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『好きな人がいるので、幼馴染に恋愛相談していたら、なんだか様子がおかしくなりました』   作者: 伊佐波瑞樹


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12/52

第12話 五分長く隣にいたいと言っただけなのに、幼馴染はそれを期待と呼びました


 水曜日の朝、午前五時二十九分。


 目覚ましが鳴る一分前。


 私は、ほとんど眠っていなかったような感覚のまま目を開けた。


 実際には、何度か夢を見た気がする。


 偕楽園の広い道を竹下くんと歩く夢。


 梅の時期ではないのに、木々には白や薄桃色の花が咲いていた。竹下くんは私の少し前を歩き、何度も振り返っている。


 追いつこうとすると、今度は後ろから春斗に呼ばれる。


 振り返った先には、いつもの制服姿の春斗が立っていた。


 でも。


 どちらへ進んでも、片方の姿が少しずつ遠くなる。


 そんな夢だった。


 目を覚ましたあとも、胸の奥には細い痛みが残っている。


 私は枕元のスマートフォンを手に取った。


 画面には、昨夜のやり取りがそのまま残っている。


『明日も五分早くしてほしい』


『何話す』


『何もなくてもいい』


『普通と同じだろ』


『五分長く一緒にいる』


『期待する』


『分かってる』


『それでも?』


『うん』


『じゃあ五分早い』


 何度読み返しても、自分がかなり踏み込んだことを言っているように見えた。


 五分長く一緒にいたい。


 ただ、それだけ。


 私にとっては、思ったままを口にしただけだった。


 でも春斗は、それを期待すると言った。


 私が春斗との時間を求めれば、春斗は自分にも可能性があると思う。


 私が嬉しいと言えば、春斗は待ち続けようとする。


 そのことを分かったうえで、私は「それでも」と答えた。


 期待させたいわけではない。


 でも、春斗が自分を諦めるのも嫌だった。


 やっぱり、私はずるい。


 竹下くんとの次の約束を楽しみにしながら。


 春斗には、自分を好きなままでいてほしいと思っている。


 愛ちゃんに言われた。


 二人の優しさへ甘え続けない。


 春斗にも言われた。


 俺がお前を好きだから、何をしても離れないと思うな。


 分かっている。


 分かっているのに。


 春斗が五分早く来てくれることを思うと、胸が少しだけ温かくなる。


「……今日は何も話さなくてもいいんだよね」


 私は小さく呟いた。


 何も話さない。


 ただ一緒にいる。


 以前なら、そんな時間へ特別な意味など感じなかった。


 今は違う。


 春斗が私のために五分早く起き、五分早く家を出る。


 その事実だけで、今まで当たり前だった朝が、少しだけ特別なものへ変わっていた。


     ◇


 午前五時三十六分。


 玄関を出ると、空気は昨日より冷たかった。


 空は明るくなり始めているものの、東の雲が朝日を隠している。住宅街には淡い青灰色の光が広がり、庭木や塀の輪郭が柔らかく霞んでいた。


 私は門の前へ立つ。


 今日は私の家の送迎当番。


 母はすでに車のエンジンをかけ、運転席で待っている。


「春斗くん、もう出てるかな」


 母が聞く。


「五分早くしたから、たぶん」


「最近、その五分に意味があるの?」


「……少し」


「何を話すの?」


「何も」


「何も話さないために五分早く?」


「うん」


 母は少しだけ笑った。


「贅沢な五分ね」


「贅沢?」


「話すことがなくても一緒にいたい相手なんでしょう」


 心臓が少し強く鳴る。


「幼馴染だから」


 反射的に答える。


 でも、その言葉は以前ほど自然に出なかった。


「昨日までは、そうやって何でも幼馴染で片づけてたね」


「今は違うって言いたいの?」


「お母さんが決めることじゃないよ」


 母はそれ以上言わず、車を動かした。


 春斗の家まではすぐ。


 見慣れた角を曲がると、門の前に春斗が立っている。


 昨日より少し眠そう。


 左手には鞄。


 右手には文庫本を持っていた。


 車が停まる。


 春斗が後部座席のドアを開けた。


「おはようございます」


「おはよう、春斗くん」


「おはよう」


「はよ」


 春斗が隣へ座る。


 ドアが閉まる。


 車内へ、いつもの距離が戻る。


 昨日の夜。


 五分長く一緒にいたいと言った。


 その五分が、今始まっている。


「何」


 春斗が私を見る。


「まだ何も言ってない」


「見てる」


「今日は何話す?」


「何もなくていいって言ったのお前だろ」


「本当に何も話さないの?」


「何か話したいなら話せば」


「春斗が五分早くしたんだから、春斗が話して」


「頼んだのお前だろ」


「そうだけど」


 春斗が少しだけ呆れた顔をする。


「じゃあ、何で五分早くしたかった」


 聞かれる。


 私は少し考える。


「昨日、石井さんと話してる春斗見たから」


「またそれか」


「違う。昨日だけじゃなくて」


「じゃあ何」


「朝、一緒にいる時間が減るかもしれないって聞いたから」


 春斗の表情が少し静かになる。


「まだ減らしてない」


「でも、いつか減るかもしれない」


「お前が竹下と付き合ったら」


「うん」


「だから今のうちに増やすの?」


 言葉に詰まる。


 そう言われると。


 今ある時間を失うのが怖いから、少しでも多く持っておきたいように聞こえる。


「違うと思う」


「思う?」


「今も一緒にいたいから」


「今も?」


「うん」


「竹下との日曜が決まってても?」


「決まってるから春斗といなくていい、にはならないよ」


「俺には分けられない」


「知ってる」


「知ってて言うんだな」


 春斗の声は怒っていない。


 でも、少しだけ苦しそうだった。


「ごめん」


「今日はそれ言わない」


「何を?」


「謝るなって言うの疲れた」


「じゃあ謝っていい?」


「よくない」


「どっち」


 母が前の席で小さく笑う。


「二人とも、朝から難しい会話してるわね」


「母さんは運転して」


「してるわよ」


 春斗は窓の外へ視線を向ける。


 少し沈黙。


 車内には、タイヤが道路を滑る音と、低く流れるラジオの音だけが残った。


 話すことがなくてもいい。


 私がそう言ったのだから、この沈黙も約束の一部なのかもしれない。


 以前なら、何も思わなかった。


 今は、隣にいる春斗の呼吸まで意識する。


 文庫本は膝の上。


 指は表紙へ乗っている。


 でも開かない。


「読まないの?」


 私が聞く。


「五分のために早くしたのに、読んだら怒るだろ」


「怒らないよ」


「見る」


「何を」


「俺が本読むと」


「少し寂しいかも」


「ほら」


「でも、読んでもいい」


「どっち」


 今度は春斗が言う。


 私は少し笑った。


「お互い難しいね」


「お前が難しくしてる」


「春斗も」


「俺は最初から竹下の話聞きたくないって言えばよかった」


「言われたら、相談できなかった」


「それでよかったかも」


 胸が少し痛む。


「春斗と今みたいにならなかった?」


「たぶん」


「それは嫌」


「そういうところ」


「何」


「竹下との恋を進めるために俺を使って、今は俺との関係が変わったことも失いたくない」


 胸へ刺さる。


 春斗は言葉を選びながら続けた。


「お前が悪いって言いたいわけじゃない」


「少し言ってる」


「少しは」


「うん」


「でも、俺も自分で相談乗ってたから」


「うん」


「だから、お互い今から変えるしかない」


「どう変える?」


「分からない」


「昨日からそればっかり」


「お前に言われたくない」


 春斗の口元が少しだけ緩む。


 私も笑った。


「じゃあ、今日の五分は」


「うん」


「変え方を決める時間?」


「毎日決めるのか」


「駄目?」


「重い」


「じゃあ普通にいる時間」


「普通が分からない」


「便利だね、その言葉」


「お前が使ったんだろ」


 少しずつ。


 会話がいつもの調子へ戻っていく。


 それだけで、私は安心した。


「春斗」


「何」


「今日も五分早くしてよかった?」


 春斗はすぐに答えなかった。


 窓の外へ視線を向けたまま、少しだけ考える。


「よかった」


 短い返事。


 胸が温かくなる。


「私も」


 口にした。


 春斗がこちらを見る。


「それ、期待する」


「分かってる」


「なら言うな」


「でも本当」


「真理」


「何」


「昨日から、お前が期待させるって分かって言うようになったの、前より悪い」


「前は分からず言ってた」


「そっちも悪い」


「じゃあどうすればいいの」


「少しは黙れ」


「嫌」


 春斗が深く息を吐く。


 でも、その顔は本気で怒ってはいなかった。


     ◇


 岩瀬駅のホームは、朝の冷たい風が通り抜けていた。


 ベンチは空いている。


 私と春斗はいつもの場所へ座った。


 通勤客の足音。


 自動販売機の低い機械音。


 線路の向こうから聞こえる鳥の声。


 時間は昨日までと変わらないはずなのに、今日は五分長い。


「春斗」


「何」


「昨日の石井さん」


「まだ聞くのか」


「今日は話す予定ある?」


「知らない」


「聞かれたら話す?」


「話す」


「そっか」


「嫌そうな顔するな」


「嫌だから」


「お前には竹下がいる」


「それ言えば全部終わると思ってる?」


「終わらないのがおかしい」


「私の中では別」


「便利に使うな」


「春斗も同じこと言う」


「前から言ってる」


 私は膝の上へ手を置いた。


「昨日、愛ちゃんにも言われた」


「何を」


「春斗が私を好きだからって、ずっと私のものじゃない」


 春斗の指が本の端で止まる。


「そうだな」


「簡単に言うね」


「事実だろ」


「でも嫌」


「それも昨日聞いた」


「今日も嫌」


「毎日確認するな」


「だって、春斗が少しずつ離れる準備してるみたいだから」


 春斗がこちらを見る。


「してない」


「本当?」


「今は」


「また今は」


「先のことは分からない」


「私は分からないって言うと怒るのに」


「同じじゃない」


「似てる」


「違う」


 私たちはしばらく見つめ合う。


 先に春斗が目を逸らした。


「真理」


「何」


「俺がほかの誰かを好きになるのが嫌なら」


「うん」


「お前が俺を選べばいい」


 心臓が大きく鳴る。


 簡単な言葉。


 でも、すぐには答えられない。


 春斗も分かっている。


 答えを急かすつもりはない。


 それでも言った。


「ずるい」


 私が言う。


「何が」


「それ言われたら、竹下くんとの日曜が悪いことみたいになる」


「悪いとは言ってない」


「でも、春斗を選ばないなら、誰かに取られても仕方ないってことでしょ」


「そう」


「嫌」


「なら選べ」


「今は無理」


「じゃあ我慢しろ」


 静かな声。


 でも厳しい。


「春斗、最近厳しい」


「今まで甘すぎた」


「優しかった」


「都合よかっただけかもしれない」


「そんなことない」


「お前にとっては」


 胸が痛む。


「春斗は後悔してる?」


「何を」


「私の相談に乗ったこと」


 春斗はすぐに答えなかった。


 ホームへ電車接近のアナウンスが流れる。


 遠くから、線路の振動が少しずつ近づいてくる。


「後悔してる」


 やがて、春斗が言った。


「……そっか」


「でも」


 春斗は続ける。


「乗らなかったら、お前が竹下と話せなくて落ち込むの見てたと思う」


「うん」


「それも嫌だった」


「じゃあ」


「どっちでも嫌だった」


 春斗は少しだけ笑った。


「好きになった時点で、楽な方なんかなかった」


 胸が締めつけられる。


「春斗」


「何」


「好きになるの、やめたい?」


「やめられるなら」


「やめたいの?」


 聞く。


 春斗は私を見る。


「今は、やめたくない」


 真っ直ぐな目。


 逃げない言葉。


 胸が熱くなる。


 嬉しいと言いたい。


 でも。


 それを言えば、また期待させる。


 私は唇を閉じた。


「何」


 春斗が聞く。


「言わない」


「また?」


「期待するから」


「顔に出てる」


「仕方ない」


 春斗は少しだけ困ったように笑った。


 電車がホームへ入ってくる。


 強い風が吹き、私の髪が頬へかかる。


 春斗が手を伸ばしかけた。


 でも、触れる前に止めた。


「何?」


「髪」


「ついてる?」


「顔にかかってる」


 私は自分で髪を直す。


 春斗の手は膝へ戻った。


 触れそうで、触れない。


 昨日までなら、そんな動きに気づかなかったかもしれない。


 今は、止まった指先ばかりが気になった。


     ◇


 午前七時二十四分。


 教室へ入ると、竹下くんは窓際で小野寺くんと話していた。


 私へ気づくと、すぐに手を上げる。


「おはよう」


「おはよう」


「今日、晴れたね」


「うん」


「日曜もこのくらいだといいな」


 朝一番で、次の約束の話。


 胸が少し高鳴る。


「天気予報見た?」


「まだ」


「俺、見た」


「早い」


「気になるから」


 竹下くんが笑う。


「今のところ晴れ」


「本当?」


「うん。でも変わるかも」


「晴れてほしい」


「俺も」


 近くにいた小野寺くんが、すぐに会話へ入る。


「朝から次のデートの天気確認?」


「うるさい」


「竹下、分かりやすくなったな」


「久保さんの影響?」


 女子たちまで笑う。


 昨日ほど強いからかいではない。


 竹下くんも少し恥ずかしそうにしながら、今回は否定しなかった。


「楽しみだから見るだろ」


 その一言で、周囲が少し騒がしくなる。


「言った!」


「竹下、強い」


「久保さん顔赤い」


 私は自分の席へ鞄を置いた。


「竹下くん、朝から言わないで」


「嫌だった?」


「嫌じゃないけど」


「じゃあいい?」


「恥ずかしい」


「ごめん」


 竹下くんの表情が少し申し訳なさそうになる。


「でも嬉しい」


 私は小さく付け加えた。


 竹下くんが笑う。


「なら良かった」


 胸が温かくなる。


 春斗へは、嬉しいと何度も言わないように気をつけている。


 竹下くんへは、素直に言える。


 それは竹下くんが私へ期待しても、その期待が私の望んでいる方向と近いからなのかもしれない。


 私は竹下くんを好き。


 次の約束も嬉しい。


 もっと近づきたい。


 だから、嬉しいと言っても大きな矛盾はない。


 春斗へ嬉しいと言うときは違う。


 春斗を恋人として選べるか分からないのに。


 期待だけを与えてしまう。


 その違いが、少しだけ見えた気がした。


「真理」


 愛ちゃんが隣へ来る。


「何?」


「今、何か分かった顔」


「分かる?」


「少し」


「竹下くんには嬉しいって言いやすい」


「春くんには?」


「言うと重くなる」


「どうしてだと思う?」


「竹下くんの期待は、私が進みたい方向と同じだから」


 愛ちゃんが少し目を見開く。


「春くんは?」


「まだ、同じ方向か分からない」


「……真理」


「何?」


「少し進んだね」


「本当?」


「うん」


 褒められ、胸が少し軽くなる。


「じゃあ竹下くんを選ぶの?」


「それはまだ分からない」


「そこまでは進んでないか」


「うん」


 でも。


 自分の言葉が誰へどんな意味を持つか。


 少しだけ考えられるようになった。


     ◇


 二時間目の休み時間。


 私は愛ちゃんと廊下へ出た。


 教室の中が少し暑くなり、窓際の空気を吸いたかった。


 廊下には別のクラスの生徒も多い。移動教室へ向かう者や、購買の予約表を確認する者が行き交っている。


 その中に、春斗がいた。


 石井さんと、昨日一緒にいた男子。


 三人で階段を上がってくる。


 また胸がざわつく。


 昨日よりは落ち着いている。


 何度も自分へ言い聞かせたから。


 春斗が同じクラスの女子と話すことは普通。


 私が止める権利はない。


 でも。


 石井さんが笑いながら春斗へ何か言い、春斗も少しだけ口元を緩めた瞬間、胸の奥が冷たくなった。


「真理」


 愛ちゃんが小さく呼ぶ。


「分かってる」


「まだ何も言ってない」


「顔でしょ」


「うん」


 春斗も私へ気づいた。


 目が合う。


 昨日なら、私は呼び止めていた。


 用事がなくても。


 今日も呼びたい。


 でも。


 自分は日曜日に竹下くんと出かける。


 竹下くんから手を繋いでもいいか聞かれている。


 その状態で、春斗が女子と話すたび止めるのは違う。


 私は何も言わなかった。


 春斗たちはそのまま近づいてくる。


「おはよう」


 石井さんが私へ声をかける。


「おはようございます」


「昨日ぶり」


「はい」


「久保くん、朝も一緒だった?」


「はい」


 石井さんの問いは普通。


 特別な意味はない。


「本当に毎日一緒なんだね」


「家が近いので」


「いいなあ。通学長いと一人だと暇だよね」


 石井さんは春斗を見る。


「久保くん、電車でも本読んでるの?」


「大体」


「真理ちゃんと話さないの?」


 真理ちゃん。


 呼び方が少し近くなった。


 でも、それも昨日自己紹介したからだろう。


「話すときもある」


 春斗が答える。


「朝は寝てることもあるよね」


 私はつい口を挟む。


「お前が話しかけても返事しないときあるだろ」


「それは本読んでるから」


「寝てるときもある」


「少し」


 石井さんが笑う。


「二人、仲良いね」


 昨日と同じ。


 春斗は否定するだろうか。


 私は隣で少し緊張した。


「まあ、長いから」


 春斗が答える。


 仲良くないとは言わなかった。


 胸が少し温かくなる。


「じゃあ、また」


 石井さんたちは移動教室へ向かう。


 春斗もそのあとを歩こうとする。


「春斗」


 結局、呼んでしまった。


 春斗が振り返る。


「何」


 用事。


 何か用事を考える。


「……帰り」


「一緒」


「分かった」


 昨日と同じ。


 春斗の眉が少し動く。


「朝も確認しただろ」


「したけど」


「それだけ?」


「うん」


 春斗は少しだけ呆れた顔をする。


「じゃあ、またあとで」


「うん」


 春斗が石井さんたちの方へ戻る。


 私はその背中を見送った。


「呼ばないように頑張ったのに」


 愛ちゃんが言う。


「最後に負けた」


「でも、石井さんと話すなとは言わなかった」


「進歩?」


「少し」


「本当に少しだね」


 厳しい。


「でも」


 愛ちゃんが続ける。


「春くんも、真理が呼ぶの待ってたように見えた」


「本当?」


「すぐ振り返ったし」


 胸が少し軽くなる。


 でも、そこでまた安心しようとする自分へ気づく。


「駄目」


「何が?」


「春斗が私を気にしてるから大丈夫って思った」


「それ自体は悪くないよ」


「甘えてる」


「甘えるのと、確認するのは違う」


「どう違う?」


「春くんの気持ちを利用して、自分だけ自由にするなら甘え。春くんも自分を気にしてるって知って嬉しくなるだけなら、今は仕方ない」


「難しい」


「全部を悪いことにしなくていいよ」


 愛ちゃんの言葉に、私は小さく頷いた。


     ◇


 昼休み。


 今日は竹下くんから声をかけられた。


「久保さん、一緒に食べる?」


 教室の入口。


 愛ちゃんも隣にいる。


 私は少し迷った。


 昨日は愛ちゃんと食べた。


 今日は竹下くんと食べたい。


 そう思う。


「うん」


 答える。


 竹下くんの表情が明るくなる。


「大杉さん、ごめん」


「毎回謝らなくていいよ」


「でも」


「今日は私も別の子と食べるから」


 愛ちゃんは私へ意味ありげな視線を向ける。


「ちゃんと竹下くんとの時間にしてきな」


「うん」


 竹下くんと二人で食堂へ向かう。


 廊下を歩く生徒たちの視線は、もう昨日ほど気にならなかった。


 何人かがこちらを見て笑う。


 小さな声で「また二人」と聞こえる。


 でも、竹下くんと並んでいることが少しずつ自然になっている。


「今日は何食べる?」


 竹下くんが聞く。


「迷う」


「毎回迷うね」


「選択肢多いから」


「俺、日替わり」


「早い」


「朝から決めてた」


「食堂のメニュー見たの?」


「掲示板に出てた」


「そんなところ見てるんだ」


「結構大事だろ」


 二人で笑う。


 食堂は混んでいたが、端の二人席が空いていた。


 トレーを置き、向かい合う。


「朝」


 竹下くんが言う。


「春斗くんと一緒だった?」


「うん」


 もう隠さない。


「五分早くした」


「どうして?」


「春斗と少し長くいたかったから」


 竹下くんの箸が止まる。


 表情が僅かに固くなる。


「……そっか」


 その反応を見て、私は続ける。


「でも、今日は何も特別なことしてない」


「何もなくても、一緒にいたかったんだよね」


「うん」


 竹下くんは少し俯く。


「ごめん」


「謝らないで」


「でも嫌だった?」


「嫌」


 竹下くんも、最近は正直に言う。


「俺との次の約束決まってるのに、春斗くんといる時間も増やしたいんだ」


「うん」


「正直すぎる」


「嘘つかない方がいいと思って」


「何でも言えばいいわけじゃないけど」


 春斗にも似たことを言われた。


 全部共有しなくていい。


「ごめん」


「でも、聞いたの俺だから」


 竹下くんは一度深く息を吐いた。


「俺も春斗くんと同じだな」


「何が?」


「聞きたくないのに、知らないのも嫌」


「春斗も言ってた」


「そこも同じか」


「嫌?」


「嫌」


 少し困ったように笑う。


「俺、春斗くんと比べられるの苦手かも」


「比べてないよ」


「比べてると思う」


「……少しは」


「正直」


「ごめん」


「だから謝らないで」


 二人とも同じことを言う。


 私はいつも、謝るしかできない。


「竹下くん」


「何?」


「私、昨日より少しだけ分かったことある」


「何?」


「竹下くんに嬉しいって言うのと、春斗に嬉しいって言うのは意味が違う」


 竹下くんが静かに私を見る。


「どう違う?」


「竹下くんとは、もっと近づきたいって思ってる」


「うん」


「だから、誘われて嬉しいとか、可愛いって言われて嬉しいとか、そういうのを言っても、自分の気持ちと同じ方向だと思う」


「春斗くんは?」


「まだ、同じ方向か分からない」


 竹下くんは黙る。


 周囲の食器の音や、生徒たちの会話が少し遠く感じる。


「それなら」


 竹下くんがゆっくり口を開く。


「俺の方が近い?」


 胸が鳴る。


 簡単には答えられない。


「恋人になりたいって意味では」


「うん」


「今は竹下くんの方が想像しやすい」


 正直に答える。


 竹下くんの表情が少し明るくなる。


「本当?」


「うん」


「じゃあ日曜」


「うん」


「もっと想像しやすくする」


「どうやって?」


「一緒に歩いて、話して」


 竹下くんが少し照れながら続ける。


「手も繋げたら」


 胸が大きく鳴る。


「まだ決めてない」


「分かってる」


「でも、繋ぎたい?」


「うん」


 即答。


 胸が熱くなる。


「久保さんは?」


「嫌じゃない」


「それだけ?」


「……少し繋いでみたい」


 口にした瞬間、顔が熱くなる。


 竹下くんの目が少し見開かれる。


「本当?」


「うん」


「じゃあ期待する」


 春斗と同じ言葉。


 でも、胸へ落ちる感覚は違う。


「していいよ」


 私は言った。


 竹下くんの表情が柔らかくなる。


「それ、嬉しい」


「うん」


「日曜、晴れるといいな」


「うん」


 竹下くんへは、期待していいと言えた。


 春斗には言えない。


 その違いが、また少しはっきりした。


     ◇


 午後の授業。


 私は何度も自分の左手を見た。


 日曜日。


 竹下くんと手を繋ぐかもしれない。


 しかも。


 少し繋いでみたいと、自分から言った。


 嬉しい。


 恥ずかしい。


 期待している。


 その感情は、恋らしい形をしていた。


 でも。


 教室の時計を見るたび、放課後に春斗と帰ることも気になる。


 竹下くんへ、春斗との五分を増やしたことを話した。


 春斗へ、日曜日に手を繋ぐかもしれないことはすでに知られている。


 二人とも嫌だと言った。


 私は、その嫌を知りながら両方の時間を増やしている。


 昨日より自分の気持ちは少し見えた。


 でも、誠実にできているのかは分からない。


     ◇


 放課後。


 竹下くんは部活へ向かう前、私の机へ来た。


「日曜のバス、時間調べた」


「早い」


「歩くなら三十分くらいだけど、帰り時間あるから行きはバスにしようと思う」


「うん」


「帰りは歩けそうなら歩く」


「分かった」


「靴、歩きやすいので」


「春斗にも言われた」


 言ってから、竹下くんの表情が僅かに曇る。


「また春斗くん」


「ごめん」


「今日は何回謝るの」


「たくさん」


「じゃあ、もう一回禁止」


「何を?」


「日曜まで、俺との予定の話で春斗くん出すの禁止」


 少し驚く。


 でも、竹下くんは笑っていない。


「嫌?」


「嫌じゃない」


「俺と久保さんの話だから」


 胸へ落ちる。


 昨日も言われた。


 全部春斗基準で考えられると寂しい。


「分かった」


「本当に?」


「うん」


「じゃあ靴」


「スニーカーにする」


「よし」


「子どもみたい」


「久保さんが途中で足痛いって言わないように」


「言わないよ」


「本当?」


「たぶん」


「たぶんなんだ」


 二人で少し笑う。


「じゃあ部活行ってくる」


「頑張って」


「日曜、楽しみにしてる」


「私も」


 今度は迷わず言えた。


     ◇


 いつもの合流場所へ向かうと、春斗はまだ来ていなかった。


 私は壁際へ立ち、スマートフォンを見ずに待った。


 竹下くんからのメッセージを確認すれば、春斗へ会う直前まで日曜日のことを考えることになる。


 それが悪いわけではない。


 でも、今からは春斗との時間。


 全部同じにしない。


 母にも、愛ちゃんにも言われた。


 二人を大事にする方法は、同じでなくていい。


 数分後。


 廊下の向こうから春斗が歩いてきた。


 今日は一人。


 私へ気づき、少し歩みを速める。


「遅い」


 私は言う。


「一分」


「一分は一分」


「また真似」


「先に言いたかった」


「何で」


「いつも春斗が言うから」


 春斗が隣へ来る。


 二人で歩き始める。


「今日」


 春斗が言う。


「石井さんと話した」


 自分から言われ、胸が少しざわつく。


「何を?」


「課題」


「二人で?」


「もう一人いた」


「そっか」


「嫌?」


「嫌」


 正直に答える。


「でも、話すなとは言わない」


 春斗が少しだけこちらを見る。


「進歩?」


「愛ちゃんには少しって言われる」


「本当に少し」


「春斗まで」


「でも」


 春斗が続ける。


「呼ばなかったな」


「見てたの?」


「少し」


「呼んでほしかった?」


「別に」


「嘘」


「帰り一緒って分かってたから」


 胸が少し温かくなる。


「私は呼びたかった」


「呼べばよかっただろ」


「我慢した」


「何で」


「春斗を縛らないため」


 春斗は少し黙る。


「無理しすぎなくていい」


「でも」


「呼ばれるくらいなら嫌じゃない」


「本当?」


「用事ないのに毎回は困るけど」


「じゃあ、たまに」


「たまに」


 小さな約束。


 それだけで安心する。


「春斗」


「何」


「私も今日、竹下くんと日曜の話した」


「そう」


「細かいことは言わない」


「その方がいい」


「聞きたい?」


「少し」


「でも言わない」


「そうして」


 春斗の声は少しだけ苦しそうだった。


「じゃあ別の話する」


「何」


「今日の授業」


「珍しい」


「数学分からなかった」


「どこ」


「ここ」


 私は鞄からノートを出す。


 歩きながら見せようとすると、春斗が眉を寄せた。


「駅で見せろ」


「今少し」


「転ぶ」


「転ばない」


「お前は転ぶ」


「ひどい」


「前見ろ」


 いつもの会話。


 恋愛の話ではない。


 竹下くんの話でもない。


 ただ、学校の授業。


 今までなら何でもない。


 でも今日は。


 春斗との時間を、竹下くんとの話で埋めずにいられたことが少し嬉しかった。


     ◇


 岩瀬駅のホーム。


 春斗へ数学のノートを見せる。


「ここ」


「式変形間違ってる」


「どこ?」


「最初」


「最初から?」


「うん」


「全部駄目じゃん」


「全部ではない。最初が違うから後ろもずれた」


「同じ」


「違う」


 春斗が私のペンを取り、ノートへ式を書く。


 指先。


 近い。


 私は春斗の手を見てしまう。


「見るな」


「ノート見てる」


「手見てる」


「少し」


「日曜に竹下と繋ぐんだろ」


 胸が跳ねる。


「まだ決めてない」


「そう」


「でも」


 言いそうになる。


 少し繋いでみたい。


 竹下くんへは言った。


 春斗へは言わない。


 比べないために。


「何」


「何でもない」


 春斗が少しだけ私を見る。


「言わないんだ」


「竹下くんとの話だから」


 春斗の表情が僅かに変わる。


 寂しそうにも見えた。


 でも、頷いた。


「それでいい」


「本当?」


「聞きたくない」


「うん」


「でも」


「何?」


「ちゃんと分けようとしてるのは分かる」


 少しだけ褒められたような気がした。


「進歩?」


「少し」


「みんな同じ」


「本当に少しだから」


 春斗はノートへ視線を戻した。


「ここ、分かった?」


「うん」


「説明して」


「え」


「分かったなら」


 私は式を見つめる。


「最初にこっちを移項して」


「うん」


「符号変えて」


「うん」


「それから」


「それから?」


「……忘れた」


「分かってない」


 春斗が小さく笑う。


 私も笑った。


 駅のホーム。


 朝より人は少ない。


 夕方の風が、線路沿いを通り抜ける。


 今は、恋の答えを出さなくてもいい。


 ただ数学を教えてもらう。


 その時間が、少しだけ懐かしく感じた。


     ◇


 帰りの電車では、隣の席が空いていた。


 私と春斗は並んで座る。


 窓の外には夕方の街が流れ、遠くの空が橙色へ染まり始めている。


 春斗は本を開いた。


 私はスマートフォンを出す。


 竹下くんからメッセージが届いている。


『日曜、バスの時間これ』


 時刻表の画像。


 確認しようとして。


 私は春斗を見る。


「何」


「竹下くんから日曜の連絡来た」


「そう」


「今見てもいい?」


 聞いてから、自分でも変だと思う。


 許可を取る必要はない。


 春斗も少し驚いた顔をした。


「俺に聞くな」


「でも」


「お前と竹下の話だろ」


「うん」


「見ればいい」


「嫌じゃない?」


「嫌」


「じゃあ」


「でも止めない」


 春斗は本へ視線を戻す。


「俺がいる間、竹下の連絡見るなって言ったら、それも違うだろ」


「うん」


「ただ、返事しながら俺に内容話すな」


「分かった」


 私はメッセージを開く。


 時刻表を確認し、『ありがとう。九時四十二分のバスでいい?』と返す。


 竹下くんからすぐに『それで』と来る。


 会話は短く終えた。


 私はスマートフォンを伏せる。


「終わった?」


 春斗が聞く。


「うん」


「早いな」


「必要なことだけ」


「そう」


 春斗は本を読んでいる。


 でも、さっきより少しだけ表情が柔らかい。


「春斗」


「何」


「今の、よかった?」


「何が」


「竹下くんの連絡見ても、話さなかった」


「子どもみたいに褒めてほしいのか」


「少し」


「普通」


「それ褒めてる?」


「前よりは」


 嬉しい。


 でも、口へ出す前に少し考える。


「ありがとう」


 それだけ言った。


 春斗は何も返さなかった。


 でも、本のページをめくる指が少しだけ止まった。


     ◇


 夜、午後十時十一分。


 私はノートを開いた。


 竹下くん。


 日曜日の手繋ぎを少し期待している。


 竹下くんへは、期待していいと言えた。


 春斗との時間を増やしたことを話すと、竹下くんは嫌だと言った。


 日曜まで、竹下くんとの予定へ春斗を入れないと決めた。


 春斗。


 五分長く一緒にいられて嬉しかった。


 春斗は好きでいることを、今はやめたくないと言った。


 石井さんと話していても、今日は止めなかった。


 竹下くんからの連絡を、春斗の隣で必要なことだけ返した。


 細かい内容は話さなかった。


 書いていて気づく。


 今日は昨日までと少し違った。


 二人を同じ場所へ入れないようにした。


 竹下くんとの日曜日は、竹下くんとの時間として考える。


 春斗との帰り道は、春斗との時間として過ごす。


 完全ではない。


 途中で何度も相手のことを考えた。


 比べそうにもなった。


 でも、少しだけ分けられた。


 それが正しいのか。


 ただ決断を先延ばしにしているだけなのか。


 まだ分からない。


 スマートフォンが震える。


 竹下くん。


『日曜、手繋ぐ話したの嫌じゃなかった?』


 胸が高鳴る。


『嫌じゃなかったよ』


『本当?』


『うん』


『よかった』


 少し迷い。


『少し楽しみにしてる』


 送る。


 既読。


 すぐに返事が来る。


『俺も』


 胸が温かくなる。


 これは、竹下くんとの恋。


 私はそのまま会話を続けた。


『でもそのとき決めるね』


『分かってる』


『急かさない?』


『急かさない』


『ありがとう』


『でも期待はしてる』


『していいよ』


 送信。


 自分で書いた言葉を見て、頬が熱くなる。


 竹下くんには、期待していい。


 そう言える。


 そのあと。


 春斗からメッセージが届く。


『明日』


 短い。


『何?』


『五分早い?』


 私は少し驚いた。


 今日は私から頼んだ。


 明日は春斗から聞いてくれた。


『春斗がいいなら』


『お前は?』


『早い方がいい』


 すぐに返す。


 既読。


『期待する』


 また同じ言葉。


 私は画面を見つめる。


 竹下くんには。


『していいよ』


 と言えた。


 春斗には。


 同じことを言えない。


 私は少し考えてから、指を動かす。


『何を期待するかは、春斗が決めないで』


 送る。


 少し長い沈黙。


『どういう意味』


『五分長く一緒にいたいのは本当』


『うん』


『でも、それだけで春斗を選ぶって意味にはできない』


 既読。


 返事が来ない。


 胸が痛む。


 でも、誤魔化したくない。


『嫌だった?』


 送る。


 しばらくして。


『少し』


 返ってくる。


『ごめん』


『でも分かってる』


『うん』


『前よりいい』


 胸が少し軽くなる。


『何が?』


『期待させるだけじゃなくて、違うことは違うって言った』


 春斗も、私が分けようとしていることに気づいている。


『じゃあ五分早い?』


 送る。


 少し間。


『早い』


 胸が温かくなる。


『ありがとう』


『何も話さないかもしれない』


『それでもいい』


『本当に?』


『うん』


『じゃあ寝ろ』


『まだノート書いてる』


『今日も俺のこと書いた?』


『書いた』


『竹下も?』


『書いた』


 しばらく返事がない。


『そっか』


 短い。


『内容聞く?』


『聞かない』


『少しは?』


『聞きたいけど聞かない』


 昨日と同じ。


 でも、今日は少し違う。


『私も、日曜の細かい話は言わない』


『そうして』


『でも五分早いのは嬉しい』


『何度も言うな』


『今日は一回』


『もう二回目』


『数えたの?』


『寝ろ』


 私は少し笑った。


『おやすみ』


『おやすみ』


 スマートフォンを置く。


 ノートの一番下へ、今日の言葉を書く。


『同じ「嬉しい」でも、誰に伝えるかで意味は違う。だから、自分の言葉が相手に何を期待させるのか考える』


 文字を見つめる。


 竹下くんには、期待していいと言えた。


 春斗には、期待の内容を勝手に決めないでと伝えた。


 残酷かもしれない。


 でも、どちらにも同じ希望を与えるよりは、少しだけ誠実だと思いたい。


 明日の朝も。


 春斗は五分早く来る。


 日曜日には。


 竹下くんと偕楽園へ行く。


 手を繋ぐかもしれない。


 私はまだ、二人の間で迷っている。


 でも。


 二人を同じ場所へ置いたまま、どちらにも同じ言葉を渡すことはやめようとしている。


 答えは出ていない。


 それでも、何も考えず二人の優しさを受け取っていた頃より。


 ほんの少しだけ。


 私は、自分の選ぶ責任へ近づいていた。

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