?』


『できた』


『服、春くんに送ってない?』


『送ってない』


『竹下くんには?』


『明日初めて見せる』


『偉い』


『子どもみたい』


『危なかったから』


『送らないよ』


『手は?』


 質問。


 少し迷って。


『たぶん繋ぐ』


 送る。


 既読。


 少しして。


『真理がそうしたいなら、いいと思う』


『うん』


『春くんの反応じゃなくて?』


『竹下くんと繋ぎたい』


『なら明日、自分で答えて』


『うん』


『でも』


『何?』


『繋いだら、恋人になるわけじゃない』


『分かってる』


『竹下くんは期待する』


『分かってる』


『春くんは傷つく』


『分かってる』


『それでも?』


 私は画面を見つめる。


 それでも。


 竹下くんと手を繋ぎたい。


『うん』


 送る。


『そっか』


『ひどい?』


『ひどい部分はある』


『また』


『でも、真理が竹下くんを好きなのも本当だから』


『うん』


『春くんを傷つけたくないからって、竹下くんとの恋を止めるのも違う』


『うん』


『ただ、春くんに隠して二人とも同じように近づくのは駄目』


『言わないって約束した』


『隠すのと、話さないのは違うよ』


『どう違う?』


『春くんが聞きたくないから話さない。嘘はつかない』


『うん』


『竹下くんにも、春くんのことを忘れたふりしない』


『うん』


『明日は竹下くんを見る』


『うん』


『でも、自分の気持ちが動いたら、それも後で考える』


『分かった』


 愛ちゃんは。


 答えをくれない。


 でも。


 考える場所を作ってくれる。


『楽しんできて』


 最後に届く。


『うん』


『本当に』


『うん』


『春くんの返信待ちながらじゃなく』


 胸が少し痛む。


『明日は見ない』


『朝以外?』


『うん』


『できる?』


『やる』


『じゃあ頑張って』


『デートって頑張るもの?』


『真理の場合は』


 少し笑った。


     ◇


 午後十時十三分。


 私はノートを開く。


 左に竹下くん。


 右に春斗。


 今日のことを書く。


 竹下くん。


 明日の服は、竹下くんに最初に見てもらう。


 それを伝えると、とても喜んでくれた。


 明日、手を繋いでいいか聞くと言われた。


 私は、きちんと答えると約束した。


 今は、少しではなく、繋ぎたいと思っている。


 明日は竹下くんを見る。


 春斗。


 熱は三十六度七分まで下がった。


 返信が遅いだけで、何度もスマートフォンを見た。


 明日の準備も課題も、手につかなくなった。


 好きでいてくれるか確認したかったのではない。


 ただ話したかった。


 内容は何でもよかった。


 春斗は、明日のデート中は連絡しないと言った。


 朝に体調だけ送る。


 月曜日は五分早く会う。


 書き終える。


 今日は。


 竹下くんとの明日を、はっきり楽しみにしていた。


 服を選んだ。


 髪留めを買った。


 手を繋ぎたいと思った。


 それなのに。


 春斗から返信がないだけで。


 何も手につかなくなった。


 この二つを。


 同じページに並べる。


 矛盾しているように見える。


 でも。


 どちらも本当。


 それを言い訳にして。


 二人へ同じ期待を渡してはいけない。


 竹下くんへは。


 明日。


 前へ進む答えを出すかもしれない。


 春斗へは。


 月曜日。


 会いたいという約束だけ。


 今は。


 それ以上を渡せない。


 スマートフォンが震える。


 竹下くん。


『明日九時半』


『うん』


『寝坊しないで』


『しない』


『服楽しみ』


『期待して』


『手も』


 胸が鳴る。


『聞いて』


『うん』


『ちゃんと答える』


『分かった』


『おやすみ』


『おやすみ』


 竹下くんとの会話を閉じる。


 少しして。


 春斗から。


『寝る』


『熱は?』


『三十六度六分』


『よかった』


『明日朝送る』


『うん』


『そのあと送らない』


『うん』


『見ない?』


 聞かれる。


 春斗も。


 私が見るか気にしている。


『見ない』


『本当に?』


『竹下くんとの時間だから』


 既読。


 少し長い沈黙。


『分かった』


『嫌?』


『嫌』


『うん』


『でも』


『何?』


『月曜会えるなら我慢する』


 胸が温かくなる。


『会う』


『五分』


『うん』


『それ以上も会う』


『学校で?』


『学校で』


『帰りも』


『一緒』


『期待していい?』


『月曜一緒にいることは』


『うん』


『していい』


 既読。


『分かった』


『春斗』


『何』


『明日』


『うん』


『行ってくる』


 わざわざ言う必要はない。


 でも。


 伝えたかった。


『うん』


『楽しんでくる』


『うん』


『春斗も寝て』


『うん』


 短い返事。


『おやすみ』


 送る。


 少しして。


『真理』


『何?』


『月曜会いたい』


 胸が大きく鳴る。


『私も』


 返す。


『それ、今は同じ意味?』


 春斗が聞く。


 明日。


 私は竹下くんに会う。


 手を繋ぐかもしれない。


 それでも。


 月曜日。


 春斗へ会いたい。


 その意味は。


 春斗と同じだろうか。


 春斗は。


 好きな人へ会いたい。


 私は。


 大切な春斗へ会いたい。


 同じではないかもしれない。


 でも。


 会いたいという気持ちだけは。


 同じ。


『月曜に会いたいって意味は同じ』


 送る。


 既読。


『それならいい』


『うん』


『おやすみ』


『おやすみ』


 今度こそ会話が終わる。


 私はノートの一番下へ、今日の言葉を書く。


『誰かとの未来を楽しみにしていても、別の誰かからの返事を待ってしまう。その重さを、見なかったことにしない。』


 明日。


 私は竹下くんと会う。


 服を見てもらう。


 偕楽園を歩く。


 たくさん話す。


 そして。


 手を繋いでいいか聞かれる。


 私はたぶん。


 うん、と答える。


 それは。


 竹下くんを好きだから。


 恋を前へ進めたいから。


 春斗を忘れるためではない。


 比べるためでもない。


 自分の気持ちで選ぶ。


 そのつもりだった。


 でも。


 今日。


 春斗からの返信が遅いだけで。


 明日の準備も。


 課題も。


 何も手につかなくなった。


 そのことも。


 私は忘れない。


 好きな人とのデート前日。


 普通なら。


 その人のことだけを考えて眠るのかもしれない。


 私も。


 竹下くんのことを考えている。


 会いたい。


 手を繋ぎたい。


 もっと好きになりたい。


 それなのに。


 目を閉じる直前。


 最後に浮かんだのは。


 明日の竹下くんの笑顔と。


 月曜日。


 五分早く待っている春斗の姿。


 二つだった。


 私はまだ。


 どちらか一つだけを夢見ることができなかった。

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